予約生産性プレゼント
公爵の執務室から自室に戻りドアが閉まった途端、アデライドは座り込んで頭を抱えた。
「あ“あ”~!!」
先ほどとは打って変わって野太い唸り声を上げる彼女にロワイエがビクりと肩を揺らす。
「お嬢様、大丈夫ですよ。素晴らしいお仕事でした」
いち早く何かを察したプルストが駆け寄って慰めの言葉をかける。
「恥ずかしいですわぁ!わたくしきんもちわるいですわぁ!圧倒的な黒歴史ですわ!」
それでも鎮まらないアデライドを、部屋に控えていた侍女達もフォローしにかかった。
「お嬢様は可愛いらしいですから大丈夫です!」
「そうです!今日は特に仕上がってらっしゃいますし!」
ようやくアデライドが顔を上げてホッとする公爵家の面々だったが、そこに空気を読まないものが現れた。
「…ブッあっはは!いや後悔するんだ!誰もあそこまでやれってブハッ!言ってないのに!ふはっ!ごめん腹筋ちぎれる!」
腹を抱えて笑いはじめたニコラを目にして、アデライドはまた唸りながらぬいぐるみの置き場になっているソファに突っ込んで動かなくなった。部屋中のヘイトを集めて笑い続けるニコラと、ぬいぐるみに埋まってディーゼルエンジンのような音を出しているアデライドで異様な雰囲気になっている中、ロワイエが口を開く。
「あの、あれは何だったんですか?」
ぬいぐるみに埋もれたままソファに腰掛けてアデライドがロワイエに向き合う。
「まさか先生が何も知らされていないとは思いませんでしたわ。大変申し訳ありませんわ」
彼女の後ろではニコラが全く悪びれる様子もなくニコニコしている。
「侍従長の奥様の実家はアルドワン侯爵領の南側の土地にあるそうですが、そこは北側よりもシュヴァベリンの影響が少ない土地なのです」
プルストが言うには、少し前からシュヴァベリンへの併合をと言い出すものが増えて奥方の実家から侍従長が相談を受けていたらしい。
「このように申し上げますとお気を悪くされるかもしれませんが、この状況はアルドワンに釘を刺すにはいい機会かと思いまして、侍従長にお声がけをさせていただきました」
ロワイエはあの研修が通った理由を何となく察した。最初から手のひらの上かと思うとやや面白くはないが。
「それで都合上、先生…ロワイエ伯爵には“公爵令嬢のお気に入り”として、公爵家の庇護下にあるという体を取っていただくことになりましたの。それが一番わかりやすくて簡単かと」
「その相談を俺と親父が密かに受けていましたぁ!」
「わたくしは先生ともご相談されていると思っておりましたわ…」
ニコニコのニコラと、ぬいぐるみを抱きしめて視線を足下に落とすアデライドの対照的な態度を見てロワイエがため息をつく。
「お嬢様のお心遣いには感謝致します。だがニコラ…」
「え~伯爵領の仕事を散々放って置いたくせにひどくないですかぁ~?」
冷たい目を向けてくる従兄弟にニコラは先ほどのアデライドのような鼻にかかった声で応戦した。
「私だったらぁ絶対そんなことしなぁ~い」
「いやだから、せめて有事には私も力を尽くしたいんだ」
クネクネしながら言ってはいるが、至極もっともな内容にロワイエのほうが動揺して早口になる。
「別にいいよ。俺と親父からの一足早い聖女祭のプレゼントだ。お前はこれからも自由にやればいいさ」
「ニコラ…」
「ロリコンひも魔術師としてな!ざっまぁ!」
「ニコラ…」
哀れなほど萎れて見えるロワイエとそれを指差して笑うニコラの図は、絵に描いたような自業自得ではあった。公爵家の面々からしたら自宅でしてほしい会話ではあったが。
「あの~そういう訳で、先生にはわたくしの授業を続けていただきますわ。そのうえで、都合上これからも…あのような接し方をしてしまいますので、ご不快かもしれませんけれども…必要なこととして我慢していただけますと…申し訳ありませんけど…」
ぬいぐるみの中に埋もれるよう小さくなっていくアデライドに、反射的に声を掛けたのはニコラだった。
「ごめんねアディちゃん。俺ちょっと無神経だったよ。アディちゃんが優しいから俺もコイツも甘えちゃってごめん」
”ちょっと“かなぁ…とロワイエは思ったが、概ね同意だったので黙っていた。これといった見返りもないのに彼女が伯爵領のために協力してくれるのは、彼らにとっては降って湧いたような幸運でしかない。
「いやアディちゃんは可愛いから逆にめっちゃ光栄まであるよ。…な!?」
焦って話を振ってくるニコラが『可愛くなくはない』と彼女を評していたことを思い出して、ロワイエは曖昧に「ああ…」と相槌を打つ。それが聞こえたようでますますアデライドが小さくなっていった。従兄弟は戦力にならないと察したニコラは気を逸らすように話を続けた。
「あっ、そのぬいぐるみ可愛いね!アディちゃんがモデルかな?服までお揃いだね!」
アデライドが持っていたのは黒髪に黒い目の女の子のぬいぐるみだった。ピンク色の服を着てリボンをつけたそれは、今日のアデライドが持つと小さな分身のように見えた。
「この子のモデルがわたくし…?そうかしら?」
「そうしてるとそっくりだし、すごく可愛いよ。公爵閣下のプレゼントかな?」
「いいえ、ダニエルさんに作っていただきましたの。素敵でしょう?」
ようやく笑顔になったアデライドにホッとしてニコラは不用意に話を続けてしまった。
「ダニエルさん?職人さんかな?」
「いいえ、地下牢にいらっしゃる方ですわ」
「地下牢…?」と呟いたニコラにアデライドは「はいこの敷地に備えておりますのよ」とニコニコと答えてきた。ゆっくりと振り返って伺うような視線を向けてくるロワイエ領の2人にプルストが説明する。
「アラン様の研究所に押し入った方です…その、お嬢様とは現在とても仲が良く、そちらにあるぬいぐるみはすべて彼が作ったものです」
気まずそうに説明するプルストの言葉に「可愛らしいでしょう?」と笑っているアデライドのまわりにはぬいぐるみが溢れていて、2人ともゾワっと肌が泡立った。
「お嬢様、そちら少し調べさせていただいてもよろしいですか?」
ロワイエに促されて「以前にも他の方に調べていただいたのですけど」と言いつつ、腕に抱えていたぬいぐるみをやや不満げに差し出したアデライドは、魔術によって調べられているぬいぐるみがロワイエの手の上でぷかぷかと浮いているのを見て、機嫌を持ち直していた。
「これは…祝福ですか」
「ダニエルさんが仰ってましたわ。わたくしの健康を祈りながら編んでくださったそうですわ」
「魔法で古代語が編み込まれていますね。神の愛があなたを守りますように、信仰によってあなたが救われますように…この文句は…」
古代語は大陸の知識人なら誰もが知っており、大学の講義も1世紀ほど前まではすべて古代語で行われていたくらいなので特に珍しくもなかった。だが、その文言がロワイエは引っかかりを覚えた。
「そこにあるものすべて見せてもらってもよろしいですか?」
「これが最後の一つですわ。ダニエルさん制作の第一号なのです」
少し歪な長細い顔をした薄茶色のぬいぐるみをアデライドが差し出す。それがロワイエの手のひらの上でぷかぷかと浮き上がるのを「何度見ても可愛らしいですわね」と嬉しそうに眺めていたが、「これなに?うま?かば?変な顔…」と退屈したニコラが口を挟んできて「熊ですわ!変ではありませんわ!」とぷりぷりしながら答えていた。
「これも祝福ですね…いや、これは…階層が分かれている?深いところに何かあるな」
眉を寄せていたロワイエの手にぽとりとぬいぐるみが落ちた。
「お嬢様、こちら少しお借りしますが、よろしいですね」
言い切られてしまうと嫌とも言えず、アデライドは頷いた。
「プルストさん少しよろしいですか?あとニコラ、一応お前も来い。お嬢様はここでお待ちください」
ロワイエに外に連れ出される男性陣をアデライドが不安そうに見送った。
ロワイエたちはダニエルのいる地下牢を訪れていた。以前の様な鉄格子から中の様子がすべて伺える石畳の牢ではなく、今は小窓付きの扉の付いた木造りの個室に彼は居た。
「これに編み込まれている言葉は真実ですか?」
突然やってきた青年に、最初に編んだぬいぐるみを突きつけられて、ダニエルは諦観したような笑みを浮かべた。
「ああ、やっぱりあのくらいの文ならひとに読まれても大丈夫なのか…よく見えましたね。すごいです」
「なぁ、編み込まれた言葉って何だよ?」
訳もわからずついて来ていたニコラがたまらず口を挟んだ。
「懺悔か恨み言か…いや、自己紹介のようなものか。言語も違うしな」
「すてきな説明をありがとう若い先生。そうだね、あんなのはただのひとりごとだ」
「全然話が見えないんだけど…」
蚊帳の外状態になっているニコラと、その後ろでプルストが戸惑ったような顔をしている。
「ぼくから言わせてほしい。それにはぼくがここに来た理由を書いたんだ。そこの先生には読めたみたいだから、自分の国の言葉で話してもいいかい?」
そう言って目尻にシワを寄せながら笑うと、ロワイエが頷くのを見てからダニエルは自身のことを語り始めた。
『僕はシュヴァベリンの出身だ。妻と子をこの国の人間に殺された。犯人は外交官だか貴族だか知らないが、何の裁きも受けずにのうのうと国に帰って暮らしていると聞かされた。許せなかったが復讐の手段も無く、ただ酒に溺れていたとき、ある男に声をかけられたんだ』
「…その男の名前を言うと、契約魔法が発動するんですか?」
『その通り。今となっては怪しい限りだが、その時の僕は正しい判断が出来なくなっていた。その男に”ある仕事をすれば君の復讐を叶える“と言われて、契約にサインしてしまった』
「その仕事というのは、アランご夫妻を害することでしょうか?」
プルストの言葉にダニエルは言葉を濁す。
『それについても口外出来ないみたいだ。すまないね。酩酊状態でサインしたものだから、何が引き金になるのかハッキリしないんだ。本当にとても後悔している。あのご夫妻はとても立派なことを成そうとしていたのにぼくは…。本当はこんな魔法に負けずに、命を賭けてもすべて話すべきだとは思う。でも…』
ダニエルが続きを言い淀んだまま、椅子に座った姿勢で手を組み合わせて顔を下げていく。祈る様な格好になって数拍の沈黙が流れていたところでドアが開いた。
「こんにちは皆様!少しよろしいかしら?」
「お嬢様?なぜお連れしたんだ!」
アデライドが現れたことで慌ててプルストが彼女の後ろに控えた護衛のポールに問いただした。
「お嬢様がこちらに来たいと仰ったのでお連れいたしました!」
「なぜお止めしないんだ?」
「え?自分の仕事はお嬢様のご命令に従うことだと思いましたが?違いましたか?」
キョトン顔のポールに文字通り頭抱えるプルストをニコラが宥める。
「まぁまぁ、幸い深刻そうな話はシュヴァベリン語で話してたから聞こえてたとしてもわからないでしょう。ちなみに俺も全然わからなかったです!」
「いいえ、お嬢様は…」
「シュヴァベリン語は習っておりますので、少し分かりますわ」
えっすごいね…と呟くニコラの横を通り抜け、アデライドがロワイエとダニエルの間にスッと割り込んだ。ロワイエは眉を顰めていかにも面倒なことになったという顔で彼女を見下ろしている。
「失礼ながら、お話は扉の外でこっそり伺わせていただきましたわ」
「お嬢様がドアに張り付かれててビックリしました。普通に小窓から聞こえるのに」
チャチャを入れるポールをギロリとにらんで、ごほんと咳払いをしてから話を続ける。
「わたくしの用件がありますので、お話中失礼いたしますが先に聞いていただいてもよろしくって?」
ダニエルの方を向いてそう言うと、スカートのポケットをゴソゴソと探って紙切れを取り出した。
「こちら!今度の聖女祭までに作っていただきたいのですわ!」
紙を広げて描かれたイラストをダニエルに見せると、彼は戸惑いつつもそれを受け取った。
「この間まだ何を作成するのか決めておられないって仰っていたでしょう?なので私がほしいものをデザインさせていただきましたわ!」
「何これ?かば?まさかこれもくま?」
いつの間にか近くにいたニコラがイラストを覗き込む。
「違いますわ!馬ですわ!ユニコーンですのよ!」
「え?太った馬ですか?変わった趣味ですね?」
「ディフォルメですわ!わざと、かわいく、デザインしましたのよ!」
「かわいいのかなこれ?」
「水辺でこういうの見たことあります」
「うるさいですわよ!」
ポールまでひょっこり顔を覗かせて口を出して来て騒がしくなる。
呆然とそれを眺めていたダニエルに、アデライドが向き合って言い放つ。
「ですから、それを作っていただけるまで、軽率に命など懸けていただいては困りますの!」
ふすん!と鼻息荒く仁王立ちする様に外野となったニコラとポールが拍手を送る。
「うわーかっこいい」
「きまりましたねお嬢様」
「賑やかしはやめてくださいまし!」
外野に怒りつつも言いたいことを言えて満足していたアデライドは、背後からヒヤリとした空気が流れて来たのを感じてそっと振り返った。
「お嬢様、私は部屋で待つようにと言いましたよね」
「…そうだったような気もしますわ」
「私の言いつけは守れないということですか?」
「いいえ!あの、決してそのようなことはありませんけれども…」
ロワイエの静かな怒りに触れてしばらく目線を彷徨わせていたアデライドだったが、意を決したように彼を見返した。
「わたくし、ダニエルさんの問題を解決できると思いますわ!」
「どのようにしてですか?こと契約魔法に関しては、魔法をかけた本人でも破棄できないことが多いんですよ」
「それは…なんとなく心当たりがありますの」
「なんとなく?」
呆れたように鼻を鳴らすロワイエにビクビクしながらも、アデライドは彼に近づくと公爵の執務室でしたようにギュッと手を握った。
「確実かと問われたら保証はできないかもしれませんが、先生の手を貸していただければ何とかできそうな気がしますの。だからお願いします。わたくしに力を貸していただけませんか?」
じっと見つめてくるアデライドは真剣な顔をしていた。小さな両手はその必死さを現すように彼の手をぎゅうっと握りしめてきていて、ロワイエがため息をつく。
「何をする気かは知りませんが…いいですよ。私に出来ることでしたらいくらでもお力になりましょう」
その答えにアデライドの表情がパァッと輝いた。ぶんぶんと握ったロワイエの手ごと上下に振るのは嬉しさと謝意の両方の表現らしい。
「先生ありがとうございますわ!あ、ニコラさんもお願いしますわね」
「えっ俺はついでなの?」
「ダニエルさん、そのデザイン今お持ちの素材でできるかしら?」
「あれ、スルーなの?」
了解を取り付けたらもう用はないとばかりに離れて行ったアデライドを見て、ニコラが従兄弟に向かって呟く。
「公爵閣下の前の時より、よっぽどあざとくないか?」
「…お前、シュヴァベリン語習ったのに忘れたのか?」
教え子にあえなく籠絡されたのを誤魔化すように話題を逸らしたが、ニコラは意に介さず調子よく話し続ける。
「いいじゃん。どうせさぁ~亡くした娘に年恰好が似たお嬢様を見て死ねなくなった~とかそんなだろ?」
「いやそんなことは言っていないが…そんなことかもな」
「あるあるですね。自分もそういうの見たことありますよ」
「だよな~」
盛り上がるニコラとポールからアデライド達に視線を移すと、次に作成するぬいぐるみについて真剣に検討していた。契約魔法を打倒することと、ぬいぐるみのデザインは、教え子の中では同じ程度の真剣さで語られる問題なのかもしれないと気付き、ロワイエはいよいよ深くため息をついた。