爺サーの姫
「アディちゃん、この切り株はおじさんが間引いたやつだけんども、ほら芽が出てるら。これもキレイにするんだで。一緒にやろうなぁ」
「まぁ、これを切ってしまわれるの?」
「いっぱい芽があると育たんで。少し切ってな。そんで跡を埋めてやると何年後かに高く売れる木になるに」
一夜明けて、静かの森探索2日目。昨日部屋を貸してくれたおじさんが、丁寧に剪定の仕事を教えてくれる。
「アディちゃん、こっちで罠を作るで見てってこ」
「あら、そちらも見てみたいですわ。でもこちらが終わるまでお待ちいただいてもよろしいかしら?」
他のおじさんに呼ばれてそう返事をすると、おじさん同士の争いが勃発した。
「お爺よぉ~アディちゃんは魔獣のことで来てんだから早く解放してくりょうや。やっきりするわ」
「うるさいわこんバカっつら!」
「なにをちんぷりかえってるだか、このお爺は!」
多分、田舎のおじさん特有の声の大きさと勢いであって、そんなに深刻ではないと予想はできるのだけど、アデライドはオロオロとしてしまう。
「あの、おじ様方、ケンカはなさらないでね?」
「アディちゃん困ってるじゃんよ。しょんない爺衆じゃんなぁ。こっちのおじサマんとこに来るさ。ごせっぽいに」
「え?ごせ?えっ?」
昨晩は老夫婦宅を沸かせたアデライドだったが、今日はこちらの会場も暖めていた。
アデライドには自分の何が彼らの琴線に触れているのかはわからないが、前世でも巻き戻し前でもついぞ来なかったモテ期がここに集約されてしまったような気がしている。ただ彼女はそれに戸惑っていた。こういうモテの旬って短そうだと思ってしまうような、嬉しさよりも戸惑いが勝ってしまうのは非モテの日々が長かった者の性かもしれない。あと普通に何を言ってるのかわからない時があった。
夕方になるとロワイエが帰って来ていた。
2日近く森を歩きまわっていても美形は美形のままなんだなとアデライドが眺めていると、「坊ちゃんが来たでぇ」と、わさわさとおじさん達が彼に寄っていった。
「近くにいたので狩ってきました」と事もなげに言う彼の後ろには、どうやって運んできたのかわからないがクマの死体があった。
「あの傷をつけたやつかやぁ?魔獣じゃなかったんねえ」
「こりゃあいかいで雄じゃんねぇ。坊ちゃんありがとうなぁ」
「若い雄ですから迷い込んだんでしょうね。処理はお任せします」
その言葉にざわざわするおじさん達の間をすり抜けて、アデライドがロワイエに近づく。
「先生、お怪我はありませんこと?」
アデライドの1,5倍はありそうな大きさの熊を見て不安になって出た言葉に、一瞬虚をつかれたような顔をしたロワイエが薄く笑った。
「大丈夫ですよ。この程度のものならニコラでも倒せます。…ただ、魔獣はこの数倍は大きくなりますよ」
ゾッとして縮こまるアデライドを庇うようにニコラが前に出る。
「お前なぁ。ツッコミどころ多いけど、まず小さい子をビビらせるなよ」
「そんな事よりニコラ、森のことで少し報告したいことがあるから皆を集めてくれ。なるべく早めに」
「そんな事ってお前…」
そう言ってチラリと振り返ったニコラが見たのは、ビシッと手を挙げながら「わたくしも参加してよろしくって?」と元気に主張するアデライドだった。ロワイエに『ほら大丈夫だろう』とでも言いたげな視線を向けられてイラッとした顔をしながらも、彼は人を集めるために駆け出した。
ロワイエの報告を聞くために、森近くの集落の集会場に地元の人たちが集まっていた。
静かの森の中心は強い魔物がいるせいで不可侵領域になっているが、森の際はそれに面している地域で手入れをしていた。だが最近アルドワン侯爵領側がそれをしていないらしく徐々に荒れてきていた。
「病気で枯れた木は以前は伐採されていましたが、いまは放置されています。あのままですと病気が広がってあちらの森は枯れてしまい、獣や魔獣が餌を求めて外に出てくる可能性があります」
ロワイエの報告に地元のおじさん達がざわついている。
「あっちの衆は何を考えてるんだかねぇ」
「あっちはそれでええかもしれんけんども、こっちは危ないで」
森の周囲はアルドワン侯爵領側は山が多く集落も少ないが、ロワイエ伯爵領の方は平野に面しており人の住居や畑に近い。魔獣が増えたときに、より危険なのはのはこちら側になる。
「親父が言うには、向こうの領主が代替わりしてからどうもおかしくなったらしいんだよ」
ニコラ曰く、前侯爵とは良好な関係を築いていたが、彼が亡くなって息子の代になると急に「平民と話すことはない」と取り付く島もないらしい。
ニコラの父は伯爵家の次男として生まれたが、今は平民と結婚してそちらの姓を名乗っている。今までしていた森の管理についての話し合いもできず困り果てているらしい。
全員の視線がロワイエに集まると、現伯爵は流石に気まずそうに視線を逸らす。
「私も向こうと会おうとしたが、ずっとのらりくらりと断られているんだ」
「ねぇプルスト。我が家からアルドワン侯爵にお話しすることは出来ないかしら?」
アデライドに見上げられてプルストが申し訳なさそうな顔をして声を落とした。
「お嬢様。静かの森はアルドワン侯爵領であると同時に王家の領なんです。その管理者は、王太子殿下です」
ああ、それはダメだとアデライドは思い至った。
現公爵の祖父は国王陛下とは蜜月などと揶揄されるほどにある種仲良しであったが、その子息である王太子殿下とは強く反目しあっている。
主義主張が合わないことで激しい口論になることが多々あったらしいが、その後祖父が「躾の入っていない犬の相手は疲れるな」などと漏らしていたのが先方の耳に入ってしまい、もはや関係の修復は不可能となった。爺さん方同士の言葉が強すぎるノリは、若いもんには通じないものだ。ここで公爵家から話し合いを持ち掛けても、王太子殿下の手前もあってアルドワン侯爵は応じ辛いだろう。
こんなとき世間のいわゆる悪役令嬢ならば、華麗に解決してみせるのだろう。内政チートとかすごい魔法とか、あとよく出てくるのが手持ちの商会とか、そんなものをうまく使うのだ。残念ながらアデライドの手元にはすべて存在しない。このまま森が荒れてしまい、もしこちら側に魔獣が溢れてきたらどうなるのだろうか。アデライドは周りを見回す。森と暮らす元気なおじさんたち。昨日ご飯を作ってくれた奥様。巻き戻し前やゲームの世界で、この人たちはどうなったんだろうかと考える。
「お嬢様、お疲れですか?」
いつの間にか近くに来ていたロワイエが顔を覗き込んできた。
一時期は気持ちの悪い優しさを見せていたこともあったが、魔術を教わるようになってからはまた結構な仏頂面に戻ってきていた彼は、今もあまり表情は動いていなかった。
「先生はなぜこちらにわたくしを連れてこられたんですの?」
アデライドにじっと見つめられてロワイエは言葉に詰まった。なぜかと問われれば理由は単純なもので、“お金が無かったから”であった。
ロワイエは本来は魔術の研究にのみ時間を使いたい男だった。貴族のお嬢様に箔を付けるためにする家庭教師の仕事などしたくもないし、古い解釈の魔法を教えるのは虫唾が走るほど嫌だったが、拘束時間が少ないうえに給料もいい仕事の旨みに屈した。
最近はベルナールを手伝うために新しい知識も必要となったし、この小さな教え子にも本格的な授業をすることになってしまったので、さまざまなジャンルの本を買い足していた。そして気がつくと金が消えていた。
叔父に連絡すれば送金してもらえるが、スルー出来ない小言が増えてしまう。森の魔獣のこともあって帰らないという選択肢はない。どうしようかと考えていた時に思いついた。研修という形にすれば公爵家の資金で帰省できるのでは、と。
実家は国の北東にあり馬車での移動で片道3日から4日ほどはかかる。ご令嬢をそんな距離の移動に連れ出せるとは思えなかったし、目的地もある種の危険地帯なため通るとは思えなかったが一応提案してみた。そしたらなぜか通ってしまった。流石に驚いた。「お嬢様の良い経験となりますね」というプルストの顔をまじまじと見てしまった。まぁ場所が場所だが危険なことをさせるつもりはないしいいかと思ったのだった。
「わたくしここにきて皆様に教えていただくまで、森の恵みのこと、それを守ってらっしゃる方達のこと…何も知りませんでしたわ。素晴らしい場所ですのね。先生はそれを伝えようとなさっていたのですね。わたくしにもここを守るために出来ることがあれば協力させて欲しいのですわ」
アデライドのその言葉に聞き耳を立てていたらしい爺たちが沸いた。
「やっぱりアディちゃんはずない子だに」「坊ちゃんもたまにゃあいい事するようになっただかしん?」「そりゃあ無いらえ~」などと口々に言い合っている。肌感覚でロワイエの思惑がそこにはない事をわかっているような口ぶりだし、ニコラに至っては疑心しかない視線を向けてくる。
「ご理解いただけたようで何よりです」
ニコリと微笑んで小さな淑女に答えたロワイエを見て、いよいよニコラが「げえ」とうめき声を漏らした。
そのとき集会場の扉が突然バンと音を立てて開いた。
「ニコラここにいただか!あっ坊ちゃんもか。ちょうどええに」
そう言うと他の用事に行っていた地元の爺さんが勢いよく入ってきた。
「まぁ何か緊急のことかしら?」とアデライドが慌てたが、ただ田舎の爺さんは鍵を掛けるとかノックをするとかいう習慣と縁遠いだけなので、ロワイエ達は特に違和感はなかった。
「ニコラのお父から手紙が来とったで。速達だってよぉ」
ニコラが手紙を受け取って読み始めるのを、おじさん達がそわそわと眺めている。
「緊急事態だから領主邸に来い…だってさ」
ロワイエに向けた言葉だったが、当の本人は興味のない様子だった。
「そうか、まぁ頑張ってくれ」
「いやお前じゃん?!お前が領主じゃん?!お前も来るんだよ!!何だっるって顔してんだよ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐニコラにおじさん達も加わってさらに騒がしくなる。
「益体もないこと言ってねえで2人とも行きゃあええに」
「こっちゃあもう終わるで。また次ん時に寄ってってやぁ」
「親父さんに土産があるで、ついでに持ってってくれんかしん?」
「あの熊だが俺っちと舎弟でバラすで。鍋でもこさえりゃええに」
皆が好き勝手喋り出して収拾がつかなくなっていると、また扉がバンと開いて昨日アデライド達をもてなしてくれた老婦人が入ってきた。
「もう話は終わったかねえ?夕飯が出来たでねえ。アディちゃんはもうこっち来るさぁ。今日はお風呂もいれたに」
「まぁ奥様!とっても嬉しいけれど、そんなに世話になってしまってよろしいの?」
「いいに決まってるに遠慮なんてせんでええよ」
ニコニコとアデライドを迎えた婦人は、ロワイエ達を見て呆れたように声をあげる。
「あらまぁなんだに坊ちゃんは、ぶしょったいなりしておとましいに。さっさと風呂でも入りない!」
そう言う婦人に追い立てられるように、集会はお開きになった。