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魔術師のフィールドワーク

秋が来る頃、アデライドは森にいた。


夏から始まった授業で魔術の基本から徹底的に学ばされた。最近は常に頭の中で魔術式を作るように言われて、あまり出来がいいとは言えない脳みそがショートしてしまいそうになっている。


先日ベルナールにあった時も「うわ、お嬢その顔なんだ?やばいぞ?」と言われたが、そんなベルナール自身ももっと酷い顔をしていた。

ついに微生物から強い殺菌効果のある抗生物質の抽出に成功した彼は、今も実験に次ぐ実験に明け暮れていた。最近は経口接種による効果が認められないことがわかり、注射による経過を見たりしているらしい。


あまりに物事の進む速度が早すぎて「すごい」と呟くアデライドに、ベルナールは笑い、ペリーヌも誇らしげにしていた。ロワイエが「私が協力しているのだから当たり前ですよ」と言い出して、ベルナールに小突かれていた。

パメラも元気だし、物事がすべてうまく進み始めたと思っていた。だが今のアデライドはぬかるみに足を取られている。比喩ではなく物理的に。


「足が!抜けなくってよ!」

「プルストさん!お嬢様がまたぬかるみにハマりました!」

見たままを口に出すことに定評のある公爵家の騎士は、声も大きい。

「またかぁ~?」と周囲から笑う声が聞こえて、焦って悪戦苦闘していたアデライドはますますジタバタすることになった。


「ああ、暴れないでください。ゆっくりでいいですからね」

プルストが近くに来て手伝ってくれて、ようやく泥から足が抜けてホッとする。彼らの近くには薄く張った水たまりができていた。


「こりゃヌタ場だよ。猪系のやつがいるぞ」

ひょいと二十代半ばくらいの灰色の瞳の青年が顔をのぞかせる。

「ヌタ場ってなんですの?」

「猪はこういうところで泥浴びをするんだよ」

こんな感じにと、青年は腕と肩を動かすことで背中を揺らしてみせる。

「こうやって体を泥に擦り付けて体についた虫とか寄生虫を取るんだ」

「虫とか寄生虫!?」

足元を見て青くなるアデライドに、「そうだよ~」と朗らかに答える。

「ほら、こっちやあっちの木に泥を擦り付けた後があるだろ?」

彼の指す方を見ると木の幹に乾いた泥がついていた。


「そんじゃあ、この辺も薮刈った方がいいら。魔獣かただの猪かわかんねえだけんども、ここまで来るのは珍しいで」

「泥がこんくらいってことは小さいやつだら。大したことないで」

「でも刈っといた方がいいら?やらざぁ」

わさわさと日に焼けたおじさん達が集まってきた。


そんなこんなで、アデライドは覚えた魔術で樹脂製の刃をクルクル回して草を刈っている。たまに小石やらを弾いてしまうので、これまた魔術で加工したメガネをかけた上に手袋長靴にマスクに帽子にエプロンと完全防備である。ロワイエに借りた草刈り用の丸い刃の回る様子はベーゴマのようで色々と懐かしい。この魔術はロワイエがアデライドでも出来るようにと道すがらに教えてくれた。


「並列処理と並行処理の魔術を使います。本当はすべて並列でやりたいのですが、魔素の割り当ての計算がお嬢様がやるには複雑になりますので、基本は並行処理です」

「ヘイ…なんですの?」

顔をはてなマークだらけにするアデライドをスルーしつつロワイエが話を進める。

「複数の魔術を組み合わせるのです。ざっくりとした説明になりますが、この刃を浮かせて回すを並列で、人の体温を感知して避けるを並行でやります」

「はぁ…そうですのね?」

「本当は飛散する草や小石を避けたりもできますが、今のお嬢様にそこまでは求めません」

「はぁ…ご配慮ありがとうございます?」

「現地にいる男も魔術師の端くれなので、監督させますから危険はないでしょう」


そして当の本人は1人でさっさと森の奥に消えていった。あの方協調性をどこに置いてきましたの?と密かに心中で毒づく。


「いやぁ、坊ちゃんは何を考えてこんな小さな子を連れてきたと思っただが」

「嬢ちゃんのおかげでいつもより楽できるなあ」

ありがとなぁと笑いながら刈った草を地域のおじさん達が、それに加えて騎士やプルストもせっせと回収していった。アデライドは「よろしくってよ」と言いながらも口を引き攣らせていたが、完全防備すぎるのでその表情は誰にも伝わらなかった。




ことの発端はロワイエが言い出したことだった。

「実地研修に行きましょうか。場所はうちの領地の端です」

アデライドは何か言おうかと思ったが、この方がこういうことを仰る時はもう決定してるんですよね…と学習していたので、ただイエスと頷くことにした。


ロワイエ伯爵領は隣国の国境に存在するアルドワン侯爵領の隣で、こちらも領地の北側は隣国シュヴァベリン連邦に接している。王都より北東に位置し、アルドワン侯爵領との境目はほとんど山脈地帯なのだが、ここの一部には『静かの森』という別名を持つ一帯があった。

『静かの森』はアルドワン侯爵領から丸く飛び出すような形でロワイエ伯爵領の中に存在しているが、ここを治めるのはアルドワン侯爵と王家である。なぜダブル体制で管理をしているかというと、そこそこやばい土地だからである。


『静かの森』の奥には魔獣が多く生息しており、前世でプレイした乙女ゲームでは、ここで魔獣が大量発生してしまう。王都に向かい移動し始めた魔獣の群れを、ヴァンダム侯爵領の兵と聖女とで退治をするというイベントがあった。それは聖女の在学中に起こるため8年後くらいの出来事になるだろう。


今から調べて聖女のイベントを潰せるなら御の字だった。渡りに船とばかりに気持ちを盛り上げているアデライドにロワイエは奇妙なものを見る様な目を向けていたが、彼女は気が付かずにいた。


ロワイエは領都と領主邸を素通りして直で静かの森にアデライドを案内した。「領主様にご挨拶もせずにいいのかしら」と言ってしまったアデライドに「領主は私ですよ」と特に気にするふうでもなく返して、馬車の中にそういえばそうだったなという気まずい空気が満ちた。


公爵領からはプルストと護衛の騎士がついて来ていた。わりといつも付いてくれる騎士はポール・ダギヨンという名で男爵家の三男らしい。聞いてみればまだ18歳と若く、驚いたアデライドに対し「お嬢様より10才年上ですよ」と、ごくごく単純な計算をしてみせた。


だんだんと道が細く険しくなっていき、途中で馬車から馬に乗り換えた。

アデライドはプルストの騎乗する馬の前側に乗せてもらっていた。若いロワイエや騎士はともかく、いかにもホワイトカラーっぽいプルストが馬に乗れるのが意外だったが、王都と領地を往復する用事もあったりするらしい。この世界のバックオフィスは大変なんだなと感心して、「わたくしにも乗馬を教えてくださる?」と聞くと「では予定を組みましょうね」と返された。あれ?やること増えまして?下手こいてしまったかしら…と思っているうちに目的地に着いたようで、先導していたロワイエが馬から降りていた。


一行が到着したのは静かの森の際ともいえる、アルドワン侯爵領からややはみ出した部分の土地だった。


「お前またこっちに直行か…親父にも会って来てくれよ」

到着した先で最初に出会った青年は、ロワイエの顔を見るなりため息をついた。

灰色の目にダークブロンドの髪をもつ彼はよく見るとロワイエに似ているような気がした。そんなふうに眺めていたアデライドと彼の目がふと合った。


「この子どうしたの?お前の連れ?えっまさかお前の子…?」

「そんな訳ないだろう」


今日のアデライドは森に行くということで、厚手のシャツとズボンのうえにエプロンドレスを着せられていた。そのスカート部分をちょいと摘んで少し膝を落としてみせる。


「はじめまして。わたくしアデライド・ド・ヴォルテールと申します。お会いできて嬉しいですわ」

「俺はニコラ・クノー。こいつの従兄弟だよ。ずいぶん礼儀正しいお嬢さんだなぁ」

ロワイエを指差しながら名乗った青年は、ニカっと歯を見せて笑った。いかにも爽やか好青年といったふうだ。


「それにしてもヴォルテールなんてどっかの偉い貴族様みたいな名前だなあ」

「偉い公爵家のご令嬢だからな」

ロワイエのセリフを受けて、カラカラと笑っていたニコラが凍りついた様に黙る。

「…は?いやここまだ入口だけど静かの森だぞ。は?なんで?何連れて来てんのお前?」

しばらくして再起動したニコラに動揺のままに詰められて、鬱陶しそうにロワイエが答える。

「彼女は俺の教え子だ。今日は魔獣の実態を学ぶために連れて来たんだよ」

「え?お前が他人に教えてんの?…いやそうじゃなくて!って、まさか森に入れるつもりか?!危ないだろ!」

いよいよ近距離まで詰め寄られたことで、ロワイエはますますうんざりした。

「彼女は魔術も少し使える」

「怪我したらどうすんだ…公爵に睨まれたらウチみたいな弱小領は吹き飛ぶぞ」

「彼女は魔力量も多いから多少の怪我なんて痕も残さずすぐ治せるよ。なに、バレなければ問題はないさ」

ボソボソと声を落として話してはいるが内容がまる聞こえだったので、アデライドの周りにプルストとポールがピタリと寄り添った。そんななかで本人だけが「わたくし頑張りますわ!」と、気炎を吐いていた。

「ほら、当人はやる気に満ちてるぞ」

ロワイエがニタリと笑ったのを見て、ニコラが本当に嫌そうな顔をした。


ロワイエの話では彼は定期的にこちらを訪れて魔獣の様子を調べていたらしい。

「こいつ領主邸には全然寄らないんだよ」とはニコラの弁である。ロワイエにとっては叔父にあたる彼の父が、実質的な領主の仕事をしているらしい。


「これも大事な仕事だろう。今日はどれくらい集まってるんだ?」

「今繁忙期だからさ、5、6人かなあ。ああでも猟銃持ってる人も来てくれてるよ」

「そうか、それなら大丈夫だな。私は奥を見てくるから、お前はいつもの仕事を彼女らに教えてやってくれ」

「は?なに?おれが?」

ニコラが混乱しているうちにロワイエはさっさと行ってしまい、残されたアデライド達と、地元有志のおじさん達とで静かの森の探索が始まった。


彼らは定期的に魔物が森から外に出てこないか監視していた。ここはアルドワン侯爵領ではあるのだが、何かあれば被害はロワイエ伯爵領にも多く出ることになる。なので昔から立ち入って森の手入れすることは暗黙の了解として許されていた。


そんなこんなでアデライドは人間草刈機となっていた。薮があると魔獣が隠れる場所になるということで刈り取ることになったからだ。

今年は例年よりも森の外側近くまで魔獣や獣の痕跡があるらしい。森を歩きながら見つけた糞や足跡は猪や鹿のものが多かったが、木の幹に大きな爪痕があったりして、おじさん達がザワザワと話し合っていた。


「こりゃ熊型が出とるで。こっちら辺で見るのは初めてだら?」

「どうしたんかねぇ?別に餌がないわけでもないじゃんねえ?」

「もうちょっと奥を見んことにゃあわからんけんども」

「そりゃ坊ちゃんがしてるもんで俺っちはこの辺手入れするに」

クマーッ?!と動揺するアデライドをよそにおじさん会議が議決していた。

「お嬢ちゃん、あっちら辺の草も刈るで。手伝ってやぁ!」

その後は一日中、アデライドは心を無にして草刈りに専念することになった。



夕方になってもロワイエは帰って来なかった。

「いつものことだよ。明日くらいにはひょっこり戻ってくるから心配しなくていいよ」

そう言ったニコラはロワイエがアデライド達の宿泊場所も手配してなかったことを知り、「あいつはちょっとくらい魔獣に齧られてくればいい」と呪詛の言葉を吐き出した。


「お嬢ちゃんちには世話になったで。うちでよかったら泊まってってやぁ」

地元のおじさんの1人がそう言って自宅に招いてくれた。子供が独立して老夫婦だけになったという家は、アデライド達3人が無理なく宿泊できるくらいに広かった。


「おかあの料理で口に合うかはわからんがねぇ」

そう言って出されたのはキノコと鹿肉のスープで、労働に疲れた体に染み渡るようで美味しかった。

「この肉もキノコも森の恵みだで。鹿は増えすぎると森が枯れるし、キノコは今日やったみたいに草を刈らんと生えてこんで。都会に住んでるとわからんかもだけんども、魔獣の森でも人が手を入れんと森も動物も育たんに」

アデライド達が感心したように聞いていると、台所からおじさんの奥さんがパンを抱えてきた。

「このお爺はもぉ~お客さん相手に何つまらん話してるだね。パンのおかわり持ってきたで、たんと食べてってやぁ。えっと…アデレードちゃんだったっけかね?」


「祖父にはアディと呼ばれておりますの。奥様もそう呼んでくださると嬉しいですわ」

アデライドのその言葉に老夫婦がポカンとした後、興奮したように話し始めた。

「奥様!?それ私のことかね?ねぇあんた、私奥様言われとるで!そんな呼ばれ方したの初めてだに!」

「はあああ?おかあが奥様か?じゃあワシはなんだかの?」

アデライドが「旦那様ですわ」と答えると、老夫婦のテンションが爆発した。

その後、アディちゃんアディちゃんとチヤホヤされることになり、老夫婦のツボが謎すぎるとアデライドは困惑することになった。


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静かの岡…じゃなくて森。 ランベール先生は貴族だからなまらないの?
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