エピローグ
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エルーシャたちが偽物の英雄を暴いてから、ひと月ほど経った。
その日、エルーシャの邸館に王家から手紙が複数届く。
エルーシャは館内を回り、バルコニーの前で足を止めた。
先ほど届いた手紙を数通、大切そうに持っている。
「騎士様、見て!」
青空を眺めていたノアルトは振り返る。
エルーシャはバルコニーにいる彼に駆け寄る。
そして開封済みの手紙を嬉しそうに見せた。
差出人にはロイエがひいきにしていた、あの商人の名が記されている。
「ホルストさんから手紙が届いたの! 私がつくった魔力測定石のスカーフが、奥様の治療に役立っているって!」
商人からの手紙には、エルーシャへの感謝の言葉が綴られていた。
「ホルストさんとは、施療院に必要な薬草を定期的に運んでもらう契約も結べたわ。ヘレナ叔母様は試してみたい薬草があるって、今から楽しみにしているの」
一連の事件が発覚してから、商人は一番の得意客を失った。
しかし施療院への納品や、エルーシャの改良した魔力測定石の販路を任せる話はまとまりつつある。
商売としても大成功だが、彼は興味のあった魔病治療の仕事に携わり、やりがいを感じているようだった。
エルーシャはもう一通の手紙を出す。
「それにね、王家からの手紙には、あの婚約が間違いだったことが書いてあったわ」
エルーシャによって英雄の正しい事実が発覚したため、王家側は調査を進めた。
そして以前の婚約が無効だったと、はっきり結論づけられている。
「あのことに関してはそれだけよ。私と彼は赤の他人だから、それ以上説明しなかったのね」
つまりロイエはエルーシャの元婚約者ですらないという、王家側の意思表示だった。
「だけど親族である騎士様とメラニーの手紙には、国中で噂になっていることも書かれているのかしら?」
「ああ、おおむね噂通りだ」
ノアルトは自分の手にある、開封済みの手紙に視線を落とす。
「あいつは処分が決められた直後、脱獄したまま行方不明になったらしい」
この手紙の通達がある前から、ロイエの失踪は国中の噂になっていた。
それを知ったエルーシャの叔母は「人のことは閉じ込めるくせに、自分は逃げだしたのね!」と罵った。
国内の人々からも「嘘をついて横暴を働いた挙げ句、逃げ出すなんて!」と怒りの声が上がっている。
「エルはどう思う?」
「おかしいわよね。堅牢な警備で有名な監獄を、ロイエがやすやすと抜け出せるなんて」
「俺もそう思う」
荒魔竜に襲われて天恵者が減ると、その力を狙って人身売買が横行した。
エルーシャも叔母から気をつけるように言われている。
一度捕まれば、無事に帰ってきた者はいない。
はずだったのだが――。
「でもある意味よかったわね。ロイエが脱獄するたびに、人身売買組織に捕まってくれて」
「おかげであいつが見つかるたび、悪徳組織が摘発されているからな」
そのため民を襲う人さらいの無法者組織は、壊滅状態となっていた。
ロイエは誘拐されては連れ戻され、恐怖体験を何度も繰り返したらしい。
最後に摘発された組織で発見されたときは、自慢の髪の毛をすべてむしり取られていた。
そして再び監獄に帰還すると、「これからは脱獄せずに罪を償う!」と大泣きしたらしい。
そんなロイエは今、再び脱獄を仕掛けられることに怯えながらも、魔獣が多く過酷な開拓地で労役に服していた。
「あのね。私の本当の婚約者の方については、たくさん説明があったわ」
ノアルトは天恵『魔力堅固』の有用さと長年の荒魔獣討伐の実績を高く評価され、公爵位を叙爵されることになった。
ロイエが剥奪されたクリスハイル領も、下賜される予定となっている。
なによりノアルトは荒魔竜を倒した英雄だ。
彼が王家の取り決めたエルーシャの婚約者であると、正式に承認される。
「ようやく、騎士様の奪われていた名誉を取り戻せたのね……よかった!」
エルーシャは持っていた手紙を胸に抱きしめ、自分のことのように喜んでいた。
「……なあエル」
「わかってるわ! 婚約の誓約をまとめるために、近々私と騎士様で王宮へ行くのよね? もちろん今すぐ準備するわ!!」
「俺はいつまで騎士様なんだ」
「え?」
エルーシャは勢いよく踏み出した足を止める。
振り返るとノアルトが、なにか物足りなさそうに見つめていた。
「どうしたの、騎士様」
「俺はノアルト・クリスハイル。家族は……といっても父と妹と乳母だけど、俺のことをノアと呼んでいるよ」
それはふたりが出会ったとき、エルーシャの質問に答えられなかったノアルトの返事だった。
「あのときは言えなかった。ずっと隠していてごめん」
「騎士様……」
エルーシャは少女のようにはにかんだ。
「気にしないで。だってあのときの私はもう、騎士様からほしかった言葉をたくさんもらっていたの」
ノアルトは「荒魔竜を倒す」と約束した。
そして彼女の話したことを一緒に叶えようと願ってくれた。
その思い出が、今もエルーシャを支えている。
「大事なことを言えなかったのは私の方だったわ。あのときの私はまた大切な人を……あなたを荒魔竜に奪われることが怖くて仕方がなかったの」
(でも今は、なにも恐れず言えるわ)
エルーシャは姿勢を正し、ノアルトを見つめる。
そして心のままの笑顔で言った。
「私がずっと待ち望んでいた婚約者は、ノアルト・クリスハイル様よ!」
ふたりは引かれるように寄り添い、手を取り合う。
「ああ、俺は荒魔竜を倒した。だから今までエルが話してくれたこと、一緒に叶えよう」
「今叶ったわ、ノア」
「っ、エル。今……!」
「だけど私、ノアが浮気したら怒るわ」
「え」
エルーシャの突然の宣言に、ノアルトは目を丸くして驚く。
「だって絶対嫌だものっ!!」
愛称で呼ばれたノアルトの感動を吹っ飛ばす勢いで、エルーシャはさらに訴えた。
「あの浮気宣言だって、ノアだったら我慢できなかったわ! だからもしノアが浮気したら、私はこの拳で殴るからね。夜道を歩くあなたみたいに、襲ってきた夜盗たちを退治する勢いでいくの!!」
エルーシャは真剣な様子で手を握りしめる。
ノアルトはあっけにとられていたが、やがて降参するように笑いはじめた。
「そんなことできないよ」
「あら、私はやるわ!」
「俺ができないんだ」
ノアルトは静かに告白する。
まっすぐ見つめる彼の瞳には、エルーシャしか映っていない。
「あの日から俺の心の中にはエルがいる。いつも俺を励ましてくれるんだ。浮気なんてできるわけないだろ?」
ノアルトは愛おしむように手を伸ばした。
そしてはじめて出会ったときのように、エルーシャのドレスを優雅にひるがえしながら横抱きにする。
「もしエルが疲れたら、俺がこうして運ぶよ。屋根の上でも隣町でも南の島でもエルを連れて行く。だからこれからはさ」
ノアルトはいつになく真剣な表情で、エルーシャの顔を覗き込む。
「俺にはもっと甘えてくれると嬉しいんだけどな?」
思いもしないことを言われて、エルーシャはすぐに言葉が出てこなかった。
「――え?」
「エルはあいつに騙されていたと知ってから、信じられないようなペースであの事件を解決しただろ? 無理しすぎだよ。だけどこれからは俺に甘えればいい」
「あ、あ、あま……!?」
「そんなかわいい顔でごまかさないで、約束してほしいな」
「~~~っっ!!!」
「俺と結婚してください。ずっと甘えてください」
抱きかかえられているエルーシャは、その眼差しから逃げることも叶わない。
胸の鼓動がみるみるうちに高鳴っていく。
「こっ、こんな不意打ちプロポーズ聞いてないわ……!」
「宣言してからもう一度言ったほうがいい?」
「ダメよ! プロポーズは気軽に何回も言うものじゃないわ。とっても大切なことなんだから! ノア、あのねっ、わ、私っ……!」
ノアルトは動揺するエルーシャをリードするように、穏やかな口調で確認する。
「健やかなるときも病めるときも、俺に甘えるって約束してくれますか?」
エルーシャは真っ赤にほてる顔のまま、しかし厳かな誓いのように応えた。
「は、はい。甘えます」
「はい。甘えてもらいます」
見つめ合うふたりに沈黙が落ちる。
(き、気のせいか一般的な文言とは少し違う気がするような……?)
そんな疑問が浮かんだエルーシャは、自分を抱き上げている腕にやさしく力が込められるのを感じる。
青空の下、ノアルトはもう何者にも縛られない、心からの笑顔を浮かべていた。
「エルはこれから時間ある? 昼食に呼ばれるまで、このまま散歩に行こう」
「そ、そうね。このまま散歩に……えっ! このまま!?」
「もちろん」
ノアルトは軽やかな足取りでバルコニーに背を向けた。
そして邸館を一周する間に、エルーシャのお姫様だっこ姿を敷地内にいる者へ披露することとなる。
もちろん子どもたちは空き時間にノアルトのもとへ訪れ、演技のときのように実演指導まで行われた。
「ど、どうしてこんなことになってるのに、ノアには余裕があるように見えるのかしら……」
ノアルトは始終赤く染まったエルーシャに顔を寄せ、幸せそうに囁く。
「エル、愛してるよ。あの日からずっと」
バルコニーに満ちるうららかな陽気が、そよ風とともに舞い込んでくる。
差し込む日の光はまっすぐと伸び、ふたりの行き先を照らしていた。
<おしまい>
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
少しでも楽しく驚いていただければ幸いですが、見抜かれてしまっていたかもしれません。それはそれで心地よいです。
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では、またいつか!
 




