26・あの日の誓い
「そうだ。あなたはクリスハイル領の騎士様なのよね。それならクリスハイル公爵閣下のことも知っているでしょう?」
ノアルトはぎくりとしたまま硬直する。
エルーシャはその動揺に気づいていないらしく、瞳を輝かせた。
「彼は天恵『魔力堅固』を持っているそうね! 彼なら凶悪な荒魔にも耐えられるはずだから、荒魔竜を倒す最有力候補だって聞いたわ。どんな方なの?」
(エルが知りたいのは、あのロイエのことなのか? それともロイエを演じている俺のことなのか?)
どちらにせよ、ノアルトには人質がいる。
言えることは限られていた。
「ごめん。俺はよくわからない」
「そうなのね……」
エルーシャはクリスハイル公爵について知りたかったらしく、残念そうにしている。
そのまま話題は終わりそうだったが、ノアルトは我慢できずに聞いた。
「エルはどうして、クリスハイル公爵……閣下のことを知りたいんだ?」
「もしかして騎士様がロイエ様かもしれないって、ちょっと期待してたの」
「なっ……な、なぜ?」
「私の婚約者はね、荒魔竜を倒した英雄になる予定だから。一番可能性の高い方はどんな人かなって」
「!」
それはノアルトが荒魔竜を討った結果、エルーシャがロイエと婚姻を結ぶかもしれないということだ。
(……そ、そうだよな。王家がエルの類まれな天恵を放っておくはずがない。荒魔竜を倒した者がエルと結婚する案は、彼女を高く評価している証拠だけど、けど……)
先ほどからごまかしていた不快感が、腹の底からせり上がってくる。
(もし俺が荒魔竜を倒したら、エルはロイエと結婚するってことなのか?)
ノアルトは愕然とする。
(ありえない)
真っ白になった思考の中に、ロイエの傲慢な笑い声が響いてくる。
(ありえない。ありえないありえないありえないだろ!!)
とにかくロイエだけはありえない。
もちろんロイエでなくても、エルーシャと婚約する男を祝福する気にはなれない。
(だけど……それは俺の都合だな)
ノアルトはなによりも、エルーシャの笑顔を奪うようなことだけは絶対にしたくなかった。
「……エルだったら、どんな婚約者とでもうまくいくよ」
必死に感情を押し殺し、どうにかそれだけ伝える。
(エルは一番幸せに……笑っていてほしい)
しかしそう願った言葉は、彼女の表情を沈ませていった。
「エル……?」
ノアルトは心配になり声をかける。
エルーシャはこわばる表情で、必死に笑顔をつくった。
「……騎士様、ありがとう」
そう言って笑おうとするが、エルーシャの表情は隠しきれないほど弱々しい。
ノアルトは正解もわからないまま後悔した。
「ごめん。俺、気が付かずに失礼なこと言ったみたいだ」
「そっ、そんなこと全然ないの! ただ私……婚約する方が騎士様みたいな、やさしい人だったらいいなと思って」
「やさしい人か。うん……。そうだな、うん」
「あ、でも本当はちょっと違うの。私はやさしい人というより、その」
エルーシャは頬を赤く染めると、さみしそうに目を伏せる。
「騎士様みたいな人だったら、いいなって……」
それは将来を定められたエルーシャが、自分に言える限りの希望だった。
(そうだ。エルは家族を失っている。この領地を今まで通り守るためには、婚約の条件を王家に渡すしかなかったんだ)
まだ見ぬ婚約者がどんな相手でも、拒否できない。
「……エル」
ノアルトは愛おしさのまま名を呼んだ。
エルーシャははっとしたように、表情を引き締める。
「でもそうよね。荒魔竜を倒すときって、凶悪な荒魔をたくさん受けないといけないわ! 私、騎士様が私の家族みたいな目に遭うなんて考えたら、心配で眠れなさそう。だから今のことは忘れ、」
「倒すよ」
「え?」
「俺が荒魔竜を倒すよ」
ノアルトに言えることは限られている。
だからこそ、わずかなその言葉に思いを込めた。
「俺は荒魔竜を倒す。そうすれば今までエルが話したこと全部、一緒に叶えられるだろ?」
それは今のエルーシャにできる、唯一のプロポーズだった。
ノアルトの言葉を受けたエルーシャは、しかしなにも言わない。
笑顔の似合う彼女に、はじめて見せる恐れが浮かんでいた。
ノアルトは今さらのように、エルーシャが荒魔竜に負わされた心の傷を目の当たりにする。
(エルは……俺のことを家族のように案じてくれているんだ。本当にやさしいな、俺の好きな人は)
胸の内ではエルーシャに伝えたいこと、話したいことがあふれていた。
しかしその前に、しなければならないことがある。
(今まではすべて、ロイエのために武勲を上げていたけれど)
ノアルトは席を立つと、寝台に横たわったままのエルーシャに誓った。
「俺はエルのために荒魔竜を倒すよ。それを叶えたらまた会いに来る。そのときに返事を聞かせて」
ノアルトは生まれ変わったような気持ちになり、愛しい人の前で願う。
「それまでにエルがしたいこと、たくさん考えておいてくれるだろ?」
いつぶりだろうか。
ヘルムに隠されたその素顔は、自然と微笑んでいた。