25・騎士の名は
「騎士様、あのね。もしよかったら、これ……」
彼女は寝台に横たわったまま、着けていた首飾りを取り出した。
「あなたは騎士様だから、荒魔獣を討伐しているのよね? これは私がつくった魔力の乱れを癒やすアミュレットなの。量産は難しかったけれど効果はあるから、お守りとして受け取ってくれる? あっ、だけど試作品だし、もし迷惑なら、」
「ありがとう。嬉しいよ」
ノアルトは迷わず首飾りを受け取る。
彼女は試作品だと謙遜しているが、かなり精巧な作りだ。
先端には金属で作られた立体的な魔法円が飾られ、その中央に琥珀色の宝玉が輝いている。
「きれいだな。君の瞳みたいで」
自然と滑り出た言葉に気づき、ノアルトの顔が熱くなってくる。
人の視線を避けていたはずが、今までずっと彼女の瞳から目を離せなかった。
(ヘルムを着けていなければ高熱を出していると誤解されるな、絶対)
ノアルトは動揺を押し殺しながら、アミュレットを首に通し鎧の下に着けた。
彼女はそれを嬉しそうに見つめてくる。
その仕草があまりにもかわいくて、今度は直視できなくなった。
「あっ。騎士様と話していたら本当に楽しくて、すっかり名乗り忘れていました。私はエルーシャ。エルーシャ・ジュファティーです」
その自己紹介を聞き、ノアルトはすぐ気づいた。
エルーシャは家族の話をするたび、どきりとするような満面の笑みになる。
(でも彼女の家族は1年前……)
天恵家系で有名なジュファティー家は愛娘だけを残し、荒魔竜に命を奪われていた。
(そうか。家族を失った彼女は自分が倒れるまで動かずにはいられない……誰かを助けずにはいられないんだ)
ヘルムの下に隠れたノアルトの表情に気づかず、エルーシャはにこにこと聞いてくる。
「家族はエルって呼んでくれるの。騎士様もそう呼んでくれる?」
「うん」
(エルか)
そう呼べるだけで、急に距離が縮まった気がした。
そんなささやかな喜びに、いつもの自分が無感情に囁く。
お前はロイエでいるしかない。
「騎士様のお名前はなんていうの?」
「……好きに呼んでいいよ」
ノアルトははぐらかした自分に驚いた。
今までは必ず、ロイエだと思われるように自分から名乗っている。
しかしエルーシャには自分がロイエだと、どうしても言いたくなかった。
しかしエルーシャはめげずに名前を知りたがった。
ヘルムは重そうだし取らないのかと聞いてくる。
青髪を見られれば、間違いなくロイエだと思われる。
ノアルトは今までと違う理由でヘルムを外さなかった。
「わかったわ、騎士様の名前はまだ秘密にしておきましょう。その代わりにあなたの愛称を教えてくれる? 私もそう呼びたいんだけど……いい?」
(いいに決まってる)
しかしロイエの愛称「ロイ」だけは絶対に呼ばれたくない。
名を明かせないノアルトは必死に話をそらした。
いままでずっと笑っていたエルーシャがさみしそうな顔になる。
今すぐ自分をぶん殴りたい衝動に駆られた。
「お、俺なんかのことより、君は」
「君?」
「エ、エルは癒せない魔病はないと言われる特別な天恵『魔力浄化』を持つんだろ? どんな魔病も治せると聞いたけれど、黒魔術は?」
「治癒できるわ」
(それならもし、ふたりを見つけ出せれば……)
ノアルトは地道に妹と乳母の所在を調べていた。
しかし彼の演じる立場と青髪は目立ちすぎる。
もし妹たちを探しているとロイエに気づかれれば、彼に逆らったとみなされるだろう。
そうなればおそらく、黒魔術で人質となった妹の心臓は止まる。
そんな危険を避けていることもあり、調査は思ったようにはかどらなかった。
(メラニーとティアナは一緒にいるはずだ。見つけ出せさえすれば、ふたりにかけられた黒魔術をエルに治してもらえる)
ノアルトの心に一筋の希望が差し込んだ。
(だけどまだふたりの黒魔術は解けていない。このことは誰にも知られずに実現する必要がある……)
「もし黒魔術にかかっている知り合いの方がいたら、ぜひこの施療院へ連れてきて。ここはジュファティー領が運営していて、治療費の心配がいらないのよ。それに私は基本的に、ジュファティー領を出られないから」
「領を出られない?」
「そうなの。私は保護対象の天恵者だから、基本的に領内で暮らすことになっているわ。だから領外へ出るには王国に申請を通さなければいけないの。今は荒魔竜が現れたり、天恵者狙いの人さらいも増えているから難しくて」
(確かに国内では荒魔竜の出現から、天恵者が命を落とす事例も増えているな)
実際に、希少な天恵を持つエルーシャの両親も、荒魔竜に襲われていた。
(この国は前国王の時代から、天恵者の血統を増やす方針が功を奏して豊かになった。現国王も、天恵者の減少で国力が低下することを懸念しているんだろう)
そのため天恵者は基本的に、国と親の方針で将来が決められていた。
前国王の時代ほど強制されるわけではなかったが、今もその傾向にある。
(でもエルは家族を失っている。両親の後ろ盾がない彼女は、国の方針に逆らえるはずもない……)
エルーシャの語った希望にあふれる将来が、ノアルトには先ほどと違う角度で見えはじめた。
「エルは不自由な生活でも、全然悲観していないように見えるな」
「だって私、これからしたいことがたくさんあるの!」
エルーシャはいきいきとした様子で、領内につくりたい薬草園や果樹園の話をはじめる。
一番したいことは荒魔竜の襲来によって増えた、行き場の定まらないない孤児を引き取ることだった。
「あっ、ごめんなさい。私の話ばかりで……」
「話してよ。エルの話は楽しいから」
「……本当?」
「うん。もっと聞かせてほしい」
エルーシャの目に光が宿る。
「この話をすると、いつも笑われたり変な顔をされたりするの。でも騎士様の顔はヘルムで見えないけれど、誰よりも真剣に聞いてくれている気がして」
「うん。生きてきた中で一番、真剣かもな」
「そこまで!?」
ノアルトは彼女に見惚れたまま頷いた。
「俺はエルのことを知りたい。君に話したいことがあるなら、どんなことでも教えてほしい」
「騎士様って、とっても聞き上手なのね!」
エルーシャは感心した様子で笑った。
そして先ほどの続きに戻り、周囲から「未成年が孤児を引き取るのは無理だ」と止められている話をする。
「でも私、孤児たちを引き取ることを諦められなくて、色々と考えているの。だって荒魔竜に襲われて家族を突然失うだけでも心細いのに、行くところが定まらないなんて……。私がもっと早く成人できたらいいのに」
「俺も手伝えたらな」
「え?」
「ひとりでは難しくても、一緒にやればうまくいくかもしれないからさ」
ふと漏らしたノアルトの本音に、エルーシャは不意を突かれたように頬を染めた。
「そんな風に言ってもらえたの、はじめて。私、今日のこと忘れないわ。騎士様のこと、忘れない……」
その少し恥ずかしそうな笑顔を、ノアルトは眩しい気持ちで見つめる。
(そうか。エルはいつも明るく振る舞っているけれど、本当はひとりでできることの限界も理解しているんだ。でも諦めたくなくて、ひたむきで……だから俺はこんなにも、彼女の笑顔に胸を打たれるんだ)
妹と乳母を助けるという願いは変わらない。
しかしノアルトは彼女と過ごしたひとときの中で、なにかが変わっていくのを自覚した。




