11・想定しておくべきこと
「その、あの……私、知りたいことがあるの。やっ、やましいことではないから! もちろん人さらいなんてしないし!!」
「エル、どうしたの? あなたは普段からかわいい顔をしているけど、今は特別よ」
エルーシャはいまだ熱の引かない赤い頬を隠そうと、フェエンリルの腹に顔をうずめる。
そして慌てて話題を変えた。
「と、ところで! ヘレナ叔母様にお願いしたいんだけど、施療院で使いたい薬や道具を教えてもらえないかしら」
「施療院で使いたいもの? それなら私の方が助かるけれど……エルの助けになるの?」
「新しい取引先ができる予定なの。だからヘレナ叔母様、わがままなくらいたくさん考えてくれる? その人ならきっと、施療院のためになるものを知っているし、探してくれるわ」
「ふふ、それは試したいものを言い放題ってことかしら」
叔母はフェンリルの毛並みを枕に、いくつか薬草の名を呟きはじめる。
その声にエルーシャは母の子守歌を思い出し、静かに目を閉じた。
(これで準備は整いそうね。大丈夫、必ずうまくやってみせるわ。ただ……)
エルーシャは叔母に言わなかった懸念を、ひとつだけ胸の底にしまっている。
(ランドルフ陛下は必ず、私とロイエの婚約が無効になるように手を打ってくるでしょうね)
国王はエルーシャに爵位を与える提案を受け入れた。
しかしそれが彼女の意思を尊重したためかは、わからない。
(ランドルフ陛下はあくまで国の繁栄、民のためになるかで決断するお方よ)
国王がエルーシャの提案した未成年の叙爵を受け入れたのは、国のために必要だと考えただけだろう。
しかしそれで、エルーシャとロイエの婚約に価値が生まれるわけではない。
(私とロイエの婚約を、ランドルフ陛下は継続するつもりなんてないはずよ。あの方がどう動くのかはわからないけれど、いつ動くのかは予想できるわ。私は彼の弱点を知っているもの)
国王は息子を溺愛していた。
(私はあの光景を忘れていないわ。陛下が生まれたばかりのディートハルト殿下を笑わせたくて『いないいないばぁ!』を特訓していた横顔。王宮料理人に最高の離乳食を命じた厳しいお言葉。息子とふたりきりのときだけは赤ちゃん言葉で話しかけてしまう後ろ姿……)
国王は愛する王子が冤罪をかけられたり、暗殺者に狙われる危険を冒さないだろう。
(ランドルフ陛下はディートハルト殿下の天恵『変幻自在』を証明するために、私の改良した魔力測定石の展覧会出品を優先するはずだわ。だからそれまでは私の身辺が慌ただしくなることを避けるでしょうね)
フェンリルが鼻を鳴らして顔を寄せてくる。
エルーシャは柔らかな毛並みに顔を埋めたまま、首のあたりを撫でてやった。
(だからプロポーズの返事は、ランドルフ陛下が私とロイエの婚約について手を打つ前、展覧会が終わるまでにする必要があるわ。もともとそのつもりだったけど、今のところ順調すぎて、逆に慎重になるわね。他に想定しておくべきことは……)
視線を感じた。
エルーシャはフェンリルに埋めていた顔をようやくあげる。
見ると叔母が、かわいい姪を見つめながらにんまりしていた。
「どうしたの? ヘレナ叔母様」
「エルはプロポーズの返事をしたあと、どうするつもりなの?」
「どうする?」
「のんきね。エルとロイエが結婚しないと決まれば、王家のもとにはあなたを望む男性から釣書が殺到するのに」
「えっ、まさか」
「間違いないわよ」
(それは想定外だったかも……)
いまいち実感がわいていないエルーシャを見て、叔母は待ちきれない様子で囁いた。
「楽しみね。必ず素敵な人が現れるわ」




