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プロローグ・浮気宣言とプロポーズの返事

 ***





 婚約者の気を引くには浮気が一番手っ取り早い。

 それが若き公爵、ロイエ・クリスハイルの持論だった。


「やぁエルーシャ、俺は君の侍女とデートすることにしたよ」




 *


 王宮の大ホールは、国内中の貴人でにぎわっている。


 シャンデリアは眩しいほどに光り輝いていた。

 一流の楽団の旋律が、高い天井まで響き渡る。

 それに合わせて男女が身を寄せ、衣装を美しくひるがえしていた。


 しかし華やかなホールの壁際には、とある令嬢がひとり。

 夕日色の髪をなびかせながら、早々に出口へと向かっている。


(エルーシャはもう帰るのか)


 彼女はすれ違った女性がワインをこぼしたことに気づき、さりげなくハンカチを渡している。

 その所作も去る姿も、見惚れるほどに洗練されていた。


(でもエルーシャはひとりだ。あいつがエスコートされる男は俺だけだから)


 ロイエはこの夜会で見つけたばかりの女性を腕に絡みつかせ、いい気分になった。


(エルーシャは俺に惚れこんでいるからな。最近は会っていなかったし、一言くらい話してやるか)


 そして婚約者の背中にかけた第一声が、浮気宣言だった。


「ほら、俺はやさしいだろう? ティアナがエルーシャの見習い中の侍女だと聞いてね。俺の好意で、素敵なドレスを買ってあげることにしたのさ」


(君は妬くだろうしな……)


 ロイエはそんな打算をしながらにやついた。

 彼は不誠実な態度で婚約者を傷つけ、興味を引こうとする幼稚な男だった。


(さて、今夜はどんな顔を見せてくれるのかな)


 そんな優越感に浸っていると、エルーシャが振り返った。

 彼女の利発そうな顔の中心には、大きな琥珀色の瞳が強い光を宿している。

 彼女は婚約者に浮気宣言されたとは思えない、明るい笑みを浮かべていた。


「それなら、私も自由にさせてもらうわ」


「えっ!?」


「では失礼します」


 予想外の返事に、ロイエの頭の中は真っ白になった。




 *


(ど……どういうことだ!?)


 唖然と突っ立ったロイエに、エルーシャは笑顔で去ろうとする。


「っ、っ! 待っ!! ちょっと待て! 婚約者の俺が君以外の女性とデートするんだぞ? なにも言わないなんて」


「あっ。私の侍女のティアナを、どうぞよろしくお願いします」


「違う、そうじゃない! なぁエルーシャ、いつになく反応が薄くないか?」


(まるで俺に興味がないような……)


 エルーシャはロイエの自慢の婚約者だ。

 彼女は天恵と呼ばれる特殊な能力『魔力浄化』の持ち主で、その癒やしの力は王家から最重要視されている。


(なによりエルーシャの天恵は金になる。エルーシャは自分の才能で暴利を得ようとしないが、俺と正式な夫婦になればどうにでもできるだろう)


 そんなエルーシャは品があるのに飾らない人柄で、『魔力浄化』の治療を受けた人々はみな彼女を慕うようになる。

 ただ普段は明るいエルーシャも、ロイエが浮気の気配をちらつかせたときは別だった。

 特に互いが出会ったときの話を拒絶すると、瞳の奥が苦しげに揺れる。


 それを知ってロイエは浮気を繰り返した。

 彼は自分に不釣り合いな才女の婚約者を、翻弄しているはずだった。


(それなのにおかしいだろ! エルーシャは俺のためならどんなことでも耐えてきたんだ!! それなのに今日はなぜ……そうか)


「エルーシャ、君はなかなかかわいいところがあるな。俺とティアナに妬いて、無理をして強がっているんだな?」


「いいえロイ様、そんな心配はまったくありませんっ!」


 ロイエの愛称を呼んだのは、エルーシャの侍女と名乗ったティアナだった。

 彼女は主人の婚約者の片腕に絡みつき、甘ったるい声を上げる。


「私、エルーシャ様のお邪魔をするつもりなんてありませんの!」


 ティアナの振る舞いに、近くにいた令嬢たちが眉をひそめている。

 しかし彼女はまったく気にする様子もない。

 それどころか、夜会にふさわしくないほど大きな声を張り上げた。


「ティアナはただ、ロイ様のごひいきにしている高級そうな商会に、と~っても連れて行ってほしいだけですからっ! ドレスを買いに連れて行ってくれるんですよね、ロイ様?」


 まるで「男は金づる」という言いっぷりに、周囲も驚きを超えて呆れている。


「あ、ああ。ティアナには最高級のドレスを用意するさ……」


 そう言いながらも、ロイエはエルーシャから相手にされないことが気になって仕方がない。


(俺が他の女性とデートするんだぞ! 俺にベタ惚れのエルーシャは、ショックを受けないはずがない!!)


 しかしエルーシャは興味もなさそうで、すでに歩きはじめている。


(なぜだ!? 今までと様子が違いすぎる!!)


 ロイエは慌てて正面に回り込む。

 

「エルーシャ、浮気程度で急にどうしたんだ? 俺たちの真実の愛の前には些細なことだろう」


「はい。些細なことなので、よけますね」


 エルーシャはダンスのように快活なステップでロイエをかわし、足早に進んでいく。

 ロイエは愕然とした。


(俺にベタ惚れのはずのエルーシャが、まったく関心を示さない? 突然なにが……)


 ロイエは今まで自分がしてきたことをかえりみて、すぐに思い当たる。


「っ、まさか! エルーシャ、俺がいながら他の男と浮気でもしているのか!?」


「それは誤解だけど、あなたにだけは文句を言われたくないわ。少し急ぎの依頼を受けたの」


「急ぎの依頼? 俺に確認もせずそんな勝手なこと、いったい誰だ!」


「国王陛下と王妃殿下です」


「へっ!?」


 ロイエは目を剥いた。

 彼は国王や王妃どころか、ティアナ以外の誰からも挨拶をされていない。


「おふたりに先ほどご挨拶にうかがったとき依頼を受けて、しばらく忙しいの。それで国王陛下から提案されたのよ。依頼の件が終わるまで、ロイエから私へ直接連絡するのは控えてもらおうって」


「なんだって!?」


「だから私に重要な連絡がある場合は、王妃殿下に話を通して面会状を持参してね。そうでなければ遠慮なく追い返すわ」


(つまりなんだ……これからは王妃の許可がなければ、俺はエルーシャに会えない?)


 王妃は数年前、魔病(まびょう)と呼ばれる魔力の病に倒れ、不調と悪い噂に苦しんでいた。

 そんな王妃はエルーシャの治癒を受けてから、彼女に絶大な信頼を寄せている。

 たとえロイエが面会を申し込んでも、王妃がエルーシャのために断ることはわかりきっていた。


(どういうことだ? まるで俺とエルーシャが接触できないように、王家側で取り仕切っているようだが……。いや、それはありえない。俺たち天恵者の婚姻は王国にとって重要だ。王家もないがしろにできない)


 ロイエは切り札を持っているかのように、自慢の青い髪をかきあげる。

 それは天恵と呼ばれる才能の一種、『魔力堅固』を持つ者に現れる髪の色だった。


 人は体内の魔力が乱れると、魔病と呼ばれる不調を起こす。

 しかしロイエは魔力の強度が高い『魔力堅固』と呼ばれる天恵を持っているため、魔病で体調を崩すことがなかった。


「俺は『魔力堅固』と呼ばれる天恵を持ち、荒魔竜(こうまりゅう)を倒した英雄だ。そして君は聖なる天恵『魔力浄化』を持つ聖女。だから俺たちの婚姻は王国から望まれている」


 天恵を持つ人物の活躍により、王国は強く豊かになってきた。


 そのため有用な天恵を持つ者たちは、王家の祝福の下に政略結婚が結ばれる。

 目的は貴重な天恵を持つ血統を保護するためで、本人や親の意見もある程度は反映された。

 そして婚約の誓約を結べば、王家ですらその誓約に介入することはできない。


(婚姻の儀までもう1年を切った。そうなれば俺はなんでも許してくれる妻と、一生遊んで暮らせる金が手に入る……)


「エルーシャ、俺がモテすぎることに嫉妬して、へそを曲げても意味がない。だって俺たちが別れることなんてありえないだろう? 婚約の誓約があるんだから」


「でも私、まだプロポーズの返事をしていないわ」


(プロポーズ!? 俺はしたかどうかすら覚えていないのに)


 エルーシャが無垢な少女のように言うので、ロイエは笑いを吹き出した。


「ははっ! エルーシャ、君は意外とロマンチックなんだな。だけどそんなこと関係ないのさ。俺たちは互いに納得して、王家の仲介で婚約契約書を結んだだろう」


 ロイエはその事実があれば、すべてが許される呪文だというように笑う。


「だからもう俺たちの意思は関係ない。現実は俺が浮気をしようと、君が俺を拒絶しても、婚約破棄はできない。プロポーズの返事なんて気にするだけ無駄さ」


「ロイ様ぁ!」


 ティアナはまったく空気を読まない様子で、ロイエの腕に絡みついた。


「ティアナはそんな退屈な話より、ロイ様の身に着けている腕時計が気になります~! だってキラキラしていて、とても高価そうなんだものっ! これもロイ様のごひいきにしている商人様から購入したのですよね! ティアナにも見せてくださらない?」


「あ、ああ。なかなかお目にかかれない、最高級品さ」


 ティアナの言葉に、ロイエは気を取り直したように笑う。

 エルーシャは意味ありげにその様子を一瞥する。


「では、私は失礼します。ふたりとも、楽しみに待っていてくださいね」


 彼女はそう言い残し、軽やかな足取りで去っていった。



 * 


(ああっ、黒歴史すぎるわ! ロイエを信じて尽くし続けていたなんて!!)


 夜会からの帰路は順調だった。

 エルーシャはひとり馬車に揺られながら、後悔を燃料に黒い感情をめらめらと燃やしている。


(ロイエが私との約束をすっぽかして他の女性とデートしたときも! 彼が王国からの婚約祝い金を賭博に使い切ったときも! 浮気相手の女に騙されて金を巻き上げられたときも! 真剣に悩むなんてバカバカしかったわ!!)


 エルーシャは邪険に扱われても、彼の真意を知ろうとした。

 そんなものなかったのに。


(今ならわかるわ。私はロイエに騙されていた……)


 しかしそのせいで、冷静に事実を判断できなかった。


(それにあいつと婚約してからずっと悲しみを抑えることに必死で、怒りの感情すら湧いてこなかったのよ! 思い出し腹立つだわこれ!!)


 しかしその鬱憤を夜会でぶちまけたりなどはしない。


(今は胸に秘めて、納得のいく結末を手に入れてみせるわ……必ず)


 エルーシャはどうにか呼吸を整えた。

 このひと月ほどで、するべきことは順調に進んでいる。


(私たちの婚約時の誓約に、浮気が有責になる記述はない。だからロイエは気づいていないようだけど)


 エルーシャは両手で口元をおさえ、「ふふふ」とあどけなく笑う。


(私は絶対、プロポーズの返事を納得できる形でするの!)


 そんなエルーシャの思いをまったく理解せず、ロイエは「婚約破棄はできない」とバカにして笑っていた。


(ロイエとわかり合う必要もないしね。でも大丈夫。私はひとりじゃないもの)


 必ず納得の行く結末を手にしてみせる。


「さよなら、ロイエ」






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