再戦
穴の中は相変わらず真っ暗で、びっしりと木の根が張っている壁に手を這わせながら、ゆっくりと上昇していく。
そうして暫く上っていると上の方に微かな光を感じた。
(もうすぐ出れそうじゃな!)
「ああ」
ここで喜び勇んで、雷雲の制御を誤っては元も子もないので、ゆっくりと、慎重に雷雲を上昇させる。
上っていくにつれ、光は徐々に大きくなり、眩しさに手で目を覆っているとコツンと頭に何かぶつかった。
上を見上げるとそこには、巨大な木の根があり、ようやく竪穴を上りきったことに気づき安堵する。
正面を見るとぽっかりと大きな穴が空いており、その出口目掛けて雷雲を進ませた。
穴を抜け振り返るとそこには、巨樹が行きと全く変わらぬ姿で鎮座していた。
「やっと出れたな」
(うむ! あの祠に閉じ込められはや数千年。ようやくあの忌々しき祠からの脱出に成功したのじゃ!)
長い年月、祠に閉じ込められていた犬神は、どうやら俺が思っていた以上に、あの場所に嫌気が差していたようだ。
「喜びに浸っているところ悪いんだが、俺の帰り待ってくれている奴らがいるんだ。早く家に帰りたいんだが、お前はどうする?」
(む? そうじゃな。今は特にこれといってやりたいこともないし、このままお主に付いて行くとするかのう)
「付いてくるのはいいんだが、ずっと俺の中にいるのか? 四六時中全ての行動を見られるのはちょっと嫌なんだが」
(そうじゃのう。それならば一旦憑依を辞め、実体化しても構わんぞ)
「それでいこう。あの子犬の姿なら真琴たちもすぐ受け入れてくれるだろ」
犬神を可愛がる真琴の姿が容易に想像できた。
(むう。あの姿は、本来のわしの姿ではないゆえ不本意なのじゃが、本来の姿は妖力の消耗が激しいから仕方ないのう)
「これだけの妖力があってもなお、妖力の減りを心配しなくちゃならないって、どんだけだよ」
(それだけわしの力が強いということじゃ。少しはわしの偉大さを理解したか?)
「理解してる、理解してる」
(お主、わしへの対応がぞんざいになってはおらぬか?)
「そ、そんなことねえよ。はは」
威厳もなにも感じられない犬神の言動に、気づけば犬神のことをだいぶ雑に扱っていたようだ。
しかし妖力の大半を失ってなお、有り余るその力は決して軽んじてはいけないと改めて心に刻まなければならないだろう。
もし犬神がその気になれば、俺など一瞬の内に消し炭にされてしまうのだから。
(そうかのう? それならばよいのじゃが)
しかし、猿神に騙されて封印されていたと言っていたにもかかわらず、すぐに俺の言葉に騙されかけているところ見ると、やはりそう悪いやつではないのかもしれない。
そんなことを考えていると犬神が脳内に喋りかけてきた。
(では、憑依を解除するぞ)
「ああ、分かった」
憑依解除を了解した瞬間、体から黒いもやのようなものが出てきたかと思うと、ふっと体の力が抜け、よろめいてしまう。
そんな俺をよそに黒いもやは俺の足元に集まると、それは次第に犬の形を作り出し、黒いもやが晴れるとそこには子犬姿の犬神が立っていた。
「実体化成功、じゃの」
「それはよかった。というか、なんかめちゃくちゃ疲れるんだが、なんでだ?」
「それは恐らく、わしの妖術を使った反動じゃろう。わしがお主の中に入っておった時は、わしが補助してやっておったから何の問題もなかったのじゃろうが、わしが抜け出したことで、わしの妖力を制御仕切れなくなったんじゃ」
「てことは、お前が抜けてもお前の妖力は俺の体内に残るのか?」
「いや、厳密に言うと、わしと契約者であるお主は全てが繋がっている状態なのじゃ。つまり、お主はわしが憑依せんでも、妖力も妖術も好きに使うことができるということじゃな」
「それは凄いな」
「そうじゃろう?」
自慢げな犬神を見ていると、ふと、ある疑問が浮かび上がってきた。
「ん? ちょっと待てよ。そういえば、お前の力が使えるのは憑依することによって可能になる、みたいなこと言ってなかったか?」
「そ、そんなこと言ったかのう?」
犬神は、あさっての方向を向き口笛を吹くような動作をして誤魔化すが、その口からは掠れた音しか漏れず、全く誤魔化せていなかった。
「お前、嘘ついたな?」
「う、嘘とはなんじゃ! あれは、言葉のあやのようなものじゃ!」
犬神は勢いよくこちらを振り向くと、必死に自己弁護を始めた。
「ほう。嘘はついていないと?」
「う、うむ。わしは嘘などつかぬ」
「ならはっきりとその口で説明してもらおうか」
「うむ。憑依によってわしの力を使えるというのは、本当のことじゃ。ただ、契約者もわしの力を使えるというだけの話じゃ」
「ほとんど詐欺みたいもんじゃねえか!」
「ち、違うわい! ただ伝えるのを忘れておっただけじゃ!」
犬神の慌てる姿から、恐らく本当に伝えるのを忘れていただけなのだろう。
これ以上問い詰めても仕方ないため、今回はこのぐらいで許すことにする。
「……分かった。これ以上はもう何も言わないが、次からこういうことは最初に教えてくれよ?」
「うむ。分かっておる!」
本当に分かっているのか、自信たっぷりな犬神の姿を見ていると不安からため息が漏れる。
「はぁ、分かってくれたならもういい。じゃあ、早速俺の家に向かうぞ」
「うむ!」
そうして俺と犬神は、俺の家がある大森林の外を目指して歩き出した。
それから暫く歩いていると、ふとそういえば犬神の名前を聞いてなかったことを思い出し、犬神に聞いてみる。
「そういえば犬神、お前の本当の名前はなんていうんだ?」
「む? 特にそういったものはないが、なんじゃお主。わしの名が知りたかったのか?」
「いや、ふと気になってさ」
「な、なんなら特別に、お主につけさてやってもよいぞ?」
そう言いながら犬神を挙動不審な態度で、こちらの様子を伺うように何度もチラチラと俺の顔を見てくる。
「そんな軽い感じで決めてもいいのか?」
「お、お主はわしの契約者じゃから、特別に名付けをさせてやってもよいと言っておるのじゃ!」
「そ、そうか。まあ、お前がそれでいいなら何か考えるが、そうだな〜」
暫く犬神の方を見ながら悩んでいると、犬神にぴったり名前を思いついた。
「あ、いい名前を思いついたぞ」
「ど、どんな名じゃ、言ってみよ!」
「夜のように黒い毛並みに、明るく光る瞳にちなんで、夜光なんてどうだ?」
期待の眼差しを向けてくる犬神にたいして、俺は自信満々に犬神の新たな名前を発表した。
「夜光、夜光か! わ、悪くないのではないか?」
「そうか? それならよかった」
「うむ! これからはわしのことは夜光と呼ぶのじゃぞ!」
「はは、分かった、分かった」
犬神改め、夜光の喜ぶ姿を見ていると俺も名付けた甲斐があったなと嬉しい気持ちになる。
暫くはしゃいでいる夜光を見ていると、俺もまだ自分の名前を伝えていないことを思い出した。
「そういえば俺も名乗ってなかったな。俺の名前は、天草透。透って呼んでくれ」
「天草透、透じゃな。うむ、覚えたぞ」
「ああ、改めてよろしくな夜光。あ、そういえばなんだが、今の状況でもお前の妖術って使えるんだよな?」
「問題なく使えるはずじゃ」
「それなら辺りもだいぶ暗くなってきたし、雷雲に乗ってささっと家に帰りたいんだが」
木の根から落ちてはや数時間。いつのまにか日は沈み、すっかり辺りは暗くなっていた。
「うむ、それなら全てわしに任せるがよい! 今のわしは気分がよいからのう」
そう言うと犬神は、予備動作も何もなくあっという間に雷雲を生み出してみせた。
「さすがだな。札を使うことなく瞬時に術を行使できるなんて」
「ふははは! こんなもの、わしの手にかかればちょちょいのちょいじゃ!」
褒められた夜光は、高笑いしながら雷雲を俺の足元に移動させ、雷雲に乗り込むよう促した。
「よっこいせっと」
俺は、老人のような掛け声とともに雷雲に乗り込む。
「しっかり乗ったな? ではゆくぞ!」
夜光は、俺が雷雲に乗ったのを確認するとすぐさま自身も雷雲の上に飛び乗り、雷雲を発進させた。
雷雲は、初めはゆっくりと進んでいたが次第に速度を上げ、遂には一瞬で景色が変わるような速さにまで達した。
「うわわわあああ!!」
あまりに速さと、木々にぶつかりそうな恐怖から情けない声が口から漏れる。
「ふははは! 情けない声を出すでない。そんな風に口を開けておると舌を噛みちぎってしまうぞ!」
「そ、そんなこと言ったってよ」
犬神は何が楽しいのか笑いながら、ますます雷雲の速度を速めた。
それから暫くの間、俺は雷雲にしがみつくのに精一杯で一言も話せずにいると、突然雷雲の速度が落ち、完全に静止した。
「どうしたんだ?」
「いやなに、今日の晩飯にちょうどよさそうな妖魔を見つけての」
舌舐めずりする夜光の言葉を聞き、どんな妖魔がいるのかと顔を上げてみるとそこには、穴に落ちる前に命からがら逃げ出した熊の妖魔が仁王立ちしていた。
「こ、こいつは!?」
「なんじゃ、こやつのことを知っておるのか?」
「知ってるもなにも、俺はお前に会う前にもう少しで、こいつに殺されるところだったんだぞ!」
「なんじゃと?! ふむ、ならばこやつの相手はお主がするか? りべんじじゃ!」
「え?!」
夜光の突拍子もない提案に驚きの声を上げてしまったが、よく考えてみたら夜光の力が使える今、このぐらいの妖魔を倒せないようでは、猿神を倒すことなど到底叶わないだろう。
「どうするのじゃ?」
「分かった。俺がやるよ」
「うむ。それでこそ我が契約者じゃ!」
夜光が満足そうに頷いているのを横目に見ながら、俺は雷雲を降り、熊の妖魔と対峙した。
「グルルル……」
熊の妖魔は、突然現れた俺たちを警戒しているのか、低く唸りながらも何もしてこない。
図らずも最初の出会いと同じような状況になったが、今の俺は前回こいつと遭遇した時には持っていなかった力を手に入れた。
――俺ならやれる。やってやる!
俺と熊の妖魔は、お互いの動きを見逃すまいと睨み合い、一瞬の静寂が訪れる。
静寂ののち、先に動いたの熊の妖魔だった。
熊の妖魔は、四つの足をめいいっぱい動かし、俺目掛けて一直線に突進してきた。
やばいと思ったときには、熊の妖魔の姿は俺の目と鼻の先まで近づいていた。
「くそッ!」
俺は、咄嗟に熊の妖魔の突進を横っ飛びでかわしながら、懐から札を取り出し、俺が元いた場所目掛けて投げつける。
札は地面に当たると同時に蔓となり、熊の妖魔に絡みついた。
熊の妖魔は、鬱陶しそうに蔓を引き剥がそうとするが、中々蔓を引きちぎることは出来ない。
「よし!」
どうやら夜光の妖力を込めて神術を発動したのが、功を奏したらしい。
「グオォォオオ!!」
熊の妖魔は、雄叫びを上げ、暴れながら何とか蔓を引きちぎろうとしている。
俺は、その間にもう一度札を懐から取り出し、今、自身が操れる最大限の妖力を札に込め、今度は熊の妖魔の頭上目掛けて投げつけた。
札は熊の妖魔の頭上に辿り着くと、雷を周囲に纏わす黒雲へと変化した。
「これで止めだ」
そう言うと俺は、札に込めた妖力を必死に操作し、最大火力の雷を熊の妖魔の頭上に発動させた。
その瞬間、鋭い光と共にけたたましい音が辺りに鳴り響き、一本の線となった雷が熊の妖魔の頭からつま先まで駆け抜けた。
雷に打たれた熊の妖魔は、声にならない絶叫を上げると、頭からゆっくりと地面に倒れこんだ。
「お前は強かったよ。俺一人の力じゃとても敵わなかった」
黒焦げになった熊の妖魔に、言葉を投げ掛ける。
未だに、自分がいとも簡単に熊の妖魔を倒したことが半ば信じられず、ジッと熊の妖魔だったものを見つめていると、突然夜光の情け無い声が聞こえてきた。
「な、なんてことをするんじゃー!!?」
「うるさいな。いきなりどうしたんだよ」
「いきなりもクソもないわ! こんなに黒焦げにしてしもうたら、こやつを食うことができんじゃろうが!」
そう夜光に言われて、そういえば戦闘前に晩飯がどうとか言っていたことを思い出す。
「あは、はは、悪い悪い。正直そんなこと気にしている余裕なくてな、晩飯のことはすっかり忘れてたわ」
「忘れていたじゃとお!!? お主わしを馬鹿にしておるのか!」
「本当ごめんって。代わりと言っちゃーなんだが、俺の家でたらふく美味いもん食わせてやるからそれで許してくれよ、な?」
「う、うーむ。……今回だけじゃぞ?」
夜光は、暫く悩んでいたが、怒りよりも美味しい食べ物を食べられるという食欲の方が勝ったらしく、俺は、なんとか夜光の怒りを収めることに成功した。
「よし、そうと決まれば早く透の家に行くのじゃ!」
「そうだな。あ、ちょっと待っててくれ」
そう言うと俺は、熊の妖魔の死体に近づき、札を熊の妖魔に貼り付け神術を発動させた。
すると熊の妖魔の死体から沢山の植物の芽が出たかと思うと、一斉に花が咲き乱れた。
「何をしておるんじゃ?」
「いちいち倒した妖魔を埋めたり焼いたりするのは手間だろ? たからこうして花を咲かせて分解を早めているんだよ。これをすることで、こいつもより早く自然に帰ることができるしな」
「律儀なやつじゃのう」
「そうでもないさ」
それから二人は暫くの間話すことなく、熊の妖魔に咲いた花を見つめていた。
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