出会い
その場に立ち尽くして、どれほどの時が経ったであろう。
ふと何やら声のようなものが、壁に木霊して聞こえてきた。
「誰かいるのか?」
俺の問いかけに明確は返事は返ってこず、ただ自分の声が木霊するだけだった。
暫くその場に突っ立っていたが、これ以上この場に留まっても仕方がないため、俺は恐る恐る声のする洞窟の先へと進み始めた。
洞窟は予想以上に長く、歩けども歩けども終わりが見えない。
「ーーされ」
しかし、どうやら声の発生源にはだいぶ近づいているらしく、先程までは全く何を言っているのか分からなかった声が、今は少し聞き取れるようになっていた。
そのまま暫く歩いていると、何やら禍々しい雰囲気を醸し出している祠が現れた。
祠の扉には、びっしりとお札が貼られており、どうやらその扉の奥から声が聞こえてくるようだった。
「誰かそこいにいるのか?」
恐る恐る祠に声をかけてみると返事が返ってきた。
「なんじゃ、また木端妖魔共がわしの妖力に釣られて来たのかと思うておったが、まさか人間じゃったとはのう」
その返答には妖力が籠っており、言葉にすら妖力が籠ってしまうほどの存在が祠の中にいることに、いい知れぬ恐怖が体を襲う。
しかし、こんなところで尻尾を巻いて逃げるわけにもいかないため、震える口を無理やり動かして質問を重なる。
「お、お前は何者なんだ?」
「わしか? 聞いて驚け、わしはかの有名な大妖魔、犬神様じゃ!」
犬神を名乗る妖魔の物言いは、尊大ではあるがどことなく間が抜けており、始めの方に感じていた恐怖は、すぐにどこかえ消え去ってしまった。
「犬神? 聞いたことないな」
「な、なんじゃとっ?!」
犬神は、すっとんきょうな声を上げたかと思うとブツブツと何やら独り言をこぼし始めた。
「――め、わしの存在を後世に伝えておらぬとはどういう了見じゃ! だいたい、あやつは――」
「なあ、考えごとしているとこ申し訳ないんだが、結局お前はなんでこんな所に封印?されているんだ?」
「う、うむ。わしはかつてこの地を治めておったのじゃが、ある時、猿神のやつが突然わしに喧嘩を売ってきたのじゃ。じゃから力の差を見せつけてコテンパンにしてやろうかと思っておったんじゃが、あやつの卑劣な罠にハマりこんな所に封印されてしもうた」
犬神は先程までの痴態を取り繕うように、威厳たっぷりな物言いで話していたが、俺にはそんなことを気にする余裕はなかった。
「ちょっと待ってくれ、猿神と言ったか? それはもしかして目と鼻がない猿の姿をした奴のことか?!」
「なんじゃお主、わしのことは知らぬのにあやつのことは知っておるのか」
「知ってるもなにも、この先に真っ直ぐに進めばそいつの石像が置いてある!」
「そうなのか、猿神め! わしのことは――」
俺は、衝動を抑えきれず犬神の話に割って入り、口早に問いかける。
「なあ、猿神ってのはお前と同じ妖魔なのか? 妖魔だとしたらなんで人間の国で神として崇められているんだよ?!」
「忙しない奴じゃのお。じゃが久しぶりの客人じゃ。その質問に答えてやろう。まず一つ目の質問じゃが、猿神はわしと同じ妖魔で合っておる。次に二つ目の質問である猿神が何故、人間の国で神として崇められているのか、についてじゃが、ふむ。わしも長いことここに封印されておったゆえ正確なことは分からぬが、恐らくはあやつの洗脳の力を持ってして、自分が人間を生み出したとかなんとか言って人間たちを洗脳した、といったところじゃろうな」
「洗脳の力だと? そんなのまるで神術じゃないか!」
「うむ? 人間と同じように、一部の妖魔共も神からの恩寵である妖術、人間でいうところの神術を使えるが、なんじゃお主、そんなことも知らんかったのか」
「そんな……ただでさえ強力な妖魔が、神術も使えるとなると人間に勝ち目なんてないじゃないか」
犬神の言葉に、俺は一人茫然と落ち込んでいると犬神が提案を持ちかけてきた。
「どれ、取引をせんか?」
「取……引?」
「お主が何に悩んでおるのかは、話の流れで大体は理解した。もしもわしの封印を解いてくれれば、礼としてその悩みを解決してやろう」
「ほ、本当か?」
普段なら絶対に釣られるはずのない甘言だが、身も心もズタボロになっている今の俺には、とても魅力的な提案に思えて心が揺さぶられる。
「ああ、本当だとも。お主の願いはなんじゃ? その口ではっきりと申してみよ」
「俺の、俺の願いは……」
この妖魔の言うことを聞いたとしても、本当に願いが叶えられとは限らない。
――それでも俺は!
いくら考えたところで俺の答えは最初から一つしかなかったのかもしれない。
俺は、祠の扉に所狭しと貼られているお札を次々に剥がし、扉を開け放ち、願いを口にした。
「俺は、香月を救いたい!」
「その願い、この犬神が確かに聞き届けた!」
犬神の声が聞こえた瞬間、辺りが眩い光に包まれた。
暫くして光が収まると、そこには、夜の闇全てを凝縮したような漆黒の毛並みを持つ子犬がいた。
「お前が、犬神……なのか?」
「うむ! わしこそが最強無敵の大妖魔、犬神様じゃ!!」
犬神を名乗る子犬は、自身を誇示するように胸を張り、尊大な態度で改めて名乗った。
「本当に願いを叶えてくれるんだな?」
「任せておけ! わしは猿神と違って嘘などつかぬ」
「疑うようで悪いんだが、お前は本当に強いのか? ちっとも強そうに見えないんだが」
自信満々に話す犬神は、態度は傲然としているがそれに反して、とても愛くるしい見た目をしていた。
「な、なんじゃとっ!? 無礼なやつめ。お主がわしと契約を結んでおらなんだら、今ごろ八つ裂きの刑に処しておったぞ!」
犬神は、俺の言葉に鼻息を荒くして憤慨しているようだが、その様子も可愛らしい。
「なあ、俺の願いを叶えてくれると言っていたが、どうやって願いを叶えてくれるんだ?」
「話を逸らすでない! お主はわしに対する敬意が足りておらん。もっと敬意をもって接せよ!」
「分かったよ。俺が悪かった。だからどうやって俺の願いを叶えるのか教えてくれないか?」
このままでは、永遠と説教をされそうな予感がしたので、早めに謝罪をし話の続きを促す。
「まだ敬意が足りておらぬような気もするが、まあよい。どうやってお主の願いを叶えるかじゃな? わしが全盛期の力を持っておれば猿神なんぞたやすく仕留めて見せるんじゃが、長年封印されておったせいで、今の力はせいぜい全盛期の数十分の一程度じゃ。じゃからお主には、香月とやらを助けれる力を授けてやろう」
犬神は、ぶつぶつと文句を言いながらも説明してくれた。
「力?」
「うむ。わしは妖術をいくつか持っておる。それをお主に貸してやろう」
今の俺の力では、猿神はおろか、そこら辺の神術者にすら勝てないため、犬神の申し出が本当なら、とてもありがたい話だ。
「本当に妖術?を貸してもらえるのならとても助かるが、術の貸し借りなんて本当にできるのか? そんな話は、聞いたことがないんだが」
「普通はできぬな。しかしわしには、対象に取り憑き、力を貸し与えるという妖術がある。その妖術をもってして、お主にわしの妖術を貸すことができるのじゃ」
「それって、俺がお前に操られたりするんじゃないのか?」
ふと疑問に思ったことを尋ねる。
「そういったことも可能じゃが、お主ごときを操ったところで仕方がないじゃろう? じゃから無用な心配などするでない」
「可能なのかよ。まあ確かに、そう……だな」
悲しい現実だが、犬神の言葉には説得力があった。
「じゃあお前を信じるよ。早速で悪いんだが、俺に取り憑いみてくれ」
「うむ。ではゆくぞ!」
犬神はそう言うとその姿が次第に黒いもやとなり、俺の体目掛けてぶつかってきた。
「なんだ?!」
咄嗟のことに驚き目を瞑ってしまったが、状況を確認するために恐る恐る目を開けると、黒いもやは俺の体の中に溶けこむように消えてしまった。
「成功……したのか?」
(うむ。成功じゃ)
「うわっ?!」
突然、頭の中に犬神の声が響きわたり、それに驚いて辺りを見回す。
(わしは今、お主の脳内に直接話しかけておる)
「びっくりさせるなよ、まったく。今、お前に取り憑かれているってことは、俺はお前の妖術が使えるのか?」
(うむ)
「そういえばまだ聞いてなかったけど、お前の妖術ってどういうものなんだ?」
(わしの妖術はいくつかあるが、分かりやすいのでいくと雷雲じゃな)
「雷雲?」
(そうじゃ。わしは、雷雲を操り、自由自在に雷を降らすことができるのじゃ)
「それは凄いな。めちゃくちゃ強力な術じゃないか」
(そうじゃろう、そうじゃろう)
俺の言葉に気をよくしたのか、脳内に響く犬神の声が弾んでいるのが感じられた。
「早速妖術を使おう、と言いたいところだが、よく考えたらこんなところでお前の妖術を使ったら、大変なことになりそうだな」
洞窟の中で雷を降らそうものなら、一瞬で生き埋めになってしまう。
(む? 確かにそうじゃな)
「とりあえず一旦この洞窟から脱出するか。妖術はそれからだな」
(うむ。そうと決まれば、さっさとこんなところ抜け出すのじゃ!)
「そうだな。あ、でも俺がここにきたのは、たまたま穴から落っこちただけだから、そこからは地上にでれないんだよな。空でも飛べるんなら話は変わるんだが」
(そうなのか? それならばちょうどよい。わしの妖術で作り出した雷雲は乗ることも可能なのじゃ。それに乗ってお主が落ちてきた場所から脱出するのじゃ!)
犬神の言葉は、まさに天から垂らされた蜘蛛の糸であった。
「本当か?! なら早速その雷雲とやらを生み出してみるか」
俺は懐から札を取り出すと、いつも自分の神術を発動する要領で、雷雲が発現するのを願った。
そうすると本当に術が発動し、札が消えたかと思うと、そこには真っ黒の雲が空中をふわふわと浮かんでいた。
「おおー! 本当に出たぞ!」
(何を騒いでおる。当たり前じゃろう)
「いや、お前の妖術が使えるとは聞いていたけど、いざ本当に他人の術を使えるとなるとやっぱり、な?」
(やはりお主、わしのことを疑っておったな?)
「はは。すまん、すまん」
犬神の不機嫌そうな様子に慌てて謝る。
(ふん。まあよい。さっさと乗ってみよ)
「じゃあ乗るぞ」
雷雲を足元に移動させ、恐る恐るその上に乗り込む。
雷雲は、柔らかくも人一人乗っても全く問題のない丈夫さを兼ね備えているようで、その安定性の高さに驚く。
「こりゃあいい。まるでふかふかの布団みたいだな」
(そうじゃろう、そうじゃろう)
雷雲のことを褒めると、先ほどまでの不機嫌さは嘘のように消し飛び、満更でもなさそうな犬神の声が聞こえてきた。
「よし、俺が落ちた穴に向かうぞ」
(うむ!)
俺は、雷雲を慎重に操作し、先ほど歩いてきた道を戻る。
それからしばらく雷雲で移動していると、犬神の小言が飛んできた。
(もっと速く動かせんのか)
「うるさいな。俺は神力が人より少ないんだから、これでも精一杯飛ばしている方だぞ」
(何じゃお主。気づいておらんのか?)
「何が?」
(今、お主とわしは一心同体。つまり、わしの妖力もお主は使えるのじゃぞ。じゃからそんなにのんびりと飛んでないで、もっと飛ばすのじゃ!)
「なんだって? そういう大事なことは早く言えよ」
犬神に言われて確認してみると、確かに今まで感じたことのない異質で巨大な力を感じることができた。
「これが妖力か。凄まじいな」
自身の内から感じられ圧倒的なまでの力に、少し目眩がする。
(何を言っておる。こんなの殆ど残り滓のようなものじゃ)
これほどまでの力を残り滓と断言できてしまう犬神は、やはり、そこらの妖魔とは一線を画す存在なのだと改めて感じる。
「そりゃあ凄いな。というか今更なんだが、妖力と神力は同じものなのか?」
(正確には違うのじゃが、まあおおよそ同じようなものじゃな)
「なんだ、はっきりしないな。結局どう違うんだよ」
(うーーーむ。これはあまり話したくはないんじゃが、契約者の頼みじゃ。ここだけの話じゃぞ?)
犬神は暫く悩んだあと、渋々話し始めた。
(これはあまり知られておらぬ話じゃがの、この世界は二柱の神によって作られたのじゃが、人間を作った神が人間に与えた力が神力、妖魔を作った神が妖魔に与えた力が妖力なのじゃ)
犬神が話す内容は、あまりに荒唐無稽で思考を放棄しそうになるが、なんとか意識を保ち犬神に質問する。
「ちょ、ちょっと待てよ。ニ柱の神がこの世界を作った? そんな話聞いたことないぞ」
(当たり前じゃ。このことは、なるべく秘密にするよう言われておったからな)
「誰に?」
(それは勿論神に決まっておるじゃろう。じゃからこの話は他のやつにくれぐれも秘密じゃぞ?)
「神だって!? お前、神に会ったことがあるのか!?」
(うむ。何を隠そうわしは、神が最初に作りし十二体の妖魔が一体なのじゃ!)
「ま、まじかよ」
犬神のあまりに衝撃な告白に、今度こそ考えることを放棄してしまう。
(おーい。聞いておるのか?)
「あ、ああ。ちゃんと聞いてるぞ」
暫く放心していたが、犬神の呼び声で正気を取り戻す。
俺は、頭を抱えたい気持ちでいっぱいだったが、犬神の言葉からある悪い予感が脳裏をよぎり、犬神に問いかける。
「最初に作り出された十二体の妖魔ってもしかして、その中に猿神もいるのか?」
(よく分かったのう。その通りじゃ)
「やっぱり、か」
悪い予感は見事に的中してしまった。
「最初に作られたと言うぐらいなんだから、猿神はそれはもう強いんだろ?」
(うむ。わしほどではないが、あやつもそこそこ強いぞ。わしほどではないがのう)
俺と犬神はまだ短い付き合いだが、それでもあの犬神に自分ほどではないにしても強いと言わしめるほどだから、猿神の強さは嫌というほど窺えた。
(この話はここで終わりじゃ。あまり話しすぎると神になにをされるか分かったものではないからのう)
「ああ。分かった」
まだまだ、聞きたいことは山ほどあるが、犬神や猿神よりも更に上位の存在なんて考えるだけでも恐ろしいので、この話はここらで辞めることにする。
そのまま何も話すことなく暫く道を進んでいると、俺が落ちてきた猿神の像がある広場に戻ってきた。
「もう着いたのか。お前と話していたからか、雷雲に乗っていたからか分からんが、行きよりも早く感じたな」
(それは両方に決まっておろう!)
犬神は楽しそうな声で返す。
「はは、そうかもな」
(そうに決まっておる。む? それより、ここには目に入るだけでムカついてくる像があることじゃし、こんなとこさっさと抜け出すのじゃ)
犬神は、最初は俺の言葉に気を良くしていたが、猿神の像に気づいた途端に機嫌が悪くなり、ここからの脱出を急かしてきた。
「そうだな」
犬神の意見に異論はないため、雷雲を操ることに神経を集中させる。
すると、今まで地面すれすれを飛んでいた雷雲は、穴めがけて徐々に上昇していき、天井の穴目前まで到達した。
しかし、それでも穴の中を見通すことはできない。
(何をしておる。早う上がらんか)
俺が漆黒の闇に躊躇していると、再度犬神の急かす声が聞こえてきた。
「分かってる。ふぅ……行くぞ」
俺は一呼吸置くと、雷雲ごと穴の中に恐る恐る突っ込んだ。