嫌なヤツ
小鳥達はさえずり、日差しは俺を暖かく包み込む。
そんな中、人を怠惰の道へ誘う極上の羽毛布団で微睡んでいると、抑揚のないどこか無機質な声が俺の意識を覚醒させた。
「起きて」
「もう少しだけ寝かせてくれ」
「今起きないと朝ごはんなし」
なんとか必死の抵抗を試みるも、抵抗虚しくその悪魔の一声で俺はしぶしぶ布団から這い出た。
「ん〜、おはよう」
背伸びしながら俺を微睡みの中から現実へ連れ出した少女に挨拶する。
「ん、おはよ」
彼女の名前は真琴。
綺麗に切りそろえられたショートカット。
どこか眠そうな垂れ目。
そして年の割にはだいぶ幼い見た目は、見る者の保護欲を掻き立てる小動物のようだ。
彼女は俺の乳母の娘で、代々我が家に仕えてきた従者の家系だ。
昔からこの家で共に暮らしている、言わば幼馴染みみたいなものだ。
「じゃー俺、顔洗ってくるわ」
「もうご飯できてるから、顔洗ったら伊吹も連れてきて」
そう言うと彼女は、俺の返事も聞かず台所の方へスタスタと歩いて行った。
真琴の後ろ姿を見送った後、俺は顔を洗いに井戸に向かった。
井戸につくと刀の鍛錬をしている伊吹の姿が目に映る。
伊吹は真琴の双子の弟で真琴同様、従者として俺の家で暮らしている。
木刀を振っている伊吹の姿をしばらく眺める。
その顔は真琴同様非常に整っており、細長い眉、そしてその下の切れ長の眼からは、刃の切っ先のような鋭さを感じさせる。
伊吹が、一向にこちらに気づく様子がないため声をかける。
「おっす、今日も鍛錬か?」
「ああ、俺にはこれしか無いからな」
伊吹は俺の方を見ることなく黙々と素振りをこなす。
「それだけの腕があれば十分だろ」
そう言いながら俺は苦笑いする。
なんたって伊吹はその若さで国一番の刀使いと評判なのだ。
「もうご飯できてるぞ」
「あと素振り百回したら行く」
伊吹は鍛錬バカで、鍛錬に熱中するあまり朝食の時間に間に合わないことがよくある。
そのたびに真琴の怒りを買い朝食抜きにされるのだ。
「あんま遅れると、また飯抜きにされるから早く来いよ〜」
「ああ、分かっている」
俺まで飯抜きにされるわけにはいかないので、ささっと顔を洗うと伊吹に一声かけ居間に向かった。
――――――――――――――――――――――――――
朝食を食べ終えた後、俺たちは三人で学校へと向かう。
学校には貴族の子息やその従者などが通っており、読み書きや数学、この国の歴史などの座学に始まり、神術や武器の使い方などの戦闘訓練も行われている。
これは、妖魔や敵対的な国が攻めこんできた際に、国を守れるよう戦い方を今のうちに学んでおくためである。
この世界では、妖魔などの危険が身近にあるためか、強さこそが最も尊ばれる。
そのため、俺はいつか香月に相応しい男になれるように、戦闘訓練には特に力を入れている。
いずれこの国で一番強くなってやるんだ、と密かに闘志を燃やしていると、伊吹の元気のない呟きが聞こえてきた。
「腹が減った」
「時間通りに来ないのが悪い」
腹を鳴らしながら呟く伊吹と、伊吹を半睨みしいつものように説教する真琴の姿は、今まで何度も見たことのある光景で、今では毎朝の恒例行事と化していた。
結局、伊吹は朝食の時間に間に合わず、今日も朝飯抜きになってしまったのだ。
「だから早く来いっていっただろ。すぐに来なかったお前が悪い」
「その通り」
ここで伊吹の味方をすると俺にまでとばっちりがきそうなので、しっかりと真琴の味方をしておく。
うんうんと頷く真琴を見るに、俺の判断は正しかったようだ。
「大体伊吹はーー」
その後も伊吹に対して説教を続ける真琴から目を離し、前方に目をやるとニ枚の扉が開け放たれた、木製の大きな門が視界に入ってきた。
毎朝の恒例行事をこなしているうちに、いつの間にか学校に着いていたようだ。
「学校についたから説教はもう終了」
まだ何か言いたそうな真琴を落ち着かせ、学校の門をくぐる。
そのまま校舎に向かって歩いていると、御三家の一つ、伊藤家の嫡男である伊藤幸正とその取り巻き達がこちらに向かっているのが見えた。
「早く行こうぜ」
「どうした?」
「まだ、授業は始まらないからそんなに焦らなくても大丈夫」
なんとかあいつらと顔を合わせないように、と伊吹と真琴を急かすが幸正達に気づいてないのか、その足取りは実にのんびりとしたものである。
そんなことをしている内に、幸正達はすぐそばまで来ていた。
「これはこれは、天草家の出来損ないではないか」
無視する訳にもいかないので、声が聞こえた方にしぶしぶ顔をやると、整髪剤をたっぷりと使い、維持していると思われるオールバックが特徴的な男とその取り巻きが立っていた。
「なんだお前達か、差別主義者とその取り巻き共が俺になんのようだ」
あたかも今存在に気づいたかの様に振る舞い、嫌味には嫌味で応戦する。
「私は差別などは行わない。もし、神術のあるなしについて言っているのであれば、それは区別だ」
「よく言うぜ。お前が伊吹にしたこと、忘れたとは言わせないぞ」
「あれは、お前の従者が分もわきまえずに、私に歯向かってきたからであろう」
数ヶ月前、伊吹は、俺のことを馬鹿にしていた幸正に対して、決闘を申し込んだのだ。
結果は火を見るより明らかで、いくら刀を扱えようと神術を持たない伊吹と神術者の幸正とでは、その戦力に開きがありすぎた。
神術も持たない分際で逆らってきた、という理由で伊吹は気を失うまでボコボコにされた。
ちょうどその日、俺は熱を出して学校を休んでおり、その事実を知ったのはつい最近のことで、その出来事を幸正が俺に自慢げに話しているのを聞き、始めて知ったのである。
それを知ったとき、この傲岸不遜を絵に描いたような男をどう懲らしめてやろうかと考えたが、俺の力ではどう足掻いても幸正に勝つことはできない。
本来、天草家の神術は草木を自由に操れるというもので、当主クラスになると若木を一瞬の内に、見上げるような大木に育てることも可能だ。
しかし、俺には天草家の神術の適正がないのか、たいした神術は扱えず、出来ることと言えば、草を操り足を引っ掛けて相手を転ばせたり、草木の成長を少し促すことぐらいだ。
その程度の神術じゃ幸正の神術には敵わないのである。
伊藤家に伝わる神術は、念動力と呼ばれるもので、伊藤家の当主ともなると、重さ数トンもする物も軽々と操ると言うが、幸正が操れるのせいぜい数十キロぐらいだ。
しかし、それでもとても強力な神術であることには変わりない。
俺にできることと言えば、少しでも伊吹と真琴に被害が及ばぬように立ち回ることと、あいつの嫌味に対してこちらも負けじと嫌味を返す、というとてもしょうもないことぐらいだ。
そんなことを考えていると、伊吹から仲裁の声がかかる。
「俺は気にしていない。だからもう行こう」
「分かった」
俺も悔しいが、それ以上に悔しいはずの伊吹が我慢しているのを感じ、しぶしぶ引き下がろうとする。
「お前の従者も少しは成長しているようだな。私の指導のおかげか?」
「てめえッ――」
それでも尚、嫌味を言い続ける幸正に対して、いよいよ手が出そうになったが、俺の肩に手をやり、首を振る伊吹を見てなんとか堪える。
「こいつらは無視だ。伊吹、真琴行くぞ」
「なんだ、もう逃げるのか。負け犬め」
ニヤニヤとしながら、侮辱の眼差しを向けてくる幸正とその取り巻きたちに背を向け、俺たちは校舎へと向かった。
幸正達から少し遠ざかった所で、真琴がポツリと漏らした。
「あいつらは無視が正解」
「そういえば真琴は一言も喋らなかったな」
「今の段階じゃ勝ち目ない。もっと強くなっていずれボコボコにする」
ふんすと意気込む真琴を見て、俺も少し元気になる。
「そうだな。もっと強くならないとな」
「ああ」
「うん」
俺達は、まだまだ弱い。
力こそ正義のこの世界で、我を通せるようになるには強くなるしかないのだ。
「あ、そういえば言うのを忘れていたんだが、昨日香月にあったぞ」
「なんでそれをもっと早く言わない」
先ほどまで、横を歩いていたはずの真琴がいつのまにか目の前まで詰め寄っており、こちらを下からじーっと睨め付けてきた。
場を和ませるために、話題を変えたのだが、真琴のその食いつきようは予想以上で、少したじろぐ。
「ごめん、ごめん」
ここで言い訳しても反論を食らうだけなので、大人しく平謝りしておく。
それを見て怒るのを諦めたのか、真琴は、はぁと一息つき話を促す様に目で指示を送ってくる。
「俺達が昔よく一緒に遊んでいた丘があるだろ? あそこに座っていたら急に香月が現れたんだ」
「香月元気そうだった?」
「ああ、変わりなく元気いっぱいだったぞ」
「そう。よかった」
言葉数こそ少ないが、真琴は香月とそれこそ姉妹のように仲が良かったので、香月の近況が知れて安堵の表情を浮かべている。
「だが、香月は今軟禁状態のはずだが、よく外に出て来られたな」
「そうなんだよな。俺もそれが気になっていたんだ」
「香月が元気ならなんでもいい」
「なんでもいいってことはないけど、まあ、そうだな」
「うん」
口にこそ出していなかったが、真琴も伊吹もここ暫く会えていなかった香月の事がとても心配だったのだ。
今はただ、香月の無事を祝うだけにしておこう。
それから俺達は、校舎に着くまで一言も話すことはなかった。