消えたイマジナリーフレンド
ーーザー……ザザッ……ザー……
小方 愛瑠はとある一室で、耳を塞ぐように頭を抱え下を向いていた。
「愛瑠、体調悪いの?」
「ううん……大丈夫」
「せっかく掴んだキー局のラジオ番組出演権! これを活かさない手はないわよ、わかってる?」
「斉木さん……」
「売れないグラビアアイドルがキー局! くぅーっ、こんな日が来るなんて!」
マネージャーである斉木はやけに浮かれた顔をしていたが、愛瑠はそれを見ることもなく顔を突っ伏していた。
この売れないグラビアアイドルがキー局のラジオ番組に出演するビッグチャンスを得たのは、他でもないあの事件のせいだった。
愛瑠は深夜のローカル局、その上この事件を語るのに相応しいオカルト系番組からのオファーをいくつも断り斉木を泣かせた。本来なら仕事を選べる身分ではないのに、と、愛瑠自身が一番感じていた。
「それでも、このくらいの規模の番組じゃないと……」
「何か言った、愛瑠?」
「ん、なんでも。そろそろ、行かないと」
先行くね、と顔を上げる。愛瑠は席を立ち、無理やり笑みを浮かべると手を振り部屋を後にした。その後ろ姿を見送った斉木の顔には、先程までとは打って変わって心配そうな表情が浮かび上がる。
「痩せたわね、愛瑠……」
ぽつりとつぶやく。斉木は愛瑠を元気付けようと笑顔で鼓舞したものの、あの日以来日に日に痩せていく彼女の姿を心の底から心配していた。先程笑って行ったのも、精一杯の空元気だとわかっていた。
あの日、何かがあったのだ。放送事故、程度に考えていたのは自分だけで、愛瑠の身には何かがあった。自分たちには分からない何かが。
ーーいつからだっけ。彼女が見えなくなったのは。
時は遡り、約1ヶ月前のあの日。斉木の運転する車の助手席は、その日もとても静かで思い出に耽るには充分だった。窓の外を見ながら愛瑠はふと、昔の友達に思いを馳せる。きっかけなどなく、本当にふとそう思ったのだ。
愛瑠には幼い頃、いつも一緒に遊んでいた親友がいた。丸いほっぺを赤くして、小さめの鼻をひくひくさせて笑う。こぼれ落ちそうな瞳が、自分によく似た顔が、目の前でにこにこと楽しそうにしていた。
愛瑠はもう、親友の顔を鮮明に思い出すことができない。だがその親友は、確かに自分によく似ていたのだ。子どもながらに、まるで鏡を見ているみたいだなんて思ったもので。
『わたしたちそっくりだね!』
そう言って何度も笑いあったのだ。
ぼんやりした愛瑠の記憶の中にいる親友は、とても優しくて、勇気があった。愛瑠が泣いていれば励まし、怖気づいた時には手を引いた。
同じ顔のその子は、同じスピードで成長していく。もうすぐ小学生になろうかという頃ーー彼女は忽然と姿を消した。
丁度その頃、愛瑠の家から母という存在がいなくなった。
確か、おじいちゃんのお葬式で田舎に行った時だったような……と幼い頃の曖昧な記憶を引きずり出す。もう詳細には思い出せなかった。
そこに思い至ると毎度愛瑠の気分は落ち込む。あの頃愛瑠の家庭は酷く荒れていた。立て続けに大事なものが消えていく感覚を思い出し、眉を寄せる。
親友が心の支えだった。だがパッと姿を消した愛瑠にそっくりの少女は、それから一度も現れてはくれない。あんなに側にいたのに、小さい頃のアルバムに二人でいる写真は1枚もない。
嫌なことが続き忘れたい思いも強かったのか、親友との大切な思い出さえも徐々に薄れていく。それこそ、本当にあった出来事なのか疑わしいほどに。
大人たちに聞いてみても、変な顔をする。「そんな子はいないよ」と、複雑な顔をして望まない反応が返ってくるだけだった
最初からいなかったのかもしれない、自分の心の支えに生み出した幻想だったのかもしれない。愛瑠は自分がおかしかったんだ、とこれ以上誰かに親友のことを聞こうとはしなかった。
そうして彼女がもう少し大人になってから、「イマジナリーフレンド」という言葉を知ったのだ。
幼い子どもに多い現象で、架空の友人といった意味。 愛瑠はきっとこれに違いないと自分に言い聞かせた。「あれは私が作り出した実在しないお友達だったんだ」そう言い聞かせる以外になかった。楽しかった思い出は自分が作り出した架空のもの、そう思えば寂しくもある。だがそれならば大人たちの反応も、もう会えないというのにも、どうにか納得が出来る。
「もしまた会えたら、何を話そうかな……」
あの時の友人に聞いてほしいことは山程にあった。
ーーザザッ……ザッ……ザッ……
愛瑠は無意識に耳を抑えた。砂嵐のような音が遠くに聴こえる。
急に聴こえたその音によって意識が現実に引き戻される。
「愛瑠、久々のラジオ出演! 楽しみねぇ」
「うーん……」
「もーう! いくら怖い話が苦手だからって、そんな顔しないのっ! 仮にもアイドルなんだから、かわいくかわいく!」
「だってぇ! よりにもよってオカルト番組のラジオって」
「いいじゃない、そういうののほうがリアクションしやすかったりすんだから」
「オカルト番組でも流してリアクションの練習しとく?」というマネージャーの提案を断りそっとため息をつく。
斉木さん、なんでも取って来ちゃうからな……と仕事熱心なマネージャーを恨む。愛瑠はお化けや目に見えないものの話が大の苦手であり、それを斉木もよく知っていた。
やがて収録スタジオに到着し、しばらく別室で待機を指示されたあとスタジオに通される。
売れない芸能人の愛瑠は各出演者やスタッフへの挨拶回りで、既に疲弊を感じていた。
マイクの前に座りちらちらと周りを見渡す。
メインパーソナリティの怪談師、享楽亭 髑髏。アシスタントの霊感芸人、蝋燭 ゆたんぽ。ゲストの日比原 優香は実家がお寺で数々の霊体験を持つことで有名なホラー系配信者。
そんな中に自分がぽつん、だ。愛瑠に言わせてみれば、こんなコテコテの幽霊好きに自分を混ぜるなんてどうかしている。しかしこの「享楽亭髑髏のどろどろおどろ」は毎回ゲストの一人はオカルトに精通していて、もう一人はオカルトとは遠い位置にいそうな人を選出していた。
斉木の言う通り、リアクションが良く番組的には助かるのだろう。
透明なガラスに仕切られた向こうにはディレクターや音声など制作に携わるスタッフが座っていて、それがなんだか緊張感を強める。
「今夜も始まりました……享楽亭髑髏のどろどろおどろ……」
髑髏が恒例の挨拶で視聴者をホラーの世界に誘うと、風の音に似た効果音が入る。
「始まりましたねー。では今夜のゲストの紹介をお願いします、ゆたんぽ!」
「はぁい! 皆様先週ぶりでございます。今夜も怖がる準備は万端ですか? 本日もアシスタントは私、蝋燭ゆたんぽでございます〜」
雰囲気は一変。明るい口調でゲスト紹介が始まり、愛瑠はほっと胸を撫で下ろす。
「そしてぇ、今夜のゲストはこちらのお二人! まずはホラー好きなら知ってる方も多いのでは? ホンモノ家系の日比原優香さん!」
「こんばんはぁ! はじめましてえ、日比原優香です! この番組ちょぉぉ好きでぇ、よく聴いてるのですっごい嬉しいです〜」
「お! そうなんだぁ、いいねえ。どう? もうなんか感じてる?」
「ええ〜、なんかぁ、言われてみればちょっとここ寒いですよねえ」
「わかる! このスタジオ、番組始まると冷えるんだよ」
気味の悪いことを言うな! 愛瑠は心の中で悪態をついた。あんなのでまかせに決まってる。霊感商法だ。幽霊なんて! 幽霊なんて! そう言い聞かせていないと逃げ出してしまいそうだった。
「もう一人はこの方、グラビアアイドルの小方愛瑠ちゃーん!」
「こんばんはぁ! お邪魔しま〜す。チャームポイントはお尻のほくろ、あらゆるあなたの心の愛人、小方愛瑠でえす」
「あらあらぁ、聴いてる人は見られないのが残念だねえ」
「髑髏さんにはあとでこっそり、うふふ」
「見せてくれるの〜? いやぁ、いいねえ、グラビアアイドルちゃん!」
尻のほくろの何がいいのかと内心では更に悪態をつきながら、マネージャー考案の挨拶をすらすらと述べる。この口上も何度したことか。お化けより余程気味が悪い自己紹介である、と自己評価は低いもののそれなりに空気を盛り上げた。