4
突然のことに理解が及ばず風だけが僕とロレーナの間を吹き抜ける。これまでに無かったシチュエーションに言葉が出ず少しの間沈黙に包まれた。
そうして無理やり絞り出した声はなんとも情けないものだった。
「…どうして?」
「突然のご無礼、お許し下さいませ。それでも譲れないのです。」
それ以上何も言う気は無いようで、こうなったロレーナを理由もなく止めることは難しい。しかし婚約をしないことにも問題はあった。
「これは家の問題でもあるだろう?僕たちが婚約をしなければ、あとの二つの家門を調子づかせることになる。」
この街には力の持つ公爵家が四程あった。ひとつは僕の家、アヴェーチェ家。そしてロレーナのアーヴァン家。そしてもう二つ、セイロン家にハルダン家だ。この四つの公爵家は元々仲が悪かったが、それも先代まで。今となっては団結し王のために忠誠を誓うことを約束し協力関係を持った。
しかしセイロンとハルダンはお互い結託し、アヴェーチェとアーヴァンを水面下で敵対視している。そこで均衡を保つために思案した結果、この婚約が取り決まったのだ。
「…それは幼い私にも分かっていますわ。」
「君の独断で決められるものじゃない。君にほかに想い人でもいるのなら、」
「そんな人!いるわけないじゃありませんか!」
荒げられる声に驚きを見せれば口元を覆い俯いて伏せ目がちにため息をついた。
「…分かった。けれど僕たちだけの話ではないから。向こうで父上たちと話そう。」
手を差し出せば困ったようにロレーナは戸惑って、遠慮がちにゆっくりそれに答えた。
ロレーナが婚約を拒むことは今まで一度たりともない。少しづつ変化してしまっているのだろうか、そう考えたが同じ人生など一度もなかった。
それならばこうなったことも頷ける。薔薇の咲いた庭園をゆっくり歩き彼女の手を引いて会話もなく父たちと合流する。
「おぉ、もう仲良くなったのか!」
「あらあら、可愛らしいわねぇ」
父と母、そしてロレーナの両親もニコニコとこちらに視線を向ける。その視線に耐えきれなかったのかロレーナはう、と小さく声を漏らした。
「お、お父様、お母様、お話が…」
「ははは、せっかく話すなら私達じゃなく二人で話しなさい。」
聞く耳持たず、と言った感じでロレーナは打つ手なしと思ったのかがっくりと肩を落とした。テーブルに用意されたたくさんのお菓子を無言で食べ始めたので僕もひとつお皿に分けて口に含んだ。
「ロレーナ、って呼んでも?」
「ええ、お好きにどうぞ」
「僕のことはエディでいいよ」
そんなたわいもない話をする度にロレーナはため息をついた。なるべく話をしないようにか、彼女の頬がまん丸になるくらいお菓子を詰め込んでいた。
そんな彼女を見てつい笑みがこぼれてロレーナが好きなマカロンを取り分けて彼女に差し出した。
「マカロン!…は、わ、私のところからは取れなさそうでしたので、感謝致しますわ」
「言ってくれれば僕でもヴァンでも取ってあげたよ。食べたいものが取れなかったら言って」
「い、いえ!結構ですわ。それより、エディ」
少し声が小さくなってテーブルに乗り出して僕に話しかけた。
「どうしてお父様たちに言って下さらないの?私が言っても聞く耳すら持ちませんわ」
「だって僕は婚約に反対じゃないし。むしろ婚約したいのに言う必要なんてないだろう?」
すると彼女はきつく僕を睨んだがそんなものに怯むほど時を重ねてはいなかった。
「貴方のためでもあります。…噂はご存知でしょう」
噂、というのは嫌でも耳に入るものではあるがそれだって大したものではないし、それにそんなものに踊らされるには、君を知りすぎた。
「君が年相応にわがままだってこと?別に出てきたお菓子が気分ではなくて取り替えてもらったことくらい可愛いものだし、そんな事気にするくらいなら噂を立てた人間を探し出してさっさと解雇した方がいいと思うよ。」
「それは序の口ですの!美味しくない料理を出されてわざと食器を落としたり、洗濯物を干していた使用人に内緒でこっそり地面に落としてみたり…とにかくそれはもう酷いものですのよ!」
「自分の悪評なのに自信ありげだね…まぁそんな事どうだっていいよ。」
なんですって!と悔しそうに下唇を噛んで涙目になるのは前と変わっていないらしい。
そしてその行動に理由があることだって知っていた。
たまたま料理に虫が入り込んでしまい、それを気づかれないようにわざと食器を落としたり、使用人が転んでしまって汚れたシーツをわざと自分が落としたことにしたり、それを彼女の家の使用人はとても感謝していたはずだ。しかしその事が悪い方向で外に流れているのならどこかに裏切り者がいるのだろう。
…それも前の時間では見つけることが出来なかったが。
「君が僕を好きにならなくても、僕は君を絶対に守るよ。」
だから安心して、ケーキの上のいちごを口に含んで甘酸っぱい風味が口内を刺激する。
その言葉にロレーナは返事はしなかった。そして時間が過ぎ彼女の両親とロレーナは帰っていた。
上機嫌な両親とは裏腹にロレーナはどこか哀愁を漂わせて馬車に乗り込んで、やがて見えなくなった。
僕も両親に疲れたから、と夕食の時間まで部屋に戻ることを伝え廊下を歩いていた。
「あっ、エディ!ねぇねぇ、どうだった?可愛い?私と仲良くなれそう?」
エレナ姉さんは僕を見るなり手を振って走ってきた。はしたないと窘めれば反省の色もなく謝罪の言葉を口にした。
「可愛いし姉さんと仲良くなれそうだよ。気が強くて甘いものが大好きだし、まぁ姉さんよりも令嬢、って感じだったけど。」
「一言余計なのよ。でも楽しみだわ!私とも一緒にお茶をしてくれるかしら」
浮き足立って笑うエレナ姉さんを見て少しだけ張りつめていた空気が一気に和やかになったことに気がついて安堵の息を漏らす。今でと違ったことに驚きはしたが、ロレーナはロレーナだった。
それならばやる事ははっきりしている。彼女が見せた一瞬の哀愁の理由は分からないが、おそらくどの時間でも敵は同じだ。姉さんを適当にあしらって部屋に入り以前引き出しに突っ込んだ羊皮紙を改めて取り出す。
彼女を守るためにはまず自分が強くならなければ、それからある程度の味方を付けること。
やることは少なくはないが今までの知識と後悔があれば必ずやり遂げることが出来る。
僕はペンを走らせて来るべき日への計画を夢中で書き殴った。