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たった一つの過去でさえここまで胸を締め付けられるのだ。それでもまたあの子に会えることを心のどこかで安堵する。
僕の秘密を明かしたたった一人の人。
僕が救えなかったあの子とまた出会うことができる。それだけで胸のわだかまりが一つ拭われた気がした。
「ロレーナ…」
婚約前に回帰したということはおそらく年齢は十一ということになる。
過去の記憶を遡ればこの歳まで家族がみんな生きているのならば今回はおそらく。
一刻も早く彼女に会わなければならない理由が生まれ、父に無理を言って少し早めてもらい、彼女に会うまでの数日。
今までの出来事を紙に整理した。
まず、これまで何回繰り返したか。正確な数字は分からないが両手では足りないことは確かだ。
それから毎回、僕の身近な人物が死んでしまうと言うこと。
魔導士にはあれ以来一度も会えていない。存在したとしても彼があの後どうなったかも分からない今、生死すら定かではない。
不自然なまでに僕の周りの人間が死んでいくのを、流石の僕も見逃すわけがなかった。しかしそれ以上の収穫がなかったことも事実。ふ、と息を吐き背もたれに体を預けているとドアが控えめにノックされる。机に広げた羊皮紙を適当にまとめ引き出しに詰め込んでから返事をする。
「入っていいよ」
すると遠慮気味にドアが開かれ、薄い緑色の髪が揺れた。
「失礼します。お茶をお持ちしたのですが…お邪魔でしたか?」
「いや、少し考え事をしててね。それよりも、もうそんな時間?」
太陽が真上から少しだけ落ちているのを見て納得して、音を立てず白いティーカップが机に置かれる。
「エドワード様は何かに集中すると時間を忘れてしまいますからね。それに、ここ最近また大人びた気がします。」
長めの前髪から覗かせた金色の瞳を細めて緩やかに笑う顔は自分よりも大人びていてその姿に気が抜けた。
「まぁ、僕も婚約の話が来るような歳だからね。もう木登りして降りれなくて泣いたりはしないよ。」
「ふふ、それもつい先日な気がしますけど。」
「ヴァン、口がすぎるよ。」
そのやりとりが懐かしい気がして頬を緩めると僕の従者、ヴァンも釣られて笑った。彼も僕の過去で一度は死んだ人間だ。
それも、僕の身代わりになって。あれは僕の十歳の誕生日パーティだったか、いろんな人間に挨拶をし、少し疲れて椅子に座って会場を見ていた時、渡された飲み物に毒が入っていたのだ。幼かったしまだ懐中時計を使い始めて間もなかった頃だったのもあって完全に油断していた。
まさか僕が狙われるとも思っておらずその飲み物を口にしようとした時、ヴァンは僕からその飲み物を奪い取って飲み干した。その行動は今となっては謎に包まれたままだが、そのまま彼は血を吐いて帰らぬ人となった。そんな彼がまた僕のそばで支えてくれているのが何度繰り返しても嬉しいことこの上なかった。
「ヴァン、君はずっと僕のそばで支えてくれるかい?」
これもいつも聞いていることだった。すると決まって彼は得意げに笑って胸に手を当て片膝をついて僕に頭を下げた。
「どんなことがあろうと、私はエドワード様にお支えいたします。」
いつもならそれで終わりなのだがこの日は何故か頭を上げようとはしなかった。どうしたのか、そう問いかければヴァンは少し黙った後顔を上げて長い前髪を揺らしてこれまで以上の笑顔を僕に向けた。
「…なんでもありません!」
俯いた時、何かを言った気がしたがよく聞き取れず首を傾げていれば彼は僕にお茶を入れ、それが飲み終わるまで側でただ、僕を見守っていた。
そうして数日なんてあっという間に過ぎ去って、彼女と会う当日。いつも通り姉に叩き起こされ次女たちにされるがまま支度を終え、時間まで庭を散歩していた。ヴァンが着いてきそうになったが邪魔だからとバッサリ切って一人庭園を何をするでもなく見て回った。
彼女が来るまでまだ時間はある。部屋でじっとしているのもなんとなくむず痒いような気持ちになりようやくゆっくりと息をつく。
少し歩いて薔薇に囲まれた噴水の近くに腰をかけて空を見上げる。
青く澄み渡った空に水の音、涼しげな風に瞼が少し重くなる。ふわりとした心地でそのまま瞼を閉じて耳を澄ませた。
水の音でさらに静寂が強調されるように胸の奥に落ちて消えてを繰り返す。
「いつもこれだ。」
手を空に翳してオレンジ色に縁取られた指を角度を変えて今度は力一杯握りしめた。自分の弱さを握りつぶすように。すると足音が遠くから、段々と近づいてくるのが分かる。
後ろから近づく足跡は次第に大きくなり僕の少し後ろで止まった気がした。
「ヴァン、呼びに来るのはいいけれどもう少し静か…に……」
振り向いて顔を上げればそこには燃えるような赤にガーネットの石をはめ込んだような瞳。色を認識した途端心臓が大きく鳴った。
「あ、」
小鳥のように少し高くてまだ幼さを含んだ声色に弾けたように体が動く。彼女の小さな体を無意識に抱きしめて彼女の温もりを肌に感じた。それに安堵して力が入ってしまうのに気が付かないまま、少しの間その状態が続いて、彼女はたまらなくなったのかゆっくりと言葉を口にした。
「あ、の…エドワード様…?」
その声に我に返って体を慌てて離す。今までそんなことをしたことをなかったが、一つ前の過去があまりにも記憶に残っていて無意識に体が動いてしまっていた。
改めて彼女を見つめる。淡い色のドレスは彼女の髪を引き立てて懐かしい気持ちになったが、それを胸の内にしまって謝罪を口にする。
「ロレーナ嬢、どうかご無礼をお許しください。」
「と、とんでもありませんわ。私こそ、不躾にお庭に入り込んでしまい申し訳ございません。」
さらりとした佇まいに品の良さを感じさせて軽く頭を下げる。
「いえ、ところで何故此処に?直々に僕を呼びにきたわけじゃないと思うのですが」
そう問いかければ一度肩を揺らして強い瞳で僕を見据えてから顔を背けた。何か言いづらいことがあるのだろうか。
初めての出来事に戸惑いつつ彼女に対して首を傾げれば結んでいた口を開いてはっきりした声で僕に告げた。
「私との婚約、無かったことにしてくださいませんか?」