一話 邂逅
「痛てて、本気でぶっ叩きやがって」
俺は頭をさすりながら散歩をしていた。あのあと持っていたフライパンで頭をぶっ叩かれ、気を失った。
気晴らしに外出でもして、この世界を見て回ろうと思ったのだ。
街の様子は至って普通。むしろ前世で住んでいた日本とほぼ差異はなかった。
サクラユメは異能バトルや現代ファンタジーでもない、ただの学園生活もののエロゲだからな。当然といえば当然か。
「お、アレはもしやユメノ喫茶ではないか?」
ユメノ喫茶とは物語終盤で主人公がヒロインにプレゼントを贈りたいという想いで、ヒロインに内緒で影宮直之の紹介でバイトをするところだ。
それ以外にも修学旅行の話し合いや、落ち着きたい時にやらで主人公やヒロインたちがちょくちょく訪れる場所でもある。
影宮直之、つまりは今の俺のおじさんが経営しているところだ。
まあ今の俺にそんな記憶なんてないし、行っても初めましてだし、何を話せばいいか分からんからとっととここを離れるとしよう。
そのとき喫茶店のドアが開く音が聞こえ、中から制服を着た中年男性が出てきた。
もしやアレが直之のおじさんなのか?
そう思って注視していると、その男性と目が合いチョイチョイと手招きされた。
やはり直之のおじさんか、早く離れるべきだった。だが呼ばれているのに無視したら、それは人間としてマズイ。
仕方なく俺はその男性の方へとトボトボとあゆみよった。
「ど、どうも……」
「…………」
男性は何も喋らない。
そういえば、寡黙な人だったよな。主人公とも一言二言しか話さないし、「いらっしゃいませ」か「ごゆっくり」くらいしかゲームじゃ聞いたことない。
「えっと、何かご用ですか?」
そう言うと男性は不思議そうな顔をする。どうしたんだ?
「何故……今さら敬語で話す?」
やっと口を開いたと思ったら男性はそんな疑問を問いかけた。
そういえばゲームじゃ、結構軽いノリで話してたな。
そりゃ普通は身内に対して敬語は使わないけど、俺にとっては初めましての人なんだよな。
だとしても今の俺は影宮直之なわけだし、この世界で生きるのなら、ある程度は演じなければマズいか。
「いや、なんでもないっす。それで、何の用?」
こんな感じでいいだろうか。
「……直之」
「うん」
「入学……おめでとう」
ゆっくりとおじさんはそう言う。わざわざ呼び止めてそれだけ言いたかったのか?
そう思っていると続けておじさんは言う。
「入学祝い……まだ、渡してなかった……」
おじさんはそう言って懐から分厚い封筒を取り出し、俺に手渡してきた。
「あ、ありがとう……」
封筒の中身は札束が数枚入っていた。この世界の通貨単位ってどうなんだろう?
「こ、こんなに貰っていいの?」
「気にするな……」
そう言っておじさんは店の中へと戻って行った。
息子でもない俺にここまでしてくれるとは、表には出さないけどかなり甘やかしてくれる人だったりするのか?そんな裏設定があるのかな。
だとしても中身は直之じゃねーし、少々罪悪感が……
再びトボトボと俺は街へと歩き出した。
◇
「へへへ、結構いいなこれ」
俺はその足でデパートに行き、そこそこお高いジャケットを購入した。
店のショーウィンドウに映る自分を見て、様々なポーズを決めていた。
側から見れば不審者に見えていたであろう。
「うーん、意外と悪くないな」
おじさんから貰った金はまだまだ余裕があるし、小腹も空いたので適当に飯でも食べようかな。
そう思ってデパートを出る。
さっき来た道を戻ると例の喫茶店のある商店街だ。そこでヒロインたちと買い物するんだよな。
あれは文化祭編だったか、主人公の選択によって出し物が変わって、ヒロインの好感度が上下するんだよな。
何度もロードして全ての選択肢を選んで、それぞれのヒロインの喜ぶ心の声を聞いたなぁ。
そんな懐かしいことを考えていると、商店街の方向からいい匂いが漂ってきた。
「うーん、いい香りだ」
俺は結局、来た道を戻って商店街で適当に飯をとることにした。
そう思って引き返そうとした瞬間、悲鳴が聞こえてきた。
「や、やめてください!」
「いいじゃねえか、こっち来いよ」
声がした方を見ると、ザ・DQNといった格好の連中が一人の女の子を路地裏に連れて行くのが見えた。
おいおい、こういうテンプレイベントは主人公が出くわすもんだろ。いや、主人公が入学前に〜なんて後々判明することもあるし、もしやどこかに主人公がいるのか?
俺はそんなことを考えながら呑気に影からその様子を見ていた。
もしこの推測が本当なら迂闊に手を出すべきじゃないし、今後の展開が変わってしまう可能性がある。
心の中で謝りながらDQNたちの様子を見ていた。
「誰か助けて!」
「可愛い声で泣くねぇ」
「だーれも来ないよー」
DQNたちは各々楽しそうに女の子の服を剥いでいった。
うう、心が痛い。主人公、近くにいるなら助けてやれよ。
周りを見ると誰も路地裏に見向きもせず、素通りしていた。
ふと思ったが、今の俺は暴漢を傍観しているただのクズじゃないか?
暴漢を傍観だなんて上手いことを言ったつもりはないが、ゲームなら「ここで女の子が襲われて〜」なんて話になって、へーと思うだけだが、ここは現実だ。
俺はそんな事件をただ見ていた傍観者で、何もしなかった人間のクズだ。
「うう……」
それにあの子がどうあれ、この現実の世界で生きている一人の人間なのだ。それを放置するだなんて後味が悪い。
「……お巡りさんこっちです!」
俺は影に隠れたまま大声でそう叫んだ。
「ちい!やばい、逃げるぞ!」
「ずらかれ!」
「クソ!」
DQNたちは蜘蛛の子を散らしたように逃げていった。
こっそり路地裏を覗くと女の子が半裸で残されていた。
俺もその場を立ち去ろうと考えたが、あのまま放置するのは人としてどうなんだろうか。
「……あー、お嬢さん。大丈夫ですか?」
「っ!」
俺が声をかけると女の子は警戒するかのように体を強張られせ、俺を睨みつける。
あんなことがあった直後なんだ。警戒されて当然だ。とりあえず上半身を何かで隠して……!
その女の子と目が合い、俺は驚愕した。
茶髪のショートヘア、そして眼鏡をかけ見た目は地味っ子ぽい印象。間違いない!
こ、この子は『佐渡沙苗』ちゃんじゃないか!
サクラユメの攻略ヒロインの一人で、主人公と同じクラスで学級委員長を務める真面目キャラだ。
唯一のメガネキャラであるため高い人気もある。確か特徴としては男嫌いというのがあり、主人公らに対しても最初は「これだから男って生き物は」なんて小さく呟いていたのが度々見られた。
多分、男嫌いになったのって今のイベントのせいだろうな。
それにしてもええ格好ですなぁ……って、何考えてんだ俺は!
「……えーっと、とりあえずこれを着てください」
そんなことを考えている間も沙苗ちゃんは俺を睨み続けていたので、俺は先ほど買ったジャケットを脱いで手渡した。
「…………」
沙苗ちゃんは十秒ほど俺が手渡したジャケットを睨みつけていたが、渋々といった様子でそれを受け取った。
とりあえずこれ以上関わったら今後の展開が変わっていく可能性がある。
「そ、それは差し上げますので僕は失礼しますっ!」
そう言って俺は足早にその場を立ち去った。
ああ……あのジャケット、数万したのにな……
でも、いいもん見られたな。まさかゲームが始まる前にヒロインの半裸の姿を拝めるとは。
って、沙苗ちゃんは同じクラスになるキャラだろ!
嫌でもまた関わることになるだろ!向こうからしたら自分の裸をまじまじと見ていた人物と同じクラスになるってことだろ!
うーわ、終わったわ。俺の学園生活、せっかく知識を活かしてヒロインと良い仲になれると思ったのに。
自宅に帰ってからも俺はずっと頭を抱え、そのまま一週間が経過してしまうのだった。