第3話
どちらが千鶴の髪にドライヤーをあてるかでこどもたちが争っている間に自分で髪を乾かし、夕餉の卓についた。
こどもらは猫に戻ってカリカリをむさぼっている。半人前の彼らには人間のごはんは危険なためだった。
祖父の愛用していた錫のちろりでぬるめの燗をつけた純米酒でまずは一杯……といきたいところだが、鉄は千鶴が空きっ腹に酒をいれることを許さない。
胃壁を保護せずに酒を口にすることは許されないのだ。
酔って正体をなくしたことがきっかけで出会うことになったので、千鶴はそれに逆らうことが出来ない。
……逆らったらごはんも没収されるし。
「いただきます」
割烹着を脱いで向かいに座った鉄となんとなくタイミングをあわせて頭を下げ、千鶴はためらいがちに箸を手にした。
かぶの形の箸置きにちょこんと乗せられた塗り箸である。
祖母は箸置きを集めるのを趣味にしていて、炊事場の戸棚にたくさん仕舞われているのだが、鉄はそこから千鶴の気に入りそうなものを選んで食卓を彩るのを日課にしている。
千鶴の気に入りそうな、というのはただの自惚れかもしれない。
千鶴ひとりで暮らしていたなら埃をかぶるだけだっただろうそれらが、鉄の手で清められ息を吹き返して生活の中に息づいていく。その不思議を、千鶴は食事の度に噛み締める。
「ごぼうが入ってる」
一口啜った豚汁に、いつもは入らない具材が混入しているのに気付いて千鶴は思わず呟いた。
「たまにゃいいだろ。おまえいっつもきんぴらにしろってうるせえんだよ」
「だって好きなんだもんよ」
「でもたまにはごぼうだって他の食べ方で味わって欲しいかもしれねーだろ」
「鉄ってたまに可愛いこというよね」
「はあ?たまにだァ?」
ちろりから猪口に酒を注ぎながら、鉄は不服そうに顔をしかめて見せた。
「俺はいつでも可愛いだろ?」
「そうだね。割烹着姿もずいぶん板についてきたもんね」
ふふんと得意げな吐息をもらして、鉄はなみなみと酒の注がれた猪口を差し出してくる。
こんなところは完全に犬なんだよな、と猪口を受け取りながら千鶴は失礼な事を考えた。
人ならぬ身の鉄だが、心の声を聞くまでは出来ないらしいので思うだけならば自由なのだ。
「前から言おうと思ってたんだけどさ」
ちびりと酒を舐めて、熱くなった舌で千鶴はようやくそれを言った。ずっと言おうと思いながら言えずにいたのは、迷っていたからだ。今も、迷っているままではある。
「割烹着、サイズあってないよね。新しいの買いにいく…?」
おそるおそる口にした提案に、鉄は嬉しそうに顔をほころばせた。
「新しい割烹着は嬉しいけど」
笑みを浮かべたまま、けれど鉄が聞かせたのは断りの文句である。
「……俺は今のが気に入ってる」
「つんつるてんなのに……」
残念に思うと同時にどこかでほっとした気持ちで、千鶴は憎まれ口を叩いた。
「つんつるてんでも」
柔らかな口調ながらにきっぱりと鉄は言って、それでこの話はおしまいになった。
大きな手がのびてきて、わしわしと千鶴の頭を撫でる。
その手があたたかいので、千鶴は泣き出しそうになるのを必死に堪えなきゃならなかった。