第3話 ご機嫌な小次郎
助けた少女はこの村の村長の孫だった。お陰で小次郎は色々な物を食べさせて貰った、勿論食べた事のない木ノ実や獣の肉等だったが小次郎は口に入るものなら何でも食べるのだった。
「いや~美味いでござるな。何の肉か解り申さぬが腹に貯まるでござるよ」
大量に出された獣肉を小次郎はニコニコしながら食べた。この当時の日本人にしては珍しく小次郎は肉が大好きであった、とはいえ実家では肩身の狭い3男坊、腹一杯肉を食べたことなど一度も無かったのだ。何時もは漬物でご飯の1坏目を食べ、2杯目は味噌汁で、そして3杯目はお茶漬けで食べるのである。まあ早い話が米でカロリーを摂取しているのである、一日中身体を動かしている小次郎にとっては中々に辛い食生活であったのだ。
「いや~美味そうに食べるな。孫を助けてくれた礼じゃ、好きなだけ食うと良いぞ」
「かたじけないでござる、拙者こんなに沢山の肉を食べたのは初めてでござるよ」
小次郎の食べっぷりに感心した村長は小次郎にドンドン肉を勧めた。そして孫娘も小次郎に木ノ実や果物を勧める。2人の勧める食物を有り難く頂く、生まれて始めて満腹を知った小次郎である。300石取りの旗本が実家であるが、300石の領地の権利を持っていると言うのが本当の所で当時は四公六民が普通であったので手取りは120石、そして格式を保つための金子が掛かるので実情は余り豊かでは無かった。勿論普通の武士からすれば充分豊かなのだが、長兄と次男が良い役に就くための賄賂に消えて行ってたのであった。つまり小次郎は兄2人のとばっちりを受けて腹一杯食えなかったのだ。だがまあ当時の日本では家を保つのが一番大事な事なので、小次郎も不満は有ったが仕方ない事として諦めていたのであった。
「良い食いっぷりだったな、名前は?随分強いようだが何者じゃ?」
「おう、これは御無礼であったな。拙者旗本家の3男で小次郎と申す、よしなに頼み申す。強くはござらんが剣術の師範代をして食ってます」
「旗本?師範代?」
「小次郎、何それ?」
「ありゃま、ここには旗本はないでござるか?剣術を教える師匠とかも無いでござるか?」
「始めて聞いた、何じゃそれ?」
この国の事は良くわからないが、小次郎は実家の旗本の事を村長に話してみた。旗本というのは将軍の親衛隊である事、実家は300石の領地を持っている事。そして戦の時には実家は100名程の戦士を率いて戦う事等。そして自分はその家の三男で剣術を教えて生計を建てている事等等。
「何と!小次郎は貴族の3男だったのか。高貴な生まれじゃったのか!」
「高貴と言われると違う様な気がするでござるが・・・・・・確かに身分は高いでござるな」
この異世界では領地と兵士を持つと言う事は貴族と言う事である。一番身分の高い者の親衛隊と言う事は、この国では騎士団クラスの身分、そして兵士100人を持つと言う事は上級騎士か男爵クラスの身分であった。つまり間違いなく村人や平民より偉いのである。そして剣を教える教官と言う事はかなりの名誉と地位が有ると言う事であった。まあ確かに旗本でも200石を超えているので武士の中でも上士と呼ばれる上級武士では有った、最も平和続きで身分は有っても商人より貧しいのが普通であったのだが。
「しかし、全然貴族に見えんな!偉そうな所が全く無い。大したもんじゃ」
「偉そうにしてても飯が食えないでござるよ。弟子たちには嫌われない様に生きてきたでござる」
剣術の師範として弟子達の顔色を伺いながら、また実家の兄上や兄上の嫁に嫌味を言われないように愛想を良くして生きてきた小次郎である。偉いのか偉くないのか良くわからないが、結構したたかに生きてきた男であった。
「ご馳走様でした」
腹一杯食べさせた貰ったお礼を言う小次郎、両手を合わせて軽くお辞儀をする。こういう所に小次郎の育ちの良さが出ていた。
「のう小次郎さん、一つ頼みが有るのだが。良いかな?」
「拙者に出来る事ならやりますが?最も拙者不器用ゆえ剣術しか取り柄がないでござるよ」
腹一杯になって機嫌の良い小次郎は村長に軽く笑って返事をする。1宿1椀の恩が有るので、出来る事なら何でもするつもりだ。特に薪割り等は大の得意である、計算等は苦手なので勘弁して欲しい所だが。
「何、小次郎さんに出来る事じゃよ、村の男衆に剣術とやらを教えてやって欲しいのじゃ、最近魔物が増えてきたので用心したいのじゃよ」
「な~んだ、そんな事でござるか。簡単でござる、むしろ拙者はそれしか出来ないでござるよ」
簡単な仕事に安心した小次郎は、村長の娘が用意してくれた湯を使い身を布で拭いて早々に用意された部屋で寝ることにした。この世界には布団が無いようで板の上に毛皮や敷物を引いた寝床であった。元の世界では煎餅布団に寝ていたせいか、不思議と平気な顔をして熟睡する小次郎であった。ここら辺が現代人と違った逞しさと切り替えを持つ昔の人間の強さかも知れない。
そして次の日の早朝、まだお天道様が登る寸前、小次郎は何時もの様に目を覚ます。武士であるから当然の様に目ぼけたりはしない。起きた瞬間から戦闘でも全力疾走でも自由自在である、勿論日頃の鍛錬の結果である。寝床から起きだした小次郎は家から素早く出て、毎日の鍛錬を始めた。これは20年前から1日も欠かさず行っている鍛錬である、1日サボれば3日は遅れると言う師匠の言葉に従い毎日行っているのだ。
では一体どういう稽古をしているのであろうか、この毎日の稽古に月影流の強さの秘密が隠されているのだがこの次元の稽古が出来るのが小次郎と師匠だけなので余り参考には成らないかも知れない。
先ず姿勢を正す。正しい姿勢から正しい剣の振りを行うためだ、そして正しい姿勢をとった小次郎はまるで背中に鋼鉄の棒を入れているかの様に真っ直ぐに立っている。そしてゆっくりと剣を振る、一つ一つ体が正しく動いているかを確認しているのだ。そしてこの姿勢と剣の振りを傍から見ていれば最適な剣の振り方が分かるのである。そして徐々に振りの速度を上げてゆく、先ず剣先が見えなくなり、次に剣の中程が見えなくなる。この位の速度になると風きり音が聞こえてくる、そして最高速度になると手首まで見えない速度で素早く剣を振る。これを毎朝1000回。そして次に突き技、同じ手順で行われる突き技も毎朝1000回これを毎日行って20年、これが小次郎の強さを支える朝稽古である。因みに合わせて2000回の素振りだが僅か30分ほどで終わる、如何に早い素振りかお分かりだろうか。
「おはよう、小次郎殿。早いの」
「おはようございます、長老殿。早起きは毎日の癖でござるよ」
丁度良い具合に体も温まり、喉も乾いてきた所で朝飯を頂き小次郎はご機嫌である。もう少しすれば村人を集めて剣術を教えるのだが、師範代になってから毎日やっている事なので緊張の欠片も無い小次郎であった。ここら辺も生まれが良いが故の余裕と言うものなのかも知れない。