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気まずげに言われて反応に困り、鳴海は言葉に詰まる。加奈子は、横にいる葵に「ごめんなさいね」と謝ってから鳴海に向きなおった。
「オーナーのお人柄は、旭先輩から聞いてそれなりに知ってましたし、素敵な人だなってずっと思ってました。でも実際にお店に伺って、オーナーの作品をいただいた途端、完全に魅せられてしまって」
「なんとか取り持って、橋渡ししてくれって詰め寄ってきたときのカナの迫力、そりゃもうすさまじかったよ」
おどけた口調で言って、旭は外人のような仕種で両手をひろげて肩を竦めた。
「漠然とした憧れから、絶対に諦めきれない存在に変わってしまったんです。どうしても諦めきれなくて。でも、いざ先輩の口添えでお店に入ってみたら、オーナーの隣には、もう葵ちゃんがいて」
加奈子が言うのを聞いた途端、鳴海の横で葵が「え?」と声をあげた。加奈子が店に入った時点では、鳴海にとっても葵にとっても、お互い、ただの雇用主と従業員の関係にすぎなかった。だが、加奈子の目には、違って見えたということか。
加奈子は穏やかに笑ってその困惑を受け止めた。
「当事者の気持ちがどうだったかは別として、あの時点ですでに、ふたりのあいだにはだれにも入りこめないような絆がしっかりできあがっちゃってましたよ?」
葵に笑いかけて、鳴海にも頷きかける。
「だから毎日、葵ちゃんには敵わないなぁって落ちこんでました」
はじめて聞かされる事実。
そんなそぶりなどいっさい見せることなく、加奈子は事務的な態度に終始し、仕事に専念しているように見えた。
「あ、え? でも加奈子さんっ」
葵も思いがけない告白に動揺したのだろう。あたふたとした様子で声を上擦らせた。そんな葵に、加奈子は気安い調子で「だからごめんね」と笑った。
「悔しくて、葵ちゃんにちょっぴり意地悪しちゃったかも」
「え?」
「ちょうどバレンタインっていう時期的なものもあったんだけど、殊更牽制するような空気作って、葵ちゃんにはかなりの疎外感、味わわせちゃったかな」
「いや、でも実際あのときは、厨房内もかなり殺気立ってて、店側との意思疎通を図るのも難しかっただろう」
鳴海がすかさずフォローを入れたが、加奈子はこれにもかぶりを振った。
「それとはまた違った意味で、防御線張ってたんです。たぶん、女同士ならではのバリアっていうか」
戸惑う鳴海の目の前で、加奈子と葵がふたりだけに通じるアイコンタクトを交わす。それを見て、旭が、「無理無理、男の俺らにわかるわけないって」と笑った。
「で、結局そのことで自己嫌悪に陥ったカナに、俺がくだを巻かれる役目を割り当てられたっていう」
話についていけないまま、どんどん展開していく内容に、鳴海はただただ呆気にとられてポカンとするばかりだった。
「いやあ、もうバレンタイン終わって以降、どんだけ呼び出されたかわかんないよね。『あたしって、すっごいイヤな女なんですぅ!』とか言ってさ。鬱屈抱えてるとこに酒が入るもんだから、絡む絡む。たちが悪いのなんのって」
「だからっ、それはさんざん謝ったじゃないですか!」
普段、いかにも落ち着いた雰囲気の、大人の女性然とした加奈子が顔を赤くして旭の肩をひっぱたいた。旭は声をあげて笑う。
あのときはさまざまな事情が重なって、鳴海自身もまったく余裕が持てない時期だった。だが、店のことについては、経営者としてそれなりに気を配っていたつもりだった。それがいざ、こうして蓋を開けてみると、肝腎な部分はまったく見えていなかったことになる。自分がいかに至らない雇用主であったか、まざまざと痛感させられる思いだった。
「不甲斐ない経営者で、本当に申し訳ない」
「いやいや、フリーの年頃の女性が、りょうちゃんみたいなイイ男と毎日一緒にいて、なにもないほうがおかしいって。っていうかさあ、りょうちゃんもいい加減、自覚したほうがいいんじゃないの~。女子の好感度高い人なんだから」
「いや、俺はべつに……」
朗らかに言う旭の斜向かいで、葵がうんうんと力強く頷いている。加奈子がそれを見て、おかしそうに笑っていた。
「まあ、ともかく、俺はそんなわけで、りょうちゃんとの橋渡しをした責任上というか、もともとカナの先輩でもあったっていう立場上、いろいろ恋愛相談なんかも受けてたわけだよ。だけど、それがいつのまにか、どういうわけか妙な具合になっちゃってね」
「え?」
今度は鳴海の口から疑問の声が漏れた。
まじまじと向かいの席を見やると、なにやらふたりのあいだに微妙な空気が流れている。
「……え?」
思わずといった具合に、もう一度繰り返していた。
「いや、まあその、なんていうか、知り合ってから10年、ずっとただの先輩後輩の間柄だったはずなんだけどね」
皆まで言わずとも、その様子を見れば、どういうことかははっきりわかる。
「え? だって旭くん、付き合ってた彼女は?」
あまりに想定外の流れに、つい加奈子への配慮が欠けた。思ったままポロッと口にしてしまってから、鳴海はしまったと内心で舌打ちをする。だが、旭はなんでもなさそうに応じた。
「あ~、あれね。じつはりょうちゃんには言ってなかったけど、半年前にフラれた」
「……え?」
「いや、俺も大概いい年じゃん? 実家住まいだけどとっくに30過ぎてるし。相手もまあ、大体似たり寄ったりって感じだったから、わりと本気で焦ってたみたいでね」
「結婚話、うまくまとまらなかったのか?」
「あ、うん、まあ。っていうかさ、俺が正直、その気になれなかったっていうか」
煮えきらない口調で応じた旭は、いささか言いづらそうに口を濁した。
「なんかちょっと、俺自体が結婚そのものに踏み切れなかったんだよね。姉貴のこととかもあって」
「……ひょっとして、俺のせいか?」
「違うよ。りょうちゃんがどうこうっていうわけじゃない。俺自身の気持ちの問題」
旭は即座に否定したが、原因はやはり自分にあるのだと鳴海は理解した。