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店内で、ふたりの男女が買い物をしていた。
午後11時過ぎ。カゴに入っているのは簡単な惣菜と弁当、それに数種類の飲み物。アイスケースのまえで、食後のデザートを買うか否かで揉めている。
え~、だってこんな時間に甘い物なんか食べたら太っちゃう。アイスは太らないってよ。ウソ、絶対太るもん! んなこと言ったって、夕飯だってこれからなんだから一緒だろ。それにおまえ、全然太ってないじゃん。もう少し肉がついてもいいくらいだって。それはちゃんと摂生してるからでしょお。この体型は努力の賜物なんだからね。
楽しげに寄り添いながら、睦まじい様子でやりとりをする。男のほうは絶対に買って帰ると主張し、女は迷うそぶりを見せる。本心からではない。そんなふうに甘えて、相手の反応を楽しんでいるのだ。食べたい、でもどうしよう。自分だけ我慢しなきゃならないのはズルい、と。
深夜間近のコンビニ。客の出入りはほとんどなく、ふたりの声だけが店内に響く。その様子を、彼女は少し離れた陳列棚の陰からじっと見ていた。
腕を組み、凭れかかるようにぴったりと躰を密着させて男に甘える女。そんな女の媚びた仕種を、男はそれと知りながら、まんざらでもなさそうな様子で受け容れる。
ふたりの様子を無言で視つめる彼女の瞳に、昏い光が宿った。凄惨で、陰鬱な耀き――
彼女はぐっと手を握りしめた。そして、ゆっくりと踏み出そうとする。その手首を、不意に横合いから掴まれた。
「―――――っ!?」
驚いた拍子に、握りしめていたものが手から放り出される。金属が弾けるような鋭い音が店内に響きわたった。同時に彼女は、自分の手首を掴んだ相手のほうに引き寄せられていた。
不審な物音に、会話が途切れて振り返る気配がする。途端に彼女の心臓は、胸が破れるほどの勢いで早鐘を打ちはじめた。
――失敗した。失敗してしまった。うまくできなかった。
ワンテンポ遅れて、激しい動揺が彼女を襲う。
――どうしよう、気づかれたかもしれない。見つかってしまったかもしれない……っ。
「静かに。落ち着いて」
引き寄せられるまま身を竦ませていた彼女の耳もとに、低い声が囁いた。
頭の中が真っ白になって、なにが起こったのか理解できなかった。心にあるのは、激しい動揺と恐怖、ただそれだけ。
どれぐらいの時間、そうしていただろう。永遠にも思われたその時間は、実際のところ、数秒にも満たない程度だったのかもしれない。気づけば話し声が再開し、ふたりがレジのほうへ移動していく気配が感じ取れた。アイスを買ったのかどうか、彼女にはもはやわからなかった。
自分の視界を塞いでいた壁が、突然動く。彼女はそれで、自分がだれかの胸に抱きこまれていたことを理解した。先程耳もとで響いた低い声と、密着していた躰の感触、胸の厚みや背の高さから、相手が男性だったことをようやく認識する。彼女を解放して屈みこんだその男は、何気ない様子で足もとにあるものを拾い上げた。
彼女の手から取り落とされた、買ったばかりの果物ナイフ。
床に落ちたそれを、男は靴底で踏みつけ、咄嗟に人目から隠したようだった。
――だれ……?
「カバーは?」
静かに訊かれて、彼女は茫然としたままバッグから取り出したものを差し出した。男はそれを受け取って刃先を納めると、己のズボンのポケットにしまいこんだ。それからふたたび、彼女の腕をとる。
「来なさい」
うながされるまま、彼女はおぼつかない足取りで男とふたり、店をあとにすることとなった。