アンゼリカのお話その2
全く事の重大さが分かっていなかったのは俺の方だった。
「アフォガード…お前には悪いがヴァルヴィリエ公爵令嬢とは婚約破棄してもらう。」
何故だろうか、おれは完璧に与えられた役割をこなしてきたし彼女に嫌われる様なこともしていない。
「何故でしょうか…私に何か至らぬ点が?でしたら指摘して頂ければ治します…ですので、彼女との婚約破棄は「少し前に少女を押し倒しただろう。あれでも隣国の姫だそうだ。責任は重いぞ。」押し倒した訳では有りません!彼女が倒れ込んできたのです… 」
それ以上発言を許さないと言わんばかりの視線を俺に向ける父に若干の嫌気がさした。
「あの…あに…殿下…婚約破棄の件お聞きしました…やはり、ラズベリー様の方がお好きなのですが?私では駄目なのですか?」
「そんなことは無い…すまない。」
少女が隣国の姫であるという事は父である王に箝口令を敷かれてしまった。事細かに全てを不安そうに俺を見るアンに説明して上げたいが謝ることしかできない。
「アフォガードさまぁリズぅアフォガードさまの好きなお菓子を作って来たのよぉ!!」
彼女が手に持っていたのは焼き菓子だった。俺が好きなのは彼女が作ったお菓子では無くてアンが作るお菓子なのだ。彼女のお菓子は令嬢であるはずの彼女が作ったものなのに庶民が作る様な華美でなく素朴で優しい味がするのだ。少女が作ってきたお菓子はと言うと飾り立てられていた。こんなものは食べたくないと心の奥底から誰かが叫んでいるがそんな事は気にしていられない。少女の機嫌を損ねるとどうなるか分からないのだ。それ程までに隣国のリズ・ラズベリー・ティオールの残忍さは知れ渡っていた。
「えぇ、ありがとうございます。ラズベリー嬢は料理がお上手でいらっしゃるのですね。」
それから数日後隣国の姫がいじめられていると言う噂が流れた。その内容は卑劣窮まるもので置いておいた教材類は切り刻まれて庭の噴水の中、体力作りの授業で脱いだ制服は切り刻まれてロッカーの中、毎日履く上靴はゴミ箱の中。
ある日、アンとの思い出を懐かしみながら、庭を歩いていた。浮かんでくる思い出はどれも控え目に笑う彼女の顔だけだった。いつから…彼女は俺に満面の笑みを見せてくれなくなったのか…物陰から何かを落として踏み潰す様な派手な音と口汚く罵る声が聞こえた。
「あんた、何者なのよっ!!悪役令嬢は悪役令嬢らしくプギャーされろよ!!このままじゃ、リズがアフォガードさまとのhappyendingにたどり着けないじゃない!!このブスっ!!ちゃんと仕事しろよ!!」
急いで駆けつけると地面に倒れ込んだアンと周囲に散らばるアンが心を込めて作ったであろうお菓子。俺に振る舞われることは無くなったが彼女の友人らが楽しみにしているものであろう。今では粉々になり見るも無残な姿だが。
「…どうして…どうして処刑されることが分かっていて貴女の為に貴女を虐めなければならないのですか…?私を虐めるだけで気が済まないのですか?」
ふと、彼女を見るといつもの制服は着ておらず体力作りの時にきる動きやすい格好をしていた。上靴も買い換えたばかりであろう事が推測できるような真新しいものに変わっていた。彼女はものを大切にする人だから気まぐれで新しいものに変えたとは思えない。その言葉がカンに触ったのか少女が腕を振り上げた。パンッと大きな音と共に頬に痛みが走る。
「1度ならず2度も無抵抗の人間の頬を叩くとは…ティオール王国も地に落ちましたね。」
少女を睨みつけアンの手を引いてその場から離れた。アンは小刻みに震えておりそんなにも怖い思いをしたのかと思い少女をどう断罪するかだけを考えた。
少女は俺に言われた事を指して気にせず苛められたフリを続けていた。その事に気づくと何もかもあからさまだったので着々と証拠を集めていく。
「アフォガードさまぁリズぅアフォガードさまの大切な物が欲しいなぁ…その代わりにぃリズの大切なものもあげるねぇ。」
彼女は相変わらず甘ったるい声で俺に話しかける。そのたびに俺は彼女への好感度が下がって行くことに気がついた。あぁ、少女はいつまでこの茶番劇を続けるつもりなのだろうか?俺の心は出会う以前から彼女とは別の人間にあると言うのに。
「アフォガードさまぁ!!卒業式の日にあの女との婚約破棄を発表しましょう!そして、リズとの婚約発表をするのです!!」
まさに渡りに船だった。発表するのはアンとの婚約破棄では無くこの女の悪事だが。流石に社交界から永久追放は叶わないだろうが、教育しなおされるだろう。そうなればその間にアンと結婚してしまえばいい。
「アンゼリカ・ヴァルヴィリエ。前へ」
彼女をフルネームで呼ぶことに不満があったが少女の指示だ。どういう訳か少女は俺の影でぷるぷると不安そう触れえているフリをしていた。しゃしゃり出て来る気は無いようで好都合だ。
「はい…何でしょうか殿下。」
若干声が震えていた。たどたどしく挨拶をしていた頃が懐かしい。
「貴女が彼女…リズ・ラズベリー・ティオールにされた事を教えて欲しい。」
少女がギョッとした顔で俺を見たが気にしない。アンが震えていた。その事には気がついたが隣国の姫の婚約者であると言う前提は未だ覆せていないので彼女を抱きしめることは叶わない。
「なっ…何もされておりません。」
「そうよ!!むしろ、リズが彼女にされたのよ!!」
食い気味に少女がアンの言葉を肯定した。やった事が露見すると不味いからだろう。
「ヴァルヴィリエ公爵令嬢が貴女を虐めたという証拠を。」
「その証拠は私が…」
気の弱そうな少女が出てきた。確か、隣国と繋がりを持つ宝石商の娘だったと記憶している。幾度か、宝石を買って欲しいと彼女の店を訪れたことがある。何度かアンがやった所を見たと言う証言をするが、そのたびにアンがどこで何をしていたのかを裏付けを取った上で反論する。
「望月の日の放課後刃物の音がしたので何かと思って教育室を覗くとアンゼリカ様がリズ様の教材類を切り刻まれていたのを見ました。」
「望月の日の放課後はヴァルヴィリエ公爵令嬢は八つ時より公爵家にてお茶会を催されていたはずでは?その日彼女は学校を早退しているでしょう?早退履歴を調べてみては?」
ネタを出し尽くしたのかぐっと息を呑み込んだ宝石商の娘を見る。彼女はすぐに目を逸らし空を仰いだ。
「その女がやったという証拠は無いけど私が彼女に何かをしたと言う証拠もないわッ!!」
勝ち誇った様に高笑いする少女に呆れた。転校生は賢いものだと思っていたが頭が悪い様だ。
「それで…貴女の目指すhappyendingとはなんだろうか。教えてもらえないかな?あとは、悪役令嬢だとかも。」
これは多分彼女に対して切り札になる。そう思ったからカードを切った。案の定目の前の少女は憎悪を浮かべて固まっている。アンも息を呑んだのには驚いたが。
「クソッ!大体このクソ女が仕事をしないせいだ!!死ねっ!!」
少女がどこから持ち込んだのかも分からないようなナイフを持って彼女に走りよっていく。その前に衛兵に目配せをして少女を捕えさせた。
「クソッ!!触るなっ汚いっ!!私に触れていいのは私と攻略対象だけよ!!お前らが触っていい人じゃないのっ!!」
騒ぎ立てる少女を衛兵が引きずっていく。
目の前で動きを止めたアンを抱き寄せる。
「アン…俺のアンゼリカ。もう、お前を逃がさない。」
そっと耳元で囁くと彼女は幸せそうに微笑んでから真っ赤にその白い肌を染め上げた。