焼酎が好きになった日
また、忘れてる。
あれほど約束したのに、ここのチケット買うのは大変だからって言ったのに。
「11時開演だからね、忘れないでよ!」
「ああ、わかった。必ず行くから」
ケータイの向こうで気のない返事をするのは木之元涼。
彼のどこが気に入らないかって、時間にルーズなところ。
会社でうまくやっていけてるのかしら。
時間が守れないのは信用されないっていうよ。
日比谷公園で待ち合わせなんて言うんじゃなかった。
だって、地下鉄の駅は日比谷になるか内幸町か、新橋かどこになるかわからないって言ってたし。
あーあ、もう7分で始まる。待ち合わせが10時半だったのに。宝塚の大ファンの私が並んでやっと手に入れたのに。もう行くからね。
走って宝塚劇場へ。後ろ髪を引かれるけど、ごめん。私大ファンだから。あなたのチケットも持ってるけど入っちゃう。
ケータイの電源も切ったから連絡は無理。
ごめん、今回は涼よりこっちが大事。
めくるめく感動。
こみ上げる涙。
歌い上げるあのハスキーな声。
女というより中性の魅力なのよね、あの足の長さと男性的な魅力。
私にウィンクしたわ。
もう完全にうっとりの3時間。
グッズも買って外に出る。
ケータイの電源を入れる。
ブルーのメール着信合図。電話も掛けてたみたい。
『電話もしたけど、急に田舎へ帰ることになったから。ごめん』
そうか、そうだったのね。
どこかでホッとしてる私。だって、彼のチケットも持っているのに待たずに入ったんだから。
どうしたのかな。急に田舎に帰るなんて。お父さんもお母さんもお元気だと言ってたのに。何かあったのかしら。それともおじいちゃんが亡くなったかとか、兄弟が交通事故とかいけないことばかりが想像されて、心臓がどきどきする。
感動した時間がなんだかいけなかった気になってくる。
今はあわただしく過ごしているかもしれないから、夜になって掛けよう。
『わかった。また落ち着いたら連絡してね』
メールで返事だけする。
ゴージャスなTホテルでお茶をする。
旅行客を見ながら涼を思う。いつ帰って来るんだろう。
夜になっても電話もメールもなく、そのまま一週間が過ぎた。
完全に忘れられた私。
帰ると言ったのは永遠にということなのかしら。
つまりフラれました?
こんな簡単にメールだけでフラれちゃうって、どんな女よ、そうよ、どうしてくれるのよ。おかげで仕事が手につかず、ミスが多いって課長に叱られた。
しかも、後輩が完璧に書類を出すから余計に目立って、かっこ悪いったらない。これもあの涼が悪い。私の心をかき乱すんだもの。
腹が立って食欲が増す。
コンビニ弁当だけですまなくて、スイーツもたっぷり。甘いラテも買った。がっくりきているのに食欲がある姿ってちょっと見たくない。いかつい眉毛にむさぼる私。そう、化粧もノリが悪くなった。
そしてさらに3週間。
さすがの私も食欲はなく、ついに酒頼みの毎日。
部屋で飲むのもビールではなく、高知のダバダ火振りの焼酎。さきいかによく合う。これが美味しい。
涼とはそんなに頻繁に会うことはなかったけど、たまに二人で泊まると暖かくて楽しかった。彼の部屋にも行ったし、ここへも来た。
一体どうしたんだろう。
今度会うときはどこかの令嬢と結婚して、子どもでも抱っこしてるんだわ、きっと。電話でもすればいいんだろうけど、なんだかただならぬ感じで聞きたくない。じっと待つって演歌みたい。私らしくないけど、怖がりでもあるから。
鼻を伝わって涙が落ちる。
焼酎が美味い。
泣ける。
休みならいいのに、今日はまだ金曜日。昨日の深酒がいけないのか、頭がぼうっとしてる。ふらつきながら乗り換える。大門から大江戸線に乗って赤羽へ。
会社へはあと8分で間に合うのか。今日の私の速度では遅れそう。
「おい、松宮君」
後ろから課長の声。
朝から聞きたくないな、この声。
それでも振り向かない訳にもいかずに可愛く笑顔を見せる。
「はい、おはよ、う、え?」
隣には木之元涼。
「へ? なぜ?」
「君たち仲がいいみたいだな。こいつは僕の後輩だよ、高校のバスケで」
「はい」
どうして、それがこの課長と一緒に歩いてるのよ。
にこやかな涼がいる。
でも痩せた?
「こいつの実家が焼けてしまってね、地元紙を取ってるから知ってはいたけど、老舗のお菓子屋でね、大変だったらしいよ。でも、君に用があるとか駅でばったり」
そうなのか。
「私はそんなに親しくないから、何にも知りませんでした。本当に何も」
棘がささりまくりの言葉が口から機関銃のように出る。
「じゃ、先に行ってるぞ。なんだか怖そうだから」
課長が早足で逃げる。
私も追いかける。だって遅刻しそう。その後ろを涼も追う。
「ねえねえ、僕も電話しようとしたけどあまりに大変で」
「わかってる。怒ってなんかない。ただの知り合いだし」
どこまでも嫌な女になってるみたい。
「帰りに迎えに行く」
「あら、私、何時に終わるかわかりませんわよ」
「何時間でも待つよ」
その言葉に少しほっとしながら会社へ走る。
玄関でまた課長に会う。
「いい奴だぞ、あいつは」
「そうですか」
「焼けた時は泣いてたぞ、両親が気落ちしてしまってって。まあ、誰もけががなくて不幸中の幸いだけど」
「・・・」
「帰りはたっぷり聞いてやれ、彼の話を」
「はい」
課長ったらいやあな人かと思ったらいい人だったんですね。
帰りは手をつないで帰りました。
私、明日は休みですから。
夜遅くてもいいんです。
ゆっくり二人で寝かせてもらいます。