7.白亜の城と紅の姫
桁外れな力を得られる蒼い鎧。それを身に纏う事で襲撃者から少女、アレイシヤを守り抜くことが出来た海人。
分からない事ばかりでいて、どういう事かと問い質したい所ではあるが時間も時間で。結局空腹にも耐えられなかった為、共に海人の自宅に戻る事にした。
一先ずアレイシヤの荷物を取りにコンビニに戻り、無事荷物がそのままにされていて安堵し、荷物を海人が背負い彼の自宅へと向かう。
「ここ、ですか……?」
「ああ」
海人が歩みを止めた場所。そこは周りの家よりも一回りも二回りも大きく、広い屋敷であった。
長く続く塀に大きく立派な門。平屋の母屋に離れもあり、庭には松の木が植えられ、鯉が泳ぐ池もある。
年季が入っているが手入れはされているようで、誰が見ても豪邸であって、アレイシヤも驚いたようで確認を取ったようだ。
「こんな豪邸……。もしかして、カイトさんは領主様のご子息……なのですか?」
「領主? 敷地が広いのはお偉いさんって訳じゃなくって、爺ちゃんが剣道の道場をやっていたからな。あっちの離れが道場で……って言っても数年前に閉めているんだが……」
説明をしながら玄関のカギを開ける海人。そのまま正面を見ずに進んでいた彼は、待ち受けていた者に気付かず、靴を脱ごうとして足元を見て、そこに女性モノの靴が置かれていた事でようやく気が付き、顔を上げた瞬間に口元を引きつらせた。
「お帰り、海人」
「あ、ああ、……ただいま、真帆」
出迎えた女性は母親ではなく幼馴染の少女、真帆。
笑顔を浮かべているが、それが好意的なものでないのは分かりきっていて、真帆の背後に見える怒りのオーラに海人は思わず後ずさり、後ろに居た者にぶつかってしまった。
「きゃ!」
「わ、悪い……っ、大丈夫か?!」
「あ、はい……、大丈夫です」
海人にぶつかられて尻餅をついたアレイシヤ。
慌てつつも手を差し伸べてアレイシヤを助け起こした海人。今度は引き上げる力が強すぎたせいか、軽い身体は海人の元へ。アレイシヤが海人に抱き着く形となった。
「ご、ごめんなさい……っ!」
「いや、いいさ。それよりも本当に怪我はないか?」
「はい。え、えっと、私よりも、その……」
「ん……?」
眉をハの字にして困惑しているアレイシヤの視線の先。そこには凍てつくような眼差しを向けてくる真帆が居て、海人は背筋にゾクゾクとした悪寒を走らせた。
「その子は何処の子なのかしら?」
「こ、この子は……その……――――」
アレイシヤの事を海人が上手く説明できる訳がない。海人自身アレイシヤには疑問ばかり抱いているのであるが、そんな事を真帆が知る由もない。
どう答えるべきか言い淀んだのは火に油を注ぐ結果となってしまったようで、真帆の表情は更に冷たいものへ、ゴミを見るかのような目で海人を見つめていた。
「あ、あの、夜分遅くにすみません……! 私はアレイシヤ・アイントールという者で、カイトさんには先程助けて頂いて……。決して奥様が心配なさるような関係ではありませんので……!」
「「へ……?」」
「で、ですから、ここに来たのは行く当てが無く困っていた私にカイトさんが――――」
「そ、それよりも、今なんて言ったの?」
「え……? ええっと――――」
「私が、海人の奥さんって――――」
「……違うのですか?」
キョトンとした表情のアレイシヤは小首を傾げており、本当に海人と真帆が夫婦であると思っていたようである。一方で海人は突飛な発想に驚いて固まっていたが、真帆は彼よりも動揺したようで、頬を真っ赤に染めて否定しだした。
「わ、私は海人の幼馴染でお隣さんよ! 夫婦なんかじゃないわ……っ!!」
「そうだよ、アーシャ。俺達はまだ学生だし、何より俺と真帆が夫婦になるなんてあり得な――――ふご……っ!!」
真帆と共にアレイシヤの言葉を否定していた海人だが、途中で真帆に頭を叩かれてしまった。
先程までは耳まで真っ赤になっていた真帆が今では鬼の形相に。明らかに怒っているのだが、海人は何がいけなかったのかを全く理解していないようであった。
始まった痴話げんかにオロオロとするアレイシヤ。
傍から見れば夫婦喧嘩と言われても仕方がない光景なのだが、そこはハッキリと否定する二人。
口喧嘩は止まらないが本当に仲が悪いようではなく、ただ単に海人が真帆の気持ちを察していないだけである。それは出会って間もないアレイシヤも気づくほどであって、けれども真帆の気持ちを海人に説明するのも野暮というもので、アレイシヤにはヒートアップする二人を宥める事しか出来ずにいた。
「お前達。玄関で何を騒いでおるんじゃ――――」
奥の部屋から出てきた者。小柄でいて、少し腰が曲がりかけた男性老人はやれやれといった風に呆れつつ海人と真帆の言い争いを収めた。
アレイシヤが必死に宥めようとしていてもどうにもならなかったのが嘘のように、真帆はくどくどと文句を言うのを止め、海人も老人には頭が上がらないようで、押し黙る。
「海人。そちらのお嬢ちゃんは――――」
見慣れぬ者がその場に居れば問い掛けるのは当然である。けれども老人はアレイシヤの姿を見て少しだけ目を見開き、何か思う所があったようで、海人が弁明するよりも前に話を切り上げてしまう。
「お前達、夕飯はまだじゃろう?」
「あ、ああ」
「込み入った話はその後でも構わんじゃろうて」
「そうだな。と、言う訳だ、真帆。詳しい話は後でな」
「……お爺さんが言うのなら仕方がないわね」
先に夕食を済ませる事となり、海人はアレイシヤを居間へと案内する。
海人の祖父、重蔵と真帆は既に夕食を済ませていたらしく、食卓には海人の分しか用意されていなかったが、おかずは一人分以上あり、ご飯も充分にあり、アレイシヤの分も賄えた。
「御馳走さん。何時も悪いな」
「それはいいのだけれど……」
重蔵と海人は二人で暮らしており、こうして夕食を真帆に用意して貰うのはよくある事であった。
食事を終えた海人は食器を流し台に運び、洗い物をしようとする真帆に渡す際に礼を言う。
真帆にとっては大した事ではなくて、今更礼は良いのだと、それよりも今は別の事が気になるようで、彼女はチラチラと視線をアレイシヤに向けていた。
真帆が気に掛けているアレイシヤはというと、食後のお茶をすすりながら重蔵と一緒にテレビを見ており、すっかりと龍堂家に馴染んでしまっている。
「正直俺自身もアーシャについてはよく分からないんだ」
「何それ!? そんな子を連れてきちゃったの?」
「なんか深い事情がありそうだし、無理に聞き出すのは良くないだろう?」
そう言いつつ海人は自身の右腕に填められていた腕輪を見る。
この世界ではあり得ない不思議な力。その力は少女によってもたらされたものであって、そうなれば少女自身もこの世界の者かどうか疑わしくなる。
巨漢の剣士と戦った事は決して夢などでなく、現実であったのだが、言っても信じてはくれないだろうと、海人は真帆に先程あった事を伏せたままでいた。
「――――いくら複雑な事情があるかもしれないって言っても、ちゃんと親御さんの所に帰さなきゃ。保護しなくちゃいけない状況だとしても、私達が勝手に出来る事ではないし、下手をすれば貴方が誘拐犯にされかねないのよ?」
「その辺は分かっているさ。だから後で源一郎さんに連絡を入れておく」
「また横峰さんに迷惑をかけて……」
グチグチとお小言が始まりげんなりとする海人。それでも真帆が海人の事を心配していての事だと分かっていて、申し訳ない気持ちもあって、素直に頷きながら説教を聞き続けた。
二人で洗い物を終え、ようやくこれで話が始められると、一息つく間もなく居間に戻った海人達だが、どうやら一足遅かったようだ。
「今日の所は仕方あるまい」
アレイシヤはテーブルに突っ伏してスヤスヤと寝息を立てていた。
重蔵曰くいつの間にか眠っていたらしく、気持ちよさそうな寝顔に起こすのも気が引けてしまい、そのままにしておいたそうだ。
結局その日は何一つ話を聞きだせず、話し合いは明日へと持ち越す事となる。
真帆は最後まで不満そうであったが、海人が何とか宥め、真帆も竜堂家に泊まる事で何とか矛を収めた。
小高い丘にある城塞都市。その中心に佇む白亜の城。
煌びやかな内装に、贅の限りを尽くした玉座。そこに座るのは老齢の王でもなく、妙齢の女王でもない。玉座に腰かけているのは幼い少女であった。
勝気そうな紅の瞳に、燃えるような赤い髪。頭には小さな王冠を、華奢な身体にはフリルがふんだんにあしらわれたドレスを纏っている。
一見すると飾られた人形のようであったが、その者は確かに生きている人であった。
「断りもなく転移装置を使用した挙句、おめおめと敗走するとは……。姫殿下、この者の処分、並びにこの者が属する第六騎士団への制裁はいかがいたしましょうか」
良く肥えた、狸のような初老の男。彼はベルント・べルスフォードという名で、役職は宰相。王に代わってこの国の政を任されており、彼に逆らえる者は居なかった。
国政を一手に引き受けるベルントに快く思われていないならば厳罰は免れない。
裁きを受ける者、いたるところに包帯を巻いた巨漢の剣士、グンター・ギースラーは如何なる罰をも受け入れようと心に決めていたが、姫殿下の言葉は全くもって見当違いのものであった。
「お主。本当に異界へと降り立ったのか!?」
「は、はッ……。殿下の仰る通り、確かに異界の地へと赴きました」
「そうかそうか……! して、そこにこのような者は居らんかったか?」
そう言って見せたのは少女の膝の上に収まるくらいの額縁で、そこには一人の少年の顔が描かれていた。
黒い髪に蒼い瞳。その特徴ならばグンターにも心当たりは在ったのだが、描かれている者は美男子であって、同じ人物とは到底思えず、首を横に振る。
キラキラと期待していた眼差しは伏せられ、実に残念そうに肩を落とす姫殿下。彼女は手にしていた肖像画を眺め、小さく溜息を吐いた。
「……そうか。……まぁよい」
「……オホン。さて、姫殿下。この者の処分は如何なさいますか」
「もうよい、下がれ」
「な、なんと……?」
「下がれと言っておる」
下卑た笑みを浮かべ、威張り散らすように振る舞っていた宰相は姫殿下の言葉に狼狽え、慌てふためく。
規律を乱した兵に厳罰をと訴えるが、姫殿下は全く興味が無いようで、そんな事はどうでもよいとバッサリ切り捨ててしまった。
「この者は身を以って異界へと渡れると証明した。怪我を負ってはいるが、生還も果たした。それに、向こう側には手練れの者が居る事も知れたのではないか?」
「それは……そう……、ですが…!」
「規律を乱したのは許されざる事じゃが、全く役に立たなかった訳でもあるまい」
「しかし……、このままでは他の者に示しがつきませぬ」
「こうして頭を垂れておるんじゃ。……もうよいわ。第六騎士団長、その者の処分はお主に任せる」
「はッ……! ご寛大な措置、誠に痛み入ります……!」
グンターと共にかしづき頭を垂れていたのは第六騎士団の団長アウグスト・アルブレヒト。
アウグストはグンターよりも更に絞られ引き締まった肉体を持つ大柄な隻眼の剣士で、茶色い髪には白髪が交じり始めているがまだまだ現役で、前線を駆ける戦士である。
不満があるようだが笑顔を讃えて必死に堪える宰相ベルント。彼が悔しそうにしている様を見てアウグストは内心好い気味だとほくそ笑む。
「……フン。姫殿下のお心遣いに感謝せよ」
再び虎の威を借りて振る舞うベルント。彼はアウグスト達を下がらせ、謁見の間に集った者達、各騎士団の団長達へと檄を飛ばす。
「裏切り者による転移装置破壊に続き、先走った兵によりまたもや転移装置が不安定になった。しかし我々はかの地を治めるという責務がある。ここで身を引くなどあってはならぬ」
いかに自分達が正しいのか。これは決して侵略ではないとベルントは強く主張するが、この場に居る者達はこれから行われる事がどういう事か理解しており、けれども異を唱える者は誰一人としていなかった。
唯一、この侵攻が正しいと心から信じ切っている者。それは姫殿下であって、彼女はかの地に思いを馳せていた。
「……もうすぐ、もうすぐ逢えるのだな。わらわの英雄、リュード……」
異世界シュトラルヴェルト。そしてその世界の中心たる国グランツドラッヘン。
病床にある国王の代わりに国を治めるのは第一王女であるレイゼリア・グランツドラッヘン・レイゲンハール。
幼い少女のようでいるが、彼女は姫殿下という位であって、彼女が下した命により、戦いの火蓋が切られたのであった。