5.謎の少女と巨漢の剣士
おにぎりにサンドウィッチ、お弁当に菓子パン、新商品に定番の品。
狭い店内に数多くの商品が並ぶ棚の前で海人は唸りながら悩み抜いていた。
「いつもなら夕食前にはツナマヨにぎりかカレーパンにするんだが……」
自分の分は既に決まっているが、外で待たせている少女の分がなかなか決まらない。
海人の周りに居る者。猿渡達の好みならいつも昼食を一緒に取っていた為大体わかる。
幼馴染の真帆についても当人は否定しているが、彼女が甘いものが大好きであることを知っているので選び易い。桃子についても同じ年頃の女子ならば真帆と大差ないだろうと想像がつく。
「……そういや、あの子は――――」
少女は真帆達よりも幼く、一見すると小学生のようである。そういった年齢も気になる所だが、少女の場合はそのいで立ち、銀髪に翠眼という事から好みが分かりにくかった。
「……いやでも待てよ。日本語があんなにペラペラって事は、ある程度日本に居た訳で……。寧ろ日本で生まれて日本で育ったのかも知れないし……」
見た目で判断するのは良くないと分かっている。けれども国によって食文化は違うものであって、口に合うかどうかわからない。
できれば喜んで欲しいと思う海人は延々と棚の前で悩んでいた訳だが、結局の所無難な物を何品か買い、その中から好きな物を選んでもらう事にした。
「またせたな――――……って、あれ?」
店内から出てすぐ、少女は大きな荷物を足元に置いて待っていた筈だが、そこに少女の姿はない。
「……どっか行っちゃったか。――――いや、待てよ」
姿を消していたのは少女だけであって彼女の荷物は残されている。
襲い掛かるのは根拠のない不安。何かが起きたのだと感じた海人だが、辺りを見回しても少女の姿は見当たらない。道行く人に尋ねてもみるが、首を傾げられるばかりで見かけたという情報は得られずにいた。
「あ! 海人お兄ちゃん!」
海人の元へと手を振りながら駆け寄ってきたのは幼稚園の制服を着た幼い男の子で、彼もまたかつて海人が助けた子どもであった。
何時もならば元気にしているかなどと他愛もない会話をするところであるが、今はそうこうしてはいられない。申し訳なく思いつつ軽く挨拶を済ませようとした所、男の子の口から驚くべき情報が出てきた。
「海人兄ちゃん! さっきの見た? すごいんだよ!」
「何かあったのか!?」
もしや事件でも起きたのかと鬼気迫った表情で詰め寄る海人。当然として子どもは驚いたようだが、そんな事よりも凄い事があったようで、興奮気味に先程あった出来事を説明する。
「う、うん。すごいんだよ! さっきお空にこーんな大きな絵がうかんでいてね――――」
「…………絵?」
男の子は天に向けて両手をいっぱい広げて説明をしているが、何の事かはさっぱりわからない。どういう事かと首を捻っていると、男の子の母親が分かり易く説明をしてくれた。……と、いってもその内容もまた不可解なものである事には変わりない。
「ついさっき、空に円状の模様……あれはそう、魔法陣っていうのかしら。虹色に光った魔法陣が空に浮かび上がっていたのよ」
「空に……」
「でもほんの一瞬の事で、直ぐに消えてしまったの」
撮影する間も無かったと、気付いて見上げてその後すぐに消えてしまったそうだ。
気になる内容であるが、今はそんな場合ではないとはたと思い出した海人はダメもとで親子に少女の行方を問いかけてみた。
「もしかして、海人お兄ちゃんがさがしている人って――――」
「知っているのか……!?」
「う、うん……。さっき見たよね、おかーさん」
「ええ。銀髪の可愛らしい女の子だったら、公園の方に走って行って――――」
ようやく聞き出せた有益な情報。
海人は親子に礼を言い一目散に公園へと向かって行った。
空に浮かぶ虹色の光を放つ魔法陣。少女はソレに見覚えがあった。
魔法陣の中心部から大地へと刺さる光の柱。それが見えたのは一瞬で。けれども少女は見逃す事が無く、その光が落ちた場所へと向かった。
「――――……っ」
そこは先程、海人に連れられて店の前に来る以前に居た場所。少女が初めてこの世界に降り立った場所でもあった。
公園に近づくにつれて肌身に感じる嫌な気配。それは間違いでなかったと、少女の瞳が捉えたもので確信を得た。
人気のない公園に佇むのは巨岩のような大男。その者は竜の紋章が刻まれた胸当てを身に付けており、手には身の丈程の大剣を手にしていた。
巨漢の剣士の姿は長閑な公園では浮いて見える。けれども少女にとってその姿は見慣れたものであって、危機感を募らせた。
「……今の所は気付かれていない。だとすれば――――」
周囲をゆっくりとした動作で見回す巨漢の剣士。生垣に身を潜めて様子を窺っていた少女の存在にはまだ気が付いていないようで、ならばと少女は飛び出す。
「――――……!? お前は……っ!!」
背を向けている瞬間を狙った筈だが、やはり戦士だけあって向かってくる殺気には敏感なようだ。すぐさま剣を構えて応戦されるかと思いきや、その前に少女が間合いに入るのが早く、拳が腹部にめり込んだ。
「ぐ……っ!?」
呻き声を上げてよろめく巨体。相手は岩のような体であって、小柄な少女では敵う筈もない所だが、少女は続けざまに蹴りを食らわせて巨漢の剣士を吹き飛ばす。現状を正確に説明するならば、蒼い鎧を身に纏った少女が巨漢の剣士を倒したのであった。
「お前か……っ! 裏切り者というのは――――」
手にした大剣を地面に突き立てながら体勢を立て直す巨漢の剣士。隆々とした筋肉を纏っているせいか、少女が与えたダメージは僅かなものであって、すぐさま大剣を構え直して吠える。
巨漢の声は腹の底に響くような重低音であって、込められた殺気には身震いするほどであるが、少女は怯んでいる場合でもなく、問いかけに応える暇もない。
小刻みに震え始めた指先はぎゅっと拳を握り、膝がガクつくのはしっかりと踏み込む事でどうにか抑え込んだ。
「……小娘が。我に敵うと思うか……ッ!」
臆することなく大地を蹴り出し飛び込む少女。その拳は並の者なら捉えきれぬ所ではあるが、巨漢の剣士は吐いた言葉と違えずいともたやすく攻撃を刀身で受け止め、そして力任せに振るい跳ね除けた。
「……う゛……っ!」
吹き飛んだ身体は公園内の遊具、ジャングルジムへと叩きつけられる。
呻き声を上げる少女だが、何とか立つ事は出来るようで、続けて繰り出される攻撃を避けるようその場を横へと転がりつつ飛び退く。
「……ええい! ちょこまかと……ッ!!」
巨漢の戦士の振るう大剣はジャングルジムをいとも容易く破壊する。鉄製であって、子ども達が登ってもビクともしない頑丈な筈の遊具が、今では叩きつけられた箇所がへこんでいて無残な姿となっていた。
まともに喰らっていては命が無かっただろうと身震いするが、少女は逃げ出す訳にはいかない。
距離を取り、巨漢の男が再び剣を構える前に少女は再び懐に飛び込む。今度は大剣で防がれる事なく拳が届きそうであったが、後僅かの時点で少女の身体に異変が起きた。
「――――……っ!!」
小さな身に襲い掛かったのは叩きつけられる痛みではなく、気怠さであって、フッと身体から力が抜けていき、少女はそのまま地面へと倒れてしまった。
「……フン。魔力が尽きたか……」
地に伏した少女。彼女の身にはこれまで蒼い全身鎧が装着されていたが、倒れて間もなくして鎧や兜が粒子となって消え失せ、姿が露わとなった。
まるで人形のような美しい容姿に華奢な身体つき。とても先程まで巨漢の剣士と対峙していたとは思えない姿であったせいか、巨漢の剣士は直ぐに止めを刺さず、切っ先を向けつつ問い掛けた。
「……何か言い残すことは無いか?」
殺すことは決まっているが最後の情けをくれるようで、遺言を残す暇を与えた。
もしかするとここで大人しく平伏し、自分が間違っていたと反省をすれば命までは取られないのかも知れない。けれども少女は己の信念を曲げることなく、身を捩り巨漢の剣士を睨み付けながら逆に問い質した。
「……貴方はそれで良いんですか……?」
「何だと……?」
「その剣は誰の為に振るっているんですか……?」
「決まっている。国の、陛下の為だ」
「陛下の命だとしても……、こんなやり方は間違っている……っ」
自分は何一つ間違ってなどいないという強い意志の光が宿った瞳。
言葉よりも多く語る眼差しに巨漢の戦士も思う所があるようだが、彼もまた強い信念を抱いてここに居る。
「……裏切り者には死、あるのみ」
巨漢の剣士は自分に言い聞かせるように呟き、大剣を振り上げ、粛清を行おうとした。
少女もまた、覚悟を決めたようで瞳をぎゅっと閉じて死を覚悟した。
「……っ!?」
大剣は振り下ろされる事なく、少女は命を落とさずに済んだ。
この場に駆けつけ寸での所で止めに入った者。その者は巨漢の剣士の頭を目がけて石を投げつけ、避けられてしまったものの気を引く事には成功し、少女の身を守った。
「何だ……、お前は……」
「その子から離れろ……っ!!」
現れたのは少年で、倒れている少女よりも身の丈はあるが、巨漢の剣士よりは小柄である。
少年の姿を一瞥した巨漢の剣士はフッと笑うとゆっくりとした動作で少年へと近づく。
「誰かと思えばこの世界の住人か……」
「カイトさん……っ、に、逃げて下さい……っ!!」
未だ自由に動くことが叶わない少女は必死に叫ぶが、少年…竜堂海人は退かない。
生きながらえた事に安堵する間もなく、今度は無関係の者が巻き込まれてしまう。そんな事はさせないと、どうにか這いつくばりながら少女は巨漢の剣士の歩みを止めようと足元にしがみつくが、小石を蹴るように跳ね除けられてしまい身体が宙に浮く。
「きゃ……っ」
「よっと……っ」
飛ばされた少女の身を受けとめたのは海人であって、彼は尻餅を尽きつつも何とか間に合い華奢な身体を抱き留めた。
「……今の速さは」
何の力も持たぬただの非力な少年。そう判断していた巨漢の剣士だが、驚くべき瞬発力を目の当たりにし、考えを改めて大剣を構え直す。
一方で助けられた少女も自身が置かれた状況に付いて行けないようで茫然としていたが、すぐさまこの場から離れるよう海人に言った。
「ここは危険です……っ、貴方だけならきっと逃げられるから、だから――――」
「バカを言うなっ、ての」
ひょいと少女の身を抱えた海人は彼女の言い分も聞かぬまま飛び退き走り出す。
先程まで海人達が居た場所に振り下ろされる大剣は地面を抉り、砂埃を立てさせて視界を煙らせた。
「魔導装具を持たぬ者がここまでやるとはな……」
攻撃は大振りでいて、かといってむやみやたらに振るっている訳でもなく、大剣は寸での所で避けられている。
巨漢の剣士の攻撃によって地面は至る所が抉られて足場は悪くなる一方でいて、舞い上がる砂埃で視界も悪くなるのだが、海人は攻撃を避け続けており、その身のこなしに巨漢の剣士は僅かながら喜ぶ。ここまで動けるならば剣を取ればどうなるのかと、一剣士として興味が湧いているようであった。
「どうして……、どうして逃げないんですか……?」
戦を愉しむ巨漢の剣士。その者の攻撃を何とかかわし続ける海人。一方で守られている少女は悲痛な面持ちで、か細い声で問い掛けた。
「――――ヒーローは、敵を前にして守るべき者の前から逃げ出したりはしない……っ!」
それは海人の信念であって、譲る事の出来ない想いである。
力の差は歴然で、敵う筈もない事は分かっている。けれども海人の言葉は真っ直ぐでいて、それは闇を切り裂く一筋の光のようで、少女は不思議と彼の言葉を疑えなかった。
海人が少女を安心させるように言った台詞は自身の恐怖を振り払うための言葉でもあった。
このまま逃げ続ける訳にはいかない。どうにかこの場を切り抜けなければと、考えつつ攻撃を避けており、余裕は全くなかった。そんな時に問い掛けられて、口から出たのは何時もの調子の言葉であって、それは不安を打ち消す言葉でもあり、そしてその言葉に込められた想いに応えるモノが、突如として海人の前に現れた。
「ここは――――」
抱きかかえていた少女から放たれる蒼の光。
眩さに目が眩み、咄嗟に目を閉じた海人が次に瞼を開いた瞬間。
そこは先程まで居た公園ではなく、巨漢の剣士も居らず、抱きかかえていた少女の姿もない場所。
暗い暗い海の底のような場所に海人は浮かんでいた。