1.ご当地ヒーロー参上!
土埃で煙る視界の先。そこには大きな影があり、ゆらりと揺れる。
抉れた地面からゆっくりと離れるモノ。それは剣のようであるが、断ち切るよりもその重みで粉砕するような形状、人が振り回せる大きさを越えた大剣であった。
「――さん……っ! 逃げて下さい……っ!」
辺りに響くのは少女の悲痛な叫び声。彼女がそう叫んだのも無理はない。対峙する相手は自分よりも遥かに大きく、大剣を易々と振るう程の力も持っている。いくら運動神経が良いからといって敵う筈もなく、喧嘩慣れしていても意味はない。
これまでの相手とは比べ物にならないと理解もしている。対峙する者から放たれる殺気に気が付かないほど鈍感な訳でもない。寧ろビリビリと肌に感じる程で、両足は微かに震え、握りしめた拳は汗ばみ額からも一筋流れる。
それでも、少年はここで逃げ出す訳にはいかなかった。
「……ヒーローは、敵を前にして、守るべき者の前から逃げ出したりはしない……っ!」
恐怖を打払うように、自分に言い聞かせるように放った言葉。それは少年の力と成り、絶望を感じ、諦めきっていた少女に希望を抱かせた。そしてその言葉に籠められた強い想いに応えるモノが――――
「……!? ……これは……――――」
辺りは眩い光に包まれた――――
午前八時。人々が通勤や通学で行き交う中、陸橋の登り口で年老いた小柄な女性は大きな溜息を吐いていた。彼女が手にするのは大きなボストンバックで、多少腰が曲がりかけている身では階段を上るのは辛く、溜息を漏らしても当然だろう。彼女のすぐ横では若者達が軽快なステップで階段を駆け上がるが、その中に老婆へと手を差し伸べる者は誰一人として居ない。それどころか、三人並んで歩いていた女子グループは登り口でまごついていた老婆に対し邪魔なものを見るかのような冷たい目線を向けさえした。
良かれと思って電車で席を譲ると年寄り扱いをするなとキレられてしまう世の中。なるべく関わり合いにならないようにとするのは普通であって、通勤通学時間となれば自身の生活ペースを守る為に他人を気遣う余裕はない。
老婆はゆっくりとだが手すりに手を掛けて登ろうとするが、そんな彼女の前に一人の男?が現れた。
「宜しければ、手を貸しましょうか?」
「おやまぁ! 海人ちゃんじゃないかい」
「……。海人? さてそれは誰の事だか。それよりも菊代さん、お困りではありませんか?」
「そうだったわ。海人ちゃんじゃなくって、ええっと……、首取りレッドだったかしら?」
「首と……っ?! そうじゃなくって、ビクトリーレッドだよ、菊代さん。ヒーローにエグい要素は要らないよ……」
「あらあら、ごめんなさい」
ウフフと笑う老婆。彼女からは先程の疲れ切った表情が消え去り、今では笑顔を綻ばしている。その一方で彼女の前に立つ男はがっくりと肩を落とし、それでも彼女に笑顔が戻った事を嬉しそうにしているように見えた。
海人と呼ばれた男。そして自らをビクトリーレッドと名乗った彼は、ゴーグル付きの赤いヘルメットを被り、赤い全身スーツを纏い腰には変身ベルトを、手と足には白いグローブと白いブーツが、首元の白いマフラーは風になびいており、少々手作り感がするが、その姿はよくある戦隊モノのヒーローのようであった。
「いつもすまないねぇ……」
「困った人を助ける。ヒーローとして当たり前の事ですから!」
慣れた動作で老婆を背負い、鞄を持ち陸橋を上るビクトリーレッド。困っている人を助けるのはともかく、街中でこの様なコスプレ姿をしているのは異様に思う筈だが、道行く人は気に留めることは無い。チラリと覗き見るような事もあるが、通報などはする様子もなく、寧ろ生暖かい目線であって、悪いものではない。
海人がヒーローになりきり人助けをする。それはこの町の日常であるようだ。
無事陸橋を渡り終え、ビクトリーレッドは一旦菊代を下して荷物を渡すが、再度手助けを申し出た。
「何処に向かうのか知りませんが、目的地まで荷物を持ちましょうか?」
「だ、大丈夫よ。それよりも、海人ちゃん、学校は大丈夫なの?」
「……はっ! ……い、いや、ヒーローは学校など――――」
「さぁさ、私は大丈夫だから。行ってらっしゃいな」
「……そ、そうだ、変身時間がそろそろ限界だ! ――――と言う訳で私は失礼させていただきます。道中お気をつけて!」
「いつもありがとうね。それじゃ……」
走り去っていくビクトリーレッド。彼の背中へと笑顔で手を振り見送る菊代。曲がり角を曲がり、ヒーローの姿が完全に無くなった所で菊代はゆっくりと手を下して足元に置いていた鞄を持ち上げると、手提げ部分をギュッと握り、そして視線を落とした。
朝の公園。早朝時ならば犬の散歩やランニングをする人が訪れもするが、通勤時間ともなれば閑散としていて、平日ならば人の姿は無いに等しい。
そのような公園に今日は人影が四つ程。学校をサボっている不良ではないが、それらと大差ないガラの悪い男達が三人、後一人はキチンとスーツを纏った男が一人。三人の男達は煙草を吸いながら屯っていた。
「よう、バァさん。待ちくたびれたぜ」
吸殻を落とし、靴で踏みつけて消した男は待ち人が来たことに喜び、ニヤッと笑う。
待ち合わせ場所である公園を訪れたのは小柄な老婆、菊代で、彼女の元へは男達が貼り付けたような笑みを浮かべて近づく。一方、近寄られた菊代は疑わしげな眼差しでいて、下げていた鞄を抱え、震えながらも問いかけた。
「ま、孫は……、誠一は何処なの!?」
「誠一君なら無事に会社に行ってますよ~。それで、慰謝料はちゃんと持って来たんですかぁ~?」
「そ、それなら……、ここに……。これで、本当に金輪際関わらないのよね……!?」
「ええ。これで全部片が付きますので……」
男達の中の一人。スーツを着た一人だけ身なりの良い男は菊代に近付き鞄を受け取ろうとする。彼の胸元には金色のバッジが付いており、笑顔も他の者とは違った印象を、悪意を感じられはしない。
三人の男達はいかにも胡散臭そうだが、この者はちゃんとした弁護士であると、ならばもう迷うことは無いのだと、菊代は鞄を差し出そうとした。
「ちょっと待ったーーー!!」
「……!?」「何だァ……――――って、何だ……っ?!」
菊代の元へと駆けつけて寸での所で止めに入ったのは真っ赤なヒーロースーツを身に纏う者で、その奇抜な姿に男達は驚き、茫然としている。彼らと同じく菊代も驚いてはいたが、その者の正体を知っていただけあって事態を飲み込むのは早かったようだ。
「か、海人ちゃん?! どうしてここへ……」
「私は海人という名ではありません。通りすがりのヒーロー。その名は――――」
「おいババァ!! テメェこんな奴を連れてきてどういうつもりだ!?」
突如現れた者が名乗りを上げる前に状況を理解した一人の男は菊代の胸元を掴みかかろうと手を伸ばすが、その手は掴まれて捻り上げられる。先程の威勢はどこへやら、男は情けない声を上げ、喚き散らしつつ抵抗を図るが、掴んだ力は強く、振りほどこうにも簡単に振りほどけそうにない。
妙な格好をしているが現れた者は相当の手練れらしく、男達の中での認識がガラリと変わる。ジリジリと包囲するように位置取りをした男達は容赦なく一斉に飛びかかった。
「な!?」「ふごっ」「テメェ……っ!! ――――なにぃ!?」
背後から羽交い絞めにしようと伸びた手は空を掴み、飛び込んだ勢いはそのままに、先程まで腕を捻り上げられていた男と衝突する形となる。アッサリとかわして相打ちにしてしまったと同時に、海人はもう一人の殴りかかってきた者の腕を掴んで投げ飛ばした。
「か、海人ちゃん!」
「菊代さんは下がっていて!」
気絶するまでには至っていなかったからか、男達はすぐに這い上がり再び襲い掛かってくる。相手はたった一人で、しかも他の者を守りながらではそう長くは持つまいと、男達は高をくくっていた訳だが、ものの数分で彼らは地に伏したまま再び起き上がることは無くなった。
「このガキがぁ!!」
「……っ!」
最後に残ったのはスーツを着込んだ男。他の者よりも細い身体つきでいて、暴力とは無縁だと思われたが、彼は懐から取り出したナイフを突きつけ、振り回し始めた。彼は想定外の出来事に対して正気を失ってしまったのだろう。スーツ姿の男は奇声に近い雄叫びを上げながら向かってくるが、海人が怯むことは無く、流れるような動きでナイフを持った手を掴んで身体を地面へと叩きつけた。
「菊代さん、怪我はありませんか?」
「え、ええ。それよりも……」
テキパキと、慣れた手つきで気絶した男達の腕や足を結束バンドで拘束するビクトリーレッド、もとい海人に困ったように問い掛ける菊代。危機から脱し、もう不安に思う事はない筈なのだが、菊代の表情は浮かないでいる。
「海人ちゃん、この人達はね――――」
「菊代さん、こいつ等にお金を渡そうとしていたんでしょう?」
「え……? ええ、そう……だけど。でもね、これは仕方がないの」
「本当にそうですか?」
「だって、孫から連絡もあったのよ?だからここは……」
「折り返し、連絡は取りましたか?」
「それは……、何時も向こうからだったのだけれど……」
「やっぱり……」
菊代の元へと入った連絡。それは彼女の孫、誠一を名乗る者からで、夫が居る女性に手を出してしまった、慰謝料を払わないと会社にもバラされて首になるかもしれないというものであった。
よくある詐欺の手法で、どうにか未然に防いだのだが菊代を説得するには時間を要し、そうこうしている内にその場へと新たな人物が現れた。
「君、そこで何をやっているんだい?」
「え……?自分はオレオレ詐欺を未然に防いで……――――」
「何を言って……。その格好……、見るからに怪しいだろう!」
「えぇ!?」
駆けつけたのは若い男性警官で、海人の姿から疑いにかかっているようでいて、さらに厄介な事に弁解の余地はなく、菊代の言葉も聞き入れない。このまま連行されてしまうのではと内心焦りを感じ始めた頃、その場へともう一人の人物が現れた。
「安居君、急に走り出したかと思えば――――」
「横峰部長!」「源一郎さん!」
「おや、その格好は……」
五十代前半の、白髪交じりの男性警官、人当たりの良い笑みを浮かべていた横峰源一郎は訝しげにしていた若手警官、安居の肩をポンポンと叩き、状況を整理した。
若手警官、安居康彦はつい先日この町の交番勤務となった為、海人が扮するビクトリーレッドの事を知らなかったらしい。
「彼の事はそうだね、ご当地キャラとでも認識しておいてくれたらいいよ」
「……はぁ。でも、一般人に……しかも君、高校生なんだろう? こういった時にはちゃんと警察に連絡をしてくれないと……。下手をしたら過剰防衛で君の方が罪に問われるんだよ」
「まぁまぁ安居君、こうして詐欺被害も防げた訳だし、今回は良しとしようじゃないか」
「横峰部長。そうは言いますけど、こういった事は我々が――――」
「ところで海人君。学校の方は大丈夫なのかい?」
「!」
気が付けば時計の針はとっくに始業時刻を過ぎている。
あくまで自分はヒーローであるという体裁を保ちたい所ではあるが、学校をサボる訳にもいかない。海人は慌てつつも横峰に礼を言い、菊代に一声かけて去ろうとした。
「菊代さん、後は横峰さんに相談すれば大丈夫だから」
「か、海人ちゃん……、その……、ごめんなさいね、私ったら……」
「良いんですよ。それよりも、今度からは何かあったら気兼ねなく相談してください」
「分かったわ。ありがとう、海人ちゃん」
「……それから、出来ればビクトリーレッドと呼んでください……」
「あらごめんなさい。次からは気を付けるわ」
「よろしくお願いします。それじゃ、また!」
颯爽と去って行くヒーロー。その背中に感謝の気持ちを込めて手を振る菊代。それは特撮物のワンシーンであるかのようだが現実であって、この町、露草町の日常風景であった。