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その3

 インターホンの音は一回だけ。

 まして、勝手に扉を開けて入り込んでくることもない。

 たったこれだけのことで、来客が湊でないことがわかる。俺を『友達のフェイク』として、湊が駆け込み寺として自由に使っている愛しのワンルーム・ロフト付きの部屋。もう慣れつつあるが、その一回だけのコールで、外で待っている人がいるという、たったそれだけのことが、とてつもなく貴重に思えた。

 一応確認のために魚眼レンズを覗いてみるが、はたして、そこには昨日知り合いになった杉崎さんの姿が見て取れた。学校帰りなのか、緑色を基調とした、派手ではないが、小動物めいた杉崎さんには可愛らしくうつる制服姿だ。ってか、制服姿の杉崎さんっていいな。魚眼レンズ越しでも庇護欲3割増くらいに守ってあげたくなる。

「はい、いらっしゃい」

 俺は努めて平静を保っておざなりな言葉で扉を開ける。

「名幸さん、こんにちはです。昨日は本当にありがとうございました。昨日立て替えてくれたお金をお返しに伺いました」

 ぴょこぴょこと頭を下げる。いや、今の短いやりとりで頭下げるタイミングが5回もあったか?

 しかし、頭を下げるたびに、やや茶色味がかったセミロングの髪の毛から、えも言えぬいい香りが鼻腔をくすぐる。うん、やっぱり、女の子はこういう控えめなのがいいな。どっかの誰かさんみたいに何かと上から目線じゃないし。きちんとした丁寧語に、「ああ、女の子なんだな」と、胸が躍る。

「まあ、ここじゃなんだから、入って。少し散らかってるけど」

「え、いいんですか!?」

 そこでふと、思い出した。男性の一人暮らしの部屋に、女の子をはいらせるというのは、少し非常識だったろうか? くそ、あのコミュ障女のおかげで、俺の常識は根底から覆されているということか。よく考えてみれば、堂々と暴虐無道に部屋に押しかけてくるほうがおかしいものな。

 どうも比べる基準がごく近くにいる誰かさんになってしまうが、その誰かさんと同じくらい、すらっとした身体に、これは誰かさんのつつましさとは対照的な、存在を誇示するふくよかな胸元。何より、「これぞ女の子!」という男性願望を充足するかのような柔らかいはにかみに、控えめな一歩引いた性格。髪は自毛なのだろうか? 染めているという感じはないが、ふっさりとした髪は光を通すと、わずかに茶色みがかっている。ネイルも化粧っけもなく、清純無垢な雰囲気そのもの。こんな子に迫られたら俺はもう、といった、どっかのエロゲのタイトルのような美少女を、むさくるしい男の部屋にあげることに、少し『やっちゃった感』がある。

 しかし、俺は努めて冷静を装うと、

「あ、ああ、ごめん。別に変なことしようとかいう気はないから。せっかく来てくれたんだから、お茶でも入れてあげようと思って。非常識だったかな?」

 すると、杉崎さんはぶんぶんとかぶりを振って、

「いえ、嬉しいです! 実は、私もお金を返しに来ただけではなくて、少しお話したいなって思っていたんです」

 なに? フラグ立ってる? いつ? いつ立ったんだ? こんないたいけな少女が俺と『お話したいこと』があるって? 『名幸さん、実は私、ずっと前からあなたのことが……』。ねーって。ずっと前って昨日かよ。

 杉崎さんを連れ立って、部屋に入る。透明なガラスのテーブルには、今しがたまでやっていた行政書士関係の書物が積み重なっている。

「わあ、お勉強してたんですね! 法律のお勉強ですか?」

 尊敬の眼差しで、杉崎さんが俺をキラキラ輝いた目で見る。ああっ、抱きしめてやりたい。

「ま、まあね……」

 少し狼狽しながら、肯定する。ああよかった、サボってネットサーフィンをやっている時じゃなくて。

 テーブルの上を片付けると、自分用のと杉崎さん用のインスタントコーヒーをテーブルの上に置いて、対面に座る。

「ありがとうございます」

 ぴょこんとお辞儀して、添えられた砂糖とミルクを落とし、かき混ぜると、通学カバンをガサゴソとし出す。

「お借りしていた5390円です。確かめてくださいね。本当に、お礼を言っても言い切れないくらい、昨日は助かりました」

 あ、ちゃんと飲み物代も入ってるのね。律儀な子だなあ……また俺の中でポイント上がっちゃったよ。

「あ、ああ、ありがとう」

 お金を受け取って、コーヒーを一口飲む。

 何とも言えない、沈黙の時間が過ぎた。やばい、俺、対人スキル低いの忘れてた。こういう時は、どんな会話から切り出せばいいんだろう?

 しかし、それも杞憂といった感じで、杉崎さんの方が空気を読んで、先に話しかけてくれた。

「お勉強の邪魔じゃありませんでしたか?」

「いや、ちょうど休憩入れようと思ってたところだから。その……ちょうど良かったよ」

 これだ、これだよ、この相手を気遣う謙虚さ。たとえ社交辞令であっても、どっかの湊さんには少しは見習って欲しい。

「よかった。それにしても、すごい本の数ですね。名幸さんも行政書士目指してらっしゃるんですね」

「ああ、まあ、これは……うん、目指してるんだけど……」

 できの方は口が裂けても言えない。行政書士試験は、やればやるほどその奥深さを感じさせられるものだと気づいていたからだ。大言壮語して失敗とか、情けなさすぎる。特にこの子には、そんな格好悪いところを見せたくなかった。

 ……と、あれ?

「俺『も』? 杉崎さんも行政書士目指してるの?」

 杉崎さんは、全身で「はい」っと頷くと、満面の笑顔を見せる。くぅ、可愛い。君が笑ってくれるのなら、僕は悪にでもなる。

「私のことは雅と呼んでくださいね。実は昨日、あれから、すごく親切な人に出会ったんです」

 いたずらに自慢話をするかのように、天使の笑顔でコロコロ笑う。

「といっても、行政書士を目指そうと思ったのは、その、つい昨日なんですけどね。名幸さんと湊さんを見て、『法律ってすごいんだ、かっこいい!』と思っちゃって、勢いです」

 てへ、という表現がぴったりな感じに雅ちゃんは笑う。リアルてへぺろは9割型キモイだけだが、この子が言うと絵になる。

「それで、これを見てもらいたかったんです」

 再び、通学カバンをガサゴソ。

 中から取り出したのは、薄い冊子だった。

「え、えーと……?」

 俺は戸惑いの声を出す。

 冊子の表紙には、

『確実に受かる、行政書士! 民法編』

 とある。

 しかし、薄い。薄すぎる。枚数にして200ページもないのではないのではないだろうか?

「法律って、勉強しだすと、すごく面白いですよね。法律用語で『善意』は『単に知っていること』、『悪意』は、『知らないこと』。私、『悪意』って、なにか悪巧みしていることだと思ってました。びっくりです」

 パラパラとページをめくると、綺麗にカラフルなアンダーラインが引いてある。

 しかし、薄い。薄すぎる。俺が持っている民法のテキストの10分の1にも満たない。

「あの、杉崎さん……」

「雅と呼んでください」

「……うん、雅ちゃん、これ、どこから手に入れてきたの?」

「すごく親切な人からです。私も法律に感動して、知りたかったので、ちょうど良かったんです」

 あー。何か、突っ込みどころ満載すぎる胡散臭さなのだが、とりあえず、聞かずにはおるまい。

「その、親切な人……なんだけど、どんな人だった?」

「『すごく』親切な人です。はじめは、街頭アンケートで『この不景気に立ち向かう資格が欲しいかどうか』聞かれたんですけど、そこで私が欲しいって言ったら、『ちょうどいい資格があります』っていわれて」

「そ、それでどうしたの?」

 嫌な予感を感じつつ、俺は汗を拭う。

「近くの喫茶店に連れてっていただいて、法律の登竜門として『行政書士』という資格があるのを教えてもらったんです。それからは、昨日法律で助けてもらった話で盛り上がっちゃって」

「そ、それで……?」

「一日1時間の勉強で3ヶ月で取れる国家資格なんか他にない、法律のスペシャリストになりたいなら、ぜひやるべきだと」

 その時のことを思い出してか、目をキラキラさせている雅ちゃんは、なおも続けた。

「それで、とても親切な方だったので、私も、『よし、やろう』って思ったんです。名幸さんと湊さんのおかげです!」

 背中を脂汗がだらだらと伝うのを感じながら、俺は確認した。

「それで、いくらだったの?」

「それがですね」

 重要なことを伝えるように、ぐっと身を乗り出す。姿勢のせいでわずかに開いた制服の胸元の、見えそうで見えないふっくらした双丘がチラチラして、思わず目のやりどころに困るんだけど。

「本当は20万円かかるんだけど、『あなたの熱意に、応援したくなった』といって、半額にまけてくれたんです。半額ですよ、半額! しかも、支払いは月々5000円でいいって」

「そ、そうなんだ……」

「はい! とっても親切な人です!」

 俺は額にまで吹き出した汗をぬぐい、

「雅ちゃん、すごく言いにくいんだけど……」

「はい?」

 エンジェルスマイル。無垢だ! 無垢すぎるよ、この子!

「それって、キャッチセールスとさむらい商法と言って、典型的な悪徳商法なんだ」

「え……? でも、すごく親切な人で……」

 それはそうだろう、悪徳商法の売人に感じの悪い人では成り立つわけがない。

「まず、街頭アンケートとかで、話に引きずり込んで、二束三文のものを無理やり高値で売りつけるのがキャッチセールス。『半額』にする、というのも、初めからそういうように用意してるんだよ、『お得感』を出すためにね。士商法っていうのは、一般には難関と言われる資格を、『簡単に取れる!』とか、適当な教材を売りつけて、濡れ手に泡を企む、立派な悪徳商法なんだよ」

 雅ちゃんは目をぱちくりしていたが、「……え? え?」と小鳥のように小首をかしげる。

「言いにくいんだけど……行政書士試験はそんなに簡単じゃないよ。つまり、騙されたってこと」

「で、でも、法律の話を持ち出したのは私の方だったし」

「たまたまだよ。運が悪かったんだ」

「名幸さんや、湊さんみたいになりたくって……カッコいいって……」

「タイミングが悪かったんだよ」

「で、でも、本当にすごく親切な人で……」

 どんどん泣き顔になってくる。ああ! もう、こんないたいけな子を追い詰めちゃう俺のバカ! でも、クセになりそう。

 しばらく雅ちゃんは呆然として、沈黙のとばりが降りた。

 だが、言っておかなければ。

「雅ちゃん……」

 俺はひと呼吸おくと、

「君は、騙されたんだ」

 真実を告げることは、時に、とても辛いことを思い知った。


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