その2
近場にある、大手レンタルショップ「GAO」に湊を引き連れ、足を踏み入れる。
いや、本当のことを言うと、俺のほうが引き連れられていた感があるのだが。ひきこもりだし、まだ外は怖い。湊の影に従うようにやっとのことでやってきたという感じ……もしないでもない。
「それで? 日本の誇る名作とやらは、どこにあるの?」
じろりと俺を見上げる湊の眼圧が痛い。
「とりあえず、アニメのコーナーに行くのが先だな」
湊の視線に促されるようにアニメのコーナーへ。
さて、それでは、何をチョイスするのかが問題だ。ジブリ作品では、日本のアニメの素晴らしさを説くには、やや説得感を欠く。日本で放送されている普通の『アニメ』と『ジブリ作品』はまた別のものだ、という俺の持論には、頷いてくれる人が多いだろう。『ジブリ作品』はワールドワイドであり、その特典として、『好きであっても、なぜかオタク扱いされない』という確固たる立ち位置を占めている。いわばアニメ界のイレギュラーだ。
湊を唸らせるような強烈なインパクト、アニメで表現できる真骨頂を描いた作品となると……そうだな、あれしかない。
「決まったの?」
「ああ、これだ」
パッケージを見せた瞬間、湊の眉根が釣り上がる。
「超世紀銀河猫ニャホロン? ちょっと、その年齢で、ロボットモノはないんじゃないかしら?」
そう来ると思った。俺は鼻をふん、と鳴らすと、
「まあ、見てみて驚くなよ? これは、はっきり言ってしまうと、子供向けのアニメじゃない。とある天才高校生が作った、エントロピー理論や『人間の根源』に迫るぶっとんだ展開が見ものでな……」
と、とくとくと説明を始めた。
「別になんでもいいわよ。あなたの説明を聞いてると、キモオタの菌がうつりそうだわ。普段の生活で、あなたの底辺ぶりはよく知ってるから、それにキモオタの要素が上乗せされるだけだもの。さあ、さっさと借りてきましょう」
コ、コイツ……10年に一本あるかないかの名作を、見る前から一刀両断にしやがった。しかし……ふ、これを見たあとの湊の感想が見ものでもある。ぶっ飛んだ設定に、人情味あふれるストーリー、最後には涙を隠せないこと請け合いのこの作品を見れば、こいつの人生観も……
などとほくそ笑んでカウンターに向かうと、前に並んでいた客が、
「ご、五万円ですかー!?」
と、驚きの声を上げるのが耳に響いた。
背丈はやや小柄な湊よりも少し高いくらい、わずかに茶色味がかった肩までのセミロングの髪を揺らし、おどおどして、半泣きになっている美少女が、カウンターの店員に対し、ウサギのように縮こまっている姿が目に入った。年の頃は湊と同じ、16,7くらいだろうか? 湊の外見だけは楚々とした容姿をしているのとはまた違った、守ってあげたくなるような、線の細い女の子だ。
何があったのだろう?
疑問に思い、耳をそばだてる。
「延滞料がかかって、計算上そうなるんです。ちゃんと支払っていただかないと」
ああ、延滞ね。しかし、5万というのは法外ではないだろうか? DVD本体の価格を超えている。
「で、でも、そんな大金……」
泣きそうになりながら、いや、本当に涙を流しながら、ただでさえ弱々しい雰囲気を増長させるかのように、肩を震わせる。
ふと、隣からため息が聞こえると、
「――5万円も払う必要はないですよ」
と、そのやりとりを見ていた湊が店員と少女の間に割ってはいった。
「損害賠償はそのDVDのそれまでのレンタル状況を考えて、本来の返却期限までに返却されていて、他の客にレンタルできた場合の儲けについて通常生ずべき損害と考えられるんです。延滞料と賠償金を考えたとしても、支払うお金は、せいぜいそのDVDの代金あたりが妥当なんじゃないかしら」
髪をふぁさ、と掻き揚げながら、一気に言い切った。
「な、なんですか? あなたは……?」
俺が湊と初めて出会った時のショックを同様に感じているのだろう、店員は少し怯えた声で問いかけた。
「私が何者だって関係ないじゃない。とにかく、『消費者契約法』で認められた、正当な権利を主張してるだけよ」
うわあ、超上から目線。
「ほ、本当ですか?」
ウサギ少女がすがるような目つきで湊をみる。
「本当よ。法は、知っている人を助けるようにできてるの。あなたも、無知であることはしょうがないけど、そんなにおどおどする必要はないわ。それに店員さん、あなた、雇われでしょ? そんな重要な取引、あなただけでする権利はあるのかしら? 場合によっては――」
湊の凍てついた目線が店員を刺す。
「――訴えるわよ」
「……な?」
店員さんが絶句する。
俺はため息をついた。湊は正しいのかもしれないが、このままでは事態は紛糾するだけだ。俺がなんとかしないと。
「とにかく、店員さん、失礼ですが、もっと上の方を呼んでいただいて、話をさせていただけないでしょうか?」
大人の対応。一応、湊の保護者面して、一歩引いた対応が出来てしまった自分を褒めてあげたい。
店員が上司を呼んできて、手短な交渉した結果、支払う金額はDVD本体相当額に決まった。
ウサギ少女は、何度もこちらに「ありがとうございます、ありがとうございます!」と頭を下げた。髪が揺れるたび、女の子独特のいい香りがする。湊とは異なった意味で、この子にもまた心揺れ動かされる。ほんと小動物。守ってあげたい。
「それでは、DVD代金と損害賠償ということで、5000円になります」
上司が、肩をすくめて少女に請求する。当初の金額の10分の1。法律って、やっぱりすごいんだな。
「は、はい……! ありがとうございます!」
と、今度は上司さんに心からの感謝を込めた体で頭を下げると、少女は手に持ったバックをガサゴソし始める。
「五〇〇〇円、五〇〇〇円、財布、財布……」
……かれこれ、15分はバックをまさぐっていただろうか?
少女は、赤い目からまた涙を流して、
「すみません、財布、忘れてきてしまいました……」
その場にいた全員の時が止まったのは言うまでもない。
「……本当にありがとうございます。助けていただいたばかりか、代金まで立て替えていただいて。本当にありがとうございました」
少女が、何度目かになるかわからないくらい、頭を下げる。
「これ、私の携帯の番号と連絡先です。私、杉崎雅と言います。立て替えていただいた代金は、明日にでもお届けにあがるので、連絡先を教えていただきませんか?」
湊と俺は、ほろ苦い表情で、携帯の電話番号とアドレスを交換する。
あれ、ちょっと湊さん、そこで小さくガッツポーズしませんでしたか? 俺以外の連絡先ができたのが嬉しかったのかな? どこまで友達いないんだ、こいつ。
杉崎雅と名乗った少女は、缶ジュースの自販機の前までちょこちょこ歩いていくと、
「お礼に、なにかおごりますね。遠慮しないでください!」
と、柔らかく微笑んだ。
「あ、お気遣いなく」
俺は肩をすくめていう。
「そんなこと仰らないでください。お礼の気持ちです」
と、バックをガサゴソすると、情けない顔になる。
「すみません、財布、忘れてきてしまいました……」
半泣きになりながら、先ほどのセリフを繰り返す。その場の空気が凍りついた。
湊はため息をついて、
「大丈夫よ。その分、この男に立替させるから」
そういう問題か? そういう問題なのか?
しかし、杉崎さんは得心したように頷くと、
「では、名幸……さん、よろしくお願いできますか?」
俺は既に健常者の会話を諦めていた。
「あー、はいはい、缶ジュース3人分くらいのお金は持ってますよ」
「はい! なんでも、遠慮せずに選んでください!」
杉崎さんがぴょこんと首肯する。
釈然としない気持ちを抱きつつも、三人分のジュースやコーヒーを買って、それぞれに手渡す。あれ、このお金、俺持ちになるのかな? なにか納得いかないんだけど。
「それにしても、お二人共、すごくかっこよかったです! 法律のことお詳しいんですね!」
「湊でいいわ。こっちは、実質的に何も役に立たなかったのだから、ゴミでもカスでも」
お金立て替えたのは「実質」に入らないのだろうか? まあ、コイツはこういう性格だよな。俺なら変に擦れていない杉崎さんの方にBETする。美少女というのは、それだけでステータスだ。この子、おどおどしてるけど、よくよく見ると(そうでなくても)、十分すぎるほど可愛いし。
しばしの間、軽口を叩き合っていると、杉崎さんは、
「あ、そろそろ行かなきゃ! 今日は本当にありがとうございました。それじゃ、お金は明日にでもお届けにあがりますね」
「ええ、待ってるわ」
いや、湊、お前が貸した金じゃないぞ? ちゃんと俺に返ってくるのか?
杉崎さんは、何度も何度も振り返っては、頭を下げつつ遠ざかっていった。
……あ、後ろ見てるから自転車に轢かれそうになった。
自転車の主にまた「すみません!」と頭を下げつつ、点となっていく彼女を見送ると、湊はこちらを少し睨めつけて、
「なにか嬉しそうじゃない。可愛い子だったものね。男ってホント下衆な生き物ね」
どこか、引っかかるような物言いで、俺からついと視線を外した。
「そう言うな、人助け、人助け」
「どうだか。五〇〇〇円『も』立て替えときながら、念書の一つも要求しなかったしね」
湊、普通五〇〇〇円『くらい』なら、念書なんかとりません。
……まあ、確かに人によりけりだけど。
それにしても、可愛い子だったな。『守ってあげたい! いや、守らなければ!』と、心の底から思わされる美少女だった
……そんなこんなで時間を食ってしまい、結局、湊にアニメの偉大さを説く機会は失われたが、その後、さらに驚くべき出来事が舞い込んでくるまで、そう時間はかからなかった。
ほどなくして、俺たちは杉崎雅という少女の『不幸体質』をまざまざと見せ付けられることになる。




