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その1

 電話の呼び出し音は、2コールかかるかかからないかくらいで、即座に取られた。

「おう、湊」

『あら、沙希じゃない。どうしたの?』

「今度は沙希か。あんまり名前増やすと、逆にお袋さんに疑念を抱かせるぞ」

『あはは! 大丈夫! それで、なんの用?』

「いや、ちょっと勉強詰まったから、教えてもらおうかと思ってな」

『え? だめよ、勉強は自分でやるものよ。あんまり気が進まないな』

「そこをなんとか」

『もう、仕方ないなあ……え? 今から? わかった、すぐ行くから待ってて』

「あいよ」

 湊との電話口の会話では、俺の呼び名は沙希、優子から、蓮水へと、毎回変わる。

 今まで、「鳴らない携帯」で、よっぽど母親に心配かけてきたと思ってるんだろうな。しかし、そのぼっち生活からの立ち直りが急すぎて、かえって猜疑心を煽るような気がしてならないのだが。いや、4月をはさんでいるから、新しいクラスで、友達ができた、という『設定』にしているのかもしれない。

 ……ほどなくして、玄関のインターホンが鳴らされ、事前に開けておいたドアが、ノックもなくがちゃりと開けられる。

「……どこがわからないのよ」

 もう春真っ盛りだというのに、玄関から冷風が吹いてくる。先程までの、軽い会話とはまるで別人の、人のことを遥か下に見下した声で、湊は口を開いた。

 ここで湊の特徴、その2。こいつはいつも制服姿である。確かに、湊の為にしつらえた様な制服はとてもマッチしているのだが、外出用の服を何着も持っていないのか、それとも制服以外では、外に出るための出で立ちがピンと来ないのか、呼び出しをかけると、ほとんど必ずと言っていいほど制服で来る。まあ、些事ではあるけど。

「いや、『制限行為能力』のところが、どうしてもピンと来なくて……っていうか、さっさと入れよ。お袋さんとうっかり鉢合わせになるかもしれないぞ」

「わ、わかってるわよ」

 靴を脱ぐと、その向きを律儀に外向きに合わせて、とてとてと部屋へ入ってくる。


 湊との出会いから、行政書士を目指し始めてはや二ヶ月。

「少しでも変なことしたら、即座に訴えるから」

 というありがたい忠告とともに、湊と勉強することが日常になりつつある。

 出逢って連絡を取り合うようになってしばらくすると、電話やメールをしなくても、しょっちゅうといっていいほど、例のインターホン連打してくるようになった。今になってはすでに鍵を開けるのも面倒くさくなって、玄関のドアは鍵をかけることなく、常に湊の為に開けられている。まあ、うちに入ったところで、盗むものないけどな。

 つまるところ、俺は『湊の友達のフェイク』として、有効利用されていたわけだ。

 最近では、だんだん俺自身が湊を通して「人馴れ」してきた感もあり、それに伴って行動範囲も広がってきている。感謝こそしすれ、それほど悪い気はしなかった。

 さらに言えば、それは湊綾香という女の子が、母親をとても大切にする、心優しい子だと最近では気づき始めたからだ。

「はあ? 制限行為能力っていったら、民法の初歩の初歩じゃない? あなた、その頭は何のためにあるの? 飾り物? その内容が豆腐ハンバーグより価値のないものだとしても、アオミドロ並みに細胞分裂して見せるくらいの進化を見せなさいよ」

 ……失礼、『母親以外には』とても辛辣でいらっしゃるところに変わりはない。

「制限行為能力っていうのは、要は法律行為を取り消せるってことよ。未成年や成年被後見人のやった行為は、取り消せる。たったそれだけのことじゃない」

 呆れて一言のもとに両断しやがった。ちなみに、成年被後見人とは、『精神上の障害により、事理を弁識する能力を欠く常況にあるもの』、つまりは認知症だとか、もうその人が何を言ってるのかもわからず、現実を把握しているのかどうかすらわからないような状態にある人のことだ。

「まあ、そうなんだけどさ、被保佐人と被補助人の違いがよくわからないんだ」

 被保佐人、被補助人とは、精神上の障害により、事理を弁識できる能力が、著しく不十分、または不十分な人のこと。それぞれ、精神上の障害のためとんでもない取引をしないように、後見人、保佐人、補助人のバックアップを受ける制度だ。程度の差があれ、世話をする人の同意なしには、それぞれ独立して法律行為を成し得ない。成年被後見人、被保佐人、被補助人の順に、障害とサポートのレベルが下がっていくイメージだ。

 成年後見制度などは、最近になってようやく有名になってきたところだろうか?

 はああ、とため息をつき、湊は頭を振った。

「過去問は出来てるの?」

「おう、もう一回転したぞ」

「まだそれだけ? あなた、本気で受かる気あるの? やり方は教えたでしょう?」

「ああ、あれね。100を10ずつに区切って、一日目10をやったら、2日目は10と1日目の10を復習する。3日目は10をやったら、1日目の10と2日目の10を復習するってやつな」

「そうよ、それによって、繰り返しの速度と量が飛躍的に向上するわ。で、やってるの?」

「いや、まあ、そうだな……まあ……」

「やってないのね?」

「い、いや、そんなことは……」

「やってないのね?」

「……前向きに善処するよう考える所存です」

 溜息とともに俯く。湊は鋭い目つきでこちらを一瞥すると、

「いい加減にその腐った根性直さないと、……見捨てるわよ」

「ごめんなさい。ちゃんとやる気はあったんです。ただ、どうしても外せない前期見逃したアニメが溜まってて」

「あなた、その年でアニメとか、本当に気持ち悪いからやめて。または宇宙のチリとなって」

 このアマ……。アニメは現在、日本の誇る文化の最たるものの一つなのに。わかってないな。って、お前の最後の発言、7つの玉を集める格闘漫画のそれなんだが。

「アニメを馬鹿にするとか、何年前のオタク差別だよ。第一、引きこもってりゃ、他にやることないっつーの。ネットニュースとネットアニメは、引きこもりのためにあると言っても過言ではない! 日本全国1億人のひきこもりに聞いても、同じ答えが返ってくるぞ!」

「日本人のそんなにたくさんの人が引きこもっていたら、アニメ自体が作れなくなると思うけど……」

 嫌悪感丸出しの目で睨めつけられ、俺はたじろいだ。

「そ、それなら、お前にも、アニメの良さというのを教え――」

「遠慮しとくわ」

 む、即答しやがった。

 だが、引きこもりには引きこもりの意地というものがある。どんなに否定されようとも――要は『言い訳』がしたいのだ。

「……さっき見捨てる、といったけど」

「ええ、言ったわ。そのくらいの記憶力はあるみたいね」

「俺を見捨てたら、どこのお友達がお前の電話にかけるんだろうな? 新学期が始まって、一気に友達が増えた我が子が、実はまたいきなりぼっちになってた、なんて知ったら、お袋さん悲しむだろうな」

「――な? きょ、脅迫するの!?」

 身体を抱えるような素振りで、湊は一歩引く。

「しかも、そんなセコイ手で……」

「所詮、人など上辺の馴れ合いだけなのさ。しかし、その上辺の馴れ合いにすら入れないカテゴリーは、憐れまれ、排除される。それが『ぼっち』だ。さあ、選べ。俺と今から一緒にアニメの名作映画を借りてきて鑑賞するか、それともまた鳴らない電話、イコールぼっちの生活に逆戻りするか?」

 湊は「クッ」っと、苦しそうに唸ると、

「こ、こんなことで弱みを握ったと思わないでよね。私はもともと友達なんか……必要……ないんだから……。いいわよ。あなたと私はこれっきり。もう電話なんかかけてこないでね。着拒にしておくから」

 悔しそうに揺らいだ、しかし、確たる意思を込めた冷徹な湊の言葉に、俺は目に見えて狼狽した。

「……え? そうしたら、俺、かけるところなくなるじゃないか? 他人ひとと接触がなくなるじゃないか? いいのか? お隣のニートが孤独死してもいいのか? お前は、そんなに血も涙もない鬼女だったのか!?」

「どちらが脅迫してるのかわからないじゃない……」

 湊は耳のあたりで髪の毛を弄びつつ、ため息をひとつ。

「わかったわ。日本のアニメの素晴らしさとやらを見せてちょうだい。私も来たばかりですぐに帰るわけにはいかないから。仕方がないから付き合ってあげるわよ」

 湊さん、マジ天使。感涙に咽びつつ、

「わかってくれたか」

 と肩に手を置こうとすると、身をよじってするりと逃げられ、

「ただ、私はお金出さないわよ。あなたの勝手で見させられるんだから、あなたが払ってよ」

 そのくらい出します、そこまで貧乏じゃないです、湊さん。


 あ、言い忘れた。

 湊綾香の特徴、その3。

 電話は自分からかけることはない。

 メールで「電話かけてくること」との指示が来て、俺に電話をさせるとか。

 かけ放題プランが常識の世代に、どこまで切り詰めたプランに入ってるんだよ、こいつ。

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