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その6

 そんな出会いがあった次の日の、学校は放課後の時間。

 俺と湊は、近くの駅ビルの中にある比較的大規模な書店で待ち合わせていた。

 本屋の入口の柱を背にして彼女が来るか携帯が鳴るのを待ち、ぽつねんと一人黄昏ながら、人々の足が右へ左へせわしなく流れていくのを居心地悪く見ていた。

 「俺は空気だ。気配を悟られるな」と、隠密行動をするスパイのごとく、できる限り気配を殺す。やはり引きこもりにとって、人の多さは驚異だ。不特定多数の集団が自分をチラ見していくだけで、何か自分の悪いところを見られているような気がして軽く恐怖を覚える。

 集合時間まであと2分。

 早く来いよ。あるいは連絡くらいしてこいよ。買出しに行くと言い出したのはお前のほうだろうが。時間も守れないようじゃ、社会人としてやっていけねぇぞ? いや、まだ時間になってないけど。5分前行動は基本だろ、社会人というか、人として。もっと言うなれば、待合に慣れてない人嫌いな病人を少しでも思いやる気持ちがあれば。

 クソ、こんなことになるんなら、力なんか借りようとせずに、自力でWE-CANに申し込むべきだった。

 誰にともしれず、そう毒づいた。


 

 話は、昨日のその後に遡る。

「あなたが行政書士に? それは勝手だけど……私に頼るより、資格学校に通えばいいじゃない? それでなにか問題でも?」

 訝しげに、湊は聞いてきた。いや、『訊いて』きた。不愉快そうな態度があけすけだ。

「いや、俺、人が大勢いるところに行けないから……密閉された空間とか、無理」

「何? あなたの病気ってなんなの? 対人恐怖症? それにしては、私に対して態度が不遜すぎると思うんだけど。人ごみは私も嫌いだけど、何か悪いことでもしたわけでもないでしょう? 堂々と胸を張りなさいよ。たかが学校に通うくらい」

「……い、いや、何もしてないけど、そう思わされることはある。俺の存在自体が、何か悪いんじゃないかってな」

 湊は形の良い眉根を寄せて、

「確かに、後半は合っているかもしれないけど、人がどう考えようとどう見られようと、『自分』を貫くことができなければ、それは、人に従属しているだけよ。他人に左右され、他人にコントロールされる、操り人形の一生でいいというの?」

 くっ……! こいつ、手加減というものを知らねぇのか? 俺が病人だって知ってるだろうが? 大体、お前が人間関係語ってるんじゃねーよ、このコミュ障が。

 口まででかかった言葉を飲み込んで、しかし俺は別の言葉を吐き出した。

「確かにな。だが……俺、金ないから……」

 『金』という言葉に、湊は敏感に反応した。流石に、自分の悩みのテリトリーに入ってくると、多少の共感くらいはできるようだ。

「……そう。お金……お金ね。確かに、それは重要な問題よね。一番の問題と言い換えてもいいわ」

「で、いま、WE-CANのサイト見て、分割払いなら一ヶ月3980円の支払いでできるというのを知ったんだ」

 湊は、その言葉を聞くと、雨に打ち震える子犬を見るかのような目で俺を見た。

「……そう。それなら予言するわ。あなたが見染めたWE-CANに申し込んで教材が届いたら、最初の興奮と喜びに打ち震えたあと、数冊のテキストにパラパラ目をやって、なんでこんなの買ったんだろう、と絶望に叩き落とされるわ。残るのは、ローン払いのみよ。保障する」

「なんでそこまでいえる!?」

 俺は驚きとWE-CANへの申し訳なさから声を大にして理由を聞いた。

 湊は大声になった俺をたしなめるように睨めつけ、次にやれやれとため息をつくと、

「WE-CANではじめよう、合格しようとしている人は、大体がうまくいってないの。nixiの行政書士コミュニティーの『譲ります』というトピックがあったら、『新品同様! 一回も使わず、半額以下で売ります!』っていうのがゴロゴロしてるくらいよ」

 湊の辛辣な毒舌が始まった。

「甘い宣伝に釣られて、頼んでみたら想像以上にやらないといけない分量と内容が多くて、教材が届いただけで満足してやる気をなくすのね、推測だけど」

「それはちょっと……」

「この資格にはあなたのようないいカモがたくさんいるから。WE-CANごときで受かろうなんて片腹痛いわ。そもそも、WE-CANの教材だけで受かった人なんて、まずいないわ。誇大広告よ」

「いますぐWE-CANさんに謝れ! WE-CANを使って勉強している人たち全員に謝れ!」

 っていうか、こいつ、nixiやってたのか。まあ、最近は招待なしでは入れるようになってるらしいけどな。たしか18歳以下はできないはずだが、年齢は詐称してるのか?

 湊は、そんなWE-CAN全国代表の俺の声をものともせず、

「独学を選ぶなら、それでいいけど。しかたがないから、テキスト選び付き合ってあげる。最低でも、2万円は持ってきて。それくらいならあるでしょう? WE-CANに5万円はらうお金があるなら、もっといい一般教材を、たくさん買えるわ」



 ……回想終わり。で、今に至る。

 時計の針が待ち合わせ時刻に重なるのと同時に、湊は姿を現した。俺の方を一瞥して、バグでも見たかのように形の良い眉をひそめる。わざとらしく腕時計を見ると、

「待って……ないわよね? 今がちょうど待ち合わせ時間なんだから。待ってたとしても、それは時間を調整できないあなたが悪いのよ。さあ、行きましょうか」

 普通、『ごめんなさい、待った?』『いや、今来たとこ』とかいうのが一般的な会話じゃないのだろうか? この人ごみに半泣きで立ちすくんでいた俺に対してひどすぎる。

「……待った。メチャ待たされた。大体お前は気遣いとか、遠慮とか、そういう感情が欠落してる! むしろ人として間違ってる! しかも、最後はなんか俺が悪者になってるし!」

 俺は、性格最悪とはいえ、知り合いが現れた安堵感と同時に、安心したのも手伝ってか、幾分(?)の怒りを込めて言い放った。

「うるさいわね、行くの? 行かないの?」

 そんな必死な人権アピールをものともせず、腕を組んで不満そうに言う彼女に、

「行くよ、もちろん」俺はため息で答えた。


「まずは基本書ね」

 湊は、心得たかのように本屋の資格コーナーへスイっと歩を進め、 ずしりとした、ソフトカバーのテキストをひょいひょいと俺の腕に乗せた。

「ちょ、ちょっと待て。こんな分厚いのが2冊?」

 俺は驚愕した。何この本。1冊1冊がスゲェ分厚い。しかも地味に重いし。

「なに? 予算的に、基本書はもう増やすわけにはいけないでしょう? 2冊で6000円行かないんだから、いいじゃない?」

「そうじゃない! この2冊だけで1000ページ超えてるぞ? これで、『まずは』なのか?」

「当たり前じゃない。基本書だけで合格できれば、行政書士試験ほど楽なものはないわ」

 ……グ、そうなのか。まあ、そう甘い資格でないということだけは、あの後ネットで調べてわかっていたことだけど。

 10人に1人、合格できるかできないか。それが行政書士の合格率らしい。

「そうか……まあ、納得しておく。他に買うものは?」

 そう言うと、湊は間髪入れずに、

「過去25年分の1問1答集、それに予想問題。それから、憲法・民法・行政法はそれぞれテキストと問題集を買っといたほうがいいと思うわ。一般知識も買いたいところだけれど、良書がないから、ほとんど運に任せるしかないのが実際なのよね。それでもとりあえず、基礎の基礎だけ押さえておくことはやったほうがいいと思う。文章理解はセンター試験の現国でいいのがあるから。あとの個人情報保護・情報通信、政経社の一般知識はテキストの読み込みね」

 まだ足りないけど、という感じでまくし立てた。

「マジかよ……? もう勘弁してくれ……」

 ゲンナリとした俺は、苦渋に満ちた呻きを漏らした。

「何か言った?」

「いや、でも、本当にこんなにしなきゃ受からない試験なわけ? ネットで700時間勉強すれば取れる試験って書いてあったけど?」

 湊は、ジロっとこちらを見上げた。その瞳に、苛烈な火花が散る。

「700時間は最低限よ。司法試験組や司法書士組、公務員上級レベルの人たちが受ける分には、行政書士も確かに『受かりやすい』試験ではあるだけなの。その法律既習者の中で、10人のうちの1人に入れる自信はある? 『行政書士専業受験生』の合格者は100時間から200時間は上乗せしてやっているから、数字的には『平均』が700時間になるのよ。大体、昨日聞いたら、あなた無職のひきこもりなんでしょう? それなら、時間はたくさんあるじゃない。四の五の言ってないで、まずはやってみること。それとも何? もうやめたくなった?」

 ぐうの音も出ない。

「いえ……がんばります。ところで、湊……」

「なによ?」

 面倒くさそうに聞き返してくる。

「行政書士試験に、刑法はないのか?」

「ないわ。行政書士試験は、憲法、民法、行政法、商法、一般知識だけ」

 そうだよな。俺、間違ってない。

「それにしては、お前、刑法にやけに詳しかったじゃないか?」

 そう言うと、湊は耳のあたりで、髪を弄んだ。

「……あれは……独学よ。私が生きるために必要だっただけ。あれこれ言ったり、やってくる雑魚どもをなぎ払うには、ちょうどいい法律だからね」

 ああ、なるほどね。よくわかりました……って、納得しちゃっていいのかな?

「そうか」

 何も言えず、頷くしかなかった。

「とりあえず、行政書士試験には記述式という重要な問題も出されるんだけど、それをやる前に、基本的なことはおさえないとお話にならないから、今日はそれだけね。大丈夫、予算以内には収めてみせるわ」

 しっかり者の主婦のごとく、腕まくりしそうな勢いだ。

 まだあるのかよ。心の中で、ほとんど思いつきでこの資格に挑もうとした自分を罵倒しながら、「はいはい」と言いつつ、付き人のように湊の後を追った。

 それにしてもコイツ、俺には実に嫌そうに見せながら、少し楽しんで買い物しているように見える。


 ――単なる俺の勘違いかもしれないけど。 


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