その2
湊と雅ちゃんに帰ってもらった後。
「岬、そこに座りなさい」
俺は、正座をしながら、腕を組んで重々しく言った。
「……なぜ膝の上に座る、岬」
「ラブラブ新婚プレイ」
頭が痛い。後で痛止めを飲まなければ。
「そこじゃない。テーブルの向こう側に座れ。コーヒーも用意してあるだろう? 何のためだ?」
「やだ、もう、満更でもないくせに……」
「お前の感性と常人のそれとはかなり違うことを認めたほうがいいな」
さて、と。回りくどいこと言ってもはぐらかされるだけだし、本題に入ったほうがいいな。
「岬、今すぐ帰るんだ」
「いや。お兄ちゃんで遊びたいもん」
そこは「で」ではなく、「と」だろう。こういう言葉の端々が、尋常でない性格を物語っている。
とにかく、ペースを乱されたらいいように遊ばれる。コホン、とわざとらしい咳払いを一つすると、諭すように言う。
「いま、お兄ちゃんは、受験で忙しいんだ」
「……え、受験? お兄ちゃん、また大学行くの?」
「いや、行政書士という国家資格に挑戦しているんだ。それで、お前が来た時の女の子達と、成り行きで一緒に勉強してるんだ」
「ギョーセーショシ? 具体的に言うと、どんな資格なの?」
やはりそこからか。ドラマや漫画で取り上げられていても行政書士は知名度がまだまだ低い。
「官公署に提出する書類の代理とか、法律関係の書面に携わる資格だよ」
実は、俺もその程度しか分かっていない。そういえば、湊が「行政書士受験をする人の7割は、行政書士がどういう仕事かわかってない」って言ってたっけ?
しかし岬は、身を乗り出して、目をキラキラさせた。
「何それ? 大学より全然面白そうだね! 特に、『法律』ってかっこいいよね! それに受かったら、『異議あり!』とかビシィッて指を突きつけられるの?」
「ゲームのやりすぎだ、お前は。行政書士の業務はあくまで書類作成。それに、法律知識のあることが必要とされるんだ」
もっとも、俺も最初は岬のようなイメージで行政書士を目指し始めたわけだが、あえて何も言うまい。
「へー、なんか面白そう! さっき来てたふたりも、それを目指してるってわけね」
俺はかぶりを振って否定する。
「一人は、去年の最年少合格者で、俺の勉強を見てもらっているんだ。もうひとりは、俺の勉強に付き合って、法律自体をいろいろ勉強してる」
「なるほどなるほど。どっちが誰なの?」
「最年少合格者が湊、もうひとりが、雅ちゃんだ」
ふむふむ、と岬は頷く。
「それで、お兄ちゃんはどっちが気に入っているの?」
俺は自分用に入れておいたコーヒーを吹き出しそうになると、
「……だから、あのふたりとはそういう関係じゃないんだって。友達……というか、そう言えるのかわからないけど、大切な『仲間』なんだよ」
「やだ、そんなのつまらない」
何を期待してるんだ、コイツは。
「それじゃ、あの二人は、お兄ちゃんのことどう思っているのかしら?」
不意を食らったように、ガツンと頭を揺さぶられる。そんなこと、考えたことすらなかった……といえば嘘になるが、あえて考えないように避けていたことだ。
しかし、それを言い出した奴が岬だというのが、どうにも不吉な思いしか呼び起こさない。
「何を考えている、岬」
「いや、二人ともお兄ちゃんに気があるなら、修羅場が見れるかなーって」
やっぱりな、そんなところだろうと思ったよ。
「ねーよ、そんなこと、間違ってもありえねえ」
そう断言すると、岬はニンマリと笑顔を浮かべ、
「そんなお兄ちゃんに朗報です」
「聞きたくない」
「この夏が、さらに熱く燃えたぎるようなイベントが近くの神社で、明後日とりおこなわれるということを、ここにたどり着くまでに小耳に挟みました!」
「あー、そう。で? それがどうした?」
「お祭りだよ、お兄ちゃん! ここに来る途中に神社でお祭りがあるっていうのを発見したのですよ! 行こうよ! もちろんあのふたりを誘って」
「パス。公開模擬試験も近いしな。そんなことより、お前、帰れ」
「ぶぶー! 遠路はるばる来た妹が可愛くないかねえ……お兄ちゃんには少しでも妹属性はないの?」
「ない。まったくない」
「じゃ、パソコンの中身チェックを……」
「ごめんなさい、少しはあるかもしれません」
しかし、生身の妹となると話は別だがな。
「とにかく、これだけ荷物持ってきちゃったんだもん。お父さんとお母さんの許可も得ているし、泊めてよ。いいでしょ?」
「なんでお袋と親父は先に言ってよこさなかったかな……」
こめかみを押さえつつ、嘆息する。
「ちなみに、兄の残り香を嗅ぎながら夢の世界へダイブするのが所望です」
「俺のベッドをかせってか? まあ、ロフトだけどな。テーブルどかして布団敷くから、そっちに寝ろよ」
「私は、兄の残り香を嗅ぎながら夢の世界へとダイブするのが所望です」
「……勝手にしてくれ」
「そうと決まったら、お兄ちゃん、夕食だよ! せっかく私が来たんだし、たまには美味しいもの食べようよ!」
「お前の料理の腕ってどんなだったっけか? 上達したのか?」
「アハハ、何言ってるの、お兄ちゃん! お兄ちゃんが私の為に作るに決まってるじゃない!」
お前とよく似た性格の奴は知っているが、あいつの中学時代は、これほどひどくはなかっただろうな、とは思う。母子家庭だし、湊。……名前出してるじゃねぇか、俺も結構酷い奴だな。
きっちり衣食住を確保した岬に、簡単に作れて美味しい、カルボナーラのパスタを振舞う。岬は満足気にそれに口を運びつつ、自分の近況や、俺の病状を心配していることなどを矢継ぎ早に口にする。軽口でテンポよく紡ぎ出される言葉には、終わりが見えない。
ひとりでいるときは寂しくて自殺を考えたこともマジであったが、こういう奴が一緒にいるというのも考えものだ。まして、二人の美少女と普段から付き合うようになってからは、ここまでベッタリされると、正直うざい。
「そうかー、とりあえず、あのふたりとの出会いと経歴はよくわかったよ。お腹いっぱい」
ふう、と、冷め切ったコーヒーを一口。
「でもね、お兄ちゃん」
「なんだよ」
「大切なのは、そんな、『出会ったきっかけ』じゃなくて、『今後の関係』についてだよ。上辺だけ取り繕っても、繕いきれるものじゃないから。これは、妹としてではなくて、女性としての発言ね」
女性としての発言と言われても……「だからどうしろと言うの?」と突っ込みたい。
「そんなこと言われてもな……あのふたりは、あくまで『友達』としてしか俺のこと見てないぞ」
そういうと、岬は、目を皿のようにして俺を見やった挙句、盛大なため息をついた。
「この朴念仁はわざとかな? 狙ってやってる?」
「何言ってんだ、お前」
言いたいことはわかるが、半ば素になってげんなりとした表情を見せる。
「もしかして、本当に気づいてないの? 『法律の勉強』っていう名目があったとしても、女の子はなんとも思ってない男の家で勉強なんて、しようと思わないよ」
「すまん、それを真に受けると調子乗るから。俺、木に登りやすいんだ」
考えないようにしていた。それを、コイツは遠慮もなく、ズケズケと侵入してくる。
「むー……。とにかく、明後日の夏祭りにはふたりを誘うこと! 私も行くから、エスコートのアシストしてあげるよ!」
「はいはい、助かりますよ」
って、もういい。これ以上不毛というか、こちらが不安になるような会話をしていたくない。
ガラステーブルにのった食器を小さなキッチンに手早く運び、洗っていく。なにか岬がのべつまくなしに騒いでいるが、聞こえない、聞こえない。これは幻聴に過ぎない。そう自分に言い聞かせた。食器を洗い終えて戻ると、
「さて……そろそろ寝るか」
と、岬に言葉をかけた。
「えー、もう?」
岬はまだ話足りない感じで、頬を膨らませていた。
「ガールズトークじゃないんだから、そういうのは友達とやってくれ」
岬は不承不承といった感じで、「はーい」とつぶやいくと、ロフトに登っていく。
俺はガラステーブルをどかすと、来客用の布団を敷いた。
「え~、お兄ちゃん、ほんとうにそこでねるの~?」
と、岬は不満な声を上げる。
はあ、早く寝たい。
「ねぇ、お兄ちゃん、昔みたいに私と一緒に……」
「電気消すぞ」
「私とい――」
「電気消すぞ」
「……はーい」
事前に地雷処理を終えた俺は、部屋の電気を消した。
就寝の状態からしばらく。
俺はどうにも目が覚めて眠れずにいた。岬がこっそり入り込んでくるのを懸念したのもあるが、妙に目が覚めている。あのふたりは俺をどう見ているのだろう? 岬に突然吹きかけられた疑問の答えは出ない。
――ほどなくして。
「お兄ちゃん」
岬の声が、ロフトから降ってくる。
「なんだよ」
「……決めるときは決めなよ」
俺は、心臓を締め付けられるとともに、ギリリ、と歯噛みした。
「さっさと寝ろ」
やや語気荒く、そう口にする。
「うん、お休み」
しばらくすると、規則正しい寝息が聞こえてきた。
眠れないと思っていた俺も、いつしかそれにつられるように、眠りの世界へと誘われた。
……結構図太い神経構造してるのかもしれないな、俺も。