その1
唐突な来客というのは、えてして不幸を携えてくるらしい――というのが俺の持論。
今日は3人で集まって勉強しているところに、インターホンを何回か押され、「うっせーな」などとブツブツ言いながら、ドアを開ける。新聞の勧誘でも、宗教の勧誘でも、はたまたMHKでも、それほど気負わずに追い返せるほど、俺の精神的状況は回復してきていた。
まして、今回の来客が、
「お久しぶり、お兄ちゃん」
と、小さな体に大きな手提げバッグを抱えた、キャミソール姿の美少女であろうと、
「人違いです」
慌ててドアを閉めてチェーンをかけることができるほどには。
「ちょ? ちょっとおおおおお! お兄ちゃん! 可愛い妹を締め出さないでよ! せっかく田舎から都会へ出てきたいたいけな妹を!」
やばい、『地雷』が足元にすすすっと擦り寄って、踏んでくれとばかりに設置されている状況。一触即発とは、まさにこのことだ。
「名幸さん、なんか、妹さんらしき人がドアを開けろと騒いでますが?」
「なに? あなたに妹なんかいたの? なんで入れてあげないの?」
訝しげに追求してくるふたりに、俺は額に汗をつうっと一筋垂らす。
「い、いや、まあ、そうなんだが……この状況を見られたら、何されるかわからない」
湊と雅ちゃんは互を見やったあと、「あー」、と頷いた。
「ブラコンなのね? 私たちを見たら、兄を取られるんじゃないかって……もしかして、えっと、ヤ、ヤンデレ、ってやつかしら?」
「そんな可愛いものじゃない」
「おにいちゃあああああああああああああん!」
聞こえない聞こえない聞こえない。
「ブラコンならまだいいさ。しかし、ぶっちゃけ言うと、あいつの場合、『面白いことが大好き』なんだ。それも異常なまでに。そんなヤツがこの状況を見たりしたら……」
「わあああああん! お兄ちゃんが部屋に入れてくれないよおおおおおお! 私なんか街を彷徨って、怪しいおじさんに泊めてもらえって言ってるのねえええええええ!」
「ちょ……まずいんじゃない?」
「名幸さん……」
「聞こえない聞こえない聞こえない」
俺は念仏のようにそう唱えた。
――と、妹の声が止み、ガチャリ、とドアを開ける音がした。
合鍵を使ってドアを開けたのだ。それから、空いた隙間からチェーンを外して入ってくる。合鍵があるならなぜ最初からそうしなかったのか疑問に思う人も多いだろう。
――つまりは、俺の妹、名幸岬はそう言う奴なのだ。
黒曜石の輝きを持つストレートの髪を背中に流し、涼しそうな水色のキャミソールを着ている。慎ましやかな胸は、まだあどけない顔立ちを楚々とした雰囲気に見せる一役を買っていた。
「もー、歓迎してもらいたかったのに、お兄ちゃんったら……!」
そう言って、ずんずんと部屋に入ってくる。
「……って、このふたり、だれえええええ????」
俺は顔を覆った。やはりこうなるのか。
「お兄ちゃんが夏休みを使って田舎からはるばるやってきた私を締め出して、美少女ふたりを侍らせてるよおおおお!!! どうしよう! この暑苦しいさなかに、お兄ちゃんの春が来た? お母さんに連絡!? その前に警察呼んだほうがいいかな!?」
物騒なことを言い出す岬を、頭痛をとともに抑える。
「い、いや、これには訳があって」
「……そ、それで! どっちがお兄ちゃんの彼女さんなの? もしかして、3ピ」
「まてまてまてまて! そんなんじゃねーって」
何か、放送禁止用語が飛び交いそうな勢いだったので、慌ててツッコミを入れる。
岬は俺の方をじろりと見やると、「……ふうん」と怪しげな笑みをたたえて、次の瞬間には人柄を豹変させた。
「あ、申し遅れました。私、名幸岬といいます。もぎたて果実の中学3年生! 受験生ながら、兄のことが心配になって、追いかけてきてしまいました!」
今の岬は、素直であどけない女子中学生そのものの口調と物腰である。
しかし騙されてはいけない。こうして、人をコントロールして、面白いことを引き出すのが、コイツの常套手段なのだ。
「お前、どうやって俺のうちの場所を知って、合鍵を手に入れた?」
ため息をついて、俺が問うと、
「いやー、お父さんとお母さん、私とお兄ちゃんを引き合わせるの嫌うじゃない? それって、『兄妹としてどうなんだろー?』って思って。『兄を心配した妹は一人都会に出てきて、泊まる場所もなく、知り合った男性の元に泊めてもらいながら、健気に兄を探すつもりです』、って言ったら、お父さんが慌てて合鍵くれて、住所を教えてくれたの」
そうなのだ。両親がそうしたのも、それはそうだろう。コイツの場合、言ってることが冗談ではないのだ。それが面白そうであれば、そんな危険な真似も、承知で行動に起こす。
「面白くなければ面白いことを探す。面白くなければ面白いことを作り出す」
それが岬の座右の銘であり、常軌を逸することがしばしばある。そんな地雷女が、悲しくも俺の妹なのだ。だからこそ、妹と妹の恰好のおもちゃである俺とは、『俺の病気を理由に』長いこと隔離状態にあったのだ。
「ちなみに、こんなにお兄ちゃんが慌ててるのは、私と禁断の愛を育んだ挙句、田舎に残して来ちゃったからです。お二人には心苦しいし、信じてもらえないかもしれませんが、私たちは兄妹の一線を超えてしまってるんです……」
目に涙を溜め胸に拳を当てると、声を潜めて岬が言う。
「待てコラ」
ツッコミを入れるが、
「それ、どこまで本当なの?」
湊が、俺の方を害虫を見るような目つきでじとっと睨めつける。
「そうですよ、名幸さん! 岬さんとは、健全な兄妹じゃないんですか!?」
愕然とした様子で雅ちゃんが確認する。
「あー……」
俺は何も言う気力が起きず、上を向いて、こめかみを押さえた。
「それなのに、お兄ちゃんは、美少女ふたりを侍らせてるのです。お兄ちゃん! 私というものがありながら! 誰なの、この二人。殺すべき?」
「アホか!」
「いや、一度ヤンデレ設定やってみたかったの」
「お前と話してると、精神が摩耗していくんだよな」
「よく磨かれた鉱石は宝石へと輝き変えるんだよ」
「お前との会話で、有益なものが生まれることは絶対にない」
「冗談だよ、それで、どっちが彼女さんなの? それとも、ハーレム状態?」
「だから、違うといってるだろ」
もう、立て板に水のようにマシンガントークをかます妹を止める手立てが見つからない。
「しょうがない、来ちゃったものはしょうがないよな――、紹介するよ……こっちが……」
「湊綾香よ。湊って呼んでくれない?」
率先して湊が名乗り、雅ちゃんがそれに続く。
「杉崎雅といいます。雅って呼んでくださいね」
岬は人差し指をこめかみに突き立てると、
「はい、インプット完了です。湊さんと雅さんですね」
それから、はち切れんばかりの笑顔を見せ、
「それで、お兄ちゃんとはどういう仲なんですか!? 精神病で引きこもってるって聞いて、心配してきたのに、こんなハーレム状態にいるなんて、お兄ちゃんも隅に置けないですねー。将来私のお義姉さん候補になるわけですし、袖振り合うもなんとかやらで、お兄ちゃんとのムフフトークを赤裸々に聞かせてくれると、岬は嬉しいです!」
ハーレムという設定は取り下げるつもりは毛頭ないようだ。
「湊、雅ちゃん、ちょっと今日は……」
二人は俺が言いたいことを岬の性格から勘案して、察してくれたようだ。
「あれれ、二人共帰っちゃうんですか? 小姑としては悲しいなー。お兄ちゃんには興味がないのかなー。例えばお兄ちゃんの好みのタイプとか、教えて差し上げるのに」
「余計なお世話だよ。大体、お前が俺の好みのタイプを知ってるわけがないだろう」
「いやいや、お兄様、私はお兄さまの部屋をすみずみまで探索した結果得られた書物を検索・分析して、その性癖を……」
「お前、やっぱり俺の部屋を漁ったのか!?」
うんざりして、問い詰める。エロ本の類は、絶対トレースされるだろうから、家を出る前に処分してきていたのだ。抜かりはない。
「この部屋も、ロフト上あたりが怪しいですなー」
「はいはい、後で探したいだけ探せよ。……あ、湊に雅ちゃん、ごめん、ばたばたして。今度埋め合わせはするから」
岬が思い出したかのように言う。
「あ、お兄ちゃん」
「なんだよ?」
「後で、パソコン貸して。履歴とか、ファイルとか見たいから」
「岬、お兄ちゃんが悪かった。もう、ぞんざいに扱わないから、勘弁してください」
兄の威厳というものが、こうもあっけなく、ガラガラと崩れ去っていく。
とにもかくにも、これが俺の妹、名幸岬だった。