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その4

「結局、勉強に戻ることになるのね……」

 残念な事実を確認しながら、湊が形の良い眉をひそませる。カラオケ3曲で、都合一曲頭500円+ドリンクバー1杯250円を取られたことに、無念を通り越した何かを感じさせるオーラを発している。

「いいじゃないですか。それも青春です」

 雅ちゃんはいつものように柔らかくフォローに回る。

 セミたちのはた迷惑な大合唱が聞こえる。太陽の過酷な光線を浴びたアスファルトが先に伸びる道に陽炎をゆらゆらさせていた。

 俺は暑さで流れ出る汗をハンドタオルで拭いながら、何か、財布を開いては首を傾げている雅ちゃんを疑問に思って、声をかけてみる。

「どうしたの、雅ちゃん?」

「……あ、いえ……おかしいなあ……?」

「何、思ったよりお金が少ないの?」

 雅ちゃんはかぶりを振った。

「逆です。なぜか、今日の私、お金持ちなんです……気のせいかなあ……?」

「多い分には、良いことなんだから、気にしなくていいんじゃないかな?」

「はい、でも、なにかしっくりこないというか、気持ち悪いじゃないですか」

 あー、それはなんとなくわかる。

 自分が「こうだ」と信じきっていたことが、裏切られた瞬間。それが幸福であっても、不幸であっても、なにか心地良くはない違和感が残る。

 先ほど買出しに出かけていったコンビニの通りに差し掛かった時、雅ちゃんは、

「ちょっと、コンビニ寄って、冷たいものでも買っていきませんか? お出かけを言いだしたのは私ですし、なぜか今日はお金持ちなので、私、奢りますよ!」

 向日葵の笑顔で言った。

「年下に奢られるのは……」

「……お金の問題はきっちりしないと」

 湊と俺は難色を見せたが、予想していたのであろう、雅ちゃんの方が畳み掛けてきた。

「暑いところに連れ出してしまったのは私ですし、お二人には、いつも助けてもらっています。たまには、恩返しさせてください!」

 そう、満面の笑顔で言われると、俺は何も言えなくなった。

 湊は……昔の湊なら、速攻で「いらない。友達ごっこのほどこしは受けないわ」などと一刀両断にしていたのだろうが、雅ちゃんと関わるようになってから、だいぶ丸くなってきている。不承不承といった感じだったが、曖昧に「そう……」と頷いた。


 コンビニに入ると、先ほど買い物をした時の店員が、俺たちを見やって、胸のあたりに大きな掌を当てると、なにやら大きく息を漏らした。

「ああ、よかった! さっきの君だよね! 5000円のお釣りを渡し間違えて1000円札の中に5000円を混ぜてしまって、気づいて追いかけたんだけど、見失っちゃったから。悪いけど、返金してくれる?」

「え……」

 一瞬鼻白んだ雅ちゃんだったが、得心いったといった感じで、

「あー、そうだったんですか!」

 と、小首をかしげて笑顔を浮かべた。パズルがやっと解けた、といった感じだ。

「ちょっと」

 だが、一人納得して、財布を探る雅ちゃんをかばうように、片手で自分の後ろに押しやって、湊が店員と相対した。

「あなたが間違って渡したのを、返還請求するということね。それなら、5000円全て返す義務は私たちにはないのよ」

「え……と……え?」

 困惑して、店員が困った顔をする。

「不当利得返還請求は、遊興費ゆうこうひとして使った分は返還義務はないのよ。私たちが浪費した分は返す義務がない。もともとがそちら側のミスですしね」

 いや、それもそうなんだけど。

 法律上原因のない利益を与えてしまった場合、利益を与えた側は返還を請求できるが、利益を受けた側が、『遊興費』、つまり、遊びや娯楽に浪費してしまった場合は、返還する義務がないのだ。

 『食費』や『生活費』に使った場合は『当然使うべきお金であったろうから返さなくてはいけない』のだが、これが例えば5000円全てパチンコなどのギャンブルをはじめとする『遊び』につぎ込んだとした場合、『そのお金がもともとなかったのならば、使うことはなかったであろうから返さなくても良い』と法のロジックではみなされるのである。

 ゆえに湊の主張通り店員は『カラオケで俺たちが遊んだ分のお金』については不当利得返還請求できない。

 なんとも普通の神経なら納得がいかない結論であるが、実際に判例ではそのようになっているのだから仕方ない。

 でも。

「雅ちゃん……でも、ちゃんと払うよね?」

「はい。湊さん、気を使って頂いてありがとうございます。それでも、気付かなかった私も悪いんですから」

 店員はホッとした表情で、5000円札と1000円札を交換した。

「……そう」

 湊は、なにか思いつめたかのような表情で、俺たちを見ていたが、

「なにか冷たいものを奢ってくれるというのは無しにしてくれない? 自分で買うわ」

 コンビニの強い冷房よりも冷たい声で、そう宣言するように言った。

 

 俺の部屋に帰ってきて、いつものごとく勉強を終えると、雅ちゃんは帰っていった。

 部屋に残されて、やることがなくなった俺たちだが、何とはなしに湊がこちらを見ずに、ひとりごちるように言った。

「今日は、私のカッコ悪いところばかり見せてしまったわね。……ねえ、あなたは、私みたいなのより、ああいうふうに、自分に正直で、素直で、周囲とうまくやっている杉崎さんの方が好みでしょう? ……いいえ、普通の人なら、みんな彼女のような『普通の子』を選ぶわよね。私でもそうするし」

 発言の意図をはかりかねたが、とりあえず、曖昧に頷く。

「……まあな」

 湊は、「うん」というと、続けた。

「普通に遊びにも行けて、普通に話して、普通に交流を重ねて。お金に悩むこともない。友達もいる。とても良い子……私には、そんなことできない」

 大きくため息をついて、湊は、

「私にはできない。私は、いつも異端なのよ」

 と締めくくった。先ほどの、不当利得返還請求について主張する自分と、雅ちゃんとの間に温度差を感じたのだろうか。あるいはその前の、カラオケか? 思い当たることが今日はありすぎる。

「そうだな」

 だがしかし、それに動じる俺ではなかった。

「なによ、フォローはないの?」

 湊が異端だなんてことはわかりきっている。もう何ヶ月一緒にいると思うんだ?

「いや、それが湊だから。無理して変わることないんじゃないの? 湊は湊。雅ちゃんは雅ちゃん。それでいいと思う。それぞれが、それぞれの個性を持って、お互いそれを尊重して、それぞれの生き方ですごしていければいいんじゃない? それが『友達』ってもんだろう?」

 そして、俺もまた『異端』であるのにも関わらず、彼女たちには何も言わずに受け入れられている。『欠点』は、『個性』だ、という甘っちょろい道徳観があるが、あれは何気に真理ではないだろうか?

「私は、ちゃんと『友達』になれてるのかしら」

 湊が耳のところで髪を弄びつつ、一人語りに問いかける。答えを待っているわけではない。でも、口にせざるを得ない疑問だったのだろう。

「それは、雅ちゃんの笑顔と、俺のいつもの感謝の気持ちが証拠だよ。お前の世界ではどう捉えようと、俺たちは違った見方をするさ」

「……あなたも?」

 今度のそれは独白ではなく、まっすぐにこちらの瞳を見据える疑問だった。

 だから、俺はその目から瞳をそらさず、

「ああ」

 と、本心を返した。

 湊は、しばらく俺の顔を眺めていたが、つと視線を外した。

「私はどう言っていいかわからない。あなたのこと、杉崎さんのことをどう思っていいか、まだわからないの」

 俺は肩を竦めてみせた。

「すぐにわかる必要もないんじゃねーの? 友達っていうのは、『友達になろう』と言ってから、友達になるものでもないんだし」

 俺は頭をボリボリ掻いて、

「いつの間にか、そうなってしまっていることってあるだろう? それは、神様がシャツのボタンをかけ違えたか、何をしたのかはわからないけど、それが自分にとって良いものなら――例え悪いものであっても、素直に受け入れればいいだけの話だと思うよ。この場合、素直さと謙虚さは同じ意味だと思う」

 湊は黒曜石の瞳を鈍くに光らせながら俺の声に耳を傾けていたが、

「そう……」

 と、全身で息を吐き出して、言った。

「こういう時どう言ったら良いかのかすらわからないけど……」

 湊は髪をかきあげると、寂しそうにこちらを見やった。

「……とにかく、ありがとう」

 その時見せた湊の笑顔は、少しだけ嬉しそうで、壊れてしまいそうなほど儚げで。

 湊が出逢ってから初めて「湊綾香」としての心の底からの笑顔を見せてくれたのは、実はこの瞬間だったのかもしれない、と思った。

 だから、俺はそんな湊をまぶたに焼き付けるように一瞬眼を閉じ、答えた。


「ああ」


 ……と。

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