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その3

 雅ちゃんは慣れた足取りで、湊と俺は神妙な面持ちで、雅ちゃんのナビゲートのもと、家から15分ほど離れた、駅近くの大通りに面した一軒の小奇麗なビルにたどり着いた。ジリジリと皮膚を焼く太陽を呪い殺してやりたい、などと普段なら思っていたであろうが、今の俺は、相当にテンパっていた。

 カラオケは……そもそもなんでカラオケなんてものがあるのだろう? プロでもない素人が、歌手の真似事をし、自分の歌声に酔うための個室に何の意味が? 「みんなで盛り上がれる」などというなら、ぜひ歌いながら友達を見て欲しい。次の曲を入れるために、歌声に耳も傾けず、ただ機械や本をいじくってるだけだ。少なくとも、『俺の』経験ではそうだった。

 そんなことを思いつつ、ビルの中に足を踏み入れる。

「いらっしゃいませー」

 おそらくはバイトと思われる、まだ若い定員が、妙に間延びした声で、俺たちを迎えた。

 雅ちゃんはこちらを振り向くと、

「フリータイムで、ドリンクバー付きでいいですよね?」

 と、小首をかしげて聞いてきた。

 フリータイム……? 要するに、何時間歌っても料金は一緒だということか? そうしたら、あまり歌わなかったら、その分多めにお金を取られるのではないだろうか? 最後にカラオケにいったのがかなり前だし、精算は友達に任せていたから、いまいちシステムがわからない。

「杉崎さん、それは、いくらくらいになるの?」

 湊が緊張した面持ちで雅ちゃんに問いかける。

 雅ちゃんは、どこにあるかも知れない料金表も見ずに、さらりと言った。おそらく、この店は雅ちゃんの行きつけなのだろう。

「学生料金が一人540円、一般は……ええと、600いくらかだったと思います。ドリンクバーは250円です」

「そうすると、合計790円ね。わかった、そのくらいなら……」

 そう言って、湊は財布を取り出す。

「あ、お、俺も……」

 俺も慌てて財布を取り出した。

「ちょ、ちょっと待ってください。料金は後払いですから」

 雅ちゃんが慌てて止めに入る。

「……え、そうなの? それじゃ、フリータイムじゃなくて、1時間しか歌わないつもりだったのが延長して8時間になったとしても、『フリータイムで』って言えば、すごく安く付いちゃうじゃない」

「……そ、そう言われてみればそうだな。湊、これには、もしかして……」

「……ええ、裏を感じるわね。なにかトリックがあるはずだわ」

「そ、そんなもの、ありませんよ! いたって普通なシステムです!」

「そもそも、なんで料金が一人頭なの? 同じ部屋で歌うんだから、部屋ごとで料金が決まるはずじゃない。人が多いほど料金だけが高くなる。こんな理不尽なことって……」

「湊、ちょっと待った」

 雅ちゃんがすごく困った顔をしているので、俺は湊に静止をかけた。

「ここは雅ちゃんを信じて任せよう。世の中なんて、理不尽なことが溢れかえっているのだしな」

 湊はしばらく不本意そうな顔をしていたが、

「そうね、郷に入れば郷に従え、とも言うし」

 重々しく頷いた。

 雅ちゃんはそれを聞いてホッとしたようで、店員に、「3名で」と言う。店員が「204号室になります」と返し、何やら機械とマイクを渡したようだった。

「さ、行きましょうか」

 雅ちゃんは柔らかな物腰で言い、緊張でいつになくおどおどした感じの湊と、同じく緊張でカチコチになっている俺を先導して204号室へと向かうことにした。


 部屋に入って、ドリンクバーで飲み物を入れてくると、

「それじゃ、まずは私からどんどん入れちゃいますよー! お二人も、バンバン歌って憂さを晴らしてくださいね!」

 天使の笑顔のはずなのに、今は不吉にしか感じられない言い回しのため、雅ちゃんの声は、判決文を言い渡すそれに似ていた。

 雅ちゃんが、曲に合わせて軽く体をシンクロさせながら、軽いブレスの後、可愛らしい声で、ポップな感じのミュージックにのせ、柔らかな歌声で歌い始めた。

 なんというか、普通にうまい。

 ボケーっと聞き入ってしまい、雅ちゃんが歌うのを聞いてるだけでもう十分という感じなほどだった。

  曲が終わり、「えへへ」とはにかみながら、雅ちゃんがマイクを俺に渡す。

「あれ……? 次の曲、入れてないんですか?」

「え? ああ、まあ……今入れるところ」

「湊さんもどんどん歌ってくださいね」

 その天使の笑顔が、今の俺たちには重すぎるプレッシャーだった。

「わ、わかってる。今、曲を探しているところなの」

 湊がいつもの冷静さを失ってリモコンを持ちながらワタワタしている。おそらく、操作方法がわからないのだろう。

 ここは、俺が矢面に立たなければならないらしい。機械には、『歌手名』『曲名』という大きな二択と思しき文字が躍っている。湊の、固唾を呑んで操作方法を見守る視線を感じつつ、おれは「ままよ」とばかりに、『曲名』を選んだ。

 入れた曲は、一昔前の名曲、サルスケの「黄色いベンチ」

 曲を入れると、前奏が流れ出した。

 リズムをとって、曲の始まりを待つ。

 ……ここだ!

「きーみはー来るだろ……あ、えと」

 出だしでとちった。1テンポ遅れて曲の文字が反転し始め、早く歌いだしすぎたことを告げていた。

「名幸さん、ガンバです!」

 雅ちゃんが応援してくれる。俺は、その声に応えるように、全身で答えた。

「このウたーが。キエるくライにー! 君にー」

 く、歌えば歌うほど、自分の音痴さがわかる。歌っていると思っている自分の声と、耳に入ってくる自分の声が乖離している。

 雅ちゃんは相変わらず笑顔でマラカスを振ってくれていたが、湊は、こちらを見るのが可哀想、といった体で、視線を逸らしていた。

 ようやく俺の番が終わった。何この罰ゲーム? だから、カラオケだけは、本当にダメなんだって。苦手なものは他にも多いけど、カラオケはその中でも群を抜いていのだ。

「名幸さん、良かったですよ」

 雅ちゃんが微笑みかけてくる。しかし、その笑顔に、少し苦いものがあるように、俺には感じられた。いや、雅ちゃんが言ってくれるのなら、穿うがち過ぎかもしれないけど。

「そうね、予想以上だったわ。密閉された空間じゃなかったら、ある意味騒音被害になるくらいね」

 むしろこちらのほうが正直な評価だろう。俺は落ち込んだが、同時にカチンと来て、

「じゃあ、お前なんか入れろよ」

「い、言われなくても入れるわよ」

 湊は、俺が操作したのを見よう見まねで真似て、なんとか曲を入れたようだった。

 前奏とともに、タイトルが出される。

「って、なんで『翼をください』? なんでその選曲?」

 俺がひとりごちるように、皮肉を言う。

 花も恥じらう女子高生。小学生じゃないんだし、流行りのJ―POPならともかく、いきなりその選曲はないと思う。


 ――しかし、そんな皮肉も、湊の歌声がガラスのように滑らかに流れ出すまでの束の間に過ぎなかった。

 その歌声は、繊細で耳に心地よく。陶器のように滑らかで、宝石のように澄み切っていた。

 雅ちゃんも驚いたらしく、俺たち二人は、気づく間もなく湊の歌声に没入させられていた。

 湊が歌い終わり、曲が終わると、やかましいはずの部屋は、沈黙で支配された。

「な、なによ……? そんなに私の歌声変だった?」

「い、いや……ちょっと驚いてな……」

「そ、その、凄く上手くて……歌手でもこんなに上手く歌える人はいないんじゃないかってくらいでした」

 湊は、不意をつかれたかのように横を向き、照れ隠しなのか、耳元で髪をいじると、マイクを雅ちゃんに押し付けた。

 雅ちゃんと俺も現実に戻って、次の曲を待っている画面に見入った。

 雅ちゃんは、「なんか、自分が恥ずかしくなっちゃうくらいうまかったです」と言うと、

「それじゃ、次はデュエットしましょうか?」

 と、湊と俺にマイクを渡そうとしたが、湊は

「わ、私は遠慮しとくわ」

 と、硬い固辞の意思を示し、俺の方も、

「お、俺も、足引っ張るから」

 と、ややかたくなに断った。あんな美声の後に続くのは、さすがに出きっこなかった。

 たぐいまれな美声を誇っていても、湊に至っては、気持ち的に、一曲歌うのがせいぜいなのかもしれない。

「そんなの気にしなくていいですよ。みんなで盛り上がりましょう!」

 雅ちゃんがフォローに回るが、

「いや……実は……」

「あ、あら、あなたも……?」

 と、俺たちは妙な連帯意識でお互いの言わんとすることを、言葉もなしに確認し合った。

「……俺、他の曲知らないんだ」

「……私の歌える曲、学童唱歌しかないから」


 結局、フリータイムの予定だったカラオケは、わずか3曲で終了することとなった。


 何しに来たんだ、俺たち?

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