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その5

 七条実はイタチの最後っ屁のような100円玉を放り投げて、これで話はおしまい、というかのごとく、そのまま俺たちの前を通り過ぎていこうとする。

「ちょっと待ちなさいよ」

 湊が、当然のごとく七条を制止する。

「なんだよ、まだ何か用なの? いい加減しつこい。うざいんですけど」

 心底嫌そうに、七条は眉をひそめてみせた。

「あなた、この100円を、藤堂さんから借りた10万円の一部として払ったとでも言いたいの? そんなに甲斐性なしの最低男のままでいいの?」

 湊は、夏場だというのに、冷気で周囲を白く覆いそうな冷たさで確認した。

「いいかげんにしろよ? お前らが払えって言うから、払ったんだろ? それになんの文句があるって言うんだよ?」

 湊は、髪をかきあげると、鋭い眼光で冷たく七条を一瞥する。

「そう、私たちが言ったから払ったのね。10万円の一部の100円を?」

 七条は、怒りに顔を真っ赤にして、

「そうだよ、ちゃんと返しただろう? それで、これ以上何を俺に求めてるワケ?」

「違うわよ。勘違いしないで。返したから求めるのよ」

 湊は勝ち誇ったかのように腕を組んで見せた。

「杉崎さん、藤堂さん、それにそこの男。確かに聴いたわね?」

「き、聴きました……」

 おどおどした感じに、雅ちゃん。

「……聴いたよ」

 まだショックから立ち直ってない藤堂都がボソリと。

「確かに聴いたが、俺だけ名前で呼んでくれないんだな……」

 俺は、少々凹みながら頷いてみせた。

「な、なんだよ、お前ら……? 何を聴いたって?」

 狼狽する七条に、俺は懐からボイスレコーダーを取り出してみせた。普段は、法律の条文を自分の肉生でいれて使っている勉強道具の転用だ。俺は説明の役割を引き受けることにした。

「今、100円を君は『返した』と言ったろう? 10万円の借金の一部として。それは法的に10万円の一部弁済に当たり、10万円の借金を認めたことになる。一部弁済したことにより、返済の意思があるということになるんだよ」

「なっ!? ば、馬鹿言ってんじゃねーよ! 10万と100円じゃ、全然違うだろう? それが、なんで『一部弁済』になるんだ?」

 七条は、理性をかなぐり捨てて、「馬鹿言ってるなよ!」と繰り返す。

「100円じゃなくて、ただの1円でも支払ったら、それは『借金の承認』になるのよ。この学校の下校中の生徒さんにも知れ渡っちゃったみたいだし、証人はたくさんいるわ」

 湊は、ビシィッ! と、人差し指を七条に突きつける。

「残念だったわね。法は、知っている者のみを助けるのよ」

 七条は、追い詰められている自分を十分理解しながらも、まだ納得がいかないといったふうに、吐き捨てた。

「……ああ、そうかよ! 法律? 知ったこっちゃねーよ? とにかく俺は払わないからな! そんな暴論がまかり通るわけがないんだからな!」

「……そう?」

 湊は、そんな七条の言葉をどこ吹く風で、受け流してみせた。

「まあ、あなたの態度がどうであれ、支払わないというのであれば、数日以内に裁判所に正式に支払督促を出してもらうわ。これで、法的にもしっかりと取り立てが出来るしね。それに加えて――」

 湊が氷の視線を七条に投げかけた。

「あなた自身ではなくて、あなたの法定代理人、つまりご両親に宛てて、『10万円の請求書』を内容証明を送るから。あなたが正当だと言っている行動を、ご両親は誰に誇れるのかしらね?」

「ちなみに、内容証明というのは、きちんと到着して、内容を通達したことを法的に保証する郵便のことだから。破り捨てても、なんの意味もないからね」

 湊の辛辣な言葉に、俺が追い討ちをかけるように補足する。

「な……」

 七条は腰砕けになって、へなへなと地面に座り込んだ。

「なんだよ、それ……」

 半泣きになって俯く。

 終わったな……。

 俺がそう思ったとき、ふと、俺たちの中から、藤堂都が、弱々しいが決意を込めた声を発した。

「……実。あたし、あなたに10万円貸すために、友達からいくらか借金しているの。それを返せれば、あとはあたしの支払った分の借金だけだから、それは分割で少しずつもいいから返してくんない? ほ、ほら……あたしたちも、なんだかんだ言って、付き合ってたんだしさ……」

 藤堂都は精一杯の和解の提案を出した。

「……私も、それがいいと思います。本当に、徹底的に追い詰めようなんて、私たちは思ってませんし……」

「思ってるわよ? お金の問題に妥協はないわ」

 雅ちゃんのフォローを台無しにして、湊が言い放つ。

「人間は、お金のことになると、人が変わるから。私は、そのことを知ってるの」

 どことなく、寂しげな声色で続ける。

「……ア、アハハ……湊さんは、いろいろ経験してるから、そう言えちゃうのね。でも、私は都ちゃんの提案が、今回のことをきちんとさせるためには一番だと思います。どうでしょう? 七条さん」

 胸に左手の拳を当てて、柔らかく、諭すように述べる雅ちゃんに、藤堂都が頷く。

「あたしも、あたしが友達から借金した分をとりあえず返せれば急がないから。それで……いいよね?」

 七条実は、そんな藤堂都を力ない光を込めた瞳で見やると、からくり人形のように、カクン、と頷いた。

「それでいいよ……な。一番の当事者がそう言ってるんだから」

 俺が、矛を収めるように湊を諌めると、

「……甘いわね。みんな。本当に……」

 不承不承ながら、といった感じではあったが、港は耳のところで髪をいじりつつ、頷いた。


 ――で、後日談。

 数日後に、いつものごとくの勉強会の場で、雅ちゃんは喜色満面に報告した。

「都ちゃんからお金を返してもらいました。それに、都ちゃん、他の子達にも、ちゃんとお金を返せたみたい。またまたお二人のおかげです! ありがとうございます!」

「まだ終わってないけど、とりあえず杉崎さんのお金は確保できたみたいで良かったわ。まあ、ここから先は、どうなろうと知ったことではないけど」

 湊は、頬にわずかに朱を掃いて、耳のところで髪を弄んだ。相変わらず、感謝されることに慣れていないのだろう。雅ちゃんは、照れる湊に気づかないのか、後光が差すような、柔和な笑顔で続けた。

「それにしても、今回もおふたりはすごくいいコンビネーションで、阿吽の呼吸でしたね。私は何も言えなかったのに。私も、お二人のような恋人に巡り合いたいです!」

 瞳をキラキラさせて、ホワワーンと両手の指を重ねる。

「「恋人じゃないから」」

 いつぞやのように、また湊と俺の声がハモる。もう、嫌んなる、なんなのこのハモリ具合。俺たちって、マナカナなの? 古いって。

「どこをどうとったら、この男と私が付き合っているように見えるのか、身の毛がよだつけど解説してもらいたいところね」

 氷の声の湊。

 む。それを言うなら俺だって。

「そうそう、誰が、こんな冷血女と……」

 にっこり笑って、シャーペンの先を俺に向けて構えている湊が視界の片隅をよぎった。

「……湊さんみたいな素敵な女の子と、俺が釣り合ってると思うんだい?」

 よろしい、といったように、湊が頷く。

 ――この女、いつか潰す。

「……んー、そうなんですね。名幸さん、湊さん、本当にお二人は付き合っていないのですね?」

 心底不思議そうに、雅ちゃんが小首を傾げる。

「当たり前でしょ」

「付き合ってないよ」

 そう二人で言うと、雅ちゃんは、「そうですか、それなら……」と、わずかに顔を赤らめて俯いた。

 それから、聞き取れないくらいの小声で、

「……私にも、チャンスがあるということですね」

「え?」

 ゴニョゴニョとしていたので、何を言ったのかわからない。「perdon?」の意味で、俺は聞き返した。

「……なんでもありません! 今日もお勉強頑張りましょう!」

 やけに嬉しそうな、雅ちゃんの声が、元気よく部屋に響いた。


 ――後日談、その2。

 勉強会がはけて、湊と雅ちゃんが帰った後、俺は登録したばかりの携帯番号に電話した。

 それほどコール音は繰り返さずに、藤堂都が電話口に出た。

「よお、俺。名幸だ」

「……なに?」

「いや、ちょっと確認したいことがあってさ。お前、雅ちゃんや他にお金を借りた友達に金を返したって聞いたけど、本当か?」

「本当に決まってるじゃん。なに? 何の用なわけ?」

「いや、大したことじゃないんだけどさ。その金って、七条が返してくれた金を返したの?」

 電話の向こう側で、さざ波が立った。

「……どうだって……いいじゃん」

 やっぱりな。俺は、肩をすくめると、

「まあ、確かにどうでもいいことなんだがな」

「……そ」

 ぼそぼそした藤堂都の声。俺は頭を掻きながら言った。

「……でもいつか、お前が本当に人を信頼して、だからこそ、それが故に、きちんとしといたほうがいいことができてくると思う。その時、法が味方になってくれるとは限らないから、ちょっと心配になってな」

 数秒の沈黙があって、また乾いた声が聞こえた。

「……あ、そ」

 やれやれ。俺はひとつ息を吐く。

「もう一つ確認だが、やばい金ではないんだな?」

「……大丈夫に決まってんじゃん。親に少し話を変えて事情を話したら、友達から借りた分は返すように、用立ててもらえたよ。小遣いから引かれるから、なにかバイトでもしないと」

「そうか」

「――って、ウリとかはしないよ。ちゃんとしたバイト先で稼ぐつもり」

「そうか」

 俺は繰り返し、頷いた。

「七条は、どうするんだ?」

「……あいつは、もうどうでもいいよ。もうこれっきり、連絡も取りたくない」

「そっか、なるほどね」

「……んじゃ、用件はそれだけ? もういいよね?」

「ん」

「……」

「……」

 しばしの沈黙。

 そして電話が切られる前に、

「いろいろ、ありがと」

 と、ぼそっとした藤堂都の声が聞こえたような気がした。


 に、男女関係の問題は難しい。

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