その4
それから数日後、俺たちは、学校帰りの藤堂都の元カレ、七条実を待つことにした。
雅ちゃんや藤堂都とは違う学校の生徒らしく、リア充御用達の『合コン』とやらで知り合った関係らしい。出逢い方も、いちいちビッチだよな、藤堂都。
い、いや、俺はそんなイベントと無縁で生きてきたから、嫉妬してるわけでも、く、悔しいわけじゃないんだからねっ!
心の涙をぬぐいつつ、ただ呆然と待つ。
お嬢様学校の制服に身を包んだ美少女、湊と、天使のようなあどけない可愛らしさに幸せオーラの微粒子を放出している雅ちゃん、我が道を行くビッチの藤堂都に、中肉中背の平均的な美的スペックを持つ俺。
その奇妙なカルテットのとりあわせは、目立つこと目立つこと。道行く学生たちが、俺たちを見て、何やらヒソヒソとつぶやきながら、怪しそうに通り過ぎていく。
「もう少し……目立たない待ち合わせはできなかったのか?」
俺が非難がましく藤堂都に言うと、「だって」と口を尖らせる。
「携帯も着拒だし、ほかの人には知られたくないし、かと言って、家に押しかけるっていうのもね」
「あー、まあ、そうだな」
俺はぼへーっと、疲れたような声を出す。実際、道行く生徒たちの視線が辛い。こわいこわいこわいこわい、と、以前の俺なら、発狂寸前まで行っていただろう。しかしながら、視線の大部分を、稀有な美少女ふたりが独占していることを考えると、それほど苦痛にも感じない。さらに言えば、二人の存在が、俺たちの関係性に疑問符を抱いていく生徒たちの思惑がどうであれ、彼女たちのためなら耐えられる勇気を与えてくれている……ような気がしないでもない。
「……都?」
不審な一行は、しばらくの間、無事通報されることもなく、『ただ存在する』という無駄に難易度の高いミッションをコンプリートした。話しかけてきたのは、少し脱色気味の、襟足の長い髪型をした、やや(少なくとも俺よりは。クソッ!)イケメンな男子だった。
「……実」
数日前、ファミレスで湊にやり込められた時のような、シュンとした様子で、藤堂都が俯いて呟くように確認する。
それから、時間が止まったかのように、俺たちの間を沈黙が支配した。噂話をしながら道行く生徒たちだけが、時の経過を知らせてくれる。
藤堂都は、数日前のビッチぶりを見人も見せることなく、完全に借りてきた猫のようになっている。元カレの前だと、こうも女性は豹変するのか、と驚かされた。
静寂は、向こう側から破られた。
「なんだよ、今更。なんか俺に用?」
こんな変な奴らと関わり合いになりたくない、といった感じに、面倒くさそうに藤堂都に話しかける。
「う……うん、ごめんね」
ダメだ、この子じゃ埒があかない。ビッチならビッチらしく、ズケズケと「金返せ」と言えと思いもしたが、そんなに簡単なものでもないらしい。うーん、複雑だな、女心って。あんなにひどいことされても、こちらが悪者のように一声も発せない
「あなた、お金返しなさいよ」
という微妙な心理を、ズケズケと代弁したのは、我らが湊先生だった。まあ、予想通りだが。
「はあ?」
襟足の伸びた髪をいじりながら、七条は間の抜けた声を出す。
「あなたが、藤堂さんから巻き上げたお金のおかげで、私たちが迷惑してるの。四の五の言わずに、お金返しなさいよ。今なら、それで許しておいてあげるから」
湊の不遜な態度に、七条は眉根を寄せる。それから、話し相手を何も言えないでいる藤堂都に切り替えることにしたようだ。
「都、なんなの、こんなに大人数でずらずらと? 俺が、お前にいくらつぎ込んだと思ってるの? デート代は俺がいつも持ってたし、プレゼントだってしただろう? 本当は、つぎこんだぶん、こっちが返して貰いたいくらいなんだぜ。それわかっててこんな脅しに来てるワケ?」
「う……うん、だよね」
だめだ、今や藤堂都はこちら側の明らかな弱点のカードになってしまっている。
「ちょっと。頭の回転の弱い方を相手にして、私のことを無視するなんて、あなた何様のつもり? あなた、いま、『借りた』って、はっきり言ったわよね。それなら、それを返すくらいの甲斐性を見せなさいよ」
いや、『借りた』とは言ってないんだが。
とかく湊に至っては、交渉術が何かにつけて高圧的だ。今まで、『叩き潰した』というのも、この高飛車な態度に、恐怖におののきながら、無理に苦渋を飲まされてきたんだろうな。間違えなく、いつか刺されるぞ、こいつ。
「はあ!? だからあんたらなんのワケ? 脅迫してんの? なんなら、出るとこ出ようか? 借りた金は都との間で、相殺の合意が出来てるんだよ。もう無関係なワケ。あんたら、全員逮捕してもらおうか?」
「へぇ……一体何の罪で? 刑法222条をどう解釈したら、私たちの行為が『脅迫罪』とやらに引っかかるのかしらね? それに、あなた、『相殺』の意味知ってるの? 本気でデート代やプレゼント代と貸したお金とが対価関係に立っていると思っているのなら、本当の『法律』に関して講釈してもいいのだけれど。そもそも……」
「湊」
このままだとポイントがまとまりそうもないので、俺が割って入る。
「――何よ?」
すごく冷たい視線。
「……さん、少しお静かに」
背筋に氷塊が落ちるのを感じつつ、俺は七条に向き直った。
「君さぁ、本当がデート代やプレゼント代が借金と相殺できるとは思ってないよね。このままだと、彼女が『脅迫』なんかじゃなく、正面から、正々堂々と、『法律』っていう武器を使って、君を追い込むことになるよ」
居心地悪そうに、七条が絡みつくような視線を俺にまとわりつかせる。
「何、あんたも都の護衛役? 貸した金返せってごねるつもり?」
「いや、俺は……」
チラリと湊を見やると、
「むしろ君の味方だよ。事が丸く収まるように、合理的な提案をしようとしてるだけさ」
俺が肩を竦めると、雅ちゃんが、おどおどと、しかしはっきりと聞き取れる声で、
「あの……」
と会話に入り込んだ。
「事の発端は、あなたに都ちゃんが10万円貸すために、私が都ちゃんにお金を貸したことなんです。私、10万円というのは、高校生にしては大金だと思います。都ちゃんとあなたとの問題だけでなくて周囲を巻き込んでしまう程度には。だから、少し、責任を感じて欲しいんです。都ちゃんを責めないで、責任を感じて欲しいんです」
控えめだが、正義の側に立った論理だ。一瞬、七条の良心が揺らいだのか、彼はうっと鼻白んで見せたが、次の瞬間には、わざとらしくおどけてみせた。
「はっきり言っちゃうとさあ……あんたらが何を言いたいのか、俺にはわからないんだ」
「「え?」」
思わず俺と雅ちゃんの声がシンクロする。
「だから、俺は都に金なんか借りてないって。そんな証拠がどこにあるわけ? なんなら、出るとこ出てもいいんだぜ? 証拠もないのに、外野がブーブー言ってんじゃねぇよ」
流石に、俺は呆れてしまった。
「君さ、借りたって、さっき自分で認めたんだぜ? それを今からひっくり返せると思ってるのか?」
「だから、それが単なる俺の勘違いだったってこと。はは、そんな大金、俺が借りといて返さないとでも思ってるのかよ。単なる勘違いだよなー? な、都?」
く、七条のやつ、こちらのウィークポイントを付いてきやがる。
「あ……それは……その……」
案の定、藤堂都はパニックに陥っている。
だが、そんな彼女には冷然と無関係を装うかのような湊の声がそれに続いた。
「サイテーね。何もかもサイテー。甲斐性もなければ、恥も知性もない、類人猿以下のお猿さんのご高説は存分に聞き飽きたわ。あなた、そんな理屈が、『法的』に、本当にまかり通ると思っているの?」
七条は、うんざりしたように、
「またお前かよ? なんなの、さっきから法律法律って。お前、何様なワケ?」
「私? 私は去年の行政書士試験の最年少合格者よ。まだ二十歳になってないから、行政書士の名称は名乗れないけど、そこらへんの法学部の学生よりは法律には詳しいつもりよ」
その自信たっぷりな表情に、七条はギクリ、といった感じで、真意を確かめるかのごとく、俺の方を見る。
俺は頷いて、
「彼女の言っていることは本当だよ。君が思うより、彼女は法律に関してはスペシャリストだ。……なあ、君も俺と同じ、『男』だろう? 借りた金を返すくらい、せめて誠意を見せるくらい、してもいいんじゃないか? すぐに払えってわけではないんだし、分割でもいいんだしさ。とにかく、1000円でもいいから、誠意を見せてみなよ」
七条は、湊への恐怖で顔を蒼く、藤堂都への理不尽な怒りで顔を赤くと、両者の入り混じった奇妙な顔色をしていたが、やがて襟足をガシガシ掻くと、財布を取り出して、
「わーった、わーったよ、ほれよ、都」
銀色に輝く硬貨を放ってみせた。
「100円って……」
それを空中でワタワタとキャッチして、掌を広げた藤堂都は愕然としていた。
湊は肩を竦めると、氷の声で宣告した。
「……わかった? あなたが付き合ってたのはこの程度の男なのよ。そんな男に、気兼ねなんてすることがないということが」
……これで七条実は、まんまと「ハメられた」ことになる。