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その3

 どう考えてもわからない。

 彼氏が、「借りた」と言っただけでは、証人や証書がない限り法的拘束力は期待できないはずだ。それなのに、湊は「なんとかなる」と言い切った。その真意が聞きたかった。

「湊……証人も証拠もなしに、口約束での貸し借りで法的拘束力は生じないだろ……」

「生じるわ。このケースの場合、法的拘束力自体は、実際にお金をその元カレに渡した時点で成立してるの」

 まあ、それはそうだ。しかし、

「詭弁だよ。確かに『法的には成立してる』。でも、『現実には取り立てられない』じゃないか」

「そんなことは知っているわ。でも、その『建前』が重要なのよ。法の世界では、特に」

 湊は自分用のアイスコーヒーを一口ストローで吸い上げると、

「このケースにはポイントがあるわ。これはただの消費貸借契約ではなく、金銭消費貸借だという点」

 これなら受験知識の範疇だ。拙い記憶を手繰り寄せ、湊の話になんとかついていく。

「ああ、そんなのあったな。たしか、金銭の貸し借りの場合、債務者が金を持っていなくても履行不能にならない、損害の発生を証明しなくても損害賠償を請求できる、債務者に帰責事由がなくとも債務不履行になる、だったっけか?」

 俺のたどたどしい説明に、湊は首肯した。

「そう、最後の『帰責事由がなくとも債務不履行になる』というのは、『不可抗力を持って抗弁できない』とも言い換えられるけどね。そしてあなたが挙げた一点目と二点目。お金は天下の回りものだから、なくなることはない。だから、『支払えない』ということにはならないのよ」

「ふむ……」

 俺は腕を組んで考え込もうとしたが、大前提を聞こうとしてるのをはぐらかされたのに気づいて、思わず口を開いた。

「いや、それはわかるんだけどな、湊、今回は、その『貸した』という『証拠がない』から、追求できない、ということだろ? その理屈が生きてくるのは、『金を貸した』という事実を前提としたものだ」

 その疑問に、湊は髪をかきあげると、

「そうね、そのとおりよ」

 あっさりと認めた。

「……ねえ、雅、この人たち、何を言ってるか、教えてくれない?」

 藤堂都は困惑しつつ、雅ちゃんに小声で語りかけた。

「……私もよくわかってないんだけど、えっと……要するに、お金の貸し借りは、『返せない』ことにはならないってことだと思うよ」

 雅ちゃんは行政書士の受験のための知識を網羅的にもっているわけではないが、とても聡い子だ。今の説明も、ポイントはあながち間違えてはいない。

「でも、あいつに貸したっていう証拠がなけりゃ、どうしようもないじゃない」

 苛立った声で、藤堂都が腕を組む。

 そう、その点を俺は指摘したのだ。

 しかし、その小声の談話を聞きつつも、動揺する素振りも見せずに湊は言い放つ。

「……確かにね。だから、ここから先は法律より心理学の問題よ。確かに、証拠はないかもしれない。でも『借りた』方は、少なからず、『貸した』方に負い目があるはずなの。まして一介の高校生に、嘘を突き通すことなんて不可能よ。必ずどこかでぼろが出る。間違いないわ。私の過去のケーススタディで証明済み」

 湊が『叩き潰した』奴の例を挙げているのだろう。やっぱりこの女怖いわー。

「そんなの……無理だよ……。それにあたしもうあいつに関わりたくない」

 藤堂都の顔に陰がさした。相手のことが好きだった分、裏切られて悔しかった分、尚更相手のことを思い出したくないのだろう。

 しかし、そんな心情を知ってか知らずか、いや、知ってても歯牙にもかけないのだろうけど、湊は冷然と言い放った。

「あなたが泣き寝入りするなら、それでもいいわ。ただ、その場合は、杉崎さんに貸した分だけは、こちらで回収させてもらうから」

「……え?」

 小首を傾げる雅ちゃん。

「杉崎さん、この男から説明を受けてみて。今回のケースはちょうどいい復讐と復習のケースになっているわ」

 いきなりこっちに振るか、湊。知らねぇよ。

「え、えーと、今回のケースでは、雅ちゃんの借金の分だけをぶんどる? 藤堂さんから? ……え?」

 湊はかぶりを振って、呆れたように嘆息した。

「あなたって、ほんと学習したことが身に付かないのね。脳みそがザルなのかしら。いえ、あえて枠といってもいいかもしれない――」

 かぶりを振り、ため息をついて、

「債権の保全、無資力、裁判外の行使」

 キーワードを上げる。

 そこで、ようやく俺の脳に残った記憶をすくい上げることができた。

「ああ、なるほど、債権者代位権か!」

 俺は手をぽんと打つ。そこまでヒントをもらったら、さすがにわかる。

「さいけんしゃだいいけん?」

 雅ちゃんが小鳥のように首を傾げる。

 俺は、そんな雅ちゃんに、噛んで含めるように説明することにした。

 今回のケースは債権者代位権の典型的なそれだから、そう難しいことでもない。

「今回、債務者――つまり、藤堂さんに雅ちゃんが1万円貸しているわけだけど、当の藤堂さんには、資力がない。しかも、元カレに返済の請求すらしていない。そこで、藤堂さんが債権として持ってる、この場合は元カレへの10万円のうちから、元カレに対して、雅ちゃんが返してもらえない一万円を直接に取り立てることができるんだ」

「そんなことができるんですか!?」

 驚く雅ちゃんに、湊は深く頷いてみせた。

「この権利の行使は、裁判外でもできるのよ。10万円は返してもらえないけど、杉崎さんの貸した1万円は返してもらうよう請求できる。当事者が藤堂さんを除いた、杉崎さんと元カレになるから、あとは私たちとの話の付け方次第。任せておいて。きっちりカタにはめるわ」

 『カタにはめる』とか、なんか恐ろしい街金の業界用語がさらっと飛び交っているのですが。

 だが、うん、確かにその方法があった。

 しかしながら、この方法には欠点がある。

 そりゃ、いい方法であることには違いないんだけどさ……。でも、人として……。

 案の定、感心して話に聞き入っていた雅ちゃんが、ふと何かに気づいたように、ぶんぶん、とかぶりを振った。

「……湊さん、でもその場合、残りの9万円は、都ちゃんに、ちゃんと返ってくるの? 私の又貸しされた1万円だけが返ってくるんじゃ、都ちゃんがあまりにも可哀想すぎます」

 そう、その通り。

 確かに、債権の「保全」のため、債権者である雅ちゃんの1万円は保証される。

 しかしながら、この取引は、藤堂都を省き、『雅ちゃんと元カレ』の間でのものとされるため、当然ながら、藤堂都に金は返らないのだ。

 湊は肩を竦めると、

「でも、それでしょうがないでしょう? 藤堂さんは尻尾を巻いて逃げたがってるんだし。私たちは手を貸すことはできるけど、最終的にどうしたいか判断するのは藤堂さんなのよ。私は杉崎さんの1万円は絶対に取り返すと心に誓った。だから、どんな手を使ってでも元カレは叩き潰すわ」

 そこまで言って、アイスコーヒーをもう一口。

「法は、知っているもの、行使する者のみを助けるのよ」

 そう言って、ふっと遠くを見る表情になる。

 湊の過去に何があったのか、俺は知らないが、遠い昔を思い出しているような沈痛な表情だった。

「まあ、藤堂さんがどうしてもって言うのなら、元カレにきっちり精算させるように私たちも動くわ。でも、格好だけ不良みたいで強がっているくせに、心がウサギのような藤堂さんにその勇気があるのかしら?」

「――あんたっ!」

 さすがの物言いに、藤堂都が腰を浮かせかける。

 しかし、そんな藤堂都に、ドライアイスの一線を向けて、湊はぴしゃりと言った。

「藤堂さん、そんなことは、あなたは嫌だといった。悔しいといったわよね。それじゃ、諦めない? どうなの?」

 藤堂都は悔しそうに唇を噛んで、

「だから、それができれば……悔しい、悔しいわよ! でも、証拠がないのよ! どうしようもないじゃない!」

「それは違うわ」

 湊は、平然として藤堂都の怒気を受け止めた。

「証拠がなければ、作ればいいのよ」

 ……またなにか言い出しやがった、このコミュ障電波女。

 湊が何を企んでいるかはわからない。

 ただ俺たちは、三者三様の驚き方で、涼しい顔をしながら耳のところで髪を弄んでいる湊を見やるしかなかった。

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