その2
雅ちゃんの友達――クラスメイトの名前は、藤堂都という名前らしかった。
放課後になって、湊と雅ちゃんと合流した俺は、雅ちゃんの学校の近くのファミレスで、藤堂都を待ち望んだ。最近では、こういった人ごみの中に入っていて、平然としている自分がいる。やはり、『人と接する』って大事なんだな。それが電波のコミュ障であろうと、 天使のような穢れを知らないウサギさんであろうと、コミュニケーションをとっていたという実績が、この引き籠もりニートの俺にも、絶大な後押しとなって『人の中に居ること』ができる。自分で言うのもなんだが、大した進歩だと思う。
約束の時間を5分ほど過ぎたあたりだろうか?
キョロキョロと店内を見回す、一人の女子高生が見えた。
「あ、都ちゃん、こっちだよー」
のんびりとした声で、雅ちゃんがその子を呼ぶ。
その声に振り向いたのは、見事なほどに下品に染められた茶髪に、大きな胸を見せつけるかのように、リボンを下に引っ張って着崩した制服、スカートは履く必要があるの、それ? と、突っ込んでしまいたくなるくらい短い少女だった。やられた、ビッチだ。同じ制服なのに、雅ちゃんが着るのと、このビッチが着るのでは、こうも差があるとは思わなかった。
藤堂都はこちらを見ると、見知らぬ俺と湊に一瞬躊躇したみたいだが、ずかずかと歩いてきて、ドスンと座った。礼儀を破ることに一種の『カッコ良さ』を感じる年代なんだよな、高校生って。わかるけど、しかしうざいのには変わりがない。
席順は、俺、湊、雅ちゃんが3人並んで座り、藤堂都は、俺たちと対面の長い座席を占領する形となった。
「ごめんね、忙しいところ呼び出して。こちらは、知り合いの名幸さんと、湊さん。すっごく頼りになる、私の友達だよ」
『友達』として紹介されるのは、なにかむず痒い感じもする。俺でさえそうなのだから、湊は顔を真っ赤にして、即否定にかかる。実は嬉しいくせに。
「杉崎さんが私を友達として見てるのはともかく、杉崎さんのオブザーバーとして同席させてもらう湊よ。今回、呼び出されたのには、心当たりはあるわよね、藤堂さん」
「はあ? 全然わからないんですけど?」
あああ、話し方もビッチそのものだ。この手のタイプ、俺の守備範囲を超えている。
「ごまかさないで。あなたが、杉崎さんから巻き上げたお金の事よ」
意外なことに湊は、この手のタイプには慣れているのか、動じた様子はない。湊が「叩き潰した」奴らの中に、こういう手合いがいても不思議ではないからな。まあ、少し納得。
「巻き上げた? なにそれ? 私はちょっと雅からお金を借りてるだけなんですけど?」
湊が鼻を鳴らす。
「額が額だからよ。『借りる』って1万円という大金を、おいそれと取引できる立場でもないでしょう? せめて、借用書くらいは書いたらどうなの?」
頭の上に「?」マークをのせて、藤堂都が眉をしかめる。
「ねえ、あんた、その制服、聖女の学生でしょ? お嬢様でしょ? たかが1万円の、しかも他人事に顔を突っ込んでくる、その意図は何?」
「たかが1万円――?」
藤堂都は、まさに湊の地雷を踏んだ。
いかなお嬢様学校に通っていようと、湊にとっての『1万円』という金額は、一般人でいう10万円ほどに匹敵する。いや、あるいはそれ以上かも知れない。ドライアイスと化した湊の周囲の空気が、ピキ……ピキ……という音とともに凍てついていく音が聞き取れた。
「その、『たかが1万円』を借りるのに、あなたはわざわざ自分の情けないプライベートを晒した上に、その腐りきった根性で杉崎さんの人の良さに付け込んで、あまつさえ返済を渋ってるらしいじゃない。『たかが1万円』なんでしょう? 今ここで、きっちりと、耳を揃えて返すことなんて造作無いわよね。『たかが1万円』なんだから」
湊の有言・無言の圧力に気圧されたのか、鼻白んだ表情で、藤堂都は雅ちゃんの方に向き直った。
「雅、な、なんなの、この人……? ねえ、要は、借りたお金を催促してきたワケ? あんたも同意の上で、『待ってもらってる』だけじゃん。一万円くらいなら、たいしたことないでしょう? なんか、友達だと思ってたのに、信用されてなくて、傷つくわ~」
雅ちゃんは、その言葉に、キョドキョドし始める。
「うん、ごめんね、都ちゃん。でも、私も『友達』として、ううん、『友達だからこそ』お金のことは、きっちりとしたいなあって……」
そう言って、ちらりと湊を見やる。
「……そう思うようになって。それに、今日名幸さんと湊さんに来てもらったのは、都の、『大元になっている問題』を解決できる手助けができないかなって思って……それで……」
話しているうちに、その語気は尻つぼみになっていく。まあ、雅ちゃん自身が、『一万円くらいなら待ってあげる』という気持ちだったのだから、俺たちがここに今いるのは、湊が大騒ぎにしてしまった故だ。雅ちゃんは、争いなく丸く収めることを望んでいる。
湊では事態が紛糾するばかりだし、雅ちゃんが話しても埒があかないだろう。ここは、俺が大人らしくまとめなければならないようだ。
「藤堂さん、俺達は、別に藤堂さんに取り立てをしてきたわけじゃない。藤堂さんが彼氏に貸したお金、それを『デート代・プレゼント代として相殺』されたと聞いて、君が騙されているということを教えるのと、今後の対処法にアドバイスできないかという役目を俺たちの個人的なエゴで請け負っただけなんだ」
ドリンクバーで入れたアイスコーヒーを一口飲んで、俺は続けた。
「別に君に恨みがあるわけじゃない。あるとすれば、同性として、その彼氏に対してだな。『プレゼント代やデート代として相殺』これは法的になんの根拠もないんだ。そのアドバイスのためなにか力になれるのではないかということで、俺たちはここに来たんだ」
「へー」
理解してるのか、してないのか、イマイチ態度が悪すぎて判断できない藤堂都は、
「要するに、元カレの言ってることは嘘で、あいつから金を返してもらう方法について教えてくれるってワケ?」
「うん、そう考えてくれていい」
いちいち腹の立つ話し方だったが、俺は、努めて冷静を装っていった。
「み、都ちゃん、名幸さんと湊さんは、法律家の卵なの。だから、今回のこと、彼氏とのあらましを話してくれると嬉しいな」
藤堂都は、手グシで、額から髪を梳くと、
「まあ、そういうことなら……」
と、あまり気乗りしないような様子で、頷いた。
「事のあらましねー。まあ、実はあんまり話したくないんだけど、ありふれてるって言えばありふれた話だからね」
肩を少しこえている茶髪の先端の枝毛を確認しながら、つらつらと話し出す。
「要は、元カレにね、他の女がいたの。その女に貢いだりデートしたりするのに、お金が必要だったんじゃない? 私に10万ほど『貸してくれ』って言って、持って行っちゃった。その時の理由は、元カレの先輩が彼女を孕まして、その子供を堕胎させる援助の為のお金だって言ってたけど、実は違ったのよね。元カレが熱を上げた女に、何かプレゼントを買ってやるために、あたしはいいように利用されたってワケ。笑っちゃうでしょ? で、それに気づいて、私の方から別れを切り出したら、『デート代、プレゼント代と相殺だ』って、一方的に言ってきて。馬鹿だと思わない、あたし? あんな最低男を守ろうと、一生懸命金策に回って」
自嘲気味な音と、少し悲しげな音がないまぜになった、吐き出すような言葉で、藤堂都は言い切った。
「10万円? 5万円じゃなかったの?」
湊が藤堂都に確認する。
「あ、あー、なんかさ、10万だと大ごとだけど、5万くらいなら、元カレとのトラブルとしては、まあしょうがない範囲ってやつ? に聞こえると思って。貸す方も、安心して貸してくれるかなー、って思ったワケ。売りとかすればすぐ返せるけど、そーいうの、あたしやだし」
「あ、そういうことだったんだ。だから、私に待つようにお願いしてきたのね。10万円は額としては結構高いもんね。援助交際をやってまで返す必要なんてないよ! なんかゴメンね、お金を返せと糾弾したような感じになった上に、話したくもないことを話させちゃったみたいで」
雅ちゃんが、うんうん、と気の毒そうに、藤堂都に、『もういいの』といったような視線を送る。俺も同感だったが、それだけでは済ませないのが、俺たちの中には一人いた。
「……ちょっと確認させてくれない? あなたは、それでいいの? 『10万円という天文学的な大金』を騙し取られた上に、元カレは今頃その彼女とイチャイチャしてるんでしょう? 許せない、とは思わないの?」
その冷静な湊の言葉に、藤堂都ははっとしたように顔を上げて、
「……よくは……ないよ。でも、しょーがないじゃん! 騙されたのは騙されたけど、返してもらえるあてがあるわけでもないし! あたしが馬鹿だったのよ! あんな男をひょいひょい信じちゃってさ」
言葉が消え入りそうになっていく。
その時、俺は気づいた。この子は、こんな風に見えて、心の内では、自分の中で自分自身で決着をつけようとしている。それが、騙した彼氏との縁を切るための儀式であり、自分自身へのけじめのつけ方なのだろう。「あいつは最低だが、その最低なあいつに騙された私が悪い」、そう思って、いっとき燃え上がった恋を、精算しようとしている。
しかし、そんな気持ちを知ってか知らずか、湊は、耳のあたりで髪の毛を弄びつつ、思案顔で再確認した。
「もう一つ確認。元カレは、あなたに『貸してくれ』っていったのね?」
「しつこいなあ。だから、そうだって」
「それを証明できる人はいる? そのお金の受け渡しに立ち会った人とか、『貸してくれ』といったのを聞いた人とか」
「いない。だから、返してもらえる訳無いじゃん」
そうなんだよな、所詮口約束は水掛け論。その場に証人でもいない限り、証拠とはならない。
貸した金は帰ってこない確率が高い。
しかし湊は「ふうん」と頷くと、
「確かに、元カレは『貸してくれ』って言って、あなたが『貸した』わけね。それなら、手はあるわ」
湊は、昼食のメニューを決めるよりもあっさりとした様子で、そう断言した。