死力をつくせ(上)
メルクはやる気なげに空を見ていた。
正面には戦意にあふれている戦闘狂の姿。
───どうするかな、と彼は自問した。
何だかんだでこんな事になっているが、それはまあいい。最早仕方の無いことだ。
現実を見ないことには始まらない。
やるからにはそれなりにがんばろう、と自分を奮起する。
どうせ毎度のことだ。
彼女と闘うたびの恒例行事と言っても差し支えない。
ここいらで負け続けの展開を打破して、白黒ハッキリつけておきたい所だ。
そこで現状分析、正直なところ接近戦はあまり分があるとは言えないだろう。
いや、無駄な見栄はよそう。
正直なところ勝ち目のないレベルである。
メルクは魔法使いなのだ。直接的に闘うのが得意な方ではない。
それを言ったら目の前の女も非戦闘員だろうがヤツは別格だ、気にしたら負けである。
この国で五指に入ると言えばそのデタラメ具合がよくわかるというものだろう。
騎士の中でも特に優れた力のあるものは、騎士の中の騎士と呼ばれて称えられるのだが、騎士でもないクセに彼女はそう呼ばれる。
あまりに強すぎるからだ。
その存在は、普通の騎士とは一戦を画する。
何の力も持たない一般的な兵士千人分の働きをするとも言われて、圧倒的な能力で敵を屠る。それだけ力を持った存在なのである。
人ならざる人。それが彼女ら。
ちなみに現役で十四人ほどしかいない。
そんなヤツがなぜメルクに積極的に絡んでくるのかは知らないが、いい迷惑だと彼は思う。自分が弱いとは言わないし、正面きって闘うことが出来ないわけでもないが好みではない。
基本的に自分から前線に突っ込んで行ったりしない。
となればどうするか。
彼は考えを纏めて、覚悟を決めた。
そうして剣を構えて、ジリジリと彼女との間合いをはかる。
「考えはまとまったか」
「わざわざ待っていてくれたんですか? それは親切ですね」
メルクとイド、両者の距離は十歩ほど離れていた。
彼らにしてみれば一息の間合いだ。
どちらも相手の出方を窺っており、どちらもはじめの一歩を踏み込めず場は膠着する。
何かきっかけが必要だった。
メルクはイドに気が付かれないように、そっと指で剣の腹をなぞる。
「光よ」
一瞬の光がイドの目をさす。刃から創り出された光に彼女が怯んだ。
その期を逃さずメルクは剣を握りなおし一気に駆けた。
彼女はこちらの姿を見失った!
───貰ったっ!
メルクは彼女の死角から容赦の無い一撃を振るう。
キィン、と金属同士が激しくぶつかり大気を震わせる。
完全に不意をつく気配を消した予兆の無い攻撃を、それでもイドは受け止めていた。
交差するようにイドとメルク、二人の立ち位置が入れ替わる。
死角からの斬撃を無理矢理防いだ代償によるものか、イドの体制は崩されていた。
それを好機と取ったメルクは今度こそ必殺の一撃を振り抜こうとして、
「これで───」
視界の端をかすめる何かに身構えた。
しかしそれは一瞬遅く、防いだ腕に鈍い痛みを感じて彼は距離を離されてしまう。
「クッ」
崩れた体制を利用して、身体を反転させた蹴りをイドが放ったのだった。体勢の乗らない状態からでも重く、芯に残る一撃だった。
まともに食らったら危なかった、とメルクは冷や汗を地面に落とす。
防いだ腕が軽く痺れてしまった。
あの程度の小細工では、そう簡単には勝たせてもらえないようだ。
「お前は殺気が強すぎる」
イドが告げる。
目が見えない程度で如何こうできる程、彼女は弱くない。
そんな事は百も承知だったはずだ。
それでも簡単に失敗に終わった悔しさに唇をかむ。
メルクは未だに目をつむったままの彼女を油断なく見据える。
「ご忠告どうも」
言葉を交わしながらも集中は切らさない。
「来ないのか? 来ないならば、此方から攻めさせてもらおう!」
宣言すると共にイドが真っ直ぐにメルクの間合いに踏み込んできた。
愚直なまでに、だがそれ故に迷いもなく速い。
閃光のように刃が煌めいた。
「チィッ」
メルクもそう簡単にはやられはしないが、この斬り合いは良くない。
何合も打ち合い、それでもお互いに決定打がなかった。
「ほう、以前よりキレが増しているな」
「そりゃあ、多少は鍛錬していましたから、ねっ」
感心したように彼女が呟きをもらす。
───こっちは神経削って打ち合ってるってのに!
対する彼女は余裕そうで気に入らない。
「魔法だけでなく、剣術も相当のものだな」
「嗜み程度にはね。誰かさんが、さんざ無茶をするから、自然とですよ自然と」
例えお喋りをしていようともイドに油断はない。
これで、慢心でもしてくれていれば楽なのに。
メルクは攻めあぐねていた。
思った以上に彼女に隙がない。
以前手合わせしたとき以上に段違いに強くなっている。
それとも以前は手加減をされていたとでも言うのだろうか。
額から流れる汗は決して熱さの所為だけではなかった。
対峙しているだけで、ガリガリと体力を削られていくようだった。
斬る。防ぐ。かわす。単調な行動をなんどか繰り返した。
このままではジリ貧になる事は目に見えている。
イドの目はまだ開いていない。
魔法の光だ。そう簡単に視力は戻らない。
「業火の嵐───」
「遅い!」
呪文を唱えきる前にイドの斬撃。
メルクはその必殺の斬撃に飛び込む。
懐に飛び込んでしまえば長物は振りにくい。詠唱はフェイントだ。
彼女の一撃に合わせて、攻撃を滑らせる様に受け流した。
「グッ」
だが予想外の衝撃を横腹に受けて、メルクはうめき声を漏らす。
死角からのイドの膝蹴り、数十歩分吹き飛ばされてメルクの体制が崩れる。
顔を上げると彼女が投げた剣が眼前に迫って来ていた。
咄嗟にメルクはその鉄の塊を自らの剣で切り上げ、上空へと弾き飛ばす。
剣の後へと続くように迫ってきたイドの徒手空拳。
メルクはそれもギリギリでかわすが頬を切り裂かれた。
メルクとイドの視線が交わる。
メルクは懐から短刀を抜き打ち、イドは落ちてきた自らの剣を掴みそのまま振り落す。
剣はメルクを掠り、衝撃で地面が吹き飛ぶ。
あまりの衝撃にメルクの身体が浮く。
ついで、礫が彼を襲った。
小石の弾丸が容赦なく全身を打ち付ける。
それに───メルクは一秒にみたない一瞬、動きを止める。
その一瞬が命取りだった。
メルクはイドの姿を見失う。
ゾクリ、と全身が粟立つ感覚を覚えてメルクは宙を蹴ってその場から跳んだ。
目標を定めず、カンだけで持っていたナイフを投擲。
次の瞬間、鮮血が視界を紅く染める。
「痛ッ、クッ」
左腕から血が流れ、地面にポツリポツリと垂れる。
「先ほどのお返しだ」
してやったりという表情で、パチリと目を開けたイドが笑う。
「ふむ、ようやく視力が回復したか」
「痛み分け、じゃあないですよね………」
イドは肩口に突き刺さったナイフを引き抜き地面に投げ捨てる。
彼女の腕から血が流れ出すがそれも直ぐに止まり、魔法のように傷が跡形もなく消え去った。
相変わらず反則近い能力だな、とメルクは思う。
イドは治療師なのだ、己の傷を治すなんぞ造作もないことだろう。
「どこまで計算していたのか知りませんが、この程度の傷で得意になられても困ります。まだ、勝負はついてないのですからね」
そう強がって見せるも、彼は内心では焦っていた。
「大体ですね、己の武器を投げるなんて騎士以前に戦闘者としてどうなんです。馬鹿じゃないですか、貴女。いや馬鹿なんですね。知ってます」
「いや、不意打ちとか平気でするお前に言われたくはないんだが。大体私は騎士ではないぞ」
真顔で突っ込まれてメルクはやれやれと肩をすくめる。
左腕に力が入らなかった。
そこまで傷は深くなく、剣の柄を握るくらいの事は出来るのだが十全に力を込める事は出来ない。
不幸中の幸いとでも言うべきか、利き腕ではなかったが、この戦闘中に回復は見込めないだろう。
これで彼女の相手をするのは致命的だ。
僅かばかりあった均衡が崩れてしまった。
好機と判断したのかイドが今まで以上に苛烈な攻めで迫ってくる。
捌ききれずにメルクには切創が増えていく。
「しつこいんだよ。このっ」
彼女の一撃を力に任せて強引に振り払う。そのまま距離を取って背後に跳ぶ。
「雷よ」
パチリと指を打ち鳴らす。
すると、いくつもの雷の塊がメルクの肩越しに発生し、彼女に飛んで行く。
それは無視できない破壊力を持ってイドを襲う。
先ほどの礫などとは比べ物にならない、まともに直撃すれば普通の人間など着ている鎧ごと貫ける威力を秘めている魔法なのだが。
残念ながら彼女は普通ではないことを、メルクは失念していたようだった。
そんなものはお構いなしと、イドは全て切り払い直進してくる。
「嘘でしょ!」
足止めにすらならないなんて。
冗談も休み休みにしろと叫びたかったが生憎とそんな暇はない。
目前まで迫った彼女に対してメルクが出来たことは、「風よ」と咄嗟に風を操り防壁とする事だった。
すんでの所で、イドの剣は見えない壁に阻まれた。
急場しのぎのそれは、何秒も持たないだろうが、態々突破されるのを待ってやる必要は無い。
メルクは風を爆発させる。魔法の奔流はイドを襲いかかり、
「───捉えたぞ」
けれど彼女は強引にそれを突き抜けてくる。
ダメージは受けているのにまるで意に介していない。
メルクは彼女に腕を捉まれる。
そしてイドが腕力だけでメルクを強引に地面に叩き付けた。
地面が陥没するほどの衝撃で、彼は剣を手放してしまう。
カラカラと乾いた音を立てて地面を滑っていく。
叩き付けられた衝撃で頭がクラクラする。
「この程度か?」
イドの剣が眼前に突きつけられ。
そうして彼女は挑発の言葉を降らしつつ止めとばかりに剣を頭上に振り上げて。
──なめるなっ!
回避不能な攻撃の前にメルクは強引な手段に出る。
突風が吹き荒れる。
メルクが起こした暴風は彼自身を吹き飛ばしても治まらずに、余波は闘技場全体に及んだ。
彼の身体は一瞬でイドから離れて転がる。
転がりつつ素早く立ち上がり、落ちた剣をも拾いつつメルクはイドに対して身構える。
強引な魔法の行使に体中が軋みを上げて不調を訴えてくるが無視だ無視。
兎にも角にもどうにか再び距離を離すことに成功した。
「そろそろ本気かな。そうでなくてはな」
イドが嬉しそうに、メルクを見据える。
「最初の最初から手なんて抜いてないです」
呼吸を整えながら言葉を返す。
アンタ相手に手ェ抜く余裕なんてあるわけないだろ、と文句を言ってやりたくなる。
手を抜いていたわけでも油断していたわけでもないのに攻めきれないのだ。
イドは闘いの始めからの余裕そうな表情を崩さずに、寧ろ楽しんでいる様子さえある。
事実楽しいのだろう。
此方はこんなに苦労しているというのに。
それを見ただけでメルクは何だかドッと疲れがたまる気がした。
新手の精神攻撃かアレは。
「ほぉう、そうか。それならば私はお前を過大評価していたようだな」
挑発だ、わかっている。が。
「カチンと来ました。さっきの嘘です。まだ全然本気なんかじゃないです。だから今からちょっと本気出します」
「それはいい。ならば、私は死力をつくそう」
いや、それは止めて欲しい。
イドから感じる闘気が高まるのが分かった。
ますますやる気にさせてしまった様だった。
選択間違えたかも、とメルクはコッソリとため息を吐いた。
ちょっと長くなったので分けます。