Child? ~8~
子供の甲高い声が船着き場中に響く。キョウはそれを聞いて「よくやった」と言ってやりたい気持ちと「バカか!」と叱り飛ばしたい気持ちとをせめぎ合わせた。誰に、かは言わずもがな。
今回は乗船に成功したと見える。それはいい。「よくやった」だ。乗船早々敵に気付かれた辺りが「バカか!」なのだ。
もしかしたらわざと接触を図ったのかもしれないが、だとしたらせめてキョウを待つべきだ。ホイッスルを鳴らしたことで増援も来るはずなので、出来たらそれも。
「全員起きろ! こうなったら出航だ!」
変声期の声。いがらっぽいのを堪えたようなその声音は、忘れようと思ってもなかなか忘れられるものではない。
怒声がしたほうへと駆ける。船着き場の端に停泊している船は、トレードマークの帆こそしまわれているものの、確かにピーターパンたちの黒帆の船だった。
「あ、キョウさん!」
船上に確認出来るのは四人。まず、陸に渡された板を死守し、サーベル片手に自分を呼ぶハチ。それから甲板中央付近の深緑のケープ。年少の子供がふたり、深緑のケープに言われたのか端に寄っている。
「ヒロキ、帆だ! 帆を下ろしてこい!」
「う、うんっ!」
深緑のケープ――ピーターパンが指示すると、年少の少年の片方が大慌てで船上を駆け出した。帆を操る縄は、船頭のほうにくくりつけてある。
走りながら、くそ、と口汚い言葉を漏らす。自分が船に乗り込むのが早いか、帆が下りるのが早いか。非常に微妙な勝負である。
なにか一瞬だけでもヒロキとやらを止めてくれたら。なにか、なんでもいい。ハチは板の死守で動けないのだ。
「……っ!」
そう思っていたら、突然ハチのサーベルが舞った。実際には彼自身が投げたのだが、そうは感じさせないほど美しい弧を描きながら飛んだサーベルは、
「う……わわああっ!?」
縄に辿り着く直前の、ヒロキの足元の突き刺さった。驚いたヒロキが後ろに尻もちをつく。
「やった! キョウさんのサーベル妙技完全再現!」
「バカか!」
今度ばかりは叫ばずにはいられなかった。武器をひとつしか持たないハチは、サーベルを手放してしまえば丸腰である。素手で闘うつもりなのか、こいつ。
怯んでいたヒロキが、再び立ち上がり、縄を解きにかかる。
やがて音を立てて帆が開かれるのと、キョウが乗船用の板に足をかけたのは、ほぼ同時だった。
「キョウさんっ!」
「ハチっ!」
がたん、と船に置いていかれた板が船べりから外れる。
直前にキョウが板を蹴って飛んだが、ハチほどの跳躍力はなく、船には届かない。
そうしてキョウの右手が空を切った時――
バシャン、と板が海に落ちる音がした。あとに続いたのは、ガンッという衝撃音。右手一本ハチに繋がれて宙ぶらりんになったキョウが、船体にぶつかった音だった。
「こ、の……!」
目の前できらきらと星が散る。思わず悪態を吐きかけた口に、こめかみから汗のように伝ってきたなにかが滑り込む。生臭いのに、鉄の味がするなにか。
「キョウさんっ!?」
渾身の力でキョウを船上に引き上げたハチが、驚いて顔を覗き込む。
「大した怪我じゃない。気にするな」
口から頬にかけての血を拭い、新しく支給されたサーベルを抜く。
ぞろぞろ、ぞろぞろ、と甲板に上がってきた子供たちは、皆一様に警戒心で目を光らせており、まるで猫のよう。
「俺たちの領域に異物が入り込んだ」
ピーターパンが怒気を含み、かつ冷めた声で全員に言う。
「こいつら船から叩き落とせ」
「『病気』だというのは、あの潜入班長のユーコって奴か?」
殺気立った空気が、キョウの言葉で一気に鎮まり返る。
「な……」
「図星か……まあ来てもおかしくないとは思ったが」
今度は目に入りそうになった血を拭い、コートの内ポケットをごそごそと探る。その間に、子供たちが目でピーターパンを問い詰めているのがわかった。
ユーコが病気。恐らくピーターパンの次に権限があるあの少女を心配したままでは、子供たちは闘えない。
「その『病気』を治す薬はないが、処置するための用品なら薬局の主がくれた。受け取れ」
サーベルを左手に引っかけ、右手で預かり物の紙包みを放る。ピーターパンは意外にも、縋るようにその紙包みへと手を伸ばした。
「……これで多少はよくなる……のでしょうか」
「処置するための物と言っただろ。使い方はあまり男の口から教えるものじゃないから、港に下りてから適当なご婦人に訊け」
「嫌だ。どうして自分から大人に関わらなければいけないんです」
「よく言う。薬局には自分から出向いて主に喚き散らしたくせによ」
ピーターパンの顔が羞恥に歪む。一体なんのことだ、と子供たちがキョウとピーターパンを交互に見た。
たらり、たらり、ぽた。もはや面倒くさくなって拭うのを諦めた血が、甲板に滴となって落ちる。
潮風がザアッと吹き抜けた。徐々に陸が遠くなる。完全にアウェーな自分たちに逃げ道はない。
「……見てたんですね」
「正確には、聞こえた。声に特徴がなければ、お前だと気付けなかったくらい焦ってたな。可哀そうに」
「うるさいですよ」
「ガキだと言い張るくせにガキ扱いすると怒るんだな……」
難しすぎるお年頃のピーターパンにややお手上げのキョウは「なあ」と年少者の子供たちに向いた。不安がっている者、強く睨みつけてくる者、各々の反応は違えど、今すぐ襲いかかってきそうな気配はない。
「お前たちの姉ちゃんは、確かに一種の『病気』にかかっている。それは」
ちょうど視線の先にいた、十歳くらいの少女を指差す。
「お前も」
次はその右隣の五歳くらいの少女。
「お前も」
後ろのほうにいた、割と年長の少女。
「お前も」
そうして次々と、それも女子ばかり指していったキョウは、最後に高らかに言いきった。
「だいたい全員が、ユーコくらいの年になったらかかる『病気』なんだよ」
ひっ、と女子一同が息を飲む。『病気』になって自らの身体がどうなるのか、未知ゆえの恐怖で場が凍りつく。
「お前の『病気』はその声だ」
今度はピーターパンに指を向ける。彼ははっと身構えると、キョウを強い目で睨み据えた。
「ほんとは風邪なんかじゃないだろう」
「うるさい」
「もとの声には戻らないのもわかってるはずだ」
「黙れ」
「そして否定はしないんだな」
「俺は黙れと言っている!」
ピーターパンの怒声に、赤ん坊の泣き声が続く。見ると、少女のひとりが抱きかかえてあやしていた。この前さらわれたヒサだ。とりあえずは無事のよう。
他の子供たちは、人に対してこんなに余裕のない長を見るのは初めてのようで、不安げに身を寄せあっている。
「……わかったようなことを言うなと、忠告してやったはずだ」
未だ怒気を孕んだピーターパンの声に、キョウは怯まなかった。ただ、再びこめかみから血を落としただけである。ピーターパンを見つめて微動だにしないキョウの身体で唯一、血だけは本人の意思と関係なく流れていくのだ。
「子供のことは、確かにわからないよ。キョウさんは忘れちゃったらしいし」
その時、ずっと黙っていたハチがおもむろに口を開いた。
感情の読めない声。しかし決して冷たくはない。聞く者の胸にすとんと落ちてくるような、不思議な声音。
「でもキョウさんは大人だから、大人のことはよーくわかってる……大人になりかけの、君のこともね」
そう言って、ハチは真っすぐピーターパンを見つめた。
瞬間、船上の子供たち皆が、雷を打たれたがごとく、目を見開いて固まった。
大人になりかけ。ピーターパンの年齢を表す、ちょうどいい言葉。
「……子供はみんな、遅かれ早かれこの『病気』にかかる。かかった奴から順番に、大人になっていくんだ」
「嘘だよみんな聞かないで!」
キョウの言葉を遮るように、頭の上から悲鳴のような声が降ってきた。
「ピーターパンの喉風邪は治らないだけだし、私は体調崩してるだけ! すぐによくなる! 大人にはならない!」
見上げると、一段上の甲板からユーコがこちらを見下ろしていた。腰にシーツを巻いていると言う奇妙な出で立ちである。ピーターパンが怒鳴った。
「ユーコ! 部屋にいろって言っただろ!」
「今のあんたじゃ全然頼りにならないから! なに言い負かされそうになってんの! ここの暮らしが大事じゃないの!?」
最年長女子の登場である。キョウは人知れず舌を打った。ごくごく一般家庭で育ったキョウは、いざという時のオカンの怖さをよく知っている。
「ちょっと大人! 前回そこのバカが『関わるな』って言ったよね! なに堂々と船に乗り込んでんの、話聞いてないんだから!」
「残念ながらお前たちが海賊行為を働く限り絶交宣言は却下だ。それからお前は出血が止まらない現象を『体調崩してるだけ』という言葉で片付けるわけか」
わあセクハラ――とハチが小声で言ったが無視。背に腹は替えられない、ということわざはここで使うべきものなのだろうか。ユーコが真っ赤になる。やっぱりちょっと可哀そうだった。
「……あんたには関係ないでしょ」
「ユーコ姉ちゃんそんな大変な病気なの!?」
年少者の少女が口を挟む。血という言葉を聞いて、全員がただごとではないと察知してしまったらしい。皆から向けられる不安げな視線に、ユーコはシーツを握りしめてぐらついた。
「……ほんとは、お前も半分気付いてたんじゃないか? ピーターパンと同じく、それが大人になってしまう『病気』だって」
「違う!」
キョウの指摘を全力で跳ねのけ、ユーコは「ほんとにちょっとした体調不良なだけ!」と喚いた。
「薬はきっとピーターパンが探してきてくれるし、動き回れないほどのことじゃない! 私は大丈夫! 大人にはならない! この船に、大人はいらない!」
「お前は家族に心配をかけるのと大人だと認めるのとどっちがいいんだ!」
キョウの声が、遠くなった港に反響する。
その余韻が止むまで、ヒサを除いて誰も言葉を発しなかった。
「……」
ぺたり。ユーコがその場に座り込む。大人に面と向かって怒鳴られるのは、もしかしたら初めてなのかもしれない。
なんでだよ、と聞き憶えのある声がした。レオである。ピーターパンに心酔し、捕われてもなおその救いを疑わなかった少年。
「俺たちは大人にならないんじゃなかったのかよ……!」