Child? ~5~
瞬時に顎を引き、こちらに向かって弧を描くサーベルを避ける。それでも前髪がパラパラと鼻の上に落ちてきたのだから、先ほど子供たち相手に準備運動していなければ、本当に眉の上辺りを切られていたかもしれない。
「どうして今、叱責されているのかわかるな?」
ルビー・ポートの保安官本部の、とある一室。
そこは、キョウやハチの直属の上官のための部屋だった。
「……申しわけございませんでした」
午前一時。キョウはもちろんのこと、本来は帰るはずだったその上官も疲れているに違いなかった。
しかしその上官・ダンはそんな様子は微塵も見せず、やや荒々しい方法でキョウに説教をしていた。黒帆の船の捜索は、夜勤かつ、きちんと自分のサーベルが健在の保安官に任せているが、芳しい情報は舞い込んでこない。
「ったく……言い訳くらいしろ。お前のその潔いところは、時として損になる」
振るったサーベルをデスクに立てかけ、ダンは深く椅子に腰かけた。
「言っておくが、私はお前が海賊を取り逃がしたから怒っているわけではない」
そうなんですか。キョウは意外に思って、伏せていた目を見開いてダンを見た。
「当然だろう。人質を楯にされたのなら、そう簡単には動けない。お前の判断は正しかったと言える。そこではない、私が怒っているのは」
先ほどのサーベルを、座ったままキョウに向ける。
「話を聞く限り……中等生以下の上、正規の訓練を受けていない子供に対し、お前は劣勢のまま負けたそうだな」
「……おっしゃるとおりです」
ここでも言い訳をしないキョウにうんざりしたような表情を向けつつ、ダンは続けた。
「港で唯一武器の携帯を許された保安官にとって、サーベルは魂であり、市民の信頼だ。自らの身を守る術のない市民に代わって、私たちがサーベルを振るわなくてはならない」
言葉のひとつひとつが、臓腑に突き刺さる。昔からこの上官に叱られるたびに、キョウは常にこの感覚を味わっているのだ。
「福井恭一」
低い声で名前を呼ばれ、無理やり背筋を伸ばす。サーベルを下ろされた代わりに、猛禽のような強い瞳が、鋭くキョウを射抜いた。
「クォーツ・ハーバー保安官たる者、決してサーベルを折られるな。折られた瞬間、保安官として名折れしたと思え」
★
「……男らしいですね。ダンさんってほんとに女性ですよね?」
「間違いなく三十五歳独身の女性だよ。名前の『壇』も、ほんとは『壇』と読むしな。かっこいいからって本人が周りに『壇』と呼ばせてるが」
「三十五歳独身は余計ですよ。あの人、地味に年齢気にしてるじゃないですか」
「レオと会わせなくてよかったよ、心底」
会えば即刻「おばさん」呼ばわりでレオの身が危なかった。
そしてそのレオも、脱走してもういない。
「それより、ゆうべの海賊だ。フック船長認定して『関わるな』と絶交宣言するのは勝手だが、奴らが海賊行為を働く限り、俺たちとの縁は続くわけだ」
「それは……そうですね」
ひととおりの事情を聞いたハチが、寝台脇のちゃぶ台に肘をつく。一方のキョウは、その寝台に腰かけて腕組みした。
「サーベルはどうするんですか? 鍛冶る(鍛冶屋に持っていく)んですか?」
「新しいのを支給されることになった。今までのはもう使えない」
「いいですねー、俺も新品のサーベル欲しいです」
「バカ言え。今あるのを大事に使え」
実際、このたび折られたサーベルも、キョウが就業した時から使い続けていたものだ。
だから、
「……キョウさん、結構へこんでますね」
「……」
サイドチェストに置いてあった新聞を手に取り、記事に没頭するふりをする。後輩に負の感情を読み取られることほど惨めなものはない。
ハチは肩をすくめると、部屋の隅にあるコンロに向かった。
「どうぞ」
しばらくしてちゃぶ台に出てきたのは、白いマグカップに入った、不思議な匂いのする茶だった。
「カモミールティーです。気分が落ち着くので、グッドナイトティーとも呼ばれてるそうですよ」
「……そうか」
気を遣わせてしまったらしい。キョウはハチの厚意を有難く受け取ると、その不思議な茶を啜った。
「無人島の開発、進んでいるようですね」
キョウが茶に意識を向けている間に、ハチが膝に置いた新聞をさらう。
「そこへの移住を計画している人々もいるようだな」
「もしそこに港と市場が出来たら、そこも僕たちの警備エリアになるんですかね」
「転勤する奴らが出てくるな」
クォーツ・ハーバーの中には、人の手が加わっていない無人島の群がある。正確には、あった。近年そこの開発が進み、森が切り開かれ、多くの住宅が建ってきているのだ。
「そうなったら、お前は島に行くか?」
マグカップを置くと、急激な眠気が襲ってきた。さすがに二十四時間労働は堪える。本当に夜勤でよかった。
「そうですね……」
考え込むハチの横で、勝手に寝台に寝転がる。いかん、本気で眠くなってきた。疲労から来るものか、あの茶の効能か、その両方か。
「僕は……行きたいですね。キョウさんは?」
「俺は本土が好きだ」
「えー、一緒に行きましょうよ」
甘ったれた声は奴の得意技なので軽やかにスルーし、キョウは半分寝ながら語りかける。
「俺がハチの年だった時には、もうお前と行動をともにしていた。お前もいい加減自分の部下を持つべきだと思うぞ」
「……」
「いつまでも俺の後ろについていられると思ったら大間違いだからな」
「……」
やや拗ねた顔をしたハチが目に浮かぶ。キョウはすでに目を閉じ切っていた。
「……いつまでも後輩じゃいられないんですね」
意識がぬかるみの底に沈む直前、ハチが小さく呟くのが聞こえた。
「いつまでも子供じゃいられなかったように」
★
「ちょっと! アヤカに『すけこまし』なんて言葉教えたの誰っ!」
黒帆の船の甲板に、小さな少女の手を引いたユーコが仁王立ちした。
「ヒカリ! あんたいっつもアヤカと喋ってるでしょ!」
「アヤカに教えたのはあたしだけど、あたしはジュンペーに教えてもらったんだよー」
「俺はイチカが使ってるのを聞いたから!」
「アカネが言ってた」
「ナナ姉に教えてもらったもん」
「コータがこの前使ってたよ」
「ヒロキに教わった」
「マチに教わった」
「ゲン兄に教わった」
「ユイ」
「レオ」
「ショウ」
「タカじゃねーか? 最初に使いはじめたの」
ユーコの厳しい視線が飛び、タカと呼ばれた少年が「いやいやいや!」と顔の前でばたばたと手を振った。
「カズ兄だよ! なんか聞かねー言葉使ってるなーって思ったから!」
全員が一段高い甲板を見上げた。頬に大きなガーゼを貼り、落下防止用の柵に寄りかかって事の顛末を見守っていた少年は、みんなの、主にユーコの視線を受け、
「…………あ、俺か」
「カズホっ!」
やや遅れ馳せながらも、素直に手を挙げた。ユーコはそれを怒鳴りつけながら、こんなにも多くの仲間たちにそのような低俗な言葉が広まっていた事実にうんざりした。
「あー、悪い悪い。この前、港に下りた時に使ってるのを聞いてな。それで憶えた」
「憶えるのは勝手だけど、ここでそういう言葉を使うのはやめて。あっというまに流行るんだから」
「わーった」
わーったと言ってわーってないのがカズホという男だ。ユーコは溜め息を吐く。
どうしてこんなぼんやりした奴が、一年前に先代からピーターパンに選ばれたのか。それはこの世代が自分とカズホのふたりしかいなかったからである。昔から女子はピーターパンになれないと決まっているので、消去法で彼なのだ。まったく、しようのない。
「それよりもほら、見てみろよ。一番星だ。綺麗だぜ。あーほんとユーコさんみたい」
「ほざきなさいよ」
明らかにユーコの追及から逃れるための台詞でしかないが、溜め息を吐きつつ、彼の指差す方向を振り仰ぐ。同じように、他の子供たちも空を見上げた。
今までのくだりを聞いていた者たちも、聞いていなかった者たちも、みんな。
「……」
カズホのすごいところは、ここだと思う。どんな些細なことも大きなことも、カズホの言動ひとつで全員の動きが決まってしまう。
歴代のピーターパンがそうだったように、彼は統率者であり先導者なのだ。
だから、彼が海賊稼業を始めようと言った時、誰も反対しなかったのだ。――もっとも、この状況では当然なのかもしれないが。
空には一番星。辺りはもう暗い。ユーコは高さの違う甲板同士を繋ぐ階段を上ると、カズホの隣に立った。顔のガーゼが痛々しく、思わず眉をひそめる。あとで替えてやろう、とユーコは無言で決めた。
「カズホ」
「ん?」
「今日はどこに停泊するの?」
「……」
隣に立つと、彼がいかに近頃背が伸びてきているかがわかる。ごまかしきれない成長を見せている少年は、口元に手をやると、暫し考え込んで、
「そうだな……」