Child? ~2~
「客の奪い合いごときで言い争うとは何事だ。客は横取りしあってなんぼのものだろうが。市場の雰囲気を悪くしてどうする。それでもお前ら商売人か」
その日の午後、道の真ん中で怒鳴り合っているふたりの魚屋がいる、という報告を受けたキョウがそのふたりを叱っていた時、
「保安官さんっ!」
ひとりの若い女性が、突然右腕に縋りついてきた。顔中を涙やらなんやらで汚し、ひどく動揺した様子の女性は「助けてください!」と半狂乱で訴えた。
「どうしました」
喧嘩していたふたりに、もう行ってもいい旨を伝えると、キョウは女性を落ち着かせて話を聞いた。
「ヒサが……一歳の息子がいなくなったんです! ベビーカーに乗ってたはずなのに!」
キョウはわずかに目を見開いた。しかし、女性にそれを悟られないよう、冷静に「ヒサくんの特徴は。着ていたものなど」と手帳を取り出して尋ねる。本当は焦りたい。しかし自分が焦ってはどうにもならない。
あかいぼーし。しろいずぼん。下手くそな文字でそう走り書き、ポケットから銀色のホイッスルを取り出す。
ぴいぃぃぃっという鋭い音に、駆けつけてきた近辺の保安官はハチ含め四人。
「人さらいの可能性あり。一歳の男児。赤い帽子に白いズボン」
港は昔から、人さらいの多い場所だった。幼い子供が標的にされることが多く、帰ってくる確立は低い。船でさらわれた、というのが保安官たちの見解だ。
「ガクとセーヤは一番通り市場、タイトは船着き場を捜索。ハチ、お前は俺と二番通りだ。行動開始!」
今日は同じ港に先輩がいなかったため、キョウが筆頭になって四人に指示を出す。
「キョウさん、さらわれた子のお母さんは?」
市場の人ごみを掻き分けながら、同じ区域を捜索するハチが問う。
「ルビー・ポート入口の本部に行ってもらった。見つかったらすぐに会わせられるように」
「見つかりますかね」
「バカ、見つけるんだろうが」
「ごめんなさい」
走りながらハチがそう謝った時、通りの向こうがざわめき立った。
「なんだ?」
「今日は随分と事件が勃発しますね」
焦ってこちらに流れてくる人の波を避けながら、騒ぎの中心へと向かう。
そこでは、
「なっ……!」
ラピス・ポートの惨事が繰り返されていた。幾軒もの店が荒らされ、落とされた商品が道いっぱいに散らばっている。
そして、遥か向こうには、逃げ去る子供たちの後ろ姿。
「ハチ! 追うぞ!」
言うが早いか、ふたりは駆け出していた。最優先事項の変更である。キョウは心の中で、ヒサという赤ん坊の母親に手を合わせた。
六、七人の子供たちは真っすぐ船着き場に向かっていた。船着き場にはもうひとりの保安官がいる。そいつがなんとか止めてくれないだろうか。
そんなキョウの願いも虚しく、視界の開けた船着き場に出た時、傍に保安官の姿は見当たらなかった。船着き場は広いので、他の場所で赤ん坊を捜索しているのだろう。ホイッスルも吹かずに勝手とは知りながら、キョウはそこの担当者・タイトを恨まずにはいられなかった。
船着き場の端にひっそりと泊まっている、一際大きなその船。
出航の時を察してか、その帆が音を立てて開かれた。
「……黒帆……!」
足の速い者から順番に、言わずと知れたその海賊船に乗り込んでいく。全員が乗船した瞬間に、陸に渡した板を外してしまう算段だ。
させるか。キョウは走りながらサーベルを抜く。
それを高く放り投げると、サーベルは美しい弧を描いて、
「ひっ……!」
一番足が遅かった少年の、目の前の地面に突き刺さった。
怯んだ隙を逃さず、その数瞬のうちに確保する。少年は喚いて、キョウの両腕を何度も叩き、足をばたつかせた。
「離せよ! せこいぞおっさん! 下ろせ! 触るな!」
「レオ!」
黒帆の船の甲板から、少年少女たちが顔を覗かせる。
「ハチ! 乗り込んで船を留めろ!」
「行って!」
キョウに拘束されたまま、少年が仲間たちに怒鳴る。
「俺はいいから早く行って!」
行かせるわけにはいかない。キョウは腕にレオと呼ばれた少年をしっかり抱え込みながら、既に確認していた。
甲板からこちらを見下ろす少女のうちのひとり。その腕に、小さな赤ん坊が抱かれている。
赤い帽子。白いズボン。
「ヒサ……!」
船にハチが迫る。あと少しで、板を渡って船に乗り込めそうだ。
仲間たちは迷っているようだった。そう簡単に、少年を放ってはいけないだろう。情に流されやすいところが、いかにも子供らしい。
「行こう」
その時、一段高い甲板から声が降ってきた。ひどくいがらっぽい声で、キョウはやや違和感を覚える。
言葉を発したのは、身体が他より大きい、リーダー格の少年。十二、三歳程度、中等生以下。この前のラピス・ポート事件の主犯と同一人物の可能性が高い。
リーダーの言葉を受け、陸とを繋いでいた板が迷わず引き上げられた。ハチが到着してジャンプするが、わずかに届かない。
動き出す船の落下防止用の柵の上から、リーダー格の少年が身を乗り出す。
「レオ! 絶対に助けにくるからな! 待ってろよ!」
仲間を切り捨てた彼も、子供らしい情は持ち合わせていたようだ。
遠ざかる船を見つめながら、キョウは低く呟いた。
「……くそ」
★
その夜。取り調べ室に入ってきたキョウに、仲間からレオと呼ばれた少年は、思いきり睨みつけるような視線を投げつけてきた。別に友好的な態度を期待していたわけではないが、子供は好かない、好かれないキョウには、少々厳しいものがある。
ルビー・ポートのハーバー保安官本部の取り調べ室は、ひとつしかない窓に鉄格子がはまっており、出入口の扉は鉄製、しかも一歩外ではハチが待機している。こんな場所にこんな子供を拘留するのはどうかと思うが、事件が事件なだけに仕方がない。
本当はハチも取り調べに立ち合わせたかったが、彼は黒帆の船を逃がしたことに対する悔しさを隠し切れていないため、ここにはいさせなかった。レオに舐められたら面倒だ。
クォーツ・ハーバー保安官たちは、船を持っていないわけではない。しかしそんなに数が多いわけではなく、レオを押さえつけるキョウを残してハチが遠くに泊めてある小型船に乗り込んだ時には、黒帆の船は水平線の遥か彼方に消えていた。決してハチが遅かったわけではない。小型船が遠くにあった上、黒帆の船が恐ろしく優秀だったのだ。
しかし、彼は今、扉の外で唇を噛みしめながら、自らを責め苛んでいる。そう考えると気の毒で、なにもかもが嫌になる。これから、目の前の子供を尋問しなければいけないことも。
「名前は?」
「…………」
「レオでいいな」
黙秘権の行使。キョウは深く溜め息を吐きたいのをぐっと堪え、次の質問に移った。
「年は? 見たところ十歳くらいか」
「十一歳だよ、おっさん」
「おっ……」
確保した時にも思ったが、こいつは人のことをおっさんおっさんと……。
「俺はまだ二十五だ」
「おっさんだろ。大人はみんな、意地汚いおっさんにおばさんだ」
「否定はしない。長く生きてると、人間どうしても汚くなる」
認めたことを意外に思ったのか、レオは「ふーん」と言いたげに、わずかばかり目を見開いた。しかし、それで彼の態度が変わるわけでもなく。
それから様々な、事件に関係ある質問もない質問も多く尋ねたが、レオは自分の年齢以外は頑なに答えようとしなかった。
最後に、キョウは辟易し、無駄と知りながら、目の前の強情張り少年に尋ねた。
「リーダーはあの年長のガキか? なんて名前だ?」
「……」
「……」
キョウは深く息を吐き出し、ガタッと椅子から立ち上がった。時間的にも、少年の機嫌的にも、潮時だと言える。
「今日は以上だ。お前はこれから保安官運営の拘留所に入る。処置が決まるのは後日だ」
事務的なことをひととおり伝え、レオに背を向ける。彼を別の港付近にある拘留所に移送するのは、別の保安官の仕事だ。
恐らく孤児院送りが関の山だが、それまでにレオが、誰かひとりだけでも、心を開ける存在が現れることを祈る。もちろんそれは事件解決のためであるが、今の態度のままだと、周りも本人も困ることが多いだろう。
「また今度も俺が話聞く担当だから、その時に色々聞けるのを……」
「――――」
去り際に、レオの言葉を背に受ける。その瞬間、キョウはぴたりと立ち止まった。
「――なに?」
ゆっくりと振り返って、たった今発言した少年に低く聞き返す。
レオは「だから」と机に肘をついて、キョウを侮蔑したように睨み据えた。
「おっさんの左腕に訊いてみたら?」
一瞬、視界の端に散らついたのは、鮮血の赤だ。キョウは目を閉じて、息を吐き出す。すべてが幻影で、過ぎた話。わかっているから、今さら揺さぶられたりしない。
「それが、最後の質問に対する返答か?」
怒ると思っていたのか、レオは少し意外そうな顔をし、そして心底つまらなさそうに唇を尖らせて黙り込んだ。
「それなら違うと言っておこう。三年前の事件の犯人も十二、三歳のガキだったが、そのガキは今ではもっと大人になってるはずだ」
「俺たちは大人にならない」
今日初めて、取り調べでレオが噛みついた。立ったまま尋問を再開する。
「大人にならない?」
「俺たちはピーターパンに選ばれたんだ。だから大人にはならないんだ」
ピーターパン。懐かしくて、苦々しい響きだ。キョウは口元にだけ、乾いた笑みを浮かべる。
「しかしな、俺が三年前に出会ったピーターパンとやらは、今日見たあいつとは別人に見えたぞ?」
「代替わりだよ。十三歳になったピーターパンは、同い年の仲間を引き連れてどこかに行ってしまうんだ」
「……」
「俺たちが……どんなに引き止めてもな」
おおかたの事情を察して、キョウは静かに目を伏せた。そして、自らのリーダーに心酔する少年に、はっきりと憐れみの感情を向ける。
子供が純粋ゆえに残酷なのは痛いほどにに知っているつもりでいたが、憐れなまでに純粋なのは、このたび初めて思い知った。
「……このまま捕まらなかったら、お前もピーターパンになっていたかもな」
「なるよ。俺は仲間のもとに戻る」
レオは断定的に言ってみせた。
「ピーターパンは、絶対に助けてくれると言った。だから俺は、こんなところからはとっとと帰るんだ」