Child? ~11~
「名残惜しいか」
かなり沖合いまで流されていた黒帆の船が、ハチの操縦によって港に戻っていく。その船上で、無地で真っ黒な帆を見つめながら甲板に座り込むカズホの横に、キョウも腰を下ろした。こめかみにはハチが貼ってくれたガーゼがあり、頬にガーゼが貼ってあるカズホと若干お揃いみたいな感じになっている。
他の子供たちは甲板に寝転んだり、座り込んだり、各々最後のこの時間を過ごしている。子供は寝ていなければいけない時間だが、それぞれ思うところがあるのだろう。
「……まあ」
「それはそうだろうな。お前にとっては十年くらいいたグループだしな」
「……」
むっつりと黙り込んで、帆を見上げ続けるカズホ。相変わらず不服そうなその表情に、キョウは静かに問う。
「まだ、大人になるのが嫌か?」
一瞬、答えに詰まったように見えたカズホは、小さく溜め息を吐いた。
「嫌っていうか……俺とユーコは、キョウさんたちが現れなくてもそのうちここを出ていかなければならなくなっていたでしょうから、覚悟はしてました。心配なのは、俺たちより年が下の奴らです」
カズホは視線を帆から下ろし、割と年長の少女と話し込むアヤカに向けた。
「俺だってそれなりに怖いのに、こんな幼い奴らが、大人のいる世界で生きていけるのか、と……」
カズホの思うことはもっともだ。今まで閉鎖的で隔離された空間で生活してきた彼らが、世界の広さ、冷たさ、荒々しさに耐えうるのか。
しかし、
「子供の順応性は、大人のそれより高い。それぞれがそれぞれの場所を見つけて、自分の生き方を見つけるだろ。後見人を見つけてやるのは俺たちの仕事だけどな」
沈んだ様子のカズホに、嫌みを込めて言う。
「まあ、すぐには馴染めないお子様も、中にはいるだろうがな」
「……」
少しからかってやっただけなのに、頭の固いお子様は顔を真っ赤にしてキョウを睨みつけた。
「……あーあ、俺もあんたみたいな嫌な大人になるのかな」
「俺が嫌な大人かどうかはともかく、お前はあっというまに大人になるぞ」
眉をひそめるカズホに、キョウは小さく笑った。
そう、すぐになってしまう。戸惑っている間に、今この瞬間に、彼らはものすごいスピードで大人に近付いていっている。今はまだ、身体の成長に心がやや追いついていないけど。
キョウは舵を取るハチに振り返った。元ピーターパンのハチと出会った時、彼はまだ十八歳の青年だったが、ちゃんと大人としての自覚ある行動を取っていたように思う。
「まあ――大丈夫だろ」
「……」
なにがどう大丈夫なのかは伝わっていないだろうが、カズホはその時だけ、素直に頷いたように見えた。
「大人はいいぞ。夜中に出歩いても怒られないし、酒も飲めれば煙草も吸える。あくまで聞いた話だが、街のちょっと奥まった場所に入れば、女も買えると来たもんだ」
「女? って買うものなんですか? 買ってどうするんですか?」
カズホが純粋な疑問として尋ねた瞬間、彼の頭に突如として拳が降ってきた。ゴツン、とかなりいい音がして、ふたりは驚いて振り向く。カズホが涙目で叫んだ。
「ユーコ!」
「……保安官さん、カズホに変なこと教えるのはやめてください」
「え、俺今なんで殴られたの? 理不尽か? おい理不尽か?」
「うるさいバカ!」
なぜか顔を真っ赤にしながら、ユーコが怒鳴る。耳年増とはまた厄介な。キョウは苦々しくぎこちない笑みを浮かべた。
「ああ、悪かったな。気を付けるとしよう」
「え、ユーコ、どういうこと? これどういうこと?」
「知らない!」
しつこく尋ねてくるカズホに背を向け、ユーコは肩を怒らせながらその場を離れていった。怒鳴られた本人は、不可解そうな顔でその後ろ姿を見送る。
「なんなんですかね、あいつ。イライラして」
「生理だからな」
「せーり?」
「こっち……いや、あっちの話だ」
腰にシーツを巻いていたユーコは、着替えて長ズボンを履いていた。『病気』の処置をするための用品の使い方は結局ハチが教えることになり、問題なく使用させている。本当に、女子は大変だ。
下世話なことを考えるのはやめ、雲ひとつない夜空を仰ぎ見る。とは言え夜色なのは西のほうだけで、東のほうへ行くにつれ、紺から紫、橙のグラデーションを描いていく。
「……夜明けだな」
キョウは甲板に寝転がった。時間的にはそろそろ夜勤の終了時刻である。さすがに今宵は、飛んだり走ったり頭や身体を強打したりと疲れた。もちろんこの子供たちの件で残業決定であるが。
「……」
カズホが黙って、キョウの横に寝転ぶ。自分の真似をしてきたことを意外に思っていると、彼が不意に、口を開いた。
「俺、エイト兄さんのことは昔からそれなりに尊敬してるんですよ」
「そうか」
「なので、一番尊敬出来る大人は、自動的にエイト兄さんになっちゃうんですけど」
首を動かし、キョウを見つめるカズホ。キョウはなんだ、と言うように、その目を見返した。
「二番目に尊敬出来る大人に、キョウさんを持ってきてあげてもいいですよ」
「……」
キョウは数回まばたきをした。語尾にかけて上から目線な物言いが聞こえてきた気がするが、無視。
知らず、こぼれ出る笑み。カズホはそれを見て不気味そうな目を向けてくるが、少しも気にならなかった。それより生意気な十三歳の子供ひとりに「尊敬出来る」と言われただけでここまで上機嫌になれる自分に驚きである。
「言っときますけど暫定ですからね。本土でエイト兄さんみたいな人にまた出会えたら、あんたが三番、四番に転落していくのは目に見えてますから」
「わかったわかった」
「わかってないでしょう、その返事」
「もうすぐ着きますよーっ!」
舵を取るハチが全員に呼びかける。船頭が指す方向に、船着き場や市場が見える。
そのさらに向こうから太陽が昇ってくるのが見え、キョウは目を細めた。
「……夜明けですね」
横のカズホが、同じく目を細める。
港の朝は近い。
まだ終わりません!
 




