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それぞれの垣根ー1

「三番上がったよ、嬢ちゃん!」

「はいよ!」

 二日の休みを挟んで、テレサは表向き日常を取り戻していた。こうしてくるくると目まぐるしく働いている間は、ほかの事を考えている余裕は無いというのが本当の所だった。

 聖女テレサの評判はいろいろな意味で、カールのおかげでさらに広まっていた。特に彼の勧めた「女の子っぽい恰好」は、もともと注目の的だった彼女にさらに好奇の目線を集めていた。そのおかげで、今や増産した弁当も飛ぶように売り切れ、机につこうと並ぶ列を途中で打ち切らなければならなくなるほどだった。

 厨房に戻ったテレサは、六本の腕で巧みに料理を持ちあげる。惜しみなく使っているその神々しい力を拝みに来る客も少なからずいるという事を、テレサは知らない。

「もうすぐ四番が上がるから、置いたらこっち来て待っとけ」

「はい!」

 勢いよく厨房を飛び出したテレサは、人波を掻き分けて三番の机に料理を置いた。

「……?」

 生じた違和感の正体に、テレサは一瞬遅れて気が付いた。

 テレサは六皿持ってきた。それに対するのは、頭巾を被った一人の女性だった。

「あの……食べきれるの?」

 かすかな苛立ちを覚えてきつく問いかけるテレサに、女性は向き直った。その黄金色の瞳は、悪戯っぽく笑っている。

「うふふ、このくらいじゃ足りないくらいよ」

「……クリスタさん?」

 うろたえるテレサに、クリスタは小さな、しかし周囲の喧騒に負けない鋭い声で話しかける。

「忙しそうだから手短に言うわ。今日時間を取ってちょうだい。いつごろ空くかしら?」

「大体日が沈むころです……一体何の用ですか?」

「ずいぶん遅いのねぇ……分かった、待ってるわ。空いたら審議院に来て。私に呼ばれたって言えば分かるようにしとくわ」

「だから、何の……」

「……分かったわね?」

 その一言で、テレサは汗がすっと引くのを感じた。

 鋭くとがった氷柱のような冷然とした表情。

聞く者の背筋を凍らすような有無を言わさぬ口調。

「……分かりました」

テレサは頷くほかなかった。

クリスタは満足げに頷き返して、粉雪のような柔らかい微笑を浮かべた。

「ありがとう。あなたの、というより聖人のお仕事について事前説明ってところかしら。あなたは新顔だからねぇ」

 そう言いながら、彼女は手近にあった野菜炒めの皿を手に取って、料理を口に運んだ。

「じゃあ、待ってるわね。あなたまだ仕事があるでしょ?」

「……!」

 見る見るうちに野菜炒めがなくなっていくのを眺めていたテレサは、はっと我に返った。

「ごめんなさい、クリスタさん!また後で!」

 そう言って厨房へと駆け戻るテレサを見送って、クリスタは次の皿に手を付けた。かつてペルが作っていた鶏肉の炒め物だった。

「ふーん、市井の料理屋にしては意外とおいしいじゃない。気に入ったわ」

 そう呟いて、クリスタは隣の客が食器を取り落すほどの勢いで料理を平らげ、たどたどしい会計に銀貨を適当に渡して審議院へと帰って行った。



「クリスタさん、何でうちでご飯食べてたんですか?」

「せっかくの聖人の力が荷物運びに使われてるって聞いてねぇ。本当かどうか確かめに来たのよ」

「……すみません、便利だったので」

 ばつの悪そうな顔をするテレサをちらりと見て、クリスタはくすりと笑う。

「別に、悪いって言ってるわけじゃないのよ。ご飯もおいしかったしねぇ。そうやっていろんな人の役に立てるのが、神様の御意志かもしれないし」

 こつこつと足音が木霊する。

 二人の歩く石造りの長い回廊は右に折れ、大きな扉に突き当たった。重厚な雰囲気を放つそれを開いて、クリスタは振り返った。

「まぁ、神様の御意志って話だけど……要するにあなた達聖人にはそれを聞いてもらおうってわけ。さあ、入って」

 促されるままに扉の奥へ入ったテレサは、その異様な雰囲気に圧倒される。

 そこは部屋と呼ぶにはあまりに広かった。「青い港」を厨房まで入れて二つ並べて、角を削った様な広さの、円形の構造物だった。

 背丈の二倍ほどある石造りの壁の上には、五角錐をした木製の屋根が乗っている。そのところどころには色とりどりのすりガラスがあつらえられていて、傾きかけた夕日を受けてきらきらと光っていた。

 そして、何よりテレサの目を引き付けたのは、並び立つ大理石の石像だった。

部屋の中央にはひときわ大きな像が立っている。こちらを向いているそれには人間の両目ともう一つ、大きな目が額にあしらわれている。四本のその腕は大きく広げられ、その指がまた腕に、その指がまた腕にと木の枝めいて広がっていた。両足があるべき部分には何も無かった。その体は一本の太い柱によって、宙に浮いているように支えられていた。

そしてその周りには、人間の腕をかたどった柱に支えられた、球形の像が五つ立っていた。

「……何ですか?これ」

 入口で立ち止まってしまうテレサを、クリスタは促す。

「ここが、神託の間よ。あなた方にはここで、神様の声を聞いてもらうの。ついてきなさい」

 二人は部屋の中心へと歩いていく。すりガラスから入り込んだ光が、テレサの頬を七色に染め上げる。

「神様から分かたれたばかりの最初の聖人たちが、この儀式の形式を伝えたとされているわ。神様の世界はあまりに遠く、こうして道を作らないとこちらからの声はとても届かない……そうね」

「……それで、私は何をすればいいんですか?」

 クリスタは球形の石像を見て回っている。近づいてみると、それらには球の部分に模様が刻まれているのが見て取れた。

「ああ、あったあった。こっちに来なさい」

 テレサは促されるままにそちらへ歩み寄る。

 クリスタが脇に立つ石像には、やはり模様が刻まれていた。一本の太い線、その両側に伸びる無数の細い枝。

 テレサは手袋を外して、手の甲の印とそれを見比べた。それは線の本数から伸びる角度まで、すっかり一致していた。

「これがあなたの台座よ。触ってごらんなさい」

 言われるままに、テレサはその両手で球に触れた。

 手が吸い付くような感覚。大理石で出来ているとは思えない、温かな何かが流れ込んでくるような安心感をテレサは感じた。

「……不思議ですね。石なのに……温かい」

「ならよかった。そろそろ手は放しときなさい。気持ちいいのは確かなんだけど、妙に疲れるらしいから」

 クリスタは安心した様子で、台座を撫でる。

「これ、この間止めてもらったあれの中身よ。おかしくなってないか心配だったけど、大丈夫そうねぇ」

「……それで、私は何をすればいいんですか?」

 手のひらに残る確かな温度の残滓を感じながら、テレサは少し語気を強めて言った。

 肩をすくめるクリスタ。

「つまり……あなたは神様にお伺いを立てる事柄を覚えて、それに触りながら祈っていればいいわ。そうすると御神託が聞こえてくる……らしいから。それを覚えて、後で私たちに教えてくれればいい」

「それって、どのくらいあるんですか?」

「五人で分担するから……まぁ六つ七つくらいかしらねぇ。今まさに本議会で決めてるところよ。なんといっても国政の要ですもの」

 そう言って、クリスタはテレサの顔を覗き込んだ。

「だから、失敗は許されないわ。心しておいてねぇ」

 テレサは生唾を飲み込んだ。

「……はい」

 クリスタは目と鼻の先でにっこりとほほ笑んだ。

「じゃあ、今日の話は終わり。本番は夏納めの日よ。先だって、覚えてほしいことについてお手紙が届くから、ちゃんと受け取ってねぇ」

 そう言って、クリスタは入ってきた扉へとテレサを誘う。

「…………」

 その身に課せられた重責を自覚させられて、テレサは言葉を失っていた。


 

「そうですか……ついに、神託を」

「そうなのよ。ちょっとは覚悟してたけど……やっぱり腰が引けちゃうよね……」

 エレナは頷いて共感を示した。

辺りはすっかり暗くなっていた。クリスタの好意で貸し与えられた手持ちの明かりが、足元をぼんやりと照らすばかり。

「……っていうかクリスタさんが怖すぎるのよ。すごく脅かしてくるし、目つきもぎらぎらしててさ」

神託の間でのやり取りを思い返して、テレサは身を震わせる。失敗は許されない、と告げたあの眼差しには、肝が冷え切って腐り落ちるのではないかと思わされたものだった。

「兵士たちを束ねる立場ですし……少々怖くないとやっていけないのかもしれませんね」

「それでいて時々優しそうに笑うしさ。本当によくわからないわ、あの人」

 げんなりとため息をつくテレサ。

 エレナはその隣を滑るように歩きながら、星空を見上げた。月が不在の今日は、端役の星たちも総出で二人を優しく包み込んでいるような、満天の星空だった。

「……きっとうまくいきますよ。テレサさんなら」

「そうかなぁ。でも、ありがと」

 丘を登り切った二人は、談笑しながら門へと歩いていく。

「ねぇ、クリスタさんって幾つかな」

「……難しいですね。副警備隊長さんですし、国政にも深く関わっているようですし……結構お年を召されているとは思うんですが……」

「だよね。どう考えてもあの見た目と釣り合わな……わ、っと」

 考え込んでいたテレサの頭が大きく沈む。

「どうしました?」

「ごめん、なんか躓いた。なんだろ……」

 そう言ってテレサが照らした足元には、人間の頭があった。短く切られた茶髪。

「わ、何で!生首!」

 一歩後ずさるテレサと頭の間に、エレナは割って入る。

霊体の良く効く夜目は、その生首に体が付いていて、胸に小さな刺創があることを見て取った。それ以外に目立った傷はなく、その達人じみた一突きが致命傷になったようだった。

「落ち着いて、体も付いています」

「そういう問題じゃないでしょ!何?行き倒れ?」

「刺し傷があります。もっと物騒なものかもしれません。もう少し下がって」

 いつになく鋭い口調で言うエレナに、テレサは黙って従った。

「……死んでる、よね?」

 そう尋ねる声は、少し震えている。

「ええ、血も止まってます。ただ……」

 エレナは決然と、哀れな犠牲者に一歩踏み出した。

 その瞬間、踏み出した足をその腕が掴もうとする。

空を切る腕。エレナは一層表情を強張らせる。

「……あ?」

「ひっ……何?今の声?」

 背後をきっと見据えるテレサをよそに、死体はゆっくりと立膝をつき、勢いをつけて立ちあがった。

「……お仲間か、あんた」

「ええ。どこで手に入れたのか知りませんが、良いものをお持ちですね」

「何?エレナ、何と喋ってるの?」

 正面に向き直ったテレサは、明かりの放つおぼろげな光の下、生ける屍と対面した。

「……?」

「そっちのあんたは生きてるよな。悪いが、ちょっと話を聞いてくれないか」

 流暢な高い声が、テレサの中で反復される。

 落ち窪んだ眼。土気色の肌。

 豊満な胸。そして、その真ん中から広がるどす黒い染み。

「…………」

 テレサはその場に崩れ落ちた。

「あ、テレサさん、テレサさん!」

「あーあ、やっぱり着替えをどこかで調達するべきだったな」

 暢気に言う女性を睨みつけて、エレナはテレサに呼びかけ続けるのだった。



「……さん、テレサさん!」

「ん……」

 意識を取り戻して身じろぎするテレサを、エレナと女性が覗き込む。

「お、起きたか」

「ひっ……」

 息をのんで這いずるテレサ。

「……あなたは少し引っ込んでいなさい」

 鋭い声で言うエレナ。

「へーへー。しかし初見とは、平和なところで生きてきたんだな」

 ぼやく女性。

「何?エレナ、死体、それ、何で?」

 半狂乱で呟くテレサに、エレナは持ち前のゆったりとした微笑みを向ける。

「こっちを見て、テレサさん」

「え、エレナ?」

「何も怖いことはないんです。深呼吸して」

 言われるままに深呼吸を繰り返すテレサを、エレナはにっこりとほほ笑んだまま見つめている。

「どうですか。落ち着いてきましたか?」

「……うん、だいぶ」

 額に浮かんでいた汗を拭って、テレサは頷いた。

「よかった。じゃあ、落ち着いて私の話を聞いて下さい」

 混乱の残った頭で、何度か聞き返しながらテレサはそれを理解した。

 人間の体は魂の入れ物。

 霊体とは心残りが重すぎて天に帰れない魂。

 ならば、魂を失った体と霊体が出会ったらどうなるのか。

 すなわち、普通の人間と同じように動かす事が出来る、らしい。その証拠は、座り込んで自治領の方を眺めている。

「……だから、自治領のように大きな集団になると、死体は火葬しているんです。悪戯な霊体たちが、無用な混乱をもたらさないように」

「じゃあ、あれは何?」

 怪訝な顔をして尋ねるテレサに、当人が振り向いて答える。

「これはすぐそこで拾ったんだ。死にたてだったみたいでな……っと、俺のことはクルトって呼んでくれ。生きてた頃の俺の名だ」

 そう言って、クルトはにんまりと笑ってみせた。

「うん……よろしく」

 テレサはクルトを――クルトが入っている体をもう一度眺めた。髪こそ短く切り揃えられているが、その胸や腰回りは完全に女性のそれだった。

「違ったらごめん……クルトさんって男だよね?」

「さん、は要らねぇ」

 クルトはむず痒そうに頭を振った。

「まぁ贅沢は言ってられねぇ。体なんてめったに手に入らないからな」

 そう言って、彼は再び自治領の方を見つめた。

「会わなきゃならねぇ女がいるんだよ」

 神妙な顔をしているエレナの横で、薄明かりの中テレサはその表情を見ていた。深く影の差すそれはどこか寂しげで、同時に熱い思いがにじみ出ているように感じられた。その混合した感情にぴったりくる言葉を、テレサは思いつかなかった。

「女の人に会えばいいだけなの?じゃあすぐだね」

「正確には、会って手紙を渡す必要があるんだがな。というわけであんた、家に入れてくれないか」

 クルトはやおらテレサの方に向き直って、手を合わせた。

「え、何で?」

「手紙を書かなきゃならねぇ。職業柄用意はしてたんだが、あいにく寮の中だ。取りに行けねぇ」

「……えーっと」

 頬を掻くテレサ。その頭の中では、例の逸話とカールの記憶がせめぎ合っていた。

家に上げれば取り返しがつかない。

しかし、去り際にカールが見せた満ち足りた笑顔が、もう片側からテレサを押し潰そうとしている。やはり霊体であることは苦しみと共にあり、心残りを払って天に帰ることこそが彼らにとって最上の事なのだ、と彼女はその笑顔から学んでいたのだった。

カールの笑顔が、迫ってくる。

目の前の霊体も、彼と同じように救われるべきではないのか。

思いの均衡は一瞬で崩壊した。

「いいよ。入って」

「本当か!?恩に着る!」

「善は急げだよ。早く手紙書いて、明日にでもその女の人へ渡しに行こうよ」

「……それがいいと思います。きっと……早い方がいいでしょう」

「だよね。さ、入って入って」

 そうして屋敷に入っていく二人を、エレナは静かに見送った。

「そう……早い方が……」

 固く閉ざされた扉を遠目に見詰める彼女は、どこか妬ましげだった。


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