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霊体の体温ー2

 両替所に並ぶ列が伸びる街道は、静かなざわめきで満ちていた。その中心には、聖女と黒髪の女、そして小さな子ども。

働く聖女には兄弟がいたらしい。列に並びに来た者は最後尾でその噂を聞きつけ、わざわざ彼女らのところまでやってきて、ひとしきりカールを眺めてから並びなおす始末だった。

「……やっぱ目立つよなぁ」

 テレサはため息をついて、足元にしゃがむ小さな弟を見つめた。周りの好奇の視線などどこ吹く風で、カールは六つの袋に興味津々だった。

「へぇー、じゃあ、この中に全部……えっと……どうかが入ってるんだ。……ですね?」

「ふふ……そうよ。銅貨は二百枚で銀貨一枚と交換できるの」

「じゃあ、銀貨は何と交換できるの?……ですか?」

「また二百枚で金貨と交換できるのよ。じゃあ……金貨一枚は銅貨何枚分かしら?」

「え?えーっと……うーんっと……」

 頭を抱えるカールに微笑みかけて、エレナは立ちあがった。

「可愛いですね、弟さん」

「……そりゃそうよ」

 くすくすと笑うエレナを横目で睨んで、テレサは空色の腕を出現させた。拝む集団を横目に、袋を腕一杯に抱えて列を詰める。

「うーん……姉ちゃん、何枚分なの?」

「四万枚分よ。だから金貨なんか扱ってくれるお店の方が少ないの。持ってるだけ無駄。両替だって断られるわ」

「え?とにかくすごいお金なのに、使えないの?」

疑問を口にするカール。エレナも首をかしげる。

「あら……仕入れの時なんかに使わないんですか」

「そんなもん持って行ったら門前払いだわ……って、おばさんに言われた」

「……よく分かんないけど、姉ちゃんは聖女様になっても頑張って働いてるんだ」

カールは胸を張って、テレサの方を見た。

「そうよ。なにもしないでお金もらうなんて、あり得ないわ」

テレサは抱えた袋の間から笑い返した。カールは満足げに顔をほころばせると、往来を行く荷車に夢中になっていった。

「…………大丈夫ですか?」

エレナはテレサにささやく。無心に荷車を眺めるカールを見つめるその表情に、一瞬深い影が差したのをエレナは見逃さなかった。

「……うん、大丈夫だよ」

そう呟く声は、蚊の鳴くようにか細かった。

「あの……」

「そういえば、カール」

なにか言いかけたエレナを遮って、テレサは弟に呼び掛けた。

「何?姉ちゃん」

「あれ、何になると思う?」

テレサはまさにカールが注視していた荷車を指差した。その荷台には木材が山と積まれている。四頭の馬が鼻息をたてながら、それを引っ張りあげていた。

「なんだろ、おうち建てるのかな」

「半分正解ね。あれは、お店になるのよ」

「お店?」

カールは首を傾げた。エレナもそれを聞いて、眉をひそめた。

「お店、ですか?どこかで火事でもあったんですか?」

「いや、そういう訳じゃないの。あれはこの先の、審議院の前の広場に向かってるみたいでね」

テレサは上っていく荷車を見送って、二人に向き直った。

「明後日のお祭の準備なんだって。出店をいっぱい建ててるみたいだから、その建材だと思う」

「お祭り!?」

 カールは大きな目を輝かせて、テレサににじり寄った。

「そう、お祭り。地元でやってたやつなんかよりずっと大きなのだよ」

「やった!この上だよね、ちょっと見てきていい?」

 テレサが頷くと、カールは弾かれたように坂道を駆け上がって行った。それを見送った二人は顔を見合わせて、くすりと笑いあった。

「お祭り……ですか」

「うん。お客さんが教えてくれた。毎年この一番暑い時期にやるんだって」

「楽しそうですね」

 エレナはそう微笑みながら、テレサを見つめていた。

テレサは言葉尻こそ明るく軽快だが、その表情はどこかぎこちない。カールが去って行った方向を時折見やる彼女の顔は、笑顔の下から別の感情がにじみ出しているようにも感じられた。

「あの、テレサさん……」

「そういえばさ……」

 同時に話し始めた二人。エレナは先を譲った。

「あなたたちって歩いて移動するの?浮いたりとかできないわけ?」

 そう言うテレサの表情は、純粋な好奇心のそれだった。先ほどまでの違和感は消え失せている。

 エレナは訊きかけた言葉を飲み込んだ。

「浮かぶこともできますけど……生きてる人がびっくりするからあんまりしないようにしてるんです」

「ふーん。そうなんだ」

「それに……歩いてると生きた人間だったころをちょっとだけ思い出せるんですよ。何にも触れない私たちですけど、地面だけは感触をつかみながら歩けるんです」

「んん、何か切ないね」

 真夏の太陽は今日も分厚い雲の中に隠れていた。



 日付が変わり、「青い港」は昼の商いを終えていた。

 机には人影が四つ。ルーカスとフローラ、ペル、そしてテレサは、遅い昼食をとっていた。

「うん、なるほど!あの木の実の油はこういう風味が出るのね。さわやかな感じがしていいわ」

 そう言うペルの前には、鶏肉と野菜の炒め物がつやつやと輝いている。色とりどりの野菜に程よく焦げ目がついたそれには、ペルの手で絶妙な味付けがなされていた。

「うう……しょっぱい……お茶……」

 ペルが舌鼓を打つ横で、テレサは自分の作品と戦っていた。鳥の胸肉を切って炒めただけの簡単な皿の上には、琥珀色に色づいた塩がところどころで花を咲かせている。

「……分ったろう、塩は振りすぎちゃいかん。魚醤と一緒に使うときは特にな」

 そう厳かに言うルーカスの皿はすでに空になっている。その技前でペルとテレサを毎日驚嘆させる料理は、翌日店に来る客を唸らせていた。

「はぁい……」

「残さず食うんだぞ」

 意気消沈するテレサにそう言って、ルーカスはフローラを伴って二階へと上がって行った。

「……んあー、難しいなぁ」

 椅子に反り返って嘆くテレサに、ペルは食べ物を飲み込んで指摘する。

「極端なんだよ、あんたは。昨日の煮物が味付いてなくてもっそもそだったからでしょ?」

「……うん」

「まぁでも、気持ちは分かるわ。早く丁度いいところ見つけられるようになりなよ」

「……そうだね」

 テレサは塩で覆われた最後の一切れを口に押し込んだ。もぐもぐと咀嚼している彼女の表情は虚ろで、皿の向こう、机の向こうの床を見ているようだった。

「お疲れさん」

 ペルも同時に自分の料理を食べ終わって、茶を流し込むテレサを労った。

「ところで、その服どうしたの?」

「え?」

「いや、なんか女の子っぽいなと思って」

 ペルは改めてテレサの服装を見渡した。

上半身は夏場に好んで着られる半袖の衣だが、テレサが身に着けているそれは淡い赤色だった。丁度左胸の部分に、花が開いたような形で地の布の色が残っている。下半身は踝丈の茶色の腰巻に覆われていた。

「ああ、これね。カール……弟がこうしろっていうからやってみたんだけど。変じゃない?」

「ううん、変じゃないよ。むしろ、あんたって可愛かったんだって見直しちゃった」

 そう冗談めかして言って、ペルは立ちあがって空になった器を集めようとした。

 その右手が、掴み止められる。つんのめるペル。

「……?どうしたの?」

 つながった腕の先には、テレサが俯いていた。その口がゆっくりと開かれる。

「……カールがね、私の家につく前に迷ってて、見つけたんだって。染物屋さんとか、腰巻とか」

「…………」

 ペルは戸惑いながらも、椅子に座りなおした。ぶつぶつと独り言のように連なるテレサの言葉を、黙って聞いている。

「どうせ私の事だから、男みたいな格好して、それでいいと思ってるんだろうって。そうじゃないんだって。馬鹿力なんだから、恰好だけでも可愛くするべきなんだって。ふるさとにいた時からずっと言ってたけど、やっぱりあの子だね……」

 テレサは言葉を詰まらせた。

不規則な震えが腕を伝ってペルをゆさぶった。

「死んじゃった……死んじゃったんだよ……!お店を出たらそこにいるけど……もういないんだよ……!!あの子は何にも言わない……私だって聞けない!どうして、なんで!なんで!!なんであの子なの!?ねぇどうしてよペル!!」

 慟哭は食堂に残っていた陽気の残滓を塗りつぶした。

街道の喧騒も、真夏の焦熱も遠ざかり、すすり泣く声だけがペルの中で反響する。

右手が自由になったのをペルは感じた。顔を覆うテレサの両手は、細く青白い。

「…………」

 ペルはゆっくりとテレサの頭に手をやった。

「……ごめん」

 掌の隙間から漏れ出す謝罪に、ペルはゆっくりと頷いた。

「いい。好きなだけ泣きなよ、テレサ」

「……ごめん」

「いいったら」

 ペルはテレサの頭を一心に撫で続けていた。


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