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霊体の体温ー1

 両替所へ続く列に、テレサは今日も並んでいた。灼熱を振りまく太陽は、ちょうど雲に隠れて休息をとっている。それでも、熱せられた石畳からの放熱によって、彼女の頬には汗が伝うのだった。

「あっつい……」

 恨めし気に睨んだ足元には、銅貨を満載した袋が六つ置かれている。細身の少女と圧倒的重量の異様な取り合わせに目を剥く者は、もういない。「聖女様が働いている店」と噂が噂を呼び、今や「青い港」は自治領で一、二を争う昼食の場となっていた。その結果は、地面に転がっている通りだ。

「ねぇ、エレナは暑くないの?」

 再び顔を出した太陽に焼かれながら顔を上げたテレサは、隣に佇む霊体に声をかけた。

「そうですね……暑さ寒さは感じないです」

 そう静かに答える足元には、影がなかった。見た目人間と変わらない霊体を見分けるための、一般人が手軽に使える方法が、晴天のもと相手の足元を見る事だった。

「っつあー、良いなー!」

 そう言ってしまって、テレサはばつの悪そうな顔をして付け加える。

「いや、良くないけど……ちょっとうらやましいかな……」

 エレナはその非礼を気に留めた様子もなく、ゆったりとほほ笑んでいる。

「ええ、実際生きていた時より快適です。……ご飯が食べられないのはちょっと辛いですけど」

「何か、こう、苦しかったりとかしないの?」

「特に……今、とても幸せですから……」

「……幸せなの?」

 テレサは眉をひそめた。エレナは足元に目線を落として、言葉を探している。

「本当に?死んじゃってるんだよ?」

「……そう、心残りを覚えてないから……かもしれませんね。もし覚えていたら、きっとそれで心がいっぱいになってしまうでしょうから」

 テレサは先日天に帰ったルベルの事を思い返した。涙を流して彼女に願いを告げた彼の様子からは、その心中の苦悶が痛いほど伝わってきたものだった。

「そういうものかな……どんなに動いても疲れないんでしょ?それはちょっとうらやましいかな」

「ええ、その気になれば海の向こうまで行けるでしょうね。だから今の状態はとても快適で便利です……毎週の重量測定でねちねち嫌味を言われるのが、ちょっと嫌ですけど」

「……重量測定?」

 するりと飛び出した場違いな単語に、テレサは思わず聞き返した。

「測るんですよ、重さを……生きてる人の世界に心残りがあると重くなるみたいで……重いと天には帰れないみたいなんです」

「ふーん、毎週いない日があるのってそれだったのね」

「はい。便が一日一往復しかないので、測り終わった後暇なんですよね……」

 そう呟きながら、エレナは往来を見渡した。

 ここ数日、木材を積んだ荷車が行き来するようになっていた。行き交う人々の足取りは、どこか浮かれているように見える。

「……何かずっと運んでいますね」

「さぁ、何だろうね」

首をかしげる二人の後ろから、咳払いが飛んできた。

「聖女さん、前空いてるぜ」

「……!ごめんなさい!」

 テレサは瞬時に光の腕を展開して、袋を四つ持ち上げた。その様子を見ていた老婆の集団が一斉に手を組んで祈りをささげ始める。

「参ったね、どーも」

残りの二つを両手に抱えながら、テレサは苦笑した。

「すっかり有名人ですね」

 そう言って穏やかに笑うエレナの顔は楽しんでいるようにどこか弾んでいて、テレサを何とも言えない気分にさせたのだった。



 最後の椅子を運び出して、ペルは額の汗をぬぐった。

「けっこう疲れるね……おばさん、これ毎日やってたの?」

 長椅子に腰かけてそれを見ていたフローラは、一息鼻を鳴らして立ちあがった。

「このくらい屁でもないよ」

「冗談。やっぱり引き受けてよかったわ」

 入れ替わりにペルがどっかりと長椅子に沈み込んで、フローラを見上げた。

「……まぁ、助かってるのは確かさね。ありがとう」

「どういたしまして。ところで、おばさん」

 ペルは、顔を赤らめながら厨房に引っ込もうとするフローラを呼び止めた。

「何だい」

「あの男の子、知り合い?」

 二人が戸口を見ると、開け放たれた扉の陰から少年の姿が見え隠れしている。年のころは十ばかりだろうか。鮮やかな金髪は短く切られて、頭の上で無造作に撥ね回っている。一見して活発な少年であることが見て取れる顔立ちだったが、空色の瞳はどこか不安げに店の中を覗いては、扉の陰に隠れるのだった。

「わたしゃ知らないね」

「何だろ、テレサの知り合いかな……ちょっと聞いてくる」

 ペルが戸口に近づくと、その少年は射すくめられたように動かなくなる。

「どうしたの?」

 ペルはごく普通に声をかけたつもりだったが、少年はそれを聞き、彼女の顔を見てびくっと身を震わせた。

「ちょっと、そんなに怖がらないでよ……参ったな」

「目つきが悪いんだ、目つきが。あんたは下がってな」

 そう言って、フローラは重い体を揺すって少年に歩み寄った。屈みこんで目線を低くすると、聞く者が耳を疑うような穏やかな声で少年に話しかけた。

「どうしたの?坊や」

後ろで聞いていたペルが思わず吹き出した。フローラはきっとそちらを睨んでから、再び少年に優しげな視線を向ける。

彼は少し安心した様子で、たどたどしく話し始めた。

「あ、あの……」

「ん?」

「ここで、最近来た聖女様が働いてるって聞いて。今はいないの?……ですか?」

そう言った少年の顔は、隠すそぶりもなく落胆の色を見せている。まだあどけなさを残す感情表現に愛らしさを覚えながら、フローラは静かに首を振った。

「ああ、悪いけどテレサはさっき両替に出たばっかりだ。この時間は並ぶからしばらく帰ってこないねぇ」

そう正直に告げると、少年はがっくりとうなだれて店に背を向けた。

「ああ、待ちなよ。ここで待っていくかい?もう準備は大体終わってるんだ……」

慌てて呼び止めたフローラは、はっとして口をつぐんだ。

少年は首だけ振り向いた。

「いいよ。……ありがとうございます。おうちの方で待つから。……待ちますので」

そう呟いて、少年はゆっくりと道を右に歩いていく。

「……門は逆だよ。次の交差点は右」

ずっと黙っていたペルがぶっきらぼうに吐き捨てる。それを聞いて、少年は身を震わせた。フローラは再びペルに険しい視線を向けた。

「ありがとう。……ございます」

そう言って、少年は突き当たりを曲がって町並みへと消えていった。

「なんだ、あのガキ。よくわかんないな」

ペルの悪態を聞き流して、フローラは店の中へと戻った。

「あんた、気づかなかったのかい」

「何が?」

 徐々に勢力を増していた薄雲が、太陽を包み込んでいた。

「……いや、何でもないよ。悪いけどテレサからお金を受け取っておいてもらえるかい。慣れない声出してくたびれちまった」

 そう言ってフローラはのしのしと二階へ上がっていく。

「……はいよ。ゆっくり休みなよ」

 ペルは釈然としない面持ちで、それを見送った。



 夕日が差し込む西の門には、丁度交代の時間だったようで四人の兵士が集まっていた。見知った顔が三人、もう一人の中年兵士はあくびをしながら詰所の中へと消えていった。

「ああ、テレサ様ですね……どうしたんですか、そんなに慌てて」

 年若い兵士がテレサの姿を認めて声をかけた。背を向けていた二人の兵士も、それに気が付いて振り向く。

「お、最近人気者の嬢ちゃんじゃないか」

「銅貨運びの嬢ちゃんじゃないか。お勤め、ご苦労様です」

「ダミアンさん、失礼が過ぎませんか。フリッツさんも笑ってないで」

「あー、ホルストさん、いいのいいの。私堅苦しいの苦手だからさ」

 若い兵士――ホルストを制したテレサは、彼が持っている黒革の台帳に目をやった。

「ごめん、今日ちょっと、急いでるんだ。出領手続き、早くしてもらえる?」

「はい、分かりました」

 そう言って手早く台帳をめくるホルストを横目に、フリッツが真面目な顔になって話しかける。

「帰りを急ぐとは珍しいな」

「うん、なんか、お客さんが来てるみたい」

 テレサは上がった息を整えながら、気忙しげに門の外を見つめていた。

 両替を終えたテレサは、エレナと別れ、「青い港」に戻り、その小さな客人の存在を聞かされたのだった。

「なーんか、よく分かんないガ……子どもだったよ。家の前で待つって言ってたけど……あれ、よく考えたら危なくないか……?」

 とは、ペルの談。その話のとおりなら、ここ数時間にわたって子どもが一人で、ぽつんと自治領の外で待っていることになる。

「ちょっと、なんで行かせたのよ!」

平たくなった袋をペルに押し付けて、テレサは取るものも取りあえずここまで走ってきたのだった。

「……はい、大丈夫です。行っていいですよ」

 ホルストの言葉を聞くが早いか、テレサは弾かれたように走り出していた。

「お疲れ様です!また明日!」

 念入りに踏み固められた道はすぐに終わり、テレサは丘を駆け上がった。

門の前には、果たして男の子が一人座っている。駆け寄ってくる聖女に気付いた少年はその金髪の頭を上げ、空色の瞳を輝かせて立ち上がった。

「ごめんねー!大丈夫……」

その顔を間近で見て思わず言葉を失ったテレサに、彼は笑いかけたのだった。

「久しぶり、姉ちゃん」

「……カール!?」

 少年――カールはテレサに抱き付こうとして、はっとして手をひっこめた。

「……家の前で立ち話するのも変だし、入れてよ。ゆっくり話をしよう?」

「う、うん。そうだね。入って入って」

 テレサは門を開けて、彼を促した。

「こんなに広いおうちに住んでるんだねぇ。いいなぁ、うちより広いよね?」

「うん、そうだね……」

 感嘆しながら進むカールの後ろを、テレサは放心したまま歩いていた。

 突然の小さな来訪者。それは今年十一になるはずの小さな弟だった。

 それを認めたテレサは、認めがたい一つの事実に目を向けた。

 それならば何故。

あるいはそれ故に。

 彼の足元には、夕日に伸びているはずの影がなかったのだった。

「……カール」

 力なく呼びかける声は、姉の出世に興奮する彼の耳にはわずかに届かなかった。

「早く開けてよ。鍵、かけてるでしょ?」

 カールは期待で輝く満面の笑みを浮かべて、テレサを伺っている。

 テレサは俯いたまま、動かない。夕日を背にしたその表情は、彼には読み取れなかった。

「……姉ちゃん?」

「え?うん!ごめんごめん、ちょっとびっくりしちゃって!」

 カールに駆け寄ったテレサは、普段通り快活な笑顔を浮かべていた。

 二人を迎え入れた扉が、軋んだ音を立てて閉まった。


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