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聖女の非日常-2


「いやー、今日も大変だったねー」

「まだ終わってないでしょ。さっさと両替して帰ろう」

 両手に袋を抱えて笑うテレサを、ペルが諌める。その袋の中身は今日の売り上げだ。自治領の中心にある荘厳な審議院、その脇に立つ両替所にそれを持って行くのが、二人の最後の仕事だった。

「それにしても、あんたが来てくれて仕事が減ったんだか増えたんだかわかんないわ。今までは私一人で足りる分しか売れなかったし」

「え、そうなの?」

「去年の今頃はこんなに忙しくなかったよ。聖人様の御利益かもね」

「じゃあ、私がお店出したらすごく儲かるかな?」

「そういう事は料理覚えてから言いなよ」

 両替所の前には、大小さまざまな袋を抱えたごつい男たちが列をなしている。彼らは列の最後尾へ向かう女の子二人を、そしてテレサの両手の袋を見て、一様に目を丸くするのだった。

 そうして長く長く伸びた列の一番後ろについた彼女らの脇を、四頭立ての荷車がごとごとと登っていく。この自治領の、そしてこの国の中枢はなだらかな丘の頂上にあった。

「そうねー。なかなか上達しないわ」

 肩から袋を降ろして、テレサは呟いた。

「……いや、大分うまくなったと思うよ」

 それに答えるペルは、どこか歯切れが悪い。

「そうかなぁ。全然おいしくないんだけど」

「うん……その、食べれるようになったでしょ。ずいぶん進歩したと思うよ」

「あー、そういうこと言う?」

 頬を膨らませてペルをにらむテレサ。

「褒めてるのに」

 ペルはテレサを見上げながら、やはり憮然として言う。

 しばしにらみ合う二人。列が少し進む。

「……まぁ、確かに進歩はしてるわね」

先に表情を崩したのはテレサの方だった。抜けるような青空を見上げて、にっこりと笑う。

「そうよ。続ければそのうちうまくなるよ」

「先輩のお言葉は重いわー。ねぇ、ペルはどのくらい練習してるの?」

「大体一年位かな」

「そっかー。じゃあ、ひとまずペルを追い越すのを目標にしようっと」

「はいはい、頑張ってね」

「なによー。絶対半年、いや、三か月くらいで追いつくんだからね。覚悟して……」

 決意の言葉は、しかし坂の上から響く悲鳴にかき消された。

二人がそちらを見ると、荷車が猛烈な勢いで下ってきていた。金属製の重厚なそれは、先ほど彼女らの脇を登って行ったものだった。

「やば……止めなきゃ!」

 テレサはその進路に飛び出した。手袋を外して、ペルに投げ渡す。

「ちょっと、本気?危ないって!」

 それには答えず、テレサは両手を合わせた。その手の甲には一本の太い線が中指の付け根から手首に向かって伸び、その両側に長短不揃いな細い線が無数に伸びている。

「 Arm’s Fort…………Activate!! 」

不可解な呪文めいた叫びがペルの耳に届く。

淡く光を帯びたその紋様から、鮮やかな空色をした光の糸が紡ぎ出されていく。それはテレサの背中に集まり、瞬く間に四本の異形の腕を形作った。さながら蛇のようにでしなるその二本は彼女の正面に構え、もう二本は石畳の坂を掴む。

丁度その瞬間、猛烈な速度と質量を以て荷車が突っ込んできた。

「ぐっ……」

空色の両腕が石畳を穿つ。

 鳴り響く破砕音を残しながら、テレサは遥か後方へと押しやられていく。

「テレサ!」

 テレサは四本の腕に力を込めた。

 合わせた手の輝きは、流星のような軌跡を描くほどに強まっていく。

 通行人がかたずをのんで見送る中、彼女はきっと眼前の質量をにらみつけた。

「止まれええええっ!!」

 その叫びに呼応するかのように、彼女の手の甲から輝く糸が噴出する。それは空色の腕の周りに収束し、木の枝のように新たな腕を生成する。

石畳に引かれる線が増えていく。四本、五本、すぐにそれは一本の太い破壊の跡となる。

 そして、永久にも思える瞬間が過ぎ去り。

 鋼鉄の荷車は静かにその動きを止めた。

「あー、良かった」

どこからともなく沸いて出た拍手に包まれながら、テレサはため息をついた。

彼女を支えていた無数の腕は一本一本その先端から解けるように消え去って、元通り四本に戻っていた。テレサは後ろに回した腕を支えにして、荷車を押してゆっくりと坂を登っていく。

 そこにペルが息を切らして駆け寄ってきた。

「テレサ!大丈夫!?」

「あー、うん。私は大丈夫だけど、道が大変なことになっちゃったね」

「道なんかいいよ……びっくりしたよ突然飛び出していくから!」

 猛烈な剣幕で迫るペルに、テレサは気圧されてしまう。

「ごめん、この腕の事、言ってなかったっけ」

「知らないよ!もー何なのよ一体!」

 そこまで言って、ペルははっとして頬を赤らめた。

「……まぁ、実際よくやったと思うわ」

 思わず吹き出してしまうテレサを軽くにらみつけて、ペルは疑問を口にする。

「で、何なの?それ」

「ああ、これね」

 ゆっくりと前進しながら、テレサは話し出した。

「なんて言うかな……私たち聖人は一か所だけ、神様の体を借りられるんだって」

「神様の、体?」

「そ。で、私は腕を借りてるってわけ。私は Arm’s Fortだから」

「アームズ……?それ、何?」

「神様が生まれたころに流行ってた言語なんだって。意味は教えてくれなかったけど、生まれる前からついてた私の三つめの名前。面倒だから誰にも言ってないけど」

 笑いながら言うテレサ。ペルは眉間にしわを寄せている。

「何だか突拍子もない話ね。そこに生えてなかったらとても信じられない」

「そりゃそうよ。私だって聞かされた時は何言ってるんだろうって思ったもん。手の印もどっかで怪我したのかなって感じだったし」

「まぁ、でも納得できるところもあるわ。あんたの怪力はその神様の腕のおかげってわけね」

「そういうこと、なのかなぁ。いつもちょっと光ってるからそうなのかも。あ、ペル、あれ上に乗っけちゃって」

 テレサは運んできた大袋を指して言った。

「しまった、大事な売り上げなのに!残ってて良かった……」

 大慌てで袋に駆け寄るペルを眺めて、テレサは微笑む。

「ありがと。心配かけちゃったね」

 ペルは両手でやっと袋を持ち上げて、荷車の上に載せていく。

「……本当にびっくりしたからね。後でなんか奢りなさいよ」

「はいはい。ごめんね」

 坂の頂上を見ながら言う親友に、テレサは感謝していた。


 坂を登りきったところで、テレサ達は五人ばかりの兵士達とすれ違った。手に手に筆記具を持ち、あわただしく街道を駆け下りていく。

「ねぇ、登ったはいいけどどこまで持って行けばいいんだろうね」

「さぁ。というか、これ何が入ってるんだろう。妙に厳重だけど」

「何だろう。宝物っぽいよね」

 額に滲む汗をぬぐって、テレサは荷車から腕を離した。光り輝く四本の腕はするするとほどけて、夕焼けの準備を始めた空に消えていく。

 ペルはあたりを見渡して、妙齢の女性がこちらに歩み寄ってくるのを認めた。比較的小柄なその体は、真っ白な踝丈の法衣に包まれている。その上には、溶けてしまいそうな豊かな白髪に白い肌。見る者に思わずため息をつかせる雪の女王めいた純白の中で、黄金色の瞳が静かな光を帯びてこちらを見つめている。その腰には、僅かに反った細身の長剣と、刃先が三又に分かれた奇妙な短刀。

「あら、誰かと思えばアームズフォートのお嬢さん」

 そう言う声は、触れる事が出来たなら体温で溶けてしまうだろう。繊細な、しかしよく耳に残る不思議な声だった。

「あ、クリスタさん。ご無沙汰してます」

「久しぶりねぇ。ちょっとは審議院の方にも顔を出してくれればいいのに」

 そう親しげに声をかけて、クリスタは様子をうかがっているペルに向き直った。

「あら、はじめまして。私はクリスタ=ブルーメ。お嬢さんのお友達かしら?」

 突然声を掛けられて狼狽するペル。

「は、はい。ペル=ボールマンです。彼女とは職場の同僚というか……はい、友人です」

何とか居住まいを正して、ペルはそれだけ言った。

「ふふ、よろしくね」

クリスタはくすりと柔らかく笑って、荷車の前面に回った。

「なるほどねぇ、留め具が千切れちゃったのねぇ。鎖は毎年変えていたのだけれど、こっちは仕方ないものねぇ。定期的に車を交換するよう進言したほうがよさそうねぇ」

 一人頷くクリスタを横目で見ながら、ペルはテレサに訊いた。

「ねぇ、何?あの人」

「クリスタさんはこの自治領の副警備隊長さんだよ」

「……え?」

 ペルは唖然としてクリスタの方を見た。反対側の留め具をじっくりと検分するその柔らかな物腰からは、その無骨な肩書はとても想像できない。

「ねぇ、冗談はよしてよ。そもそも女の人だよ」

「ペルがそれ言う?ああ見えてすごく強いんだよ。武器も聖別されてるし」

「そりゃ、軍隊の人ならそうだろうけど……」

「うふふ、試してみる?」

 いつの間にか二人のそばに立っていたクリスタが、ペルにほほ笑みかける。

「…………!」

 ペルは腰の短刀に目をやった。それは実のところ、店に忍び込んだ盗賊の類を何度か撃退してきている。当然相手も丸腰ではなかった。ペルはひそかに自分の腕前には自信を持っていた。

それ故に、ペルは目の前の純白の女に恐怖した。全く気取らせることなく長剣の距離まで近づいた技前と、なにより先の一言に乗せられた凍り付くような圧力が、彼女の疑念を完全に打ち砕いた。

クリスタは深い笑みを湛えて、そこに立っている。氷柱のような、鋭利で透き通った危うい美しさの笑顔。

テレサはにわかに生じた緊張に戸惑い、二人の顔を見比べている。

「……いえ、やめときます」

 その一言で、張りつめていた冷たい空気は霧散した。

「ふふ、ちょっと大人気なかったかしらねぇ」

クリスタは打って変わって暖かな笑みを浮かべながら、荷車を見やる。

「それにしてもお嬢さん、良く止めてくれたわ。これはとても大事なものだから」

「え、そうだったんですか?」

「ええ、職人たちは三年かけてこれを作るの。あなたのためよ、アームズフォート」

 テレサは首を傾げた。

「私のため……ですか?」

「……そのうち知らせが行くわ。これ以上はこんな往来では話せないの」

 合点がいかないといった様子のテレサをよそに、クリスタは荷車の前に回ってため息をつく。

「でも、これどうしようかしらねぇ。留め具が壊れてちゃ、もう引っ張れないわ……」

 そう言って、彼女はテレサの方をちらっと見る。

「……分かりました。どこまで持って行けばいいんですか?」

「本当?助かるわぁ。審議院の端なんだけどねぇ」

「……あ、先に両替しときたいんですけど」

「向こうでやればいいわ。裏は通路一本でつながっているんだもの。さ、着いてきて」

 テレサは項垂れて、再び光の腕を顕現させた。


その様子を、ルベルは住宅の陰から見つめていた。

「なるほどな、そういうからくりだったのか。普通の人間とは何か違うんだろうとは思っていたが」

 荷車を止める瞬間にも、彼は立ち会っていた。ゆっくりと坂を登る彼らをつけ狙い、その地獄耳は先ほど交わされた会話のほぼすべてを捉えていた。

「そして、審議院とも関わりがあるのか……」

 ルベルの中で、手に入れた情報が渦を巻く。

 審議院。

 やたら厳重な車体。

職人。あの聖女様のための。

「……こいつは金の匂いがするぜ」

 ルベルは颯爽と路地へ消えていった。


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