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聖女の非日常-1

東の港から吹き込んでくる潮風が、あてもなくうろつく旅人の頭を優しく撫でた。

商店が立ち並ぶにぎやかな市街の中心部を抜け、その外縁を取り囲むように並び立つ居住区画を通り過ぎ、しばらく農地の間を移動すれば、旅人はこの自治領を取り囲む城壁にたどり着く。それに沿って歩いていくと、やがて大きな門と関所が見えてくる。厳めしい鎧に身を包んだ兵士たちが、きっちりと立って出入りする者を待っている。

それを横目に門の外を見れば、小高い丘が悠然とたたずんでいる。旅人は、その頂上に洋館が立っていることを見て取った。

「やあ、旅人さん。出発かい?」

 鎧と顔の印象とは裏腹に、気さくに話しかけてくる兵士に軽く会釈して、旅人はそれを見つめている。

 しがない一旅人である彼でも、渡り歩いた町の噂話を聞いて知っている。その館には代々「聖人」が住んでいることを。そして食料や消耗品を求めてこの自治領までやってくることを。古くから頂の都――この国で信仰されている神の御許に最も近いとされる、この狭い都市の周辺には、因習に則って「聖人」達の安息の家が集っているのだった。

「お、ありゃあ嬢ちゃんじゃないか?」

 左に立っている兵士が、門の外を見て右の兵士に声をかける。つられて旅人が門の外を見ると、丘の手前に横たわる窪地の底から、金髪の女性が登ってくるところだった。麻布を縫い合わせた半袖の上衣に、同じく質素な膝丈のズボン。風に揺れる豊かな長髪がなければ、一見国中にいる平均的な男子の装いだった。

「おお、間違いないな。しかし、こう毎日のように顔を拝んでいるとありがたみも何もないな」

「ああ、全くだ。なぁあんた、名前は?」

「……ルベルと言います」

旅人――ルベルはそう名乗った。

「そうか。俺はダミアン。こっちはフリッツだ。で、ルベル、あの聖女様に会ったことはあるかい?」

「……いえ、まだ日が浅いものですから」

 ルベルがそう答えると、兵士達は揃ってにやりと笑った。

「なら、あんたが暇なら今日一日ついて回ってみな。きっといい旅の思い出になる」

「違いない。あんたの思う聖女様とは、だいぶん違うだろうからな」

 ルベルはその言葉の意味を図りかねて、曖昧に頷いた。



「こんにちは!お勤め、お疲れ様です!」

 額の汗をぬぐいながら、彼女はよく通る大声で兵士たちを労った。

「ありがとよ。今日もこいつ以外の声が聞けて良かった」

「ああ、俺も全く同じことを思ってた。どうした、最近よく来るじゃないか」

 問われた彼女は、恥ずかしげに俯いた。絹糸のような美しい金髪が、赤く染まった頬を覆い隠す。

「ん、まぁ、ちょっとね。なかなか難しいね」

「コレか?」

 小指を立ててからからと笑う二人の兵士を、彼女はきょとんとして見つめている。今日の青天のように鮮やかな瞳は、ぱっちりとした二重瞼に縁どられてより大きく見える。

「コレって何?」

「何ってお前……そろそろいい年じゃないか。こう、気になる男はいないのかよ」

「気になる男と言えば、私は二人の事が気になるよ。首になっちゃうんじゃないかって」

 兵士二人はがっくりと肩を落として、互いに囁き合う。

 その様子を彼女はしばらく眺めていたが、やがてしびれを切らして言った。

「あのー、早く行きたいんだけど」

「ああ、悪い悪い。じゃあ毎度で申し訳ないが、これに名前を書いてくれ」

 そう言って、フリッツは黒革張りの分厚い台帳を取り出した。

「もう面倒だから、うちの市民になってしまえばいいんじゃないか?」

「んー、それ相談してみたんだけど、聖人はどの自治領にも所属しちゃいけないんだって。周りに囲い込んでるくせに、おかしな話だよね」

 彼女が筆記具を置くと、兵士は台帳を取り上げた。

「テレサ=コーゼル。入領を許可する」

「ありがとうございます」

 三人は儀礼的に頭を下げ合って、門の内側へ入っていった。

「で、何なんだよ一体」

「うん。ちょっと働いてるんだ」

 そう言って、テレサは空を見上げた。真夏の太陽は天頂の少し手前で、さんさんと灼熱をまき散らしている。

「あ、いけない。遅れちゃう。じゃあ私行くね」

「悪いな、引き留めてしまって。では、良き滞在を」

 入領者への挨拶を背中で聞いて、テレサは瞬く間に畑の間に消えていった。ややあって、一人の旅人がその後を追って駆け出した。

「……働いてるって?」

「金がないわけじゃないだろうし、本当変わった聖人様だよなぁ」

「案外ごまかされただけで、本当に逢引なんじゃないか」

「そんな機転が利くかね。まぁいいさ。悪い事じゃないだろう」

 二人の兵士はそうして雑談をしながら入領者を待っていた。



 昼時を迎えた酒場「青い港」は、格安の昼食を求めて訪れる客でごった返していた。店内は満席。パンと少々の煮物を合わせた弁当を買って帰る眼鏡の学者、壁際で皿を持って立ち食いする筋骨隆々とした漁師。ふらりと立ち寄った旅人たちは、椅子と暖かい料理を求めて列をなしている。様々な客が入り乱れて、従業員を急かす。

そんな人波を掻き分けて、テレサは机へと進む。頭をすっぽりと覆う帽子、すらっとした白と紅色の縦縞模様の長衣に身を包んだその両手には、料理の木皿。湯気も立ちきらないような出来立ての料理を腕へ器用に乗せて、テレサは時々大声を出した。

「はい、ごめんねー!ちょっと料理通してー!」

 この喧騒の中にあって、テレサの声はやはりよく通る。殺気立って弁当に群がる労働者たちも、その声に驚いて振り向き、さっと道を開けるのだった。

「はい、お待たせ!熱いから気を付けてね!」

「嬢ちゃん!二番上がったよ!」

 厨房から野太い声が届く。「青い港」の主人にして料理人、ルーカスはいつもそれだけ言うと、すぐに調理に戻るのだった。

「はーい、今行きまーす!」

 そう返事をしながら、テレサは空いた皿を積み上げ、机上を軽く水拭きして、瞬く間に机を片付けてしまった。

「ごめんねー!お皿が通るからちょっとどいてー!」

 そう叫びながら、人波を割ってテレサは厨房へと戻ろうとする。そうしてまた料理を持って出てきて、空いた食器を持って帰るのだ。この修羅場めいた往復は、店の食料か客足のどちらかが尽きるまで続く。彼女はこの激務をここ七日間ほど、国民の休日の他は毎日続けていたのだった。

「ちょっと待って、お嬢ちゃん。片手空いてるならこれついでに後ろへ持って行っておくれ」

 そのテレサを呼び止めて、青銅製の通貨がいっぱいに詰まった麻袋を両手でやっと差し出すのは、店の会計を取り仕切るフローラ。身重な体を庇いながら片手に一人ずつ客をさばく、ルーカスの良き伴侶だった。

「はいよ、おばちゃん!」

「おばちゃんはおよしよ、ったく」

 流れるようにそれを受け取り、テレサはルーカスが鍋をふるう後ろを通り過ぎて流し台へと向かう。そこでは一人の少女が、懸命に皿を洗っている。

「ペル、お疲れ!」

 汚れた皿を桶に張った水の中に沈めながら、テレサは少女――ペルに声をかけた。燃える様な赤髪は首の上で無造作に切られ、赤々と輝く瞳から放たれる強気な眼光をより強めている。

「おー、お疲れ。どう?お客さんの入りは」

 調理場の喧騒に負けない、芯の通った強い声色でペルは訊く。やや低めのその声は、短髪と目力と相まって彼女に青年のような勝気な雰囲気をまとわせていた。

「まだまだ来るよー。頑張ってね、ペル」

「夏だからまだましだけどさー。そっちも頑張って。料理上がってるんでしょ」

 そう言われて、テレサは左手の大袋をちらりと見やる。

「そうだった。じゃあ、また後でね!」

「うん」

 そうしてテレサは階段を駆け上がり、袋を置いて本来の仕事へと戻って行った。


 時間は少し遡る。

「はいよ、おばちゃん!」

 そう言って裏に引っ込むテレサを、ルベルは店の戸口にぼんやりと立って見つめていた。

「働いてるのは、まぁ良いとして……あの体でどんな怪力だ?」

 その目線の先は、テレサが無造作に持って行った大袋だ。ルベルの薄暗い経験からして、一抱えもの貨幣をかの聖女が片手で扱えるとは思えなかった。

「なぁ、あんた」

 頭上から降ってきた声にルベルが顔を上げると、大男がこちらを見下ろしていた。

「そこ、邪魔だぜ」

「……すみません。不慣れなもので」

 そそくさと戸口を離れたルベルは、外壁に沿って並ぶ列を眺めていた。


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