第二章
ここから、米田が本性丸出し変態野郎になりますので、注意が必要です。
とりあえず、何が起こったのか状況を確認しないといけない。
時間を確認しようと左手首を見るが、そこに自慢の腕時計はなかった。どうしても欲しくて誕生日に親父に強請って買って貰った、念願の腕時計だっただけに、軽くショック。まぁ、女が付けるにはゴツい代物なんだけどな。
代わりに右手首には、ベルトが細い女物の腕時計が着いていた。あ、そうか。女は右手に着けるのか。高級そうだが値段は分からない、でもお高いんでしょう?
文字盤の上で、律儀に時を刻む秒針を見て、俺は驚いて山もっさんに見せる。
「おい、これ見てみろよっ!」
「あ? 時計? これがなに……なんだこれっ? 反対回りしてんじゃんっ!」
耳を掻きながら、山もっさんが驚きの声を張り上げた。察しの良い山もっさんは、俺が言いたいことがすぐ分かったらしい。秒針は反時計回りをしていたのだ、時計なのに。文字盤に刻み込まれたアラビア数字も、全て反転している。こういうデザインの時計なのだとしたら、紛らわしいにもほどがある。
長針と短針は、ちょうど十二時を回ったところだった。ということは、俺達が気を失ってからまる十二時間経った計算になる。そんなに長い間、俺達がここに倒れていることに誰も気付かなかったというのも、おかしな話だ。
いつまでも便所にいても、何も分からない。ひとまず、便所から出ることにしよう。と、思った矢先だ。
かしましい笑い声と共に、女子二名が便所に入ってくる。山もっさんは顔をこわばらせ、素早く俺の後ろに隠れた。あ、山もっさんが女性恐怖症なの忘れてた。ってか、今は俺もお前も女なんだけど大丈夫なのか?
セミロングの髪を金を染めた眼鏡女が、馴れ馴れしく話し掛けてくる。
「あ、米田さん、ちーっす」
「……ど、どうも、こん……にちは……」
「どーしたんすか? 気分でも悪いんすか?」
「いや……あの……その……」
人見知りの激しい俺は、見知らぬ人間に声を掛けられると異常に緊張してしまう。顔をひきつらせて、ぎこちなく挨拶した。誰とでも気軽に話が出来る、社交性のある奴が羨ましい。普段なら社交性が高いはずの山もっさんは、今は俺の後ろで見つからないように身を硬くしている。
名前を呼んできたってことは、どうやら向こうは俺のことを知っているらしい。でも、女子高生に知り合いなんていないんだけどな。灰色の男子校で、二年近く過ごしてきたから。
せめて名前を確認してやろうと胸元を見ると、右胸に「間大」という名札が着いている。
「まだい?」
「は? なに言ってんすか。大間っすよ。いつも『大ママ(おおまま)』って、呼んでたじゃないっすか」
「大ママ? って、あの大ママ?」
「そっすけど、どうしたんすか? 今日の米田さん、変っすよ?」
俺が「大ママ」と呼んでいたのは、同じクラスの「大間真夫」のことだ。俺の知る大ママは、確かに金髪眼鏡で、こういう喋り方をする奴だった。でも男だったし、俺より図体がデカい筋肉馬鹿だった。レスリング部に所属していて、将来はプロレスラーになるのが夢だと語っていた。こんなデ……ぽっちゃり系女子高生なんかじゃなかった。
俺は混乱しつつ、大ママに質問する。
「えっと……大ママの下の名前って、なんだったっけ?」
「真美っすけど?」
不思議そうに目を丸くしながら、大ママが答えた。なるほど、真夫だから真美か。どうやら、大ママも女子高生になってしまったらしい。って、ことは隣にいる痩身の黒髪ワンレンも俺の知り合いか? 名札には「八壷」とある。さっき「間大」で「大間」だったってことは――
「ツボッパ?」
「んー? 何ー?」
俺が呼び慣れたあだ名で呼ぶと、黒髪ワンレン女子高生が何気ない口調で返事をした。やっぱり、こっちはツボッパか。ツボッパも同じクラスで、本名は「壷八豊」という。暇さえあればゲーセンに入り浸ってる奴で、飯代もバイト代もほとんど注ぎ込んでいるらしい。その所為で、痩せている。将来、パチンコ中毒になるタイプだな。もっぱら口癖は「最近、良いもん食ってない」
一体どういうことなんだ? みんな女になっている。時計は反時計回りに回り、文字も反転している。学校中に溢れる女の黄色い声。どうしてこうなった。
呆然としていると、今度はツボッパが首を傾げつつ訊ねてくる。
「ところで、山本知らなーい? 一緒にお昼食べようと思ったんだけど、いないんだよー」
「山もっさんなら……」
俺の後ろにいると言おうとした時、後ろに隠れている山もっさんが、俺の制服を強く握り締めて引っ張った。どうやら、女性恐怖症は筋金入りらしい。いつもなら気さくに話せる大ママとツボッパに、怯えている。性別が変わっただけで、こんなにも変わるのか。それとも、山もっさんは性格も変わってしまって、コミュニティ障害になってしまったのか。なんにしても、こんな状態でふたりに会わせることは出来ない。
しかたないので、とっさに適当な嘘を吐く。
「なんか、あの日だから具合が悪くて、保健室行った……んじゃないかな?」
すると、妙に納得したようにツボッパと大ママが頷き合う。
「あー……山本重い人なんだー。分かるー、私も薬ないと無理ー」
「自分もそろそろ近いっす」
「マジでー? ナプキン一個あげようかー?」
「すんません、タンポン派なんすよ」
「えー、タンポンなんだー? 私、タンポンとか無理だわー」
「慣れると結構楽なんすけどね」
「痛くないのー?」
「痛くはないっすけど、最初は違和感ハンパないっす。でも、すぐ慣れますって」
「うーん……やっぱ、ナプキンでいいわー」
ツボッパと大ママが、女子にしか分からない話をドンドン進めていく。俺は完全に蚊帳の外だ。便所だからなのか、女子同士だからなのか、よくもそんな話で盛り上がれるもんだ。正直、聞いてる方はかなり気まずいんで止めて頂きたい。
どうでもいいから、早くここから出て行ってくれないかな。後ろで隠れてる山もっさんが震えてて、ちょっと可哀想になってきたんだけど。
仕方がないので、追い出すとしよう。
「あんましここで喋ってると、飯食う時間なくなんじゃない? 山もっさんは、俺が様子見てくるからさ」
「あ、そっすね。じゃ、米田さん、山本さんよろしく頼むっす」
「じゃー、またあとでー」
軽く手を振りながら大ママとツボッパが便所から出て行って、俺は大きくため息を吐き出した。
俺の後ろにいた山もっさんは俺にしがみついたまま、その場にしゃがみ込んだ。振り返れば、山もっさんが顔色を真っ白にして全身をわななかせている。お前、どんだけ女怖いんだよ。
普段ならからかうところだけど、黒髪ロングの美少女になった山もっさんなら話は別だ。弱っている美少女は可愛い。俺は横に屈んで、落ち着かせるように背中を優しく撫でてやる。
「大丈夫?」
「こっ……これが、大丈夫にっ見えるか……っ?」
恐怖に顔を強張らせ、声まで震えている。よっぽど怖かったらしい。
俺は苦笑すると正面から向かい合い、その小さな体を抱き寄せた。女になったからか、いつもの筋肉質な体じゃない。良い匂いがして柔らかくて抱き心地良いし、長くてしなやかな髪の手触りも気持ち良い。
抱き締めると、山もっさんの体が一瞬こわばった。俺は落ち着かせる為、父親が幼子にやるように軽く背中を叩いてやる。
「はいはい、大丈夫大丈夫」
「米田さん……」
山もっさんの声が、少し和らいだ気がした。しばらくすると震えも徐々に収まっていき、俺に全身を預けてくれた。なるべく優しい口調で問い掛ける。
「どう? 落ち着いた?」
「うん……ちょっと落ち着いたかも……ありがと」
はにかんで、山もっさんが礼を言った。山もっさんが会釈すると、黒髪が美しくなびいた。
うっわ、なにこれ山もっさん超可愛いっ! 山もっさんが女になったら、ストライクゾーンど真ん中なんだけどっ! ヤベェマジで抱けるわ、これ。もう一生、男に戻らないで欲しいぐらい超好みっ!
ここで俺も女なのが残念でならない。ああ、俺のナウい♂息子が恋しいぜ。
そこまで考えて、ふと気になったことがある。
「山もっさんさ」
「ん?」
「なんで、俺は平気なの? 俺も今、女じゃん」
当然の疑問を口にすると、山もっさんも不思議そうに小首を傾げる。
「そういや、そうだな。なんでだろ? 米田さんだからかな?」
「俺だから平気って、どういうこと?」
分からずに聞き返すと、何か考えていた様子の山もっさんがややあって悪戯っぽく笑う。この顔は、何か隠している顔だ。
「知~らねっ」
「お前な。大人しく吐かないと、今すぐ女の輪の中に放り込むぞ?」
不敵に笑って小さな体を抱き上げると、山もっさんは首を激しく振って顔を青ざめさせる。
「ふ……ざけんなっ! 言う言う言うっ! 言うから、止めろっ!」
「じゃ、教えて?」
破顔して訊ねると、山もっさんは可愛らしくむくれた顔で答える。
「女でも、家族とか親しい人なら平気なんだよ……っ。母さんとか妹なら、女でも怖くねぇの。たぶん、米田さんはいつも一緒にいる親友だから、平気なんだと思う」
聞いてみれば、大した内容じゃなかった。つまり、俺には心を許してくれているって解釈で良いんだよな? それって、かなり嬉しい。学校にいる間は、俺しか頼る人がいないってことだもんな。黒髪ロングの美少女を、独り占めだ。
ちなみに何故、山もっさんが女性恐怖症と暗所恐怖症なのか。話せば長くなるが、幼少期に痴女に拉致られて暗闇の中で悪戯されたのだという。それ以来、女が一メートル範囲内に入ると、恐怖を覚えるそうだ。
以前、間違えて女性専用車両に乗ってしまった時は、死を覚悟したらしい。
「そっか、良かったっ」
俺が満面の笑みを浮かべると、山もっさんは涙を薄く浮かべた上目遣いで懇願してくる。
「そんで、その米田さんにお願いがあるんだけどよ」
「何?」
「たぶんここ出たら、女がいっぱいいんだろ? 俺きっと一歩も動けなくなっちまうか、全力で泣きながらやみくもに逃げちまう。だからさ、このまま連れて帰ってくんね?」
言い終わると、山もっさんは俺の胸に顔を埋めた。
つまり俺に、山もっさんを抱っこして帰れと。お持ち帰りということでよろしいでしょうか? そんな可愛いこと言われたら、好きになってしまいそうなんだけど。いや、もう既に大好きです、本当にありがとうございますっ!
なにこいつ、女になったらかなりあざと可愛いだけど。俺が男だったら、即お持ち帰りして押し倒すっ!
もうこうなったら、女のままでもいいかっ!
ここまでお読み下さった方、ありがとうございました。
並びにお疲れ様でした。
もし、不快な気持ちになられましたら、申し訳ございませんでした。