怪談:天国への階段
あれ、あんまり怪談じゃない?
風のうわさで、私の母校の屋上がついに封鎖されるらしいと聞いた。
当然のことだろう。いや、遅すぎるくらいだ。なにせあの屋上は、血を吸いすぎていた。
私も、あの屋上の恐ろしさをよく知っている。
それは、私があの屋上の最初の犠牲者を見たからだ。
在学中のことだ。私は昼休みに教室の自分の机にかけて、窓から外を見ていた。天気は流れる程度の雲があるばかりの晴れ。ぼんやりとするにはちょうどいい陽気だった。
ぼぅっとする私の視線の先には、校舎の屋上が見えた。
この屋上には、一つの有名な噂があった。屋上には一箇所、柵が破れているところがあり、そこにはまるで血のような赤文字で、こう書いてあるというのだ。
この先、天国行き。
ただの噂だろう、と私は思っていた。なにせあの屋上には特に何があるわけでもないから、誰も入ろうとしていない。
ただ、外から見ても分かる柵の破れを見て、誰かが言い出した事。下らない、よく有る学校の怪談の一つ。
そう思っていた。
そんな私の視界に、映るものがあった。屋上の柵の破れから、人の影が覗いている。
「おい、あれ……!」
私は近くに座って居た友人の肩をたたいた。
「なんだよ」
「アレ見ろって、屋上! 屋上!」
「おい、人が居るじゃねぇか!」
面倒そうだった友人も、その影を見て驚いたようだった。語調を荒げると、椅子を倒して立ち上がる。
「まさか自殺じゃないだろうな!」
「屋上に行ってもらえるか、俺はグラウンドから話しかけてみる」
私はそう言うと、友人と逆方向に走った。
当時、運動部に所属していた私はあっという間にグラウンドに到達すると、屋上を見上げた。居た。顔はよく見えないが、髪の長さとスカートから判断するに女子生徒のようだった。
「おい、そこで何を――」
そう、私が言おうとした時だった。
女子生徒の足が自然に前に出された。まるで、見えない階段を登ろうとするかのように。
ふわり、と女子生徒の体が宙に待った。
私は何もすることができなかった。ただ、大口を開けてその動きを目で追っただけだった。
頭を下に、加速していく女子生徒。落下の最中で、私はその女子生徒と目を合わせてしまった。
彼女は笑っていた。
まるで、迎えに来た母親に走っていく子供のように。何の不安もない、綺麗な笑みを浮かべていた。
その一瞬後だった。バケツいっぱいの水をぶち撒けたような音がして、赤い血溜まりが弾けた。
「ひぃ」
息を呑む。顔が引き攣っているのが分かった。眼の前にあるのは、女子生徒のひしゃげた肉体。死体だ。
私は悲鳴を上げて、その場から逃げ去り、トイレでげぇげぇと戻した。あんなにもリアルな死を見たのは、初めてだった。人は何か神秘的なものではなく、血と肉で構成されたマテリアルなのだと、思い知らされたのも。
私は三日学校を休んだ。
登校してから、私は屋上に向かった友人にある話を聞いた。屋上には――あの女子生徒が飛び降りたところには、本当にこの先、天国行き、と書いてあったということを。そして私は、彼女が笑いながら死んでいったことを話した。
噂は拡がった。
屋上の見えない階段が、天国に繋がっているとは、私は思わない。しかし、そうかもしれないと思った人間は居たようだ。
未遂も含めて、私が卒業するまでに知るかぎりで七人が飛んだ。その後も、随分な人数が飛び降りたようだった。
そうなってしまったのは、噂以上に天国への階段からたくさんの人間が身を投げることによって、そこがそういう場になってしまったからなのかもしれない。
あらためて、私は屋上が封鎖されてよかったと思う。
あそこがああなってしまったのは、噂を広げた私の所為でもあるからだ。
一ヶ月ほどの後、私は数年ぶりに母校の近くを訪れた。外から見た校舎の屋上は、あの時と比べて何か重々しい空気を孕んでいた。
破れた柵は補修されておらず、今となっては、そこは天国への階段ではなく魔物の大口のように私には見えた。