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時には遠くを眺めて

作者: 小声奏

 視力0.1以下の世界をご存知だろうか?

 1m先の人間の顔が見えない。

 夜目は殆ど利かない。(星? なにそれどこにあるの?)

 遠くの文字は読むのを諦める。

 そもそも文字があるのかすら分からない。

 そんな近眼者にとってなにより必要なものと言えば、

 1に眼鏡、2にコンタクト、3,4がなくて、5に保存液である。

 裸眼で過ごすのは風呂場と寝室だけ。

 うっかり眼鏡で美容院に行けば鏡の中の自分さえ見えないのだ。

 「いかがですか?」と仕上がりを確認する前に、カット前に外させたその眼鏡を寄越せ。

 そんなド近眼の私が迷子になった。

 道を見失ってどれくらいが経っただろう。

 歩き続けたせいで、先の細いパンプスに包まれた足先が悲鳴を上げている。

 泥のこびりついた靴と伝線だらけのストッキングを見てため息をついた。

 何も私はスーツにパンプスで山登りに来たのではない。

 昼食を買いに財布を携えて社を出ただけなのだ。

 見慣れたオフィス街を歩き、近くの総菜屋の看板が目に入った時、急に辺りが濃霧に包まれた。

 真昼間に、こんな所で霧が? と呆然としたが、歩きなれた街だ。総菜屋は目と鼻の先。社まで戻るのも一本道。たいして困る事もないだろうと、私は手探り状態で総菜屋を目指し、今に至る。

 すでに霧は晴れている。霧の中を数分進み、すぐにおかしいと気付いた私は、立ち止まって霧が晴れるのを待った。時間にしてほんの5、6分だろう。そして明瞭になった視界に広がる光景に私はぽかんと口を開けて固まった。

 目に映るのは見慣れぬ白い幹の木。そしてその木に茂る白銀に縁取られた葉。足元を覆う土と枯葉と下草。それだけだった。

 総菜屋は勿論、ビルも舗装された道路もない。

「どこ……ここ……」

 ぽつりと呟いて、倒れ込むように近くの木の根元に座り込んだ。

 シャツ越しに堅い木の肌の感触がする。

 たっぷり小一時間はそうしてへたり込んでいたと思う。

 目を瞑ってみても、頬をつねって見ても、木の幹に頭を打ち付けてみても目に入る光景は変わらなかった。

 ふいに木々の彼方から獣の遠吠えらしき声が聞こえて我に返った。

 ぶるりと寒気が襲う。ここにいたら拙い。

 日が暮れるまでにここを出て人がいる所まで行かなくては。

 焦った私は我武者羅に歩いた。どこを目指せばいいのかなんて分かるはずがない。でもじっとしてるなんて無理だった。歩けばどこかにたどり着けると、ここから出られると、あの遠吠えの聞こえない場所に行けると信じて歩き続けた。

 やがて空が夕日に染まり、木々の葉が頭上の赤を移して燃え立つように色づいた。まるで山火事のようだ。炎に囲まれ逃げ場を失った哀れな小鹿の気分で立ち尽くしていると、またあの声が聞こえる。何か分からない獣の遠吠えだ。

 逃げなくては。ただその一心に突き動かされて重い足を引きずって歩き続けた。

 いつのまにか手にしていたはずの財布は消えている。

 いつつくったのかも分からない傷が出来ている。

 獣の遠吠えが随分と近くで聞こえるようになった。

 もう、駄目かもしれない。

 いや、まだ頑張れる。

 交互に押し寄せる感情に心は疲弊し切っていた。

 獣の声が一段と近くなった時、ふいに水の音を聞いた。

 木に登ろうかと手近な木を物色していた私は引き寄せられるように水音のする方へと歩いていった。

 潅木を乗り越え、木々が切れると真っ黒な水面を湛えた小さな泉が現れる。波紋を描く泉から顔を上げると落差3メートル程の小さな滝が目に入った。泉だと思ったこれは滝つぼであるらしい。

 身を乗り出してみると、日が陰り暗い水面に自身の影が深い闇となって映りこむ。

 そっと手を浸すと冷たい水が指先に触れる。傷に沁みたが思いのほか心地よかった。

 両手で水を掬い、ちょっと迷って口へ運んだ。

 美味しい。喉を通って臓腑に沁み込む様がその一滴一滴まで分かるようだった。

 水を口にして少し気力が戻ってきた私は、すぐさま登りやすい木を探しはじめた。

 胸の高さで二股に分かれ、緩い傾斜を描く木登りに適した木を見つけると靴を脱ぎ捨て、ついでにストッキングも脱いだ。脱いだストッキングと靴を胸元に押し込み、木の股に体をねじ込む。腕をつっぱりずりずりと腹を這わせてなんとか木の上に体を押し上げる事に成功すると、その先にある太い枝を目指してまた登り始めた。細い枝を束ねて掴み、幹の僅かな凹凸に足をかけ、目標の枝に腰掛けた時にはへとへとに疲れきっていた。

 体を幹に預けて目を閉じれば、朝早くから入れっぱなしだったコンタクトが張り付いて痛みを訴えている事に気付く。

 今外すのは自殺行為に等しい。でも外さなければこの先目がどの様な状態になるか分からない。手元に鞄があればと心底くやんだ。眼鏡と保存液を満たしたケースが入っていたのに。

 裸眼で0.1を切るとはいえ全く見えないわけじゃない。いや、この暗さだと全く見えないかもしれない……。悩みに悩んだすえ、朝までは入れておこうと決めた。

 懐からストッキングを取り出すと、幹と体を固定する。敗れてボロボロのストッキングにどこまで効力があるか分からないが、気休めにはなる。

 幹に抱きつくようにして目を閉じると緩やかな睡魔に襲われるが、深い眠りに入れるほどではない。

近付いたり遠ざかったりする遠吠えを聞きながら、私はうつらうつらと過ごし、朝を迎えた。

 白い光を瞼越しに感じて目を開けようとし、私は昨晩の選択を後悔した。

 目が開かない。

 コンタクトが乾いた目と瞼を糊の様に貼り付けていた。

 パニックになって体を動かそうとし、危うく木から落ちかけさらにうろたえた。

 不味い。非常に不味い。水辺まで行けばなんとかなるかもしれないが、その水辺までがすこぶる遠く感じる。

 慌ててぱんぱんと体を叩き何かないかと探ると、スカートのポケットから堅い感触が返ってきた。

―――――これは! ポケットをまさぐると四角いつるんとしたものに指が触る。指の腹で丁寧に感触を確かめる。間違いない、ドライアイ用の目薬だ。

 神はまだ見捨てていなかった! と少々大仰に喜んでから、自分の間抜けさかげんにがっくりした。昨晩のうちに気付いて、ちょこちょこ目薬をさしていればこんな事態にはならなかったのに。

 閉じた瞼の上から目薬を垂らし沁み込ませると、少しずつ、瞼の粘りが柔らかくなった。何滴か続けて垂らすと目が開く。やったあと喜んだのもつかの間、すぐに鋭い痛みが目を襲った。

 もうコンタクトは諦めるしかないだろう。私はストッキングを解き、木を降りた。登るときはあれだけ苦労した木は下りるのにはそう困らなかった。

 目線を上げると、昨晩とは打って変わって、美しく光り輝く滝があった。飛沫の一つ一つが日の光を反射して宝石のように輝いている。

 滝つぼに近寄ると、その透明度の高さに圧倒される。水を飲むのも憚られるほどの神秘的な美しさだ。

 恐る恐る手をつけて清めると、コンタクトを外す。もう使えないと分かっているのに未練たらしくスカートのポケットにしまった。

 目の痛みから解放されると自然と息がこぼれ、途端に今度はでろんでろんにはげている化粧の残骸や足にこびりついた泥が気になりだした。

「お水……使わせてもらいます」

 もう今更だとは思う。昨晩は水を飲んだし、今朝も手を洗った。でも、何故か断りを入れなければいけないような気がしたのだ。多分あまりにも綺麗すぎて、主でも住んで居そうな雰囲気がそうさせたのだと思う。

 顔を洗って、一口含む。やはり水はとても美味しく感じた。

 足の泥を落とし、袖で水を拭うとパンプスを履いた。

 窮屈なパンプスの中は足を入れるだけで苦痛を感じさせたが裸足で歩くよりはましだろう。

 立ち上がろうとして、その前にもう一口と水を掬い上げた時だった。

 背後でパキンと小枝を踏む音が響いた。

 ぎょっとして立ち上がり振り返れば、木の傍らに白い人影が立っていた。

 白くて長い服に、白っぽい頭部。コンタクトを外してしまった今、この距離では顔は愚か性別もわからない。

 私は最初、その人物がフードを被っているのだと思った。頭部も白かったから。

 けどその人がこちらを警戒するようにゆっくりゆっくりと歩を進めたとき、その頭部の形がゆらゆらと揺れて変わるのを見て、髪、それもかなり長い髪だと気付く。

 正体不明のその人物は10数歩程手前まで来るとピタリと歩を止めた。髪をかき上げ、じっとこちらを見ている。顔の判別はまだ出来ないが、背の高い細身のシルエットが見て取れた。 白髪の老婆にしては姿勢がいいし、また身のこなしからも未だ若いであろう事が推察できる。何故白いのかは分からないが髪形と、どこかたおやかな所作から女性だろうと思われた。

「あ………の?」

 動きを止めたその人に焦れて声をかければ、白い布がゆったりと持ち上がり手を喉元に当て、少し間を置いてから元の位置に下戻される。ひょっとしたら、何か細かな仕草をしていたのかもしれないが、私の目には手を当てたとしか認識できない。

「え、と、言葉分かりますか?」

 ゆらりと頭部が動いた。おそらく頷いたのだろう。

「ここどこですか? 電話があればお借りしたいんですけど」

 するとまたその人は手を喉元に当てた。

「道に迷ってしまって、とりあえず社に連絡を入れたいんですけど……あの?」

 今度はずっと喉に手を当てたまま動かないその行動にはっとした。

「失礼ですが、ひょっとしてお声が?」

 ゆらりと頭部が動いた。どうやら当たりらしい。

「すみません……」

 私は困り果ててしまった。どうしたものかと視線を落とせば堅い地面が目に入る。そうだ! 私は勢いよく顔を上げた。

「字を、地面に文字を書いていただけませんか?」

 つかの間、間があったものの、白い頭部がまたゆらりと動く。

「ありがとうございます!」

 ところが意気揚々と近づこうとすると、その人はささっと後ずさる。

え?

「あの? 字、書いていただけるんですよね?」

 通じていなかったのかと不安に思って再び尋ねれば確かに動く頭部。どんなに目を凝らしても、首を横に振っているようには見えない。

 じゃあ、と一歩足を踏み出せば、白い人影も一歩後退した。

 これは…………。

 どういう事かとじっと見据えると、その人はつっぱるように手を上げた。

「えーと、近づいてはいけない? って事ですか?」

 ゆらりと頭部が揺れる。ビンゴですか。

 「何故?」と聞けばその答えを地に書いてくれるだろうか。理由を聞きたい衝動を飲み込み、私は口を開いた。

「ここはどこですか?」

 私が近づかないようにだろう、ちらちらとこちらを見ながら屈むと、拾った石か何かで地面にがりがりと文字を書く白い人影。

 書き終ったのか手を止めると、再びつっぱる仕草をしてから、さささっとその場を離れる。書き記した場所から私の居る場所までと、きっちり同じ距離をとると、ぴたりと足を止めた。それだけ離れられるともはやジェスチャーもあやふやにしか見えない。

 警戒させないようにとゆっくりゆっくりと歩いて字が書かれただろう場所へと移動する。

 立ったまま見下ろして首を捻った。何て書いてあるのかさっぱり分からない。

 小さな字で書かれたのだろうかとしゃがみ込み地面を見て愕然とした。

 この文字はなんだ。こんな文字は見たことがない。

 二匹の蛇が絡み合ったような絵文字めいた文字だった。

 一瞬からかわれているのかと思った。顔を上げ白い人を見ると、白い人もこちらに顔を向けていた。

「あの。出来れば日本語でお願いしたいんですが。英語でも簡単なものなら大丈夫です」

 白い人は今度は首を縦には振らなかった。変わりにまた手をつっぱる仕草をして私を押しとどめると、その場に屈んで手を動かす。すっくと立ち上がると、また10数歩離れて、手招きした。

 新しく文字が書かれた場所に行ってみる。すとんと腰をおろしてがくりとうな垂れる。

 さっきの文字ではなかった。さっきの文字ではなかったが、やはり全く見たことがない文字だった。今度のものは妙に角ばった文字でカタカナに良く似ている。がカタカナとは全く違う。その文の下には点と線だけで出来た暗号の様な文字が記されていた。どうやら私が理解出来る文字を模索してくれているらしい。

「あのー、私の言葉本当に通じてます?」

 こくりと頷く人影。ほんとかよ。

「本当に通じてます?」

 人影はこくこくと頷いた。

「じゃあ、日本語で文字かけます?」

 首が横に振られた。どうやら、日本語はヒアリングオンリーらしい。

「私、道に迷ってしまいまして、とても困っています。助けていただけませんか?」

 努めてゆっくりと話しかけると白い人は戸惑ったように立ち尽くし、縦にも横にも首を振らなかった。

 聞き取れなかったのだろうか。それとも、助けるかどうか迷っているのだろうか。まさかと思いたいが、こんな人気のない場所に居て、近づく事を許さず、謎の文字を用いるなどという訳あり臭がぷんぷんする人物なのだ、ありえなくもない。

「怪しいものではありませんし、あなたに危害を加えるつもりもありません。社と家に連絡さえ取らせていただけたら、すぐにお暇いたします」

 お礼もさせていただきます。と言おうとしてちょっと迷う。金目当てで動く人間に見えるのかと、気分を害してしまうかもしれない。

 どうしようかとじっと白い人を見つめていると、すっと腕が伸ばされ手招きされる。近づく許可が下りたのだろうか? 

 嬉しくなって、歩き出せば、白い人影はまた私から離れていく。

 近寄れって意味じゃなかったのか、どういう事なのよ。

 困惑して足を止めると、白い人影は手招きをする。

 一歩歩けば、一歩遠ざかる。二歩歩けば、二歩遠ざかる。

「………この距離を保てってことですか?」

 白い人影が頷いた。

「………わかりました。従います」

 着いて行って大丈夫なのだろうかという不安が頭をもたげる。しかし、森を彷徨い歩いて獣の餌になるよりはいい。虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。

 こうして、私と白い人は十数歩の距離を保ったまま、山道を歩き始めた。

 歩きなれているのか白い人の歩調は速い。必死についていこうとするが、痛む足とパンプスで、道といえるのかどうかも怪しい山中を進むのではただでさえきついうえに、視力の悪さが災いして、どうしても遅れがちになってしまう。細かな枝を払う事も出来ず、木の根があれば何度も躓き、時には盛大にこける。すると白い人は立ち止まって、私が十数歩の距離まで追いつくのを待ってくれた。きっと物凄くどんくさい奴だと思われているのだろう。

 道なき道を歩き始めて30分ほど経った頃だろうか。

 目の前に建造物が現れた。

 白い幹と銀に縁取られた葉を持つ不思議な木々に囲まれたそれは、丸木小屋や掘っ立て小屋がしっくりくるようなこの場所には酷く不似合いな大きさと豪華さだった。

 別荘だろうか? にしても変わった造りだ。

 白と灰色の石で出来た基礎の上に、太い石の柱と、辺りに生えている白い木で出来た壁や戸が建てられている。平屋建てのようだが随分と高さがあった。

「ここは、あなたの家ですか?」

 扉へと続く階段を登る背中に問いかけると、首を傾げられた。

 私に向かって待ての仕草をしてから、白い人は扉に手をかけた。鍵は掛かっていないらしく、押すと扉は簡単に開く。

 白い人は、くるりと私を振り返り、手招きをすると、扉の中へと消えた。

 姿が見えなくなった事に慌てて階段を駆け上り、室内の様子を目にして戸惑いが広がる。家族や親しい友人を呼んで余暇を楽しみ寛ぐ。といった用途の別荘とは程遠い荘厳な空気で満たされていたのだ。

「―――失礼します」

 靴をどうしようかと迷ったが、靴だなもなければ、スリッパもない。床は石造りで白い人が靴を脱いだ形跡もなかった為に、土足で足を踏み入れた。

 白と灰色の石の床は歩くたびにかつんと小気味よい音がする。

 白一色の壁に覆われた、広いエントランス―――と言っていいのか分からないが―――だった。きょろきょろと辺りを見回していると、高い天井を支える柱の影から白い人が姿を見せた。

 外に居るときよりも近い。柱を盾に半分身を隠し、待てのポーズをとると、思案するように腕を組む。

 歩数にして十歩と言ったところだろう。薄暗い室内で、じっと目を凝らすと、白い頭髪がやや黄みを帯びている事に気付いた。さらに目を眇めて目の前の人を凝視する。目の色は分からない。が、多分、恐らく、とても整った容姿をしているように思えた。と言っても裸眼で見れば大抵の人間が美男美女に見えるのであてには出来ないが。

 白い人が口元に手を添える。

「えーと、すみません。分かりません」

 恐らく何かを伝えたいのだろうがさっぱり分からない。

「電話? ですか?」

 希望を込めて問えば首を横に振られた。

「んー、喋るな?」

 これも違った。

 白い人は次にお腹の辺りを押さえて擦る士草をする。

「あ! お腹すいてないか。ですか?」

 当たりだった。

「すいてます。ご馳走になれれば嬉しいです」

満足気に頷いた白い人に手招きされ、案内された部屋は、よく陽の当たる、20畳ほどの部屋だった。 中央に長四角の大きなテーブルが鎮座し、いくつもの椅子が取り囲んでいる。

 白い人は、一番奥の椅子の前まで来ると、こつこつとテーブルを叩いた。

「そこに座れ……て事ですか?」

 頷く白い人。

 テーブルの手前を通って椅子を目指すと、白い人はご丁寧にテーブルを挟んだ反対側を通って戻ってくる。

 テーブル越しにすれ違った時、私は白い人の顔を見る事が出来た。すれ違う間近に加速しやがったので、一瞬で、しかもおぼろげにだけど……間違いない。白い人は超のつく美人さんだった。瞳の色は分からなかったけど、涼やかな切れ長の目にすっと通った鼻。薄い唇。白いローブのような服の上に長い長い髪が滝のように零れ落ちていた。

 はあー。美人だなあ、いいもの見たわあという幸福感と、そこまで警戒しなくてもという悄々たる気持ちを抱きながら椅子に座る。

 私が腰掛けるのを見届けると、白い人は待てのポーズを残して部屋を出て行った。

立ち上がってあちこち見て回りたいが、その最中に白い人が帰ってきたら脱兎のごとく逃げられてしまうかもしれないと思うと、それも出来ない。

 しかし、何故私はそこまで警戒されているのだろう。美人さんには美人さんにしか分からない苦労が(ストーカーとか)あるのだろうとは推測出来るが、ごつくも男でもない私をあそこまで警戒しなくてもいいのではないだろうかと思ってしまう。まあ、助けてもらった身なのは重々承知しているから、白い人に従うつもりだが。

 それ程待たずに白い人は帰ってきた。手に何やら平たいものを持っている。それを私が座っている席とは真反対の席の前に置くと、白い人はこつこつと机を叩いた。

 その席で食べろと、そういう事なのだろう。

 席を立って、今度はテーブルの奥を通って指示された席へ向かう。当然白い人は手前を通って(しかもまたすれ違う時は加速された)さっきまで私が座っていた席の横に立った。

「失礼します」

 私が椅子を引いて座ると、白い人も椅子に腰掛ける。

 テーブルに用意されたものを見れば、白い木を削って作られたらしいトレイのうえに、やはり白い木で出来た椀が1つと銀色の皿とコップが置かれていた。椀の中にはスープっぽいものが、皿の上にはパンのような茶色い塊が置かれている。

「いただきます」

 何のスープだろうか? 顔を椀に近づけて見るわけにも行かず、スプーンで掬ったそれを、目の前まで持ってきてまじまじと見つめた。さいの目に切られた幾種類かの具材が入っているが、何のスープかは分からない。だが匂いはいい。思い切って口に入れると、薄味だが素朴な美味しさがあった。

食べ始めて、初めて、こんなにもお腹がすいていたのだと知った。夢中でスープをすすり、少々噛み応えのあるパンを頬張る。がっつき過ぎて咽、コップの中身を煽って、危うく吹きそうになった。

 てっきり水かお茶の類だと思っていたそれは、酒だった。なんとか飲み下し、息を整える。ちらりと前方を見上げれば白い人がじっとこちらを見ているらしいのが分かった。きっと呆れているのだろう。

「す、すみません。無作法で」

 白い人は小首を傾げただけだった。

 食事が終わると、白い人が立ち上がり自分の前の席を叩く。

 先ほどと同じようにテーブル越しにすれ違って席にたどり着くと、白い人は手招きをして部屋を出た。

 ただ部屋を出るだけなのに、なんという手間だろう。

 げんなりとして部屋を出ると廊下の奥で白い人が待っていた。

 今度は手招きもせず角に消えたが、着いて来いでいいだろう。

 思ったとおり白い人は角の手前で待っては私が姿を見せるのを待ち、導いた。

 3つの目の角を曲がったとき、白い人が待てのポーズをとる。廊下の中ほどの壁をこつこつと叩くと反対の角の手前で止まってこちらを見た。

 意図を測りかねたが、そろそろと歩き出しても白い人は姿を消さないので廊下を進む。と、白い人がぱっと手を出して待てを示す。丁度廊下の中ごろに差し掛かったときだった。

 ふと白い人が叩いたのはこの辺りだと気付き横を見ると、小さな凹みのついたドアが目に入る。ドアと見て、白い人を見ると、こくりと頷かれた。凹みに手を差し込み、スライドさせるとドアが開き、ベッドと机、簡単な棚が設えられた小さな部屋が現れた。

 客間……と思っていいのだろうか。

「あの、ここを使わせていただける。という事ですか?」

 廊下の先に佇む白い人に問うと、こくりと頷いた。

「ありがとうございます。でも、あの、先に連絡を取りたいのですが……電話やパソコンは………ありませんか」

 連絡の言葉が出た時点で白い人は首を横に振っていた。

 部屋に外からかけられるような鍵がついていないのを確認すると中に入る。戸を開けたまま奥の壁の前に立っていると、案の定白い人がドアを閉めにきた。ドアを盾に体の殆どを隠して戸を閉める。

 白い人が立ち去るのに必要な時間をたっぷりととってから、戸に手をかけると、戸はあっさりと開いた。閉じ込められやしないかとひやひやだったのだが大丈夫なようだ。廊下の様子をきょろきょろと覗いてから部屋へ引っ込む。

 机の上にも棚の中にも何も物が無い。ベッドは硬いけれど、使われている布は質の良いものだった。

ごろりとベッドに仰向けになり、目を閉じる。

 まるで夢の中にいるようだ。

 獣におびえ、木の上で過ごした昨晩の方がよほど現実味があった。

 ここはどこなんだろう。ひょっとして私は総菜屋の前の道路で事故にあって、あの世に来てしまったのではとか、神隠しにでもあっているんじゃないかとか、恐ろしい考えばかりが頭を過ぎる。

 ごろごろとベッドの上で転がっていると、ノックの音が響いた。

「どうぞ」

 返事をすると戸が開き、白い人の姿が………無かった。多分ドアの影に隠れているんだろう。

 わざと足音を立てて近寄るとすでに白い人は一つ目の角へと差し掛かっていた。

 次に白い人に案内されたのは、どうやらトイレらしかった。

 見慣れたものよりも四角い椅子のような便器が壁に作りつけられている。

 横にはかごに入れられた布のような紙のようなものが用意されていた。

 水洗……用のボタンもレバーもないから恐らく汲み取り式なのだろう。便器の中は黒い穴が開いているばかりでよく見えないが。

 匂いは無いが、顔を近づけて見る気にもならない。

 トイレの中を見聞して出てくると、白い人はまた別の所に私を誘った。

 次の部屋では台の上に3枚の白い布が置かれていた。こつ、こつ、こつ、とそれぞれの布の前を叩いて部屋の隅へ引っ込む白い人。

 白い布を手に取ると、どうやら服らしいと分かった。今白い人が着ているものと似たような形をしている。

「着替え? ですか?」

 肯定が返される。

「好きなものを選べ?」

 これには否定が返された。

「三つ全部?」

 また肯定。

 私は3枚の衣服を手に用意された自室へと戻った。

 寝巻きと明日の着替えと念のための替え? と思いたかったが、3枚の服は何れも同じ形状をしている。思っているより長くここに滞在しなければならないのではないかと血の気が引く思いがした。

 とはいえ、着替えは在りがたい。汚れきったスカートとシャツを脱ぐと、服を広げる。と、中からバスタオルほどの大きさの一枚布がひらひらと落ちた。

 こ、れ、は、

 ………私は絶句した。

 布の端には紐がついている。まさか、下着の変わりだろうか?

 見よう見まねにローブのような長ったるい衣服を着込んだ後、布を頭に巻いてみたり、ローブの上に装着してみたりしたが、どれもしっくりこない。

 恐る恐る下着を脱いで、腰に巻き、紐でしばると、あら不思議。ぴったりだった。

 股の間が恐ろしくすーすーする。

 着ていた下着を裏返して履くという荒業も考えたが、ここは潔く諦めるべきだろう。脱いだものを手早く畳むと間に下着を挟んで棚に置く。その隣に残り二枚の白い服を並べた。

 さて、困った。

 何もすることがない。お腹はいっぱい。眠くもならない。

 昨晩はろくに寝ていないはずだが、緊張状態におかれているからか、ベッドに横になってみてもさっぱり眠る事が出来ない。

 しばらく考えてから部屋の外へ出てみる事にした。

 出てきちゃ駄目とか、言われてないもんね?

 廊下をぐるぐると歩き回る。私の位置を知らせるために足音を立てて。

 建物はぐるりと一週出来る造りになっていた。

 私に分かるのは、与えられた自室と食事をとった部屋、トイレ、外に続く扉だけ。

 いくつも似たような戸が並ぶが、どれが白い人の部屋か分からない。

 廊下にはめられた濁った窓の外は、白い木が並んでいるんだろうな。程度にしか私の目には映らなかった。ギブミー眼鏡。

 部屋に篭っているのか、私の足音を察知して逃げ回っているのか、白い人に会うことなく、早々に建物探検は終了した。

 部屋へ戻ると、諦めてベッドに潜り込んで目を閉じる。

 しつこく寝返りを打つうちにようやく眠りが訪れた。

 ノックの音で目が覚めたときには室内はすっかり暗くなっていた。

 食堂に案内されると、今度は、あらかじめ料理が用意されており、白い人が一番奥の席に、私が一番手前の席でそれぞれ食事を採る。内容は先に食べたものと同じメニューだった。

 食べながら色々と話しかけてみたが、うなずく、首を振る、かしげる、だけでさっぱり会話にならない。

 食事が終わると、白い人は自分が座っていた席をコンコンと叩いた。へいへい、そこで自分が退室するのを待てって事なんですね。

 ところが奥の席の側で白い人が部屋を出るのを待つが、さっぱり退室する気配を見せないばかりか、白い人はまたしもて、机を叩いた。

 え? 今度はそっちにいけってことなの?

 足を踏み出そうとすると、素早く待てのポーズをされる。片手をつっぱねたまま白い人はまたコツコツと机を叩く。

「机が何か?」

 聞いても答えがあるはずもなく、白い人は苛立ったように何度も机を叩いた。

 私は目を皿のようにして机の上を見て、ようやく、トレーの側に何やらひも状のものがあるのに気づいた。テーブルに同化して見えなかったのだ。ギブミーコンタクト。

 持ち上げるとしゃらんと音が鳴る。

 鈴が輪になった紐に括りつけられていた。

 顔をあげると、白い人が盛んになにか合図をおくっているが、いかんせんこの距離では良く見えない。

りんりんと鈴を振ってみせると、白い人は自身の胸を叩いた。

「鈴? 胸に?」

 肯定。

「分かりました」

 鈴の用途が分かって、ちょっと落ち込んだ。つまり猫の鈴だ。首から提げて鳴らして歩けと。白い人が気付くように。

 輪に頭を通すと、白い人は食堂を出て行った。

 そんなに接触するのが嫌なのか………。


 昼間にあれだけ眠ったのだからと思ったけど、しっかり夜も眠る事が出来た。

 この異常な事態にも白い人の奇行にも慣れつつあるのかもしれない。

 ノックの音もなしに自然に目が覚めた。

 気持ちのよい朝だった。

 ひょっとしたらと食堂に行ってみるが、白い人はおらず、食事の用意もない。

「あのー。おはようございますー」

 りんりんと鈴を鳴らして歩き回っても、物音一つせず、白い人も現れない。

 建物内を3週ほどして、私は外へと通じる扉の前で腕を組んで仁王立ちしていた。

 白い人は外に行ったのではあるまいか。

 外に出てみるべきだろうか。

 扉に手をかけては降ろすを繰り返していると、突然、向こうから扉が押し開けられる。

目の前に白い人が居た。

 朝日を浴びて白く輝く髪から雫が滴っている。

 布で顔を拭っていた白い人は、腕の隙間から私を認めると、物凄い速さで外へ飛び出して行った。

 私は猛獣か!

「あの、驚かしてすみません」

 いつもよりも距離をとった白い人が、落ち着き無くうろうろと地面の上を歩き回っている。

「すみません。私本当に何もしませんから。あの、髪、濡れてますね?」

 ぴたりと白い人が動きを止め、私を見た。

「もしかしてお風呂に入ってらしたんですか? こんなことをお願いするのは厚かましくて気がひけるんですが、私にもお湯をいただけないでしょうか? あ、いえいえ、お湯だなんて贅沢は言いません。水で、水浴びで結構です」

 白い人はしばらくその場に立ち尽くしていた。なんてずうずうしいと呆れられただろうかと心配になった頃、ようやく白い人は頷いた。

「いいんですか!? ありがとうございます! あ、ちょっと待って。着替えを取ってきますから」

 手招きをして踵を返した白い人を留めると、大急ぎで部屋へ戻り、二組目の着替えと、薄汚れたシャツとスカート、それから下着を抱き込む。

 外へ出ると白い人は、手招きもせずにさっさと歩き出した。

 障害物の多い外を裸眼で歩くのは辛い。転びまろびつ後をついていくと、足元が木の根と土から岩へと変わった。

 岩の上を歩くのは土の上を歩くより数倍怖い。でこぼこは全く見えないし、段差も分からない。その上、こけたら痛いときている。腰を屈めて、目を凝らし、慎重に進むと、むわっとした風が頬をくすぐった。

 何事かと顔を上げると岩の間から白い湯気が見えた。

「温泉?」

 私の心は一気に躍った。

 手をついて、四つん這いで岩場を進むと、岩に囲まれた広い温泉がほこほこと湯気をたてている。

私は離れた岩場に立つ白い人を見上げた。

「すごい。熱くないですか?」

 否定

「丁度いい?」

 肯定

「あ、でもすごく深そう」

 肯定

「………あのー、良かったら一緒に入りませんか?」

 これにはちょっとの間を置いてから否定が返された。

「そうですよね、もう入られんたんですよね。あの、じゃあ、そこで見てて頂けませんか?」

 深みにはまっておぼれそうで怖い。

 今度はさっきより短い間の後に肯定の返事があった。

 岩の上に着替えを置くと、私はさっと服を脱いでいく。不安定な岩場で転ばないか心配してくれているのか、白い人はそんな私の様子をじっと見ていた。

 下着までとっぱらって裸になると、恐る恐る足をつけた。ちょっと熱めだが、いい湯だ。

 そろそろと進むと、すぐに深さが胸ほどになる。これ以上は進まないほうがよさそうだ。

「はあー、極楽。すみません、直ぐに出ますねー」

 ごしごしと手で体を擦り、髪を湯につけてすすぐ。ぺしぺしと何かを叩く音がして振り返ると、白い人が手招きをしていた。

 泳いで岸辺から十歩の距離に近寄ると、白い人が岩の隙間に生えた草を引っこ抜き葉を毟って茎を放り投げた。

 茎を手に首を傾げていると、白い人が手を擦り合わせる動作をする。

 茎を持ったまま、その動きを真似ると、茎の中から青みがかった泡が出てきた。

「これで体を洗うんですか?」

 こくりと頷く白い人。

 茎の石鹸は癖のある香りがした。

 すっかり体を洗い終えると、岩場に置いてあった、シャツを手に取る。

「ここで洗濯をしても?」

 肯定の返事をもらい、湯に浸かったまま、岩の上で服を扱く。掌でお湯を汲んでよく洗い流しスカート下着と次々に洗濯していった。

 白い人はそんな私の様子を興味深げに見ている。手つきが覚束無いとでも思われているのだろうか? 普段は全自動なもので、といい訳をしたかった。

 すっかり汚れの落ちた服を軽く絞ると、湯からあがる。あがってから、体を拭くタオルがない事に気付いた。

 が、後の祭りだ。仕方が無い、洗ったばかりの着替えを固く絞り直し肌の水気をとると、新しい服に袖を通した。最後に鈴をかけて白い人を見る。

「お待たせしました」

白い人は鷹揚に頷いて、帰路についた。

 扉前でニアミスした時に一気に開いた距離は、入浴中からまた縮まった気がする。今はもう、七歩ぐらいには近づいたのではないだろうか。

 明日の朝は早く起きよう。そして一緒に入らないか聞いてみよう。裸の付き合いをすればもう少し心を開いてくれるのではないだろうかと期待している自分に気付いて、苦笑した。明日の朝を迎える前に、帰る方法を模索しなければ。


「ここには貴方1人で?」

 肯定

「いつまでここにいるんですか?」

 首を傾げる

「他の方に会うことは出来ますか?」

 否定

「一番近い街まで降りたいんですけど」

 否定

「私、帰りたいんです。せめて連絡だけはどうしても」

 首をかしげる

「ずっとこのままなんですか?」

 否定

 朝食の席で矢継ぎ早に質問を繰り出すが、やはり会話にならない。

「ご飯、貴方が作っているんですよね?」

 肯定

「食材はどうやって? 畑がある……とか?」

 否定

「じゃあ、誰かが届けてくれているんですか!?」

 祈るような思いで見つめると白い人は首を縦にふった。

「その人が来たらその人についてここを出たいんですが」

 良かった。帰れるめどがつきそうだ。私は安堵の息を吐いた。

 どれだけ懇願しても白い人はここを動くつもりはないようだが、生活物資の運搬をしている人に着いて行けば、白い人の手を煩わせる事もない。

 早くも無断欠勤をどう言い繕うかと思案する私に、白い人はゆっくりと首を振った。

「な、なんでですか!?」

 思わず椅子から立ち上がると、白い人はおびえたように身を引いた。

「あ……すいません。絶対に近寄りませんから」

 扉の出来事と言い、彼女の怯え方は尋常ではない。

 ひょっとして、私が想像しているよりもずっとひどい目に合った事があるのかもしれない。そのショックで言葉を失い、髪も白く……。胸の奥が鉛で満たされたように重くなる。

「あの、驚かせてすみませんでした。取り乱したりしませんから、安心してください」

 白い人が歩んできたであろう過酷な過去を想像し、私は自分の身勝手を反省した。

「もう少しだけ、質問してもいいですか?」

 ゆっくりとした動作で椅子に座りなおすと、分かってくれたのか、白い人はこくりと頷いた。

「私がここを出るとまずい事でも? 貴方の事は誰にも口外しないと誓いますが」

 彼女に危害を加える誰かから身を隠している可能性を配慮しての言葉だったのだが、彼女が静かに首を振る。

「私が出ることは問題ない?」

 考え込むように首が傾いたあと、小さく頭が前に倒された。

 全く問題がないわけじゃないけど、出てもいい。と捉えていいのだろうか?

「じゃあ、その、物資運搬係の人との接触がまずいとか……次の補給日がかなり先だとか?」

 すぐさま肯定が返される。

私はしばし瞑目し考えた。

「この森、私1人でも抜けれますか? 野犬か何かがいるみたいなんですけど」

 思ったとおり否定。

「でも、このままずっとここに居るわけにも。貴方にも迷惑がかかりますし……。貴方に会う前夜も木に登ってやり過ごしたんです。お願いします! 簡単な地図を書いていただけませんか? そしたら1人で森を出ます」

 白い人は長い間首を動かさなかった。

 辛抱強くじっと待っていると、こつ、と机を叩く音がした。

 ここに来いの合図だ。

 彼女は部屋を出る為だろう。これ以上話を聞いてくれる気がないらしいと落胆して腰を上げかけると、白い人が手を突っ張る仕草をする。

 中腰のまま彼女の動向を見つめた。

 すると、こつ、こつ。と2回机を叩き、白い人はゆっくりと頷く。

「机?」

 否定

「2?……じゃない3?」

 最初に叩いた1回と後に足された2回をあわせると3回だが、それが何か? 注意深く彼女を見守る私に頷いてみせる白い人。

 3回、どういう意味だろう。

 困惑して黙り込んでいると、白い人はまた3回机を叩いた。そして長い指で窓の外を指してみせる。私ははっとした。

「3日? あと3日したら連れて行ってくれるって事ですか!?」

 肯定を表す仕草を見て、私は飛び上がって喜びそうになり、慌てて椅子に座りなおした。

 また彼女を怯えさせでもしたら大変だ。

「ありがとう!」

 机に手をついて感謝を述べると、彼女はそっと小首を傾げたように見えた。


 3日は決して短い時間ではない。

 恐らく家族から捜索願いが出され大変な騒ぎになるだろう。いや、きっともう出されているに違いない。これまで外泊する事はあっても、連絡を入れなかった事などなかった。

 本当なら今すぐ、飛び出したい。でも野犬の餌食になることを考えれば、3日待つぐらい我慢しなければならないだろう。

 先の見通しが立ち、私の心は一気に軽くなった。

 3日後に供えてもりもりとご飯を平らげたあと、お世話になるお礼に、掃除や食事の支度など手伝える事はないかと聞いてみたが、白い人はただ静かに首を振るばかりだった。

 心苦しいが、余計なお世話になっても何だし、となるべく私は自室で過ごす事に決めた。

 その日、私が白い人に会ったのは3度の食事の時だけだった。


 運動も労働もせず、早々に床についたおかげで、翌日の朝はすこぶる早く目が覚めた。

 昨日とおなじスケジュールなら、彼女は朝一に入浴に出かけるはずだ。

 私は着替えを手に取ると、りんりんと鈴を鳴らして扉に向かう。

「……来ない」

 扉の前で待ち始めて、すでに数十分が経過している。

 途中騒々しい足音を立てながら邸内を一周してみたが、彼女の姿はおろか気配一つ感じることはなかった。

「もう行っちゃったのかな」

 そっと扉を開けると、朝日が目に沁みた。

 温泉までの道は覚えている。

 獣道のような一本道で、迷いようがないし、彼女と入れ違ってしまう事もないだろうと、私は温泉に向かう事にした。

 ところが、転倒防止の為、四つん這いに近い格好で岩場を進み、ついた温泉に彼女の姿はなかった。

「あれえ? まだ寝てる、とか?」

 あれだけ鈴の音を響かせたのにそんな事があるのだろうか? 考え込んでみるが、さっぱり分からない。一旦邸に帰ろうかと思ったが、柔らかな湯気を昇らせる温泉の魅力には抗えなかった。

「うーん、いいお湯」

 豊富な湯量に美しい自然。朝から露天風呂なんてすごく贅沢だ。

 足がつく範囲を念入りに調べ、時折背の立たない深みをちゃぷちゃぷと泳ぎ回って湯を堪能していた。

 だから、白い人が岩場の上で腕を組んでこちらを見下ろしているのに気付いた時、あまりに驚いて湯を飲み、危うく溺れかけた。

 這う這うの体で岩場にたどり着いて上半身を投げ出すと、顔だけ上げて、7歩先の岩場に佇む白い人を見上げる。

「びっくりした。いつから居たんですか?」

 てっきり困ったように首を傾げるだろうと思ったのだが、白い人は腕を組んだまま睥睨するように私を見下ろしている。

「あの、どうかしました?」

 ……………なんだかいつもと様子が違う。ぶるりと鳥肌がたった。

「ひょっとして怒ってます?」

 腕を組んだまま、やけにはっきりとした動作で白い人は頷いた。

「えーと、勝手に外に出るといけませんでしたか?」

 逡巡の後頷く白い人。

 いつになく迫力のある彼女に、私は湯の中で正座して謝った。

 声には出さなくても怒ってるって伝わるもんなんだね………。


 それからの一日は昨日と寸分たがわず同じだった。

 朝食、昼食、夕食時のみを食堂で彼女と過ごし後はぐーたらと室内で時間を潰す。

 時の流れが遅くて遅くてたまらなかったが、あと二日の辛抱だ。

 ベッドの上で筋トレをしてみたり、妄想をしてみたり、たまに帰ってからの苦労を考えてみたりと、この上なく暇な一日を過ごし、翌朝、目が覚めると棚に新しい着替えが用意してあるのにびっくりした。

 いつ、持ってきてくれたんだろう?

 ろくに動いていないのに、白い人が来ても気付かないほど熟睡していたなんて、きっと彼女も呆れているだろう。

 私は着替えを一組手に取ると、扉へと向かった。

 白い人が来るまで何分でも扉前で待つ覚悟を決めて来てみれば、彼女はすでにそこにいた。

 昨日のように勝手に抜け出されてはたまらないと思ったのだろうか。

 私を見るとこくんと頷いて外に出た。


「もう入浴はすまされたんですか?」

 温泉につくなりいそいそと服を脱ぐ私を見つめる白い人に話しかけると、肯定がかえされる。

 裸の付き合いは実現しそうにない。

 ひょっとしたら、見られたくない傷があるのかもしれないと思い立ち、「あの、無神経に誘ってごめんなさいね」 と、しゅんとして謝ると彼女は曖昧に首を振る。

 彼女から声を奪い、白髪にしただけでは飽き足らず、傷まで負わせた相手がいるかもしれないと思うとなんとも遣る瀬無い気分になる。突然現れた私のような人間にここまで良くしてくれる彼女を、今もまだ苦しめているなんて………。会った事もない相手を心底憎いと感じた。

「お待たせしました。戻りましょうか。あ、明日はお風呂は結構ですので」

 体に傷があるかもしれない彼女の前で悠々と湯につかるのがいたたまれなくて、手早く入浴を済ませると、小首を傾げた彼女と目が合った……気がする。

 ふるふると首を振る彼女は、遠慮しないでと言っているのだろう。

「ありがとうございます。でも朝から付き合ってもらうのも悪いですし、明後日にはここを出るわけですし、一日ぐらい……」

 汗をかくわけでもないし、入らなくても、という私の言葉を彼女は必死に首を振って遮った。

「えーと、面倒じゃないですか?」

 勢いよく首をふる白い人。

「じゃあ、明日もお願いしても?」

 またしても彼女は強く首を振った。

「ありがとう。実はここの温泉すごく気に入っていて」

 嬉しいです。というと彼女も嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか?


 翌朝、またいつの間にか用意されていた着替えに己の爆睡具合を恥じた。

 食っちゃ寝してるだけなのに、ノックの音にも気づかないなんて……。

 扉の前で待っていた白い人に着替えの礼の述べると、気にしないでというように彼女は首をふる。

 なんていい人なんだろう。

 最初は猛獣やばい菌かのような扱いに戸惑ったけれど、辛い過去を背負う彼女が、精一杯優しく接してくれているのだと思うと心がほんわかとする。

 その日、私は彼女の気持ちに甘えてゆっくりと湯を堪能した。

 明日はお別れの時だ。この温泉に浸かるのも今日が最後だと思うと名残惜しい。

 いや、それ以上に彼女との別れを、私は1人、惜しんでいた。


 今日はかなり早く目が覚めた。

 薄暗い部屋で目を凝らすと、やはり同じ場所に着替えが用意されているのに気付く。

 ひょっとしたら寝ている私を起こさないようにとそっと置いていってくれているのかもしれない。彼女のさりげない優しさにじわりと目頭が熱くなる。

 お世話になりっぱなしで何もお返しが出来なかった。

 私は着替えをそのままに、洗濯したシャツとスカートを身につけた。

 彼女の好意を無碍にするようで申し訳なかったが、今日にはここを出るのだ。服まで借りていくわけにはいかない。

 扉の前で彼女を待とうと廊下を進むと、丁度白い人が帰ってきたところだった。扉を閉め、私の姿を認めるとびっくりしたようにその場に立ち竦んだ。

「おはようございます。あの! ありがとうございました! ご恩は一生忘れません。私に出来ることがあったらなんでも言ってください。連絡先を残していきたいのですが、何か書くものはありませんか?」

 きっちり90度の腰を折り、感謝の気持ちを述べる。

 ――――――――と、

「へえ。なんでも?」

 私は勢いよく顔を上げた。

 初めて聞く彼女の声だった。

 ……………彼女?

 つうと嫌な汗が背を伝う。

「じゃあ」

 私は一歩、後ずさった。

 彼女の声は―――――彼女じゃなかった………。

「お言葉に甘えさせてもらおうかな」

 女性ではありえない、掠れた低い声は、とろけるような甘さと麻薬のような毒を含んでいる。

 抗う意思を吸い取るような声で、白い人は囁いた。

「貴方、今日から僕の嫁ね」

 と。

「はああああああああああああああ!?」

 目の前が真っ暗になった。

 驚きと怒りが許容範囲を超えると気絶に繋がる事もあるらしい。がんっという音と共に激しい痛みが頭を襲い、意識は閉ざされた。


「ああ、おはよう」

「……………………」

 声が出なかった。叫ばなかったのではない。叫べなかったのだ。

 目の前にプラチナブロンドの長い髪を垂らした白い人の顔があった。すっきりとした眉が飾る切れ長の瞳は薄い茶色で、高すぎず低すぎない鼻梁は絶妙なラインを描いており、薄い唇は絶望的に意地の悪い笑みを浮かべている。

「あ、あ、あ、あ、あ、」

「愛してる?」

「んなわけあるか!」

 白い人は、どう見ても男性だった。この距離なら声を聞かなくても分かる。

 太い首には喉仏がくっきりと出ており、顔も、美形には違いないが女性のそれとは明らかに違う。

 上から覗き込むように私を見つめている白い人の顔をまじまじと見つめていると、首の後ろというか後頭部全体がじんわりと温かい事に気付く。

 この体勢は、ひょっとして………。視線を左にずらせば石の床、左にずらせば白い布。

「頭大丈夫?」

「だ、だ、だ、大丈夫です。もう大丈夫ですからっ!」

 座り込んだ白い人の膝の上に頭を乗せて(いわゆる膝枕ってやつだ)いるのだと気付いて慌てて起き上がろうとするが、やんわりと、本当にやんわりと肩を押されて制された。一見、力が入っていないように見えるその腕の動きで、全く身動きが取れなくなってしまった事実にぞっとする。しばらくじたばたとあがいてみたが、にこにこと静かに私を見下ろす白い人の笑顔に気圧されて大人しく膝に頭を預けた。

「いきなり倒れたから驚いたよ」

「それはこっちの台詞……」

 力なく呟くと白い人は首を傾げた。

「何故? 僕が喋ったのがそれほど驚くこと?」

 その言葉で私は理解した。彼は私を騙していたわけではなかったのだと。

 私の目の悪さに気付いていなかったのだ。

 つまり、私は彼が男性であると知ったうえで、お風呂に……誘ったと思われていたわけで、……断られたらそこで見ててとか言っちゃったわけで……着替えから……何から……ばっちり見られてたわけで…………。ああ、もう駄目。なんて痴女よ。これ以上考えたくもない。

「悪かったね。何度も誘ってくれていたのに応えられなくて」

 青くなった私の思考を見透かしたかのように白い人は申し訳なさそうに眉を下げた。

 いや、違うから。

 白い人の目を見ていられなくて、そっと視線を逸らした。

「どうして今まで喋らなかったの?」

「ああ、僕はこれでも神官でね。神事前の潔斎中だったんだよ。誰かと口をきくのが御法度な厄介な潔斎でさ。もちろん異性に触れるなんて言語道断だったわけ」

 あの7歩の距離は、体に触れられないための処置だったのか……。

「神官って………神道? 仏教? 新興宗教?」

「多分どれも違う。貴方、迷い人でしょう?」

「迷い人?」

「そう、迷い人っていうのは………」


 彼の説明を聞いて、私は二度目の気絶を経験した。


 白い人いわく、ここは私がいた世界とは全く違う世界らしい。

 この世界には時折、別世界から人が迷い込んでくるらしい。

 そして、迷い人の存在は知識人の間では常識だが、民の間では知られていないらしい。

 だから、迷い込んだ場所が辺境の村だったりしたら、魔と間違えられて殺されたりするらしい。

 しかも、文字だけでなく、言葉も本来は通じないものらしい。

 なぜ、白い人が日本語を喋れるのかというと、彼の属する国には日本人が5年に1人程度迷い込んでくるらしく、神官の必須教養らしい。

 ではどうして、筆記が出来ないのかというと、なにやらややこしい理由(迷い人と結託、または利用してよからぬ事をたくらむ輩がいたとかで、こっそり連絡をとりあうのを阻止する為だとかなんとか)があって禁じられているかららしい。

 そして最後に、「貴方は僕に会えて運が良かった。あ、二度と元の世界には帰れないから」と彼は笑顔でのたまった。


 再び目を覚ますと、目の前に悪魔がいた。

「やあ、おはよう。気分はどう?」

「最悪です」

「正直な人は好きだよ」

 一度目の気絶後と同じように白い人は上から覗き込むように私の顔を見ていたが、今度は膝枕ではない。視線を彷徨わせて、数日間過ごした部屋のベッドの上だと気付いた。

 傍らに置かれた椅子の上に腰掛けていた白い人は、立ち上がり、棚の上からコップをのせたトレイを手に取り、差し出す。

 よろよろと体を起こすと「ありがとうございます」と心無い礼を述べて水を含んだ。

「あの」

「なに?」

「前言、撤回させていただいてもいいですか?」

 コップを握り締め、なるべく視線を合わせないようにぼそぼそと呟くと、白い人が首を捻る気配がする。

「無理だと思うよ?」

「どうしてですか………」

「貴方の言葉が分かるのは神官だけ。貴方は神官の誰かに庇護を求め生きて行く事になる。そして、僕の同僚は職業柄やたらと貞節に厳しい人間ばかりなのだけど、貴方の事はもう国に報告済みだから、僕と数日間二人きりで過ごした貴方を皆そういう眼で見るよ。意味、分かる?」

 けろっと、とてつもなくけろっと、話す白い人に眩暈がする。

「つまり、男女の関係であると、思われているという意味ですか……」

「そういうことだね」

 いや、それはおかしいでしょうよ! 

「神事前の潔斎中だったんでしょう? なら貴方が私に触れてないってちゃんと主張すれば……」

 大丈夫じゃないんですか。という言葉が喉から出てこなかった。彼の唇が余りにも意地悪く吊り上げられていくのを目にして。

「もちろん、僕の潔白は証明されてるよ。儀式は成功したからね。でも貴方は違う」

「どうして、そんなの矛盾してるじゃないの」

「そう。矛盾しているね」

 それが何か? と言いたげな彼はひどく楽しげだ。

「貴方の世界にはなかった? 理不尽で矛盾した制度や、慣例が」

 ぐうと呻いて私は布団につっぷした。

 そんなものは両手で足りぬほど経験してきている。

「これからよろしくね。僕の奥さん」

 悪魔の甘い囁きが頭上に降りそそいだ。


 一週間後

 私は彼が所属する神殿のある街中を走る馬車の中にいた。

 馬車に設えられた窓から一心不乱に外の光景を見つめている――――ふりをしている。

 走る馬車の小さな窓から見える、次々と流れ行く景色は、私の目には印象派の画家が描いた絵ぐらい、意味不明にしか映らない。映らないけれど、こうして外を眺めているのは偏に目の前の人物と顔をあわせたくないからに他ならなかった。

 そんな自分にちらりとも視線をむけない私の横顔を、白い人はいかにも神官といった慈愛に満ちた笑顔を浮かべて見つめている。きもい。

 あの日の午後、森の中に立てられた邸――――というか神殿に十数人からなる迎えの行列がやって来た時は度肝を抜かれた。あれよあれよと言うまに背の平たい超大型ダックスフンドのような動物の背にくくりつけられた煌びやかな篭に乗せられ、山中で一晩を明かし、翌日の夕方に森はずれの村についた。村長の屋敷に軟禁されたのは今では遥か遠い昔の思い出のように感じる。山中での野営時に、日本語が出来る人がいないかとお供の人に話しかけまくったのが白い人の気に食わなかったらしい。白い人曰く神官の妻は特に貞節であるべきだとか。知ったことか。

 翌早朝、6本足の鳥とライオンのハーフのような奇怪な動物が牽く馬車に乗り換え、野営や村での宿泊を繰り返し街に到着した。

 街の入り口で手続きの為に止められた馬車内から見た街の様子は思ったよりも近代的で清潔感がありちょっとほっとした。道は継ぎ目の無い薄い黄土色の何かで舗装され、大通りの両側は多層建築の建物が立ち並んでいる。とはいえ、車や電話があるわけでない。街中を走るのは、訳の分からない獣がひく馬車だし、主な通信手段は伝書鳥だ。

 往来の多い街の中を、ほぼノンストップで走る馬車に、神官という人種がかなりの特権階級に位置するらしいと再認識させられた。

 馬車が街の入り口の門より、数段大きく華美な門をくぐると、目に入る光景が一変した。人々の姿はなくなり、道路の脇に立ち並んでいた建物は銀色の葉を茂らした木々に取って代わる。

「ここはもう本神殿の敷地内だよ」

 その声に馬車の旅が始まって初めて、私は白い人と目を合わせた。

「貴方にはしばらく神殿内の一室ですごして貰うことになる。残念だけど、僕達の新居に入るのは十日後に行われる挙式の後になるんだ」

 寝耳に水とはこのことだ。

「十日後って、本気?」

 あまりな話に怒る事も忘れて聞き返すと、白い人は耳元に顔を寄せて、例の掠れた声で囁いた。

「十日間も寂しい思いをさせてしまうけど、ごめんね」

「いや、全く」

「貴方は、本当に可愛らしいね」

 間髪居れずに返した拒絶にも、白い人は変わらずの笑顔で答える。変態だ。こいつ絶対変態だ。背筋を這う言いようのない寒気に、私はすぐさま顔を背けた。

 口元を引き攣らせながらまた、窓の外を眺め始めた私に、未来の夫になるらしい人は思い出したように口を開いた。

「ああ、目。治してあげようか? その視力だと困るでしょ?」

 ―――――なんだって?

 私は勢いよく振り向くと、目玉が零れ落ちそうになるぐらい目を見開いて白い人を見た。

 彼の唇がつりあがる。意地悪く、楽しげに。

「いつから………」

 気付いていたの、と声にならない言葉に、白い人が答える。

「滝の側で、貴方が目から何かを外していた時から。日本には視力矯正用の器具があると聞いていたからね」

 つまり、最初からか!? つかいつから見てた!?

「目、治せるの?」

「お望みのままに」

「………じゃあ、なんで今まで言ってくれなかったの」

 視力が良くなるのはすごく嬉しい。かなり嬉しい。でも気付いていたなら何故もっと早くに申し出てくれなかったのか。

 私はじわじわと馬車の壁へと身を寄せた。白い人から少しでも距離をとる為に。

「そうだねえ、僕の可愛い花嫁さんが、一時の気の迷いに駆られて無謀にも逃亡を図り、いらぬ苦労や怪我を負う事のないようにっていう気遣いからかな」

 この悪魔。

 逃亡を決意した瞬間だった。

 ―――――――誰がお前と結婚などするか! 絶対に逃げてやる! 

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[良い点] めっちゃ面白かったです!!!先がどうなるのか全く想像が出来ずにワクワクしながら読ませて頂きました。出来ましたら白い人とどうなったのか続きをお願いしますーめっちゃ気になります!
[一言] とっても面白かったです! 結局逃げられず、絆されてしっかり夫婦になっている未来が見えます(笑) この後の展開が非常に気になります。
[一言] コンタクトにお世話になってる身として、すごく共感出来る部分がありました!続きがぜひとも見てみたいです 未来の夫様(笑)はどのタイミングで、惚れたんでしょうか(笑) 素敵なお話ありがとうご…
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