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その一

       (一)


 「――違うよ、誤解だよ。見たかったわけじゃないんだ。本当だよ、信じてくれよ……」

「じゃ、何でこんな物がここにあるのよ。あなたが借りてきたんでしょ。見たかったんでしょ。白状しなさいよ!」

 景子は立ち上がると、語気を強めて怒鳴りつけた。

「出来心だよ。俺、こんなもの借りるつもりじゃなかったんだ。何か面白い映画でもないかと思って寄ってみたんだけど、つい……」

「だから見たかったんじゃないの。どうせ私じゃ物足りないわよね」

「そんなに怒らなくてもいいじゃないか。すぐ返してくるから」

 信二は蛇に睨まれたカエルのように、タジタジとしている。

「いいわよ。今から見ればいいじゃないの、それ。私は必要ないみたいね。それを見るんだったら私は邪魔でしょ。帰るわ。じゃあね」

「おい待てよ、景子……」

 立ち上がろうとした信二の頭上に、たっぷりと嫌味が含まれた励ましの言葉がかけられた。

「ガンバってね。――フン!」

 景子は荒っぽく上着をつかむと、ドスドスと音を立てて部屋のドアまで行った。

 勢いよくドアを開け、後ろを振り返る。そして鋭い目でキッと睨みつけると、全身の力を込めて、叩きつけるようにドアを閉めた。一瞬部屋全体が軋むほどの勢いだ。

 信二は呆然とドアを見つめていると、アパートの階段を大きな足音が遠ざかっていくのが聞こえていたのだった……。



 ここは竹中信二が住んでいるアパートの、二階にある自分の部屋である。

 安月給のサラリーマンである信二が、町中の不動産屋を探して回り、ようやく見つけた家賃三万円のアパートだ。

 繁華街からはかなり離れているが、会社に近いということで、この町の不動産屋をくまなく探していたのである。

 閑静な住宅街の中に、ポツンと建っている古ぼけた木造の二階建てアパート。

 最初にそのアパートを見たときは、まるで明治時代に建てられたんじゃないかと思うほど古ぼけていた。一階に三部屋、二階にも三部屋。全部で六世帯分である。

 その古さにこの部屋を借りることを一瞬ためらったが、家賃三万円は魅力的だ。今どき、そんなに安いアパートは存在しないだろう。

 そのアパートには、一階と二階それぞれに一部屋ずつ空き部屋があった。信二は少しでも見晴らしのいい二階の一番奥の部屋を借りることにしたのだ。

 廊下を歩くとミシミシと音がする。今にも抜け落ちるのではないかと思うほど。部屋の広さは1DK。トイレとシャワールームが同居するユニットは好きではないが、まあ贅沢も言ってられない。

 竹中信二、二十三歳。今日が記念すべき、彼の誕生日である。

 さっき勢いよく飛び出して行ったのは、安田景子、二十二歳。一週間前に誕生日が過ぎたばかりで、信二より一歳年下。

 この二人、約一年ほど前、友人の紹介で知り合い、交際を始めた恋人同士である。

 景子は、今年大学を卒業したばかりで、信二が住んでいるアパートの近くの、会社の事務をしているOLだ。

 会社には両親と共に住む自宅から通い、なかなか泊まりでは出してもらえなかった。といっても、両親が厳しいわけでもないが、どちらかと言えば箱入り娘的存在だろう。

 しかし、今日は信二の大事な誕生日。両親には申し訳ないが、景子の友人に協力してもらい、何とか口実を作って、一泊二日の予定で信二のアパートに来ていたのである。

 景子は今日の記念すべき信二のバースディを、二人で共に分かち合い、二人で共に喜び合おうと、仕事が先に終わる景子が、信二の部屋でパーティーの準備をしていたのである。

 豪華なディナーとシャンパン。それからワインは赤にしようか、白にしようか。テーブルにはキャンドルを灯し、BGMはモーツァルトの弦楽三重奏でも……。と、やりたいところではあるが、そんな予算があるわけでもなく、もちろんクラシックCDがあるわけでもない。

 そこで……。

「どんなに素敵なレストランの食事より、私が作った手料理の方が美味しいに決まってるわ。何たって、愛があるんだもん。愛に勝る調味料はないはずよ」

 景子は自分にそう言い聞かせながら、早速料理を作り始めたのである。

 料理のレパートリーは多い方ではないが、自慢できる料理はいくつかあった。

信二の好みも少しは知っているし、その中で一つか二つ、料理に中に入れておけば、信二は絶対喜んでくれると確信していた。

 時計を見ると、もうすぐ午後八時。信二が仕事を終えて、そろそろ帰って来る頃だ。

「――早くしなくっちゃ」

 景子は上機嫌で手料理を作り続けた。急がなくては信二が帰って来てしまう。その前に、部屋の掃除もしなければならなかったのだ。

 掃除といっても、片付けようがないくらい物が散乱している。所詮、一人住まいの男の部屋というものは、どこでも散らかっているのかもしれない。

 しかし、他人から見ればガラクタの山でも、本人にとっては大事な宝物と思っているものが、部屋中に溢れているものだ。

 料理を作り終えた景子は、部屋の中を片付け始めた。テーブルの上をきれいに拭き上げ、周りのガラクタは部屋の隅に押しやった。片付けようのない部屋だが、せめてテーブルの周りとお布団だけは綺麗にしなくっちゃ、と張り切っていたのだ。

 この場所は、今日のバースデーパーティーのメイン会場。言い換えれば、高級ホテル(鳳凰の間)にも値する場所なのである。

 料理をテーブルの上に並べ、信二が帰って来るのを待つだけとなった。

 一息ついた景子はテーブルの横に座り、何気なく部屋の中を見回していた。

 その時、テレビの下に置いてある青い袋に目が止まった。レンタルビデオの袋だった。

「何借りてきたんだろう。もしかしたら私が観たいって言ってた映画のビデオかもしれないわ。優しいのね、信ちゃんたら」

 景子がその袋を取り上げ、中に入っているDVD二枚を取り出した。そして中から出てきたのが、「それ」だったのである。

 普通、男の部屋にはどこにでもあると思われる、エッチ系のもの。そのタイトルも、景子は恥ずかしくて口にも出せないほどリアルなものだった。

「何でこんなものはあるの? そりゃ、男の人はみんな見てるかもしれないけど、今日は私が来るの分かってるはずじゃない。それなのに……」

 景子は呆然とそれを見つめていた。

 男がこんな物を見るのが理解できないわけではないが、今日は二人だけの世界を思う存分満喫するはずだったのだ。そこに変な邪魔者が入り込んだような、複雑な心境になるのも仕方ない。

 軽快な足音がアパートの廊下から聞こえてきた。そして弾むようにドアが開いた。

「ただいまー! 待たせたな。準備はできてる?」

 よりにもよって、タイミング悪く信二が帰って来たのである。

 景子は背中を向けていた。

「た、だ、い、ま! ――どうしたの? 座ったまま寝てんのか? けーこちゃん」

 信二が景子の肩に手を乗せようとした瞬間、突然景子が振り向いた。その目が怒っているのが信二にも分かった。

「何だよ、怖い顔して。どうかしたのか」

「何よこれ! 今日は何の日か分かってるの? 私がいるのにどういうつもりよ!」

 景子の手に、あのDVDが握り締められていた。

「あっ! いや、それは、つまり、その……」

 青くなっている信二の顔に、二枚のディスクが飛んで来たのだった……。



 アパートを飛び出した景子は、あてもなく歩き始めた。どこに行こうというのではなく、このままいても大喧嘩にしかならないことは、景子にはよく分かっていた。

 ただ、自分の気を静めたかったのだ。

 その景子の後姿を見ている、一台の黒いワゴン車があった。そして景子が歩き始めると、ゆっくりとその車も動き始めた。

 むしゃくしゃしている景子は、そんなことには気づかず、ただ歩き続けていたのだった……。



 

 

 


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